霊的修行

絶対的積極と相対的積極

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よく積極性が大事だとか、ポジティブシンキングとか、引き寄せの法則とか、色々言い方は異なるけど、同じ意味で使われている。

がしかし、大悟した人から言わせると、我々が用いている積極と真の積極とは全く意味が異なってくるらしい。

例えば第三将軍である徳川家光は、中国から虎をプレゼントされて、虎が入った檻の中に犬や人間を入れて遊んでいたそうだけど、剣術の達人である柳生宗矩を入れたらどうなるだろうかと試したことがあったそうだ。

柳生宗矩は、気を引き締めて檻に入り、虎と対峙し、気迫いっぱいでもって虎を隅まで追いやり、「もう出ていいぞ」と言われた後も、虎と対面しながらゆっくりと後ずさり、やっとの思いで檻から出て、汗でびっしょりだったそうだ。

そして次に入れられたのは沢庵和尚だった。沢庵は何事もないようにすっと入ると、虎は沢庵の裾元まで近づいてきて、まるで猫のようにゴロゴロと喉を鳴らし、ゴロンと寝転んでしまった。沢庵和尚は檻から出るときも、虎に背を向けて出てきたそうだ。そして汗はひとつもかいてなかったという。

中村天風先生は、これこそ絶対的積極だと言っている。

相対的積極は自らを鼓舞したり、気持ちを高めたり、消極的な気持ちと戦わせる折り合いにおいて使われるけど、絶対的積極は、どこにも心を置かない。原因や事象を根性や気合で覆い尽くすものではないという。

何もないらしい。ただ、何もないというのは語弊があって、何もないからこそ、最も強く人間の意志が働くらしい。

動物と会話ができたり、なだめたりすることができるのはインドの僧達にも見られることだ。文献をあたっていると、よくそんな逸話を目にする。やれコブラを一瞥しただけで大人しくさせたとか、ハエを箸で捕まえたとか、ガンジーも愛の念波をおくれば蛇は大人しくなると言っている。

不動智神妙録という沢庵が書かれた本があるけども、この本の中でも、沢庵は「放心を最上とする」と言っている。

当時、多くの僧が臍下の一点に気を静めるという瞑想法を至上としており、修行の最重要目としていたが、沢庵はそれは結構なことだと一息ついたところで、しかし最上の見地から見ると、まだ一歩足りないとこぼしている。

沢庵は心に何もない時に人間は最も合理的で自然な行動を取ると言っている。

虎も人間の恐怖心や、それを克服しようとする気持や、マイナス感情に反応して襲い掛かってくるのであり、もし心に何もなければ虎の心にも何も起きないのだと天風先生は言っている(天風先生の講話には沢庵和尚の話がよく出てくる)。

何もないときこそ、人間の心は最も積極的に働きかける。

例えば病気は自分が病気だということを忘れることで治るとよく言われるし、どんなに寒かったり暑かったり痛かったりしても、あるいは蚊に吸われていても、ゲームに夢中になっている時は全く気にならないものだ。これは我々もよく覚えがある。

断食もそうで、食べ物の事で頭いっぱい膨らませながら、今日は何も食べずに過ごせた……! よーし、明日も食べないで頑張ってみせる! これが終わったら牛角の食べ放題に行くんだ、空腹も修行だ、修行だ……と、そんな風にやるのは二流三流もいいとこなんだろう。尾田栄一郎氏は漫画を描いていると平気で2日ぐらい食事を忘れてしまうという。

また、山岡鉄舟はある商人から、以下の話を聞いたことがきっかけで悟りを開いたという。

「大きい商売の前だとあれこれ悩んじまって、目の前の大きな額に怯えて、立ち止まっちまって、うまく行きませんでした。そこである日から、計画を定めたら、一切振り返らず、なんでもえいやとこなしていたら、成功して大金持ちになりました」

その場その場でいちいち気を取られないで忘却という境地でことを成す。

暑いということを忘れる。寒いということを忘れる。とにかく目の前の事象に結び付いて格闘するのではなく、忘れてしまうという方向で、鍛え直してみようと思う。

そうでなくても、この世はうるさい人ばかりだ。たとえ黙っていても、心の中はうるさい人ばかりだ。

次々と忘れていき……、大事なものほど忘れなくてはいけないような気がする。

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