俺は177cmの59kgの、いささか女を抱くには心許ない体躯をしている。
インドでは痩身の僧は見下されるという。出口王仁三郎も、体躯と霊力は連関しており、世の浅事に神経質な人間は肥えることができないと言っている。確かに、霊的偉人ほど恰幅が良く、長南一恵も森美智代も肥田春充もパラマハンサ・ヨガナンダも、超少食であるにも関わず太っている。霊肉としかいいようがない。
だから俺は、よく食べてよく重たいものを持ち上げるトレーニングを一切無視して、霊的方面から肥やしていこうと考えている。
俺は風呂目的でスポーツジムに通っていて、なんとなくたまに、チェストプレス80kg、懸垂10回、レッグプレス130kgを3セットやったりするけど、果物と野菜しか食べないから筋肥大も望めない。
さて、「バットの素振りによる動的瞑想」について詳しく聞きたいというコメントがあったので、今日はその話をしていく。
バットの素振り瞑想を始めて10年以上経った。いつも深夜の公園でやっていて、これまでに職質を4回受けている。非常に長いバットを使っているため、怪しさが増すようだ。
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何のためにやってるかというと、体全体のキレを作るためにやっている。ウェイトトレーニングだと部分的なトレーニングになるし、個々の筋肉を日別に肥大させたからといって、役に立つどころか、身体本来の統一力を妨げる。
別にバットの素振りを一生懸命やったところでいい身体になるわけではない。むしろ痩せていってしまう。マラソン側に近いのだ。
植芝盛平の直弟子である藤平光一は、「素振り系のトレーニングは私はあまりいいとは思わない。なぜなら片側を極端に酷使するので筋力に不均等を起こす」と言っていて、確かにこれは同感せざるを得なかった。だから俺は左右満遍なくやっている。詳しくは下記の動画を見てくれたらいい。
昔の人は剣の素振りで身体を鍛えたものだし、美術も思想も食も、西洋文明に毒されるまでは、日本は世界で一番真理に近い国だった。
ジムに通う人は、自分の持ち上げられるMAXの80%10回を3セットやるぐらいで、それでその日の運動を終わりにして健康になったつもりでいるけど、俺はそうは思わない。
飛んだり跳ねたり回転したり、縦横無尽に空間を使う全身運動に比べると、ひどく固くて局所的だ。
バットの素振りは全身運動である。特に強く思いっきり振り抜くと、身体の中心部に衝撃がかかって、これを専門用語で言うと遠心性収縮というのだけど、飛んでいくバットを自分の身体でブレーキさせるので、かなりの衝撃を体幹に受ける。
それは重いものを持ち上げて肥大するのとは違って、インナーマッスルというか自分の内部にグッ……! と、強い負荷がかかってきて、これに耐え得ることで強靭な身体になっていく。だから振るときは大きくゆっくり振って、バットを遠くに飛ばすようにする。
身体全体の力で振るため、腕や手にひとつも力が入っていてはいけない。二の腕は筋収縮がなく、ずっとプニプニしてなくてはいけない。下記の動画を視ればわかるが、俺は片手で振っている。
バットの素振り以外にもシャドーボクシングをしたり、テニスの壁打ちなんかもよくやる。やっぱり筋トレより、こうした体動の中で強化する方がいいと思う。
自分の身体とよく会話して、体重移動や、脱力や、どういう風に脳に指令を出すべきか、そしてそれを無意識にどう落とし込むか、運動神経の奥へ潜れるとこまで潜っていき、真に合理的な運動を導き出す。これは俺が理学療法士しての職業柄かもしれないけれども、これをやることで、自然界の真理に迫ることができる。
バットの素振りは、動的瞑想なんて言ったけど、自分としては静的な気持ちでやっていて、200回でも300回でもいくらでも振っていられる。月のしずくや夜の漆黒が自分の身体にスゥ……、と浸透していくような、天地とひとつになった感覚になる。
ちなみに、通常より30 cm長くて重たいバットを使っている。
「剣・禅・書」を通じて大悟に至ろうとしているため、剣が、俺でいうバットの素振りであり、シャドーボクシングなのだ。瞑想と書道もやっている。まあ、本当の事を言うとただ好きだからやってるんだけど。
そして、そんなことを続けていると、これが正解で、これ以上の正解は無いと言えるような一振りに出会えるようになる。
そういう時は気持ちいいし、あまりにも気持ちよすぎるから止め時が見つからなくなる。
まあ、だからといって速い球や変化球を打てるわけじゃないんだけど。
一つの運動を極めれば、他の運動もできるようになってしまう。特に左右で素振りや投球ができるほど内部感覚が発達すれば、何でもできるようになる。
まあ、見てもらうのが早いだろう。
どうせ身体を鍛えるんだったら、シャドーボクシングをした方が、キレも出るし、いざ喧嘩になった時に、正しいパンチの打ち方を知っていることは心強い。
一発一発全弾をKOパンチの破壊力で、縦横無尽あらゆる角度から放ち、それを3分打ち続けて全く息を切らさないようにする。これを目指さなければならない。そんなに難しいことではない。よく自分の身体と会話して、脱力を理解すればできてしまう。そこまでできるようになったら、あとは毎日5分でも10分やれば十分である。
強い高速パンチを繰り出すことは、ウエイトトレーニングよりよっぽど実践的である。筋力よりも敏捷性の方が加齢によって落ちていくし、ジムに行ったりダンベルを買う必要もないため経済的である。そして何より楽しい。
スポーツジムで熱心に鍛えている男たちは、日に日に胸や腕は太くなっているけど、拳の振り方も分からず、ボールひとつまともに投げられず、女の子みたいな投げ方をすることは見ていてわかる。
バガボンドの宮本武蔵の素振りのように、剣と精神と道が一つになっていなければならない。
しまるこは喧嘩が強いのかというと、強い。真理を探究する者が強くないはずがない。
すべての運動の要は、
脱力する。体幹を動かす。体幹の動きに従って手足が遅れてついてくる。その自然に発生する手足の動きを妨げない。
これだけである。ただ歩くだけでも、この法則を十分に守らなくてはならない。
しかし、山岡鉄舟の言う通り十数年も経験を積んだ者が、いつまでも体の動かし方について考えてばかりいるのはよくない。
霊的修行を通じて精神界の奥から秘宝を持ち帰り、体幹の動きに従って手足が遅れてついてくるように、霊魂が先に動いて肉体がついてくるようにならなければならない。
そういった修行を我々は毎日やらないといけないし、そうすることで生活習慣病とも無縁になる。
精神的に落ち着いてきた大人こそが、こういうトレーニングをしなければいけない。子供は健康だからそれほど運動しなくていいし、心がうるさいから運動の奥に突き進むことができない。健康診断で赤点を採っている大人ほど運動をしないといけないし、心が静かな大人ほど、運動から秘宝を持ち帰ることができる。これはウエイトトレーニングではまず不可能である。