どうしてみんなYouTuberが嫌いなのか? どうしてテレビに出てくる新しいタレントが嫌いなのか? どうして霜降り明生が嫌いなのか? ひょっこりはんが嫌いなのか?
人間は初めて見た人間を絶対に嫌いになる法則がある。嫌いにならなくなる時は、もっと嫌いな新しい標的が現れたときだ。新しいYouTuberが出てきたときだ。嫌悪の対象が新しくなり、そいつに比べたらマシかも? と思い始めて、少しづつ心を開いていくようになる。そしてまたまた新たなYouTuberが出現するたびに、古来の嫌いだったYouTuberのことをどんどん好きになっていくのだ。今ではヒカキンを嫌いな人はいないだろう。テレビで言えば、ヒロシを嫌いな人はいないだろう。
世の中には本当に多くの人間がいて、これ以上新しい人間が増えて分母が広がっていくのが耐えられないのだ。新しい人間を目にするたび、脚光の窓口が広がっていくほど、分母が広がれば広がるほど自分が薄味になっていく。それが耐えられないんだろう。可愛い女の子だけは例外で許すらしいけど、それ以外の人間は、「新しい」という理由だけで頑なに認めようとしない。いくら芥川賞とったとか、ミリオンセラーがどうだとか言ったところで、どうせにわかだろう? と思わざるをえない。
「おいおい、マジかよ、また新しい人間出てくんのかよ! この前も出てきたばっかじゃねーか! ふざけんなよ、これ以上さらに俺を透明にさせる気か! もう十分だろう、もう人間は十分だろ? 十分コンテンツは揃ってるじゃねーか。十分楽しいじゃねーか。もうお腹いっぱいだよ! 今の状態ですら俺は薄味なのに、これ以上薄くなったら透明になっちまうよ!」
結局のところ、人間は人間が嫌いなのだ。自分がそんなに大した人間ではないとわかっているけど、それでも、それなりには自信がある。生きているとはそういうことだ。24時間、自分の意識と向かい合っているから、自意識が真理だと思えてしまう。どんなに自信がなさそうな人でも、それなりに自信は持っている。だから生きていられる。
だから大抵の人間を見ては自分より下だと思っている。新しい人間はみんな自分より下だと思っている。圧倒的に敗北感を味わさせられるか、上述のように、更に新しい人間を見るまでは絶対に認めようとしない。 クリエイトで働いているフリーター女だろうが引きこもりのクズニートだろうか、みんなそう思っている。
どんな境遇に関わらず、新しい人間は自分より下だと思っている。下でなければならない。分母も分子も、もう定まっているのだ。もう必要ない。自分より下の人間がチヤホヤもてはやされるのは我慢ならないのだ。新しい情報生命体は、宇宙人や外国人のように見えてしまうのだ。部屋にゴキブリが沸いたような気分になり、駆逐したくなるのだ。だからどこで何をしようが「新しい」というだけで、黒くてカサカサしていると思われてしまう。