霊的修行

心のカーソルを中心に持っていってピントを合わせる

投稿日:2020-06-18 更新日:

最近は4時間以上寝れない。だから時間は有り余るほどある。

かといってその時間をブログや動画制作に向けるわけでもない。ずっとダラダラしている。

何かをすることで学ぶことも多いが、何もしないことから学ぶことの方も多い。何もしないときの方が脳はよく活動しているらしいが。

だけどこの考え方はあまり好きではない。時間を無駄にすることは嫌だから、せめて何もしないなら、ピント合わせぐらいはしっかりやろうと思っている。

山岡鉄舟は悟りとは何かと聞かれたときに「精神的満腹」と答えたそうだ。

「晴れてよし曇りてもよし富士の山」

これは大悟徹底したときの山岡鉄舟の言葉である。

俺は人より落ち着いているけど、幾ばくの焦燥感がある。前のめりになっている心がある。これが邪魔しているのだと思う。これを完全に取り払いたい。この心に生えた雑草をすべて刈り取ることができたら、「精神的満腹」に辿りつけそうな気がするが。

不思議なことに、情報というものはちょうど求めているときに都合よくやってくる。ヒクソン・グレイシーの本にこんなことが書いてあった。

人間自体が能力を発揮するために生きている。人は人の役に立たずにはいられない。

焦燥感の正体は、こんなところからきているだろう。別に俺が何かしたところで世界に何の影響ももたらさないが。

気を下流に流して、静かに静かにしていって、完全に停止する境地がありそうだけど、止まりきることができない。

先を急ぐことなく今にとどまり続ける。今を生きなさい。今を生きろ。どのスピリチュアル本にも書いてある。もういい加減飽き飽きして目にしたくない言葉だ。胃がむかむかしてくる。書いている著者が絶対にできていないことがわかるから、イライラするだけだけど、やはりこの言葉はとても大事だ。ピントを合わせるとは、今に合わせるということだ。

今。

それは完全に心の活動を停止してしまうことのように思える。

ひたすら下流の、臍下一点に気を沈めて、心が溶けきって完全になくなるようにする。寝るときも、食べるときも、歩くときも、人と話すときも、休むときも働くときも、次を考えない。ただ一点にとどまり続ける。すると、意識が一点に溶け込まれて消えてなくなる。そんなイメージをいつもしている。

外ではなく内に探しにいく。いかに完全に停止できるかを心がける。心は停止することではじめて正確に機能する。汚れを取り除いた鏡が鮮明に目の前のものを映すように。

しかし、待つとか待たないとか、書くとか書かないとか、神の啓示がくるとかこないとか、心がどうのこうの、そんなことをやっていると、一生何もなさずに終わってしまう気がする。

だからディケンズはこう言った。

わたしは時間厳守、整理整頓、勤勉の習慣なくして、また、一時に一つのことに専念するとの決意なくしては、わたしのしてきたことを決して成し遂げられなかった。
チャールズ・ディケンズ

ずっと寝てばかりいながら、無が教材だの何もしないことから学習しているだのいうのはよくない。

モーツァルトやラマヌジャンは、神の創造の泉にアクセスして、神から与えられたものを形にしたことはわかる。

「構想は、あたかも奔流のように、実に鮮やかに心のなかに姿を現します。しかし、それがどこから来るのか、どうして現れるのか私にはわからないし、私とてもこれに一指も触れることはできません……」
モーツァルト

「(数式を)夢の中でナマギーリ女神に教えてもらいました」「信じられないかもしれませんが、ナマギーリ女神が舌に数式を書いてくれる」「神についての思索を表現しない方程式は、私にとっては無価値である」
ラマヌジャン

俺はこれを誰でもたどり着ける境地だと考えている。なぜなら神は我々にメッセージを送り続けているから。

神が人を選ぶだろうか。神は誰のもとにも、宙に浮かぶ星よりも多くのメッセージを、非常に多くの叡知を、愛を、意思を、人々に送り続けている。たった今も。だから我々はこうして生きていられる。都合のいいときにしか祈らない我々の態度に落胆することなく、我々を救済し続けている。そして見返りを求めない。我々は見返りを求めるが。

「精神的満腹」

いつ、いかなるときだって、幸せになれる。

精神を完全にするとはそういうことだと思う。精神は完全にできる。できないならやってない。

中心に、中心に向かっていくと、レンズのピントが合うかのように、はっきりと合致する座標がある。もっとこの座標を確かに、はっきりと、ボンドで一寸狂わずに貼り付けるように一致させたい。今日は昨日より合わせる。昨日より真芯に合わせる。俺は、ピントを合わせるためだけに毎日を送っている。

数字もひとつの指標にしている。血圧102/60 脈拍56。なかなかいい数字だ。

世の中に流布している自己啓発本も、この一点から派生して、更に派生したものを言語化しているに過ぎない。本源はたったひとつの一点に集約される。

人はこの一点だけを求めればいいのだ。

例え方向が正しくても、曖昧模糊としたざっくばらんとした、広がり過ぎた精神を求めていたら、決して集約しない気がする。

幽玄微妙な世界を広漠な幽玄微妙なまま理解していてはならない。はっきりと、確実に、真芯で捉える。幾何学的に、一寸の狂いもなく、完全にカーソルを合わせる。

この宇宙には様々な形があり、様々な色があり、様々な性質を持った物が溢れている。だが、その全ては、ある一点に集約される。それは驚くべき一点だ。驚いたことに全ては必然なのだ。全ては自然の法則が働いた結果、必然として生まれた。一切、無駄はない。まさに奇跡だ

すべては、すべてから来る。すべては、すべてから創られ、すべては、すべてに戻っていく。すべては、すべてに包み込まれる。

レオナルド・ダ・ヴィンチ

ダヴィンチがこう言うくらいだから、あるに決まっている。ダヴィンチが世界最高の画家である理由は、「一点」を絵に収めたからである。

しかしニートほど、モーツァルトがどうだとか、レオナルドダ・ヴィンチがどうだとか言いだす……! 俺だってこんな厨臭い単語は使いたくない。

………(笑)

我々はピントが合っていないから、ブレブレの酔っ払った世界で生きている。映画と一緒で、はっきりクリアな映像になったときに物語は始まる。ピントが合うことはゴールではなくスタートだ。

みんなレンズが曇っている。ただでさえピントがぼやけているのに、その上にさらにテレビやマンガやYouTubeなど、ぼやけた世界を重ねる。ただでさえブレているのに、慌ただしくレンズを右に向け左に向け、ブレた映像からまたブレた映像へ移り変える。芸人や作家や才能あるインフルエンサーも、多少視力がいいくらいで、この世界の本当の景色は見えていない。

はっきりピントが合うと、物質の素粒子が動いているのが見えるらしい。憶測だが、ゴッホのひまわりや糸杉はそうやって描かれたものだろう。ゴッホはなぜ皆が自分のように糸杉が見えないのか不思議だと言ったという。

シェイクスピアが怒涛に歴史の頂点に君臨する戯曲を連発したのは、ピント合わせに成功したからだろう。彼の活躍はピントが合ってから始まったのだ。

これを匂わせることをバルザックは言っている。パリの街中を散歩していたら、あるとき目に映る人々のことがすべてわかるようになったという。しかしどうして、自分でもそれができるのかわからなかったという。

肥田先生は、目隠しした状態でおもちゃの矢を、目の前の人が手に持った針金の先に当てて見せたが、当ててから撃っているから万が一にも外れることはないといった。

俺はこのピント合わせのために、中心力練磨をして、記事を書いて、動画を撮っている。

正直今の段階でもまあまあ面白いと思っているが、完全にピントが合ったら、どれだけ面白いものができるんだろうとワクワクしている。

日中起きている時間は、iPadをいじってゴロゴロする以外の時間は、基本的にピント合わせをやっている(iPadをいじってる時間は6時間くらいだけど)。まぁ、そのおかげで2年前の記事に比べてずっと良くなってきた。

こうして記事を書く時も、ただピントが合うか合わないかだけを考えている。人々は喋りすぎている。ピントが合ってないから喋り続けてしまうのもあるけど、喋り続けてしまうからピントが合わない。ピントが合っているならいくら話しても構わない。それは世の中に必要なものだ。しかしピントが合っていない以上は黙ってピント合わせに勤しまなければならない。

ふう。いかにも自分探しをしているニートくさい言葉だ。自分で自分にアレルギーを起こしてしまう。しかし、俺は友達や女性と遊んでいるときよりも、これをやっている方が楽しいのだ。だから自分をストイックだと思ったことはない。

俺が大悟した後は、それこそ最も重要な作品を世に提供できるようになるだろうが、現在も現在で、大悟徹底するまでの修行者の手記として、これもこれで重要な文献資料となるだろう。俺は悟りを開くために修行するブログやチャンネルがないことが不思議でならない。

時間も体力も才能もピント合わせに捧げてきた。けれどまだ大悟に至れない。当たり前に思う。まだ全然足りない。やはりiPadを破壊しなければならないのか。何か決定的なものを見落としているのか。愛か。静けさか。ピント合わせの技術が下手なのか。もう少し食事を減らしてみるか。わからない。しかし俺の旅は今世で終わると思う。前世は原っぱでクワを振っていた記憶が少し浮かび上がるが、それ以上のことはわからない。今世ではっきり決着がつく予感はしている。確信に近い予感だ。いや、決着をつけなくてはならない。

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