女性研究 仕事

三流大学の彼女はまねきねこの面接に行くのだ!

彼女は名前さえ書けば誰でも受かる私立の三流大学に通い、 無駄に高い授業料を親に払わせているのに関わらず、ほとんど学校に行かなかった。行ったとしても、サークルの仲間とバドミントンしかやらなかった。

通りすがりの他校の大学生から、

「しかしひっでー大学だなオイ。高卒の方がマシだろ。なんでこんなとこ高い金払って入るんだ? 大金払って、自分がバカですって名札をつけさせてもらってるだけだろ」

と思われている気がした。彼女はよくそれを自虐的に話し、周囲の笑いを誘った。低学歴の7割がこの方法をとる。

稀代のインフルエンサーであるイケダハヤト氏(早稲田政経)は、三流大学の講師をしたときについて、こう話している。

「三流大学の学生達には本当にびっくりしましたよ。みんなキャップを被って寝てるんです。一番前の生徒もキャップを被って寝てましたよ?」

筆者も三流大学出身だが、卒業した同級生たちのほとんどがニート、アルバイト、独身、鬱病で入院といった有様だ。中には無事に結婚した者もいるが、誰かの結婚式で数年ぶりに集まるとき、彼らは式には遅れて来るし、式の途中にタバコを吸いに行ってしまうし、新郎新婦が指輪交換しているとき、外の喫煙所でタバコを吸いながら風俗の話をしていた。

だから、彼女はまねきねこでアルバイトするしかなかった。

貴重な新卒カードをどこの企業にもめちゃくちゃに丸められて捨てられて、まねきねこでアルバイトするしかなかった。

そのまねきねこというのが、殴ったら壊れそうなビルの8階にあった。貧乏人はなぜか知らないが、誰にも頼まれてもないのにこういうところで働こうとする。まるで糞と便器のような関係だ。

とっくに役目を終えたビルにしか思えないが、従業員用出入り口は厳重に管理されていて、出入りの際は受付の警備員からサインを貰わなければならなかった。人工延命させられているどこかの老人のように、このビル自体がもう終わりにしてほしいと嘆いているように見えたが、ビルの従業員達はお構い無しに床を軋ませて働いていた。ある二名の従業員を除いて。

彼女はグレーのパーカーに黒のチノパンツ、そして簡易なショルダーバッグを肩にかけて面接に向かった。ショーウィンドウに映った自分がいかにも底辺労働者のように見えた。覇気がなく背筋が曲がっている。一重の腫れぼったい目が、殴られたブルドッグのように不定愁訴を醸し出していた。彼女はコンビニに寄り、半壊ビルに入っていった。

入退管理室は8畳程度の空間で、40代に見えるチビとデカの警備員の二人が窓口に座っていた。彼らの後ろには大棚があってファイルがたくさん積まれてあった。向かい側にはエレベーターが一つだけあった。その他には何もなかった。全体的に床や壁が酷く汚れていたこともあり、ゴミ箱の中をでかくした感じに見えた。

「営業の方ですか?」と小さい方から言われた。

「いや、アルバイトの面接に来ました」

「アルバイト。どちらの?」

「8階のまねきねこです」

「まねきねこさんね」と小さい警備員は安堵した息をはくと、「はい、君、帰っていいよ」と言った。

彼女は驚いた。誰のことを言っているのか、わからなかった。

よくわからないので、そのまま突っ立っていた。

するとデカイ方の警備員が、やれやれ仕方ない。説明してやるかといった調子で、「ここ、なんだと思ってんの? なに肉まん食べながらやってきてんの?」と言った。

彼女はまだよくわかっていなかった。

なんと、彼女は肉まんを食べながらビルに入ったのである! 彼女にはこの辺りに常識が足りてなかった。決して悪気があったわけではない。ただ少しだけ脳にシワが足りてなかった。先ほどコンビニに寄ったのはこのためである。彼女はビルに入ってエレベーターで8階に上がり、まねきねこに入る直前までに肉まんを食べ終えればいいと思っていた。それまでは肉まんを蹴とばそうが、ロケットランチャーに詰めて吹っ飛ばそうが自分の勝手だと思っていた。

彼女の顔色はみるみる青くなっていった。

彼女は申し訳なさそうに食べかけの肉まんをレジ袋に入れて、カバンの中にしまった。

「帰りなさい」

「あ、いや……その……」

「帰りなさい」

彼女は信じられない……! と思った。なんで!? ただ肉まん食べてただけじゃん! 何がそんなに悪いの!? 誰に迷惑かけたの!? 肉まんに親でも殺されたの!? たかが警備員にくせに、なんで人の面接に関わってくんの!?

「すいませんでした。気をつけます」

「帰りなさい」

「あ、あの……! これからは気をつけますから……!」

「帰りなさい」

「面接の時間が……」

「帰りなさい」

はぁ……!? なんなの……!? 普通に帰りなさいって言ってるけど、お前らにそんな権利あんのかよ! ただ入退室をチェックするように言われてるだけでしょ? 勝手に仕事作ってんじゃねーよ!

つうか、おまえら二人もいらないだろ! なんで出入りチェックすんのに二人必要なんだよ! ハンコ押すだけだろ! 一人じゃハンコも押せねーのかよ! 警備員って65歳からやる仕事でしょ? なんで40代でやってんだよ! 新卒からやってるわけじゃないよね? ずっと椅子に座ってたら、お尻と椅子がくっついちゃうよ??

確かに彼らは、何十年も座りっぱなしで臀部と椅子がくっついて二度と離れなくなってしまった生き物に見えた。

わかってんの? 時代はAIなのAI! あんた達の仕事はすぐに取って代わられるよ!

底辺労働者のほとんどがそうであるように、彼女はYouTubeでそういった情報を集めるのが好きだった。

彼らが人を説教したり諭す資格のない人間であることは、低学歴の彼女でも読みとれた。その証拠に、ただ「帰りなさい」と連呼するだけで、なぜ肉まんを食べながらビルに入っていけないかを、大人なのに説明できない。日々の業務が退屈で仕方なく、自分より僅かに給料が多い従業員が出たり入ったりするのを見届けてるだけの存在で、たまにスーツを着た営業マンらしき者が来たときだけは、精神を集中して対応する。肉まんの方がまだマシな仕事をすることは確かだった。

そして、寂しかったのだろう。いつも二人ぼっちで、一室の景色を眺めているだけ。誰かに相手をしてもらいたかったのだろう。

一番気に入らないのは人を見て判断するとこだよ! 営業の人だったら通すけど、アルバイトだったら追い返そうと思ったから、最初に営業ですか? って聞いてきたんでしょ? それくらい私にだってわかるよ! この格好見ればわかるだろ! どこが営業に見えんだよ! 営業マンがパーカーのヒモぶら下げてくるかよ! 後ろ向いてあげようか? フードもついてるよ? でも、もしも……、もしものことを考えたら大変なことになるから、聞くだけ聞いてみたんでしょ? なっさけないなぁ! そんな心臓で警備員やってるの? 泥棒が入ってきたらどうするの? 金庫の鍵渡すの? 机の下のセコムのスイッチ押すの?

言いたいことの全てを飲み込んで、彼女は頭を下げるしかなかった。

「あの、本当に二度とこういうことはないようにしますから」

「帰りなさい」

「あのー本当に……」

「帰りなさい」

「あの」

「帰りなさい」

もういい加減にしてよ! 何がこいつらをここまでさせるの!? まねきねこの近衛兵なの!? あの猫のオブジェの近衛兵に見えてくる!

チビの警備員の目は血走っていた。デカイ方も血走っていた。

通さないんだといったら通さないんだ! といった風に、彼らの45年間の不満が、なぜか今日この日に集まってしまって、自分達でもわからないくらいにヒートアップしてしまっていた。

彼らは散々負け続けてきた。これ以上負けてなるものか。もし結婚していたら、自分の娘と同い年くらいになる少女にまで負けられるものか。こんな小娘に負けてしまったら、それこそ社会にトドメを刺されたようなものだ。

彼らが安易に新卒で警備員になってしまったように、ここでも同じように一瞬の感情に駆られてしまっていた。彼女にも、なんとなくそれが感じ取れた。

この人達は深い理由があってやっているわけじゃない。絶対に正義感じゃない。一点の、何か一点に取り憑かれている……。絶対に負けない! ただそれだけの執念で私の前に立ち塞がっている。なんで私がそれに付き合わされなくちゃならないの? と彼女は思った。

ああそうだ。確かに俺達は臭い。君からみたら気持ち悪い中年だろう。新卒でずっと警備員をやっている。いつも俺達みたいな人間とは一生縁がないという顔をしやがって。私は他の人と結婚するからいいという顔をしやがって。そして、その顔が俺達にバレていることすら、どうでもいいと思っている。俺達が生きているということを教えてやる。俺達は生きているんだ。生きて、こうしてお前に関わることができるんだ。俺達と関わることなんてないと思って安心してただろう? 関わってやる……!

ここを通さなかったところで、彼女は別のアルバイトの面接に行くだけだ。しかし彼らにとってそんなことはどうでもよかった。今だけは、通したくなかった。本当に真剣に謝って、本当に真剣に急いでいる人を前にしたとき、その人の人生に一番関わっていると言える。

「あの」

「帰りなさい」

「あ」

「帰りなさい」

彼女はとうとう諦めた。学校ではこういう時、折れる大人がほとんどだったが、社会はそうでないことを知った。

彼女はこの期に及んで、肉まんを食べながらビルに入ったことをまったく悪いと思っていなかったが、渋々帰りますと言ってビルから出ようとした時、

「まねきねこさんね。いいよ上がって」

と言われた。

彼女は驚いた。喜びが巻き上がった。しかし、同時に釈然としない何かが襲いかかった。

私がここから出ようとするまでは、絶対に通してもらえなかった……?

なにこの安っぽいシナリオ。はじめから通すつもりだったけど、私がどこまで泣きすがるか見物を決め込んでたってこと?

ふざけるな。人をおもちゃにするのも大概にしろ。

彼女はレイプされたような気持ちになった。好き放題心を操縦されて、ゴールまで上手に誘導されてしまった。嬉しがってエレベーターに乗ってしまったら最後。彼らのシナリオが完成する。

確かにこれは、暇人が暇な時間をたっぷり利用してこしらえた巧妙な罠だった。その証拠に、彼らはどこか口元がニヤニヤしていた。エレベーターの扉が閉まった後、二人でハイタッチして、感想会を開くに違いなかった。

彼らが目を血走らせて、彼女を絶対に通そうとしなかったのは本気だったが、彼女が「帰ります」と言って、ビルから出ようとしたら、それは、彼らにとって勝ちだった。一度勝った後だから、その後はエレベーターに乗ろうが、肉まんを食べようが、あとはお構いなしという理屈だった。

彼女は22年間で一番の怒りを感じた。幸か不幸か、はじめて遭遇したあまりの怒りの巨大さに、放心の方が勝ってしまった。彼女はどうしたらいいかわからなくなってしまった。怒りがあるかすらわからなくなった。あるとしたら、自分に向けるか、他人に向けるか、肉まんと一緒にカバンの中にしまうか、この若く美しい脳は、選択することすら適わなかった。

この、ほっとしている気持ちはなに? 嬉しくなっているこの気持ちは何なの……?

彼女はぼろぼろ泣いてしまった。悔しくて、体験したことのない怒り、安堵した嬉しさが、いっぺんに襲ってきて、ぼろぼろと涙が溢れてくるのである。

攻撃を……! 攻撃をしなければ……! はやく攻撃をしなければ、私はもっと惨めになってしまう! 私を救えるのは私しかいない! でも、何をすればいい? 思いつかない! 三流大学の私には無理! このままだと、私に残されたもっとも大事なものまで奪われてしまう……! 戦わなければ……! どうしたら戦うことができる? 思いつかない! 私は、泣き崩れることしかできない……!

もし彼女がAIだったなら、迷わず自爆しただろう。ビルも、ビルの中で働く人々も巻き込む覚悟はあった。覚悟だけはあった。しかし、彼女が見た動画にはそんな方法は載ってなかった。

もしこの汚い中年達が告白してきたら、思い切り振ってやることもできただろう。しかし、当たり前だが、告白してくる様子もなかった。やはり、どこまでも彼らの言いなりになってしまっているのは彼女だった。このままずっと言いなりになっていたら、彼女の方から告白してしまう可能性の方があり得た。

女は、どこまでも、どこまでも、隷属する資質を持っている。自分の親を殺した男と一緒に住めてしまう。戦勝国にすべてを奪われたあげく、慰み者にされ、彼らの家族となり、彼らの為に生きてしまえる。数日後、彼女がいってらっしゃいと言って、お弁当を渡し、警備服を洗って干している姿だって、なきにしもあらずなのだ。金の問題ではない。男がどうしても風俗嬢になれないように、これは資質の問題なのだ。

彼女は泣きながらエレベーターに乗った。化粧はめちゃくちゃに剥がれ落ち、黒い涙を流し、もっとも面接にふさわしくない顔となって、憎たらしい猫のオブジェが待つ8階へ向かっていった。美味しく食べてもらえる時間を過ぎてしまった肉まんは、不規則に揺れるカバンの中ですやすや眠っていた。

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