霊的修行

質問コーナー『自分で物事を考えない、自分の言葉で話さない人……しまるこさんはどうおもいますか? 』

投稿日:2020-05-11 更新日:

〇〇座のおさぼり

あ、ちなみに宗教じたいを否定してるわけじゃないです。ヲイ自身信仰心あるし・・
ヲイの批判してる宗教の定義っつーのは「マインドコントロール」だよね・・教祖様の言葉が全てになって、自分の意思がなくなっちゃてる人たちのこと・・・自分で物事を考えない、自分の言葉で話さない人・・・なおかつ自分で物事を考えてないこと自体に気がついていない人のこと・・をいいます。しまるこさんはどうおもいますか? ちゃお

>しまるこさんはどう思いますか?

正直いうと、『どうも思わない』というのが本音で、尋ねられた時、『え?』と思いましたw うーん、何も答えることないなぁ……と思っていました。

しかし、大三郎さんも小川さんも、頼まれてもないのに答えたりして、ずいぶん関心があるテーマなんだなと、思いました。

大三郎

自分で物事を考えない、自分の言葉で話さない人、なおかつ自分で物事を考えていないこと自体に気がついていない人、マインドコントロールされている人……

というのは、現代人のほとんど全員がそうでしょう。そうじゃない人を探すほうが難しいと思いますよ。インフルエンサーたちも、そういう意味では、大衆よりちょっとマシな程度です。

ヘンな宗教も、ねずみ講も、今の支配者がしていることと、実は何も変わりません。どっちも所詮、詐欺集団で、多くがそれに騙されているだけです。今の支配者のほうが、ヘンな宗教やねずみ講よりも、権力が強い。ただそれだけです。

何が正しいか?を結論するのは難しいですが、何が間違っているか?は、意外と容易に断定できることだろうと思います。

小川

法月将臣は次のことを言っている。
国が、資格が、こんな特許が、親が、信頼する友人がこういったから・・・
すぐ、安心し、思考を停止する。そのくせ、裏切られたときには、豚のようにわめき散らす。と言っている。

人々は、リーダー的存在を
欲している。
それは、何も考えなくていいからだ。
大衆と言うのは、
自ら行動しないくせに、
一人の個にたいしての
責任を負わせたいのだ。
これらの要因の根本的な根は、支配されたいと言ってもいい。支配とは、従属の関係だ。

願望が実現できる、
それこそが落とし穴である。
人を支配するには、
思考を指定することだ。
虚栄心を操り、
大衆を操っている。

とある読者

大衆というのは結局何が善で何が悪かを自分で判断できない場合が多い。
判断できない人たちが群れて粘着して一つの大きなかたまりになって、善悪を超越した力を持とうとする。
あるいは、自分たちの雰囲気が善悪を決めている。
彼らのほとんどは、善悪を自分で考えたりはせず、構成員の顔色をうかがって物事を決める。
もちろん、周りの顔色をうかがわず、自分で善悪を決めて行動出来るのは、これはニーチェの言う超人に近い存在なのかもしれません。
そんなことが出来る人はほとんどいない。
職場のようなところでは、この同調圧力に服従した人間の方が楽に生きられますね。
しかも、そのコミュニティにおいては、それが正義であり善であるのです。
とがったものも、斜めなものもなく、ストレートに意思疎通が可能な人間が、生き延びるのです。
自分だけのペースを持たず、全体の流れの一部になれる人間、あるいは意識せずともそうなってしまう人間、
そういった人が受け入れられ、評価される。
何となく声の大きい意見に従う。これだけです。
でも、それは、社会という空間では当然のことかもしれません。
そこは互いに協調し合う場ですから。

信仰の必要性について

おさぼりさん。皆さんが社会と個人の観点からお話してくださったので、私は精神的な根源論からお話しさせてください。

信仰心は持つべきだし、持たなければなりません。しかし、自分の中から神を見出そうと思い立つには、それはもう信じられないほどのカルマが必要らしいです。前世においてよっぽど徳を積んで、とにかくカルマを積んで積んで積んで……やっと今世で神の存在に気づける機会を与えられるとのことです。我々は真実にたどり着いて解脱するまでは、何度も転生を繰り返さなくてはならず、前世で答えにたどり着けなかったから、今世で前世の答え探しの続きをするためにやってきたといわれています。

これは聖者ヨガナンダが語った言葉ですが、私はこれを信じています。宗教国家のインドですら神を求める人は稀なようです。日本ではいわずもがなですよね。大三郎さんはよく知らんけど、そんな人間がこのブログに4人も集まったのは、非常に稀なことだと思います。

しかし、これも借り物の言葉と言えば借り物の言葉です。私自身が自分でひらめいた言葉ではありません。ですので、私自身も自分で考えて自分で語っているのか怪しいものです。知らない人にこれを話したら、変な信者、自分で考えることができない人だと思われるでしょう。神というワードを出した瞬間に、そのイメージは免れないでしょう。

さて、さらに少し脱線して語らせてもらうと、私は最近、記事を書く上で、ピッカーンと光ったり、これは爆発が起きそうだなと思ったり、エネルギーのようなものを感じたら、それを具現化させるために槌とノミを持って掘り出そうとしています。

ただエネルギーを発掘してエネルギーを伝達さえすればいい。そう思っています。

できればそのエネルギーというものは、ワクワクして明るくみんなが楽しめるものだったらそれに越したことはないですけど、どうしても汚い過激な表現を使ってしまうのは、そのエネルギーを表現する為に、その言葉しか抜き差しならないものとして機能しないからです。

いいたいことは、どちらが正しいとか悪いとか、二元論の立場で物事を考えたくはないということです。エネルギーで考えたいのです。結局のところ、この世にはいいとか悪いとかはなくて、言葉で解き明かせるものはなくて、ただエネルギーしかないと思うのです。

善と悪。
二次元を超越するとき、
人々は、意識的な、存在となる。

自分で考える人と考えない人

というわけで、二元論を取っ払って、純粋にエネルギー一元論で考えたいと思います。

自分で考える人と考えない人、そんな二極の線は私はないと思います(別におさぼりさんは二元論の立場をとっているわけではないですが、そう考える人は多いと思われますので)

線でいうなら、黒と白の間にある色の数だけ線引きがされるでしょう。

自分の中心には核というものがあります。その中心に沿って話す人は、自分で考える人だと周りから思われるでしょう。反対に、その核から離れれば離れた分だけ、自分で考えることができない人だと思われるでしょう。

どんな人間にも必ず核はあります。なかったら死んでいます。これは肉体が死んでも残るものだと思われます。吊り革にぶら下がってるサラリーマンだろうが、コロナ対策のためにマスクを買い占めている主婦だろうが、ホームレスだろうがボケ老人だろうが、一見何も考えていないように見える人だろうが、びっくりするほど真理の響きをともなった言葉を突然に口にすることがあります。たまたま核と一体となって飛び出てきた言葉でしょう。

核は誰にでもあるのに、自分で考える人と考えられない人の差が現われてくるのはどこからくるかというと、心の静けさだと思われます。

安月給のわけのわからない仕事をしたり、無職だったり、ばくばくジャンクフードを食べる人の中にも、やたらと頭のいい人がいます。そういう人たちの心の中を覗いてみると、空白の時間の中で透明な気持ちで過ごした時間が、彼らを作っているように見えるのです。

自分の心が静かな状態であればあるほど、自分の核が浮かんできて、自分で考えてるなぁこの人、と思われる構造なのだと思われます。

陽キャラより陰キャラの方が真理に近いことが多いし、おさぼりさんが自分で考える人間なのは、単純に人より心が静かだからでしょう。静かに自分の部屋で自己内省された積み重ねだと思われます。人よりその時間が多い為に、ある程度自分でコントロールするところにまで至っているのだと思われます。

その静かな時間の絶対量に従って、自分の頭で考えられる人と考えられない人の差が明確に数値化できるでしょう。

ヨガの賢者には、人から質問されても1分以上答えが出てくるまで黙っている人間がいます。というか、それがほとんどのようです。通常人は相手に気を使ってしまうために、即席で答えられる言葉を話してしまいます。自分の答えが出てくる前に話したり行動してしまうから、自分で考えられない人間になってしまうのでしょう。沈黙が多い人ほど、自分で考えられる人といえます。

自分の頭で考える人も、種がなければ考えることはできません。その種というのはいい換えれば「気づき」でしょう。では、気づきはどこからくるかというと、「静けさ」です。

気づいていなければ自分で考えることは不可能です。気づいている人はいます。私には非常に頭がよくて笑いのセンスに優れている友人が何人かいますが、彼らは気づいています。人より圧倒的な静けさを持っています。だから色んなことに気づくことができます。ときには核心に触れ、ときには見たことのない角度から触れ、他人が見落としていくポイントを一つひとつ感知して拾い上げていきます。センスとはセンサーのことかもしれませんね。

私は松本人志さんを尊敬していますが、松本さんも、いつも寝る前に一時間ぐらい何もしない孤独な静かな時間を過ごさないと、一日が中途半端になってしまうといってました。また学生時代の授業中はノートを一切取らず、ただ教室を天井から眺めているような時間だけが続いたといっていました。おそらく才人のセンスというものは、こういったところからくるのだと思われます。

核はオリジナリティーともいえます。オリジナリティーはみんなあるのです。いつも頭に人参をぶら下げた馬のように慌ただしく走っているから浮かび上がってこないだけです。

静けさの中で自分の核と一致せずに、ただ言葉を並べていると、自分の考えがないと思われてしまいます。

以上です。心の静けさですべてを説明づける一元論のお話をさせてもらいました。

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