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毎日ピーナッツバタートーストを食べる狂った親子

投稿日:2020-01-31 更新日:

高校の頃、歯が汚い斉藤の家に遊びにいったら、斉藤のお母さんから、「しまるこ君パン食べていきなさいよ」とピーナッツバタートーストを差し出された。

ピーナッツバタートースト?

食パンの上にペーストが、三歳児の塗り絵みたいに塗りたくられていた。俺はあまりの下品さに開いた口が塞がらなかった。

普通、ピーナッツバタートーストを客人に差し出すだろうか? いくら俺が高校生のガキだとしてもだ。百歩譲ってランチパックならギリギリわからないでもないが、6枚100円で売られている食パンの上にペーストを塗りたくって差し出すのは、白飯にごはんですよをのせて差し出すのと何が違うんだろう?

斉藤は学校から帰ると必ず一枚食べるらしかった。お母さんも必ず一枚食べるらしかった。

この親子は、どこの家庭も家に帰ったら必ずピーナッツバタートーストを食べるものだと思っているようだった。しまるこ君、家に帰ったらどうせ食べることになるんだから、ここで一枚稼いでいったら? といわれているようだった。

斉藤の家は3DKの市営団地で、斉藤とお母さんの二人暮らしだった。どの部屋も汚くて脱ぎ散らかした服が散乱していた。ろくに洗わずろくに干さずろくに畳まず、半濡れ半乾きの変な臭いがする服だらけだった。二人しか生活していないのに量がおかしかった。服屋かと思った。斉藤が冷蔵庫を開けているのがチラっと見えたが、冷蔵庫の中は中身がパンパンだった。静かに開けないと卵が落ちてきて、床に転がっている服の上に落ちて大惨事になりそうだった。

斉藤は自分の部屋がなかった。学習机もなければ本棚もなかった。一冊も本がなかった。ベッドもなかった。服の上にダイブしてピーナッツバタートーストを食っていた。

「何だしまるこ。食わねえのか? 食わねえならおれ食っちまうぞ?」

「こーら。拓海。あんたの分はちゃんとあるでしょ」

「デヘヘ!」

斉藤は茶色い歯をむき出しにして笑った。皿にのせないで食べるので、パンのカスが服や床にぼろぼろ落ちていた。

「そういえば拓海。あんた今月、携帯代使いすぎ。一万超えてたよ」

「オカアはもっと使ってるべ」

「大人はいいの!」

お母さんも床にぼろぼろこぼしながらいった。

この手の家庭は携帯代を使いすぎる。携帯代は別だと思っている。むしろ携帯を使い過ぎることは充実して生きた証だと思っている。

俺は差し出されたお茶をそのままにして、自分のカバンからペットボトルのお茶を取り出して飲んだ。

次の日、俺は学校でありとあらゆるクラスメイトたちに一部始終を話した。すぐに噂は学校中に広まり、斉藤のあだ名はピーナッツバターになってしまった。

つい調子に乗って、あることないことをいってしまった。冷蔵庫の中はすべてピーナッツバターだったとか、お母さんはシングルマザーで欲求不満だから携帯のエロサイトに10万使ってるとか、白い絨毯だと思ったらパンのカスだったとか、家のどこを探しても歯ブラシが見つからなかったとか、お父さんはチョコレートペースト派だったから出ていったとか、色々言ってしまった。言い過ぎとは思ったが、みんなが笑うから仕方なかった。教室のボルテージが俺を悪魔にした。

しばらくすると怒り狂った斉藤が飛んできて、「俺のことはともかくオカアをバカにしたのは許さない」といって、俺達は放課後に決闘することになってしまった。

俺は喧嘩なんてほとんどしたことはなかった。中学の時に一度したことがあるが、そのときの喧嘩の原因も、俺がそいつのお母さんを馬鹿にしたからだった。そいつのお母さんが透明色のサンダルを履いていて裸足のように見えたから、『ミキノリのお母さんはいつもはだしで外を歩いている』と、学校中に言い広めてしまった。その時の俺は髪が長かったので、髪を掴まれて何度も顔面に膝蹴りを入れられて歯が折れて、病院送りにされてしまった。

喧嘩は放課後だから床屋に行っている暇はない。俺は急いで喧嘩必勝法をネットで探した。金的と目潰しが有効らしかった。確かに髪を掴まれても、相手のチンコを握ればどうにかなりそうな気がした。目潰しの方は、指を五本に開いた状態で、スッと相手の目を軽く触るように腕を伸ばせば、どれかの指がかなりの割合で入ると書かれていた。

ちょうど仲良くしていた友達が、斉藤と同じぐらいの身長で目の大きさも似ていたので、昼休みに特訓に付き合ってもらった。さっさとお弁当を平らげて、真面目に目潰しと金的の練習している俺を見て、友達はずっと爆笑していた。
「お前が人間の道を反則したからこんなことになってるのに、更に反則を重ねるんだな」といわれた。

いろんな友人を呼んで試したみたが、目潰しはとても有効だった。知らない相手にももちろん有効だが、狙いがバレている相手にさえ有効だった。ふとした瞬間に手を開いたまま伸ばすだけで、かなり決まった。目潰しで牽制しながら、股が開いたら金玉を蹴りあげる。素晴らしい反則技の相乗効果だった。

目潰しは、スピードをつけると相手が反射的に目を瞑ってしまって決まらなくなってしまうが、洗剤でも取るようにスッと腕を伸ばすだけにすれば、非常に高い確率で決まった。確かにどれかの指が入ってくれるのだ。相手はわかっていてもどうしようもなかった。目潰しを嫌がってガードを上げたら、ひたすらチンコを蹴る。完璧だった。喧嘩は準備がモノをいう。テスト勉強と一緒だ。

屋上では、親の仇のような顔をして(実際に親の仇なのだが)斉藤が立っていた。噂を聞きつけてきたバカ共も、下品でよからぬ顔をして集まっていた。

体重はそんなに変わらないと思うが、俺は178センチで斉藤が167センチぐらいだった。ちょうど肩口からまっすぐのとこに標的の目があることが確認できた。

この記事を読んでくれている女性はどれぐらいいるだろうか? 俺はあなた方のためにこの記事を書いている。あなた方の、その男の目を射止めるために伸ばした爪は、そのとおり男の目を射止めることができる。物理的な意味で。ほとんど深爪といっていいドラえもんみたいな俺の指先でさえ、暴漢と変わらぬ勢いの男を制すのにことなきを得たのだから。

斉藤は目を押さえてうずくまっていた。うずくまっているソレを、あとは煮るなり焼くなり屋上から落とすなり、なんでも好きにできた。

斉藤からしたら何が起きたかよくわからなかっただろう。たまたま目に指が入ったと思っただろう。ああ喧嘩とは恐ろしい。こんなことで終わってしまうとは。斉藤は負けた。悪くないのに負けた。負けられない勝負で負けてしまった男の丸まった背中は、見るに耐えないものだった。

周囲はさらによくわかっていない様子だった。なんで斉藤はうずくまっているんだ? 顔面にいいパンチが入ったのか? まさかこんな拍子抜けで終わるとは、という顔をしていた。

斉藤はうずくまって背中を丸くしていた。股を閉じていたので金的は狙えなかったが、頭を床につくほど低くしていたので、頭部を目がけてサッカーボールキックができそうだった。俺は普段仲良く遊んでいる人間の頭をサッカーボールキックできてしまうのか? 喧嘩とは不思議だ。蹴らない方がむしろ不自然だという気分にさせられるのだから。戦争もきっとこんな感じなんだろう。

斉藤はあらぬ噂を立てられて、独り身ながら一生懸命育ててくれた大切なお母さんまで侮辱され、決闘まで負けてしまった。こんなことがあっていいのだろうか?

神様? どういうことですか? 何をしているのですか? 今こそあなたの出番じゃないですか? 食事中ですか? ピーナツバタートーストでも食べていらっしゃるのですか? 男には絶対に負けてはならない戦いがあるんです。その勝負に負けた男はどうすればいいんでしょうか? 何が残されてるというのですか?

一つあった。

「もうやめて! 拓海をこれ以上傷つけないで……!」

俺にないものが残されてた。

「しまるこ君は拓海の友達じゃないの!? なんでこんなひどいことができるの!?」

斉藤の彼女だった。

「決闘しようっていわれたから」

「しまるこ君があることないこというからでしょ!」

「確かに」と俺はいった。

実はつい最近も、斉藤と斉藤の彼女と俺と3人で海に行って遊んだばかりだった。楽しい記憶が呼び起こされる。照りつく太陽の下で、3人でビーチバレーをやって砂で揉みくちゃになってキャッキャしてたのに、今は一人がうずくまって、一人が怒って、一人が怒られている。

「しまるこ君ひどいよ!」

彼女も、斉藤の家に行ったときは間違いなくピーナッツバターを食わされているだろう。結婚したら、斉藤と、彼女と、斉藤のお母さんと、ガキと4人でピーナッツバターを食べるんだろう。今俺がトドメを刺せばそんな悲劇は避けられるのに、わからない女だ。

「しまるこ君! 拓海に謝って!」

「もとはといえば、おめーが斉藤のお母さんを馬鹿にしたからだろ! 謝れよしまるこ!」

さっきまで楽しそうに見学していた野次馬たちも、調子のいいことをぬかしていた。

「俺のことはいいんだよ……。でも、オカアのことは、馬鹿にすんじゃねーよ……」

斉藤は痛くて開けられない目の代わりに、声で睨みつけるようにいった。

なぜこんなことになってしまったのだろう? 謝るのも引き返すのも面倒臭かった。流れのままにクズを重ねていたら、行き着くところまで行き着いてしまった。もうここより先はなかった。俺は後ろを振り向いて引き返そうとした。しかし、道がなくなっていた。

俺はピーナッツバターのように、その場に溶けてしまいたかった。

もういい。どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ。俺はもう面倒臭くなった。ただ溶けることにした。ピーナッツバターみたいに学校に溶けることにした。

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