仕事

とある女性読者(亜希子さん・27歳・地方上級公務員・絵本作家)との進路相談

しまるこ「仕事はどう?」

亜希子「そうですね、半年ぐらい経って、やっと慣れてきたっていうか」

亜希子「本当に、ここ最近ですかね? ふつうに、気づけば定時時刻になっていて、あ、終わったんだなって、ふつうな感覚で、ふつうに仕事が終われるようになってきたのは。最初はひどくって、仕事が終わると泣きながら帰ったりしていたんですけど」

しまるこ「半年で慣れるなんてたいしたもんだ」

亜希子「あ、そうか」

しまるこ「え!?」

亜希子「いや、言われてみればそうかもしれないと思って。半年もかかったと思ってたけど、言われてみれば、半年で慣れるっていうのはすごいっていうか」

しまるこ「みんなはもっと早く慣れてるの?」

亜希子「そうですねぇ、みんな……、わたしより早かったような気がしますねぇ」

亜希子「最初、初めて、4月に働いていたとき、同僚を見ていて思ったことは、どうしてみんな、こんなにがんばれているんだろう? 何を目的に、何に価値を置いて、何を考えて仕事をしているのか、それがわからなかったんですよ。どこを心の置き所にしているんだろうって。みんな、何を支えにしてがんばれているのかなぁって、ずっとそれがわからなかったんですけど。それがさいきんになって少しわかってきたというか、ああ、こういう感じで働いているんだなって、ああ、これか、これが働くってことかって、そんなに悪い気分じゃないなって、わりと、ふつうにやれてしまっているところがあるんですよ。うちの職場はそんなに悪い人はいないし、むしろ、みんなすごい優しくていい人っていうか、すごく人間関係はいいですよ、うちの職場は。わたしも、けっこうふつうに送れちゃっているところがあって、そんなに悪い感じじゃないし、これなら続けられるかもしれないなって」

しまるこ「何を心の置き所にしている、か」

亜希子「そうなんですよ」

亜希子「守る人がいて、戦えている人がいる。べつにこういうのも悪くないんじゃないかって。わたしはずっと絵本を描くことを心のよりどころにしていたけど、みんなにとってそれはなんなんだろう? 何がそれに値しているんだろうって。みんな、そういうものがなくても戦えている、働いていけるものなのかなって。でも、今、こうして、絵本作家を辞めたという体でわたしは入ってきて、まぁ、内心じゃやめてないですけどね、ぜんぜんやめてないよ! 今に見てろ、傑作を描いてやる!って気でいますけど、こういう気持ちや、こういうものがなくても、働いていけるものなのかなって、そこが疑問だったんですけど、あんがいやれてしまうものですね」

しまるこ「公務員って、年代がバラけているよね、本当に、20代、30代、40代、50代、満遍なくそろっているというか、オードブルみたいっていうか、あんがい、そういう職場ってあんまりないよね?」

亜希子「そこは本当にバラけていますね」

しまるこ「そこがホワイトのホワイトらしい部分っていうか、白ペンキで塗られた建物が目に浮かぶようだわ」

しまるこ「絵本の方は描いてるの?」

亜希子「それがしばらく描いてないんですよね」

しまるこ「どれくらい?」

亜希子「1ヵ月ぐらい描いてないですね」

しまるこ「ほう」

亜希子「今はひとまず、賞に送るものは書き終えたし、次は何を描こうかなぁってぼんやり考えている最中で、その、これが本当にわたしのやるべきことなんだろうかって? つい、やる前から考えちゃう感じで、イマイチ気がのらないというか、本当に自分が正しい時間の使い方をしているのか怪しいというか、いろいろ考えてしまって、ちょっとペンをとれてない感じですね」

しまるこ「俺の方からしてみたら、亜希子ちゃんは、しょっちゅう賞か何かに入選しているし、プロとして作品が本屋に置かれたこともあったりして、じゅうぶん、この絵本作家っていう狭き道で、結果を出し続けているように見えるけど」

亜希子「これまで続けてこれてきたことは……、そのことだけは自分でも評価できるっていうか、そのことだけをとっても自分にとって縁あるものだとは思うんですけど。描いているときも、そうでないときも、本当にこれが自分のやるべきことなんだろうかって、これが本当に自分のやりたいことなのかなぁって? ほんとうは、もっと、自分に適した、もっと自分に合うようなものがあるんじゃないかって、そのなにかっていうのも漠然としていて、よくわかってないんですけど。でも、もしそういうものがわたしにあるとしたら、それを早く見つけて、それに時間を使った方がいいんじゃないかって思っちゃうところがあるんですよ。絵本は、描いていて、楽しかったり、楽しくなかったりで、もっとほかにワクワクするようなことがあるような気がして、最近、親友がワーキングホリデーといって、一年間、アルジェリアに留学してるんですけど、それが本当にすごく楽しそうなんですよ。彼女、昔からアルジェリアで暮らしてみたいって言ってて、とうとう我慢できずに飛び出していっちゃったんですけど、もう日本に戻って来ないんじゃないかってくらい、毎日が充実して楽しそうで。アルジェリアに行く前は、正直、彼女とはちょっと連絡が疎遠になっちゃってたところもあったんですけれども、アルジェリアに行ってからは、ほんとうに、毎日のように、楽しそうに電話をかけてきてくれるんですよ、いいなぁって、それに比べてわたしは何をやってるんだろうって? 海外、いいなぁとか思ったり、わたしも海外行こうかなぁなんて考えてみたり、違う場所、違う生活、今、自分がいる場所を心から楽しめてない気がして、もっと、わたしも、それを探し当てるべきなんじゃないかって」

しまるこ「まぁ、年齢が年齢だからね。まだ27歳ということもあって、正直、今からでも、演奏したことのない楽器に触れても滑り込みセーフ!なんてこともあるかもしれない。これから新しい分野に手をつけても、ぜんぜん間に合うかもしれない。種を蒔ける土地も耕せるだけの時間もたくさんあることがわかってるから、いろんな物事がキラキラして見えて、いろんな選択肢が豊かに自分に迫ってくるかもしれない。だけど、これが、俺みたいに40歳になってくると、あれもこれもというわけにはいかない。自分の人生の前半期における刈り入れどきを後半戦になった今はやらなければならない。これから日本舞踊を習い始めようなんていったって、なかなかそうは問屋がおろさないところがある、それを趣味でやるならいいかもわかんないけど、仕事だといって自分の人生をかけてやっていくには、ね。今から新しく専門学校に入ったり、まぁそういう人もいるかもしれないけど、40歳になると、だんだん諦めがついてくるっていうか、まぁ、しょうがない、いま自分が持っているものでやっていくしかない、それは後ろ向きで、弱気な発言に聞こえるかもしれないけど、これが不思議とそんなに悪い気分でもない、けっこう世の中では、夢ややりたいことをあきらめて散っていった多くの人が、そんなに悪くないって顔をしているように、途中リタイア組もそれなりに楽しくやっているもんだよ。あんがい、あきらめるってのは気持ちがいいもんだし、大事なことだと思うね。やることを限定してくれるし、視野が狭まって一つの物事に専心できるようになってくる。若い頃の移り気の心から離れて」

亜希子「それがしまるこさんにとって文章ですか?」

しまるこ「はは(笑) もう40歳になって、やり続けてこれたっていうのはこれくらいでね。他のことは何をやっても続かなかったけど、まぁ、消去法だよ。それは俺の能力というのもあるかもしれないけど、それ以上に、運とか導かれているものだとか、全体の環境、結局うまい具合に縁が回って、それもまぁ、金も何も入ってきていないから、成功もクソもないんだけど。やり続けられているってことでね。俺だってべつにこんなもん楽しいと思ってやってるわけじゃないよ、自分でも、なんでこんなことを誰にも頼まれてもいないのにやっているのかはわからないけど、これをやるほかになさそうだからやってる。正直、ワクワクしたり、楽しいってことはそんなにないよ。まぁ、あまり苦だと思ったことはないね。でも、この苦じゃないっていうのは大事みたいで」

しまるこ「あの、黒柳徹子いるじゃない? あの人が、この前インタビューやってたのチラッと見たんだけど、『徹子さんはそのお歳になってまで、「徹子の部屋」を続けられていてすごいですねぇ。よっぽどこの仕事がお好きなんですねぇ?』ってインタビュアーが聞いたら、『あら、わたし、この仕事を好きだなんて思ったこと一度もないわよ、ただ苦じゃないから続けているだけ』って答えてて」

亜希子「へぇ〜」

しまるこ『それが、ちょうどタモさんも同じこと言ってたんだよね。『いいともを40年続けられた秘訣はなんですか?』ってインタビュアーに聞かれてて、『秘訣なんてないよ。苦じゃないから続けていただけ』って答えてて」

亜希子「へぇ〜」

しまるこ「いったい、この、仕事はドキドキ、ワクワクしたり、自分の生命を完全燃焼させなければならないっていう思想はどこからきているんだろうね? それは間違ってないし、世の中はそんなふうに言うしで、意識の高いインフルエンサーたちも、好きなことをやれ、やりたいことをやれ、自由に生きろって言うし、まるで、それができなかったら失敗作の人生みたいになってしまう。仕事は、最も尊い、いわば自分自身ともいえるような時間で、自分の人生を価値あるものにするのにもっとも肝要で、もっと、ドキドキを、ワクワクをって、あれ? あんまりドキドキもワクワクもしないから、これ、私のやりたいことじゃないかも? でも、ゲームをやったり、ビリヤードをしたり、カラオケしているときはもっと熱中している、他で遊んでいるときのような楽しさを仕事では得られてないから、やっぱりこれは私がやるべきことじゃないのかも……? なんて、グルグル考えちゃうもので」

しまるこ「ワクワクしていなければダメだと、それを理想の仕事のあり方として考えるのは、俺はそれは正しいとは思わないし、みんな、ワクワクする方を選べっていうけど、俺は、ワクワクすることで選ぼうとすると、今日はワクワクしないからやめてしまおうとか、やっているそばから、あ、やっぱり向こうの方がワクワクするかもしれないとかいって、そっちの方へ移り気の気持ちのまま移っていっちゃうと思うんだよね、まぁ、ワクワクするほうで選べばいいんだけど」

亜希子「ワクワクはダメですかぁ」

しまるこ「ダメってことはないけど、俺もワクワクを主軸に置いていたときがあったけど、むしろそれで怪我を被ったことも多かったかもしれないね。やっぱり移り気なままに今日はワクワクしないからやめるだとか、こっちの方がもっとワクワクしそうだからっていって、フラフラしちゃうことも多かった。仕事においては、規律と規則が重要だと思う。そういえば、あのセーラームーンの声優のなんとかさん、エヴァのミサトさん役の、あと、シンジ役の声優と、その大声優のふたりが同じことを言ってたんだけど、声優になろうとする人は絶対になれない、なる人がなるって言ってたけど」

亜希子「なる人がなる?」

しまるこ「まぁ、自分がそれをやるに選ばれた人間かってところだと思うんだけど」

しまるこ「この場合、自分から見た尺度よりも、神から見た尺度の方が重要になってくると思う。いくら徹子が仕事を好きじゃないと言ったところで、徹子より徹子の仕事が好きな人が山ほどいて、そいつらがいくら徹子の部屋の徹子役を熱望したとしても、やっぱりあれは徹子しかできないと思うんだよ。世間にとって必要なのも徹子の方だと思う。世の中のあるべき場所として、正しい場所に正しい人が置かれているか、つまり役割だね。その人が生まれてきた役割をちゃんとこなせているかどうかは、周りの方がよくわかったりするもので」

しまるこ「一人ひとりが、銘々に好き勝手に、自分のワクワクしたり、好きなことをやるために生まれてきているわけじゃないと思うんだよ。みんな、この地上に誕生したのは、みんなそれぞれ役割があって、相互にその力をつかって助け合って生きていくのが、人間の生活なんだと思う。好きだろうが嫌いだろうが、それをやるほかないんだと思う。また、それは自然の修正能力によって、けっきょくそれをやるように矯正されちゃう。肝心なのは、好きだとか、ワクワクよりも、その生まれてきた地球上の役割を果たすことだと思う。バガヴァッド・ギーターにも、仕事は義務として遂行しなさいと書かれていたように」

[三五]  他人の義務を引き受けるより不完全でも自分の義務を行う方がはるかによい 他人の道を行く危険をおかすより自分の義務に従って滅びる方がよいのだ

[四七] 自分の義務が完全にできなくても 他人の義務を完全に行うより善い 天性によって定められた仕事をしていれば 人は罪を犯さないでいられる

しまるこ「もちろん、仕事を呪うべき苦役だと考える必要はまったくないけれども、スラムダンクでいったって、けっきょく花道は流川みたいなエースプレイヤーにはなれなくて、ただリバウンドの役に徹するしかなかった。やりたいことなんてものは人生の大事な勝負どころには使い物にならないもので、そういうときは、やりたいことじゃなくてできることが重要になってくる。 若いと、まだ自分の人生はいくらでも希望が残されている、あと40年も50年もあると思うと、ゆっくり計画を立てて、ゆっくりと進んでいこう、自分の人生を完全なものにしたい、よりきれいに生きたい、より間違いがないように、より上手に人生を歩いていきたいって、踏み出す一歩前からいろいろ準備したがるところはあるかもしれないけど。これがね、たとえばあと寿命が2年3年ってなったら、そんなに悩まないと思うんだよ。じじつ、もう40歳になると、そんなに悩まなくなってくる。どうせこれをやるほかに自分にはないだろうって、あきらめに似た境地のようなものが生まれてくる。あんがい、この希望のようなものが悪さしてる面もあるんじゃないかと思ってね。まだまだ自分には輝かしい未来がたくさん待ち受けている、だから自分はなんでもできるって、なんでもやりにいきたくなっちゃう。自分のすぐ横の幸福に続いていそうな他の道が気になって、よそ見ばかりしちゃう」

亜希子「たしかに自分の人生があと5年しかないってなったら、わたしの今の行動も変わってくる気がします。どうせもう5年しかないんだし、どうせもうすぐ死ぬんだしって、今立ち止まって考えていることの大部分が吹っ飛ぶような気がします。じゃあ悩んでいるのは、わたしがまだたくさん生きる気でいるからかもしれない」

しまるこ「これを一日という単位に置き換えてみても、たとえば今日は10時間でも20時間でも空き時間があるから、いくらでも作業できると思っていると、たいてい捗らないんだけど、今日は2時間しかないってときにやると、その10時間のやる予定でいたときよりもずっと効果を望めたりするから、たいてい時間があると思うとろくなことにはならないね、やっぱり時間が悪さをしている気がするね」

亜希子「時間かぁ」

しまるこ「亜希子ちゃんが最初に言っていたところもそれじゃない、みんなどうして働いてるんだろう、何に価値を置いて働いているんだろうって、やっぱり俺はそれは時間を意味していると思う。俺は思うんだけど、多くの人は取るに足らないことに時間を使っていると思う、まぁ、俺も含めてなんだけどな。本当に自分が死ぬときになってみて、自分の人生を振り返ってみて、ああ、本当に自分はこれに時間を使えてよかったなぁって思える時間なんてのは、一時間も二時間もあるともわからない、もう10分も20分もあるかもあやしい、そうした時間の中を人々の大半は生きていると思う。それを人は仕事だというかもしれないけど、仕事だって、ねぇ。そんなに死ぬときになって振り返ってみて価値があるといえばいえそうにないし、家族と過ごした時間も……、はて……。まぁ、少なくとも、まわりを見ていて思うことは、仕事から解放されて、家庭からも解放されて、さぁやっと自分の時間ができた!つって、さぁかけがえのない貴重な時間だ、自分を実感できる唯一の時間だ、さぁ何をするってときになったとき、たいていパチンコに行っちゃうんだよなぁ。まぁ、それか、ゲームか、YouTubeか、それもいいんだけど、ゲームだっていいんだけど、俺もゲームは好きだし、ゲームも楽しいんだけれども、でも、やっぱりそれだけだと自分の心からの充実感は得られない。本然の生きる喜び、自分の命がどうもいかしきれてないような、はっきりとした手ごたえみたいなものが感じられなかったりする。俺は、それは、そういう時間を持っているということは、それだけで価値に値すると思う。おそらく死に目にあったとき、これまで描いてきた時間を後悔することはないだろうと思う。それが箸にも棒にもかからず商業主義の中で成功するしないにかかわらず、ただそういう時間を過ごせる、その手段を持っていることは、それだけで幸せなことだと思うけどね。それぐらいしか残らないんじゃないかね? われわれが死ぬときにというときには。まぁ描いたから偉いってこともないんだけど、パチンコ行ってるよりはいいんじゃないかとは思うけどね。自分を使って自分自身で遊ぶ、なかなかいい時間の使い方だとは思うけれどもね」

しまるこ「ところで亜希子ちゃんはこれをやってみたいとかいうものがあるの?」

亜希子「それがとくにないんですよねぇ」

しまるこ「まぁそういうふうに言う人に限って、他にやりたいこともなかったりするもんだわ」

しまるこ「俺たちがさぁ、こんなふうにいろいろ比較検討したりしているのは、楽天のお買い物マラソンとか、Amazonプライムセールで買い物するように、いかに安いとか、バッテリー持ちがいいとか、デザインがいいとか、国産だからとか、いつも常に比較と選択の中に生きているから、それが仕事ややりたいことにも及んでいると思うんだよ。恋愛にしたって、こっちの方が背が高いとか、学歴が、収入が、趣味が合うとか、こっちの方が優しいとか、マッチングアプリなんてその典型じゃんね? ただの買い物だよ、あれも。いかに良い商品を手に入れるかをいつも考えているから、それが物に対しても人に対しても夢に対しても及んでしまってると思うんだよ」

亜希子「楽天のお買い物マラソン(笑)」

しまるこ「いや、本当に楽天のお買い物マラソンだよ。へんに選り好みばかりしているから、あ、やっぱりこっちのほうがいいってなって、なかなか定まるものも定まらない。昔は、好きもクソもない、相手の顔すらよくわからない、お見合いで結婚していたのに、なぜかそっちのほうが離婚しないで済んだという事実がある。それはやっぱり、あんまり希望を持たなかったからじゃないかねぇ?」

亜希子「なるほど」

しまるこ「人生においても同じことがいえると思う。もっといい人生、もっといい人間、もっといい自分、もっといい生き方、そうやって、ほっともっとのように、もっともっとっていっちゃう」

しまるこ「あれ?」

亜希子「え?」

しまるこ「楽天のお買い物マラソンはうけたけど、ほっともっとはダメか」

亜希子「ほっともっとはちょっと……」

しまるこ「俺は思うんだけど、亜希子ちゃんは今でもかなり優秀な方の部類だと思うよ。君は今のままでも十分偉大なんだよ、国立大学を出て、難しい資格試験を突破して、絵本作家として賞をあちこち取って、本屋に売り出された実績もある。それよりずっと下等なところで甘んじている人間はゴマンといるのに、君ときたら、そんな立派な人間に生まれついておいて不平不満をゴマンと言っている。そこにさらに難しい資格や難しい賞という尾ひれはひれをゴマンとつけたとしても、その優秀さゆえに悩みが尽きないと思うとやりきれないね」

亜希子「わたしは……。いや、いえ、わたしは……、わたしの、今の人生だってそんなに悪い気はしてないんです、いや、そんなに悪いはずはないんです、とてもいい人生だと思っています、わたしだって、この人生は、神様からの贈り物で、十分に愛するに値するものだと思います。でも、やっぱり、もっとよくしたい、もっとよくなりたい、それがいつもわたしのなかにはあって、少なからずそれがわたしを苦しめる原因となっているかもしれません、それは、やっぱり欲からきているんですかね?」

しまるこ「それは、あんがい、亜希子ちゃんよりも、絵が上手かったり、物語が上手かったり、それでも途中で辞めていっちゃう例はいくらでもあるでしょう? 絵本作家の友達や、知り合いや、仲間や、そういうグループがあるかわからないけれども」

亜希子「はいはい、ありますあります。それはわたしも不思議に思いますね、なんであんなに絵がうまい人が辞めちゃうんだろう?ってわたしも思いますけど」

しまるこ「そういう人は、やっぱり、自分に期待を持ちすぎて、望みを持ちすぎて、それに押しつぶされてしまうんじゃないかね? 太宰治だろうが芥川龍之介だろうとそれで死んだ。だから、あんがい、望みを持つということは死をも伴うものでもある、だからモーツァルトは言ったんじゃないかね? 『望みは持ちましょう。でも持ちすぎてはいけません』 これが中国の古典でいわれる"中庸"を意味するかどうかはわからないけど、たしかに望みは持たなきゃいけない、だけど持ちすぎると死ぬことにもなってしまう、さらにもう少し踏み込んで考えていくと、すべての苦しみは欲からきていて、欲がないところには苦しみがない、だから仏教は欲を目の敵にしているんだけども、まぁそれについてはここでは割愛するけど」

亜希子「それはわかる気がします。これだけずっと考えていても、それでけっきょく、じゃあ、どうにかなった経験って、今までで一度もないんですよね。けっきょく、なるようにしかならないし、自分がこんなに悩んだとしても、いつも堂々巡りで、これといった解決に導いたこともないし、考えたからといって、だいたいそのとおりにもならないし、悩んでも悩まなくても、けっきょくは変わらないんじゃないかって、わたし、考えないで生活していたことあるんですけど、けっきょく変わんないんですよねぇ。じゃあ、今、わたしがこうして考えてるのってなにか意味があるんだろうって、悩んでいても、けっきょく自分が悩んでいるところとは物事はべつのところで進行してっているから、これ悩むだけ損なんじゃないかって思うんですよ、だったら、わ〜〜ってやってた方が得なんですよ。わ〜〜〜^^って楽しい気分でいて、そうしていた方がぜったい得で、たぶん結果も変わらないと思うんですよ、だったら、はじめから、わ〜〜〜^^ってやってたほうがぜったい得だなっていつも思うんですけど、たぶん、これは本当に変わらないと思うんですよ、しまるこさん」

しまるこ「変わらないね」

亜希子「で、わたしが考えていることって、だいたい期待だとか欲望だということに気がついたんです。現状に満足できない不満から自分で発生させている、この苦しみはそのまま期待を意味しているような気がします。期待の分だけ、わたしは苦しんでいるんだなって。だから、わたし、本当に何も考えないふうにしようと思って、わりと本当にそうやって過ごした時間もあったんですけど、でも、それもなかなか続かなくて、気がつくとまたいろいろ考えちゃって、だから導かれたいというか、自分の意志とは関係ないところで物事が運ばれていって、それに身を任せたい気持ちではいつもいるんですけど」

しまるこ「まぁ、自分の人生に期待を持ちすぎると、一歩も動けなくなってきちゃう、人生なんてこんなもん、という態度で、あまり自分の人生を大事にしないことかね? 若い女の子には酷な話かもしれないけど」

亜希子「やっぱり、人生をうまく生きたい、きれいに生きたい、なるべく傷をつけず、傷つかず、楽しく、うまく、ちゃんと流れにのって」

しまるこ「よりよく生きたいっていう気持ちがね」

亜希子「今の自分の人生をそのまま喜べないのは、欲望にキリがないから、いつも、もっと、もっとって」

亜希子「でも、前進することは大事じゃないですか?」

しまるこ「まぁ」

亜希子「あの、わたし、昔、飲食店でアルバイトしていたことがあったんですけど、そこで、早朝、開店前に並んでいる人たちを押し除けて、オーダーしてくるお婆さんがひとりいたんですよ。たぶん、80歳くらいなんですけど。みんな長蛇の列を寒い中、我慢して並んでいるのに、そこを後からきた、そのおばあさんが、いちばん先頭に割り込んできて、「◯◯コーヒー!」「プリーズ!」って、もう、そこまで品性下劣になっちゃったらどうしようもないっていうか、あれを見て思ったんですが、人は、みんな誰しもが少なからず、いい人間になろうという気持ちを持っていて、どんな人でも、子供の頃から機会あるごとに、人生が終わる頃には、生まれてくる前よりは少しでも進歩しているようにって、それくらいは考えて生活しているように思うんですが、そういう気持ちのかけらも持っていない人は、そのお婆さんみたいになってしまうと思うんです。もちろんこれは極端な例かもしれませんが」

しまるこ「だけど、俺はその部分においても、ちょっと懐疑的というか、とある意外な真理をさいきん発見してね、おそらく、亜希子ちゃんもその手合いだと思うんだけど」

亜希子「はい」

しまるこ「あんがい、心をきれいにしようとか、人間を完成させようと思っている人間ほど、人と会話すると5分ともたない事実があったりして……。これは、ドストエフスキーがカラマーゾフの兄弟で言っていた言葉なんだけど、これは作中のとある信者のセリフに置き換えて語られているけど、俺はこれはたぶん、ドストエフスキーが自分の体験を語っていることだと思うんだけどね? 教会で、とある宗教徒が長老に自分の宗教不信を告白するシーンなんだけど、

「それはある医者がわたしに話したのとそっくりそのままの話じゃ、もっともだいぶ以前のことですがな」と長老が言った。「それはもういいかげんの年配の、紛れもなく賢い人であったが、その人があなたと同じようなことを、あけすけに打ち明けたことがありますのじゃ。もっとも冗談にではあったが、痛ましい冗談でしたわい。その人が言うには『わたしは人類を愛しているけれど、自分でもあさましいとは思いながら、一般人類を愛することが深ければ深いほど、個々の人間を愛することが少なくなる。空想の中では人類への奉仕ということについて、むしろ奇怪なほどの想念に達して、もしどうかして急に必要になったら、人類のためにほんとに十字架を背負いかねないほどの意気ごみなのだが、そのくせ、誰かと一つ部屋に二日といっしょに暮らすことができない。それは経験でわかっておる。相手がちょっとでも自分のそばへ近寄って来ると、すぐにその個性がこちらの自尊心や自由を圧迫する。それゆえ、わたしはわずか一昼夜のうちに、すぐれた人格者をすら憎みだしてしまうことができる。ある者は食事が長いからとて、またある者は鼻風邪を引いていて、ひっきりなしに鼻汁をかむからといって憎らしがる。つまりわたしは、他人がちょっとでも自分に触れると、たちまちその人の敵となるのだ。その代わり、個々の人間に対する憎悪が深くなるに従って、人類全体に対する愛はいよいよ熱烈になってくる』と、こういう話なのじゃ」

「ですけれど、どうしたらよろしいのでしょう? そんな場合にはどうしたらよろしいのでございましょうか? それでは絶望するほかないではございませんか?」

「いや、そうではないのじゃ。あなたがこのことについて、そのように苦しみなされる……ただそれだけでたくさんなのじゃから。できるだけのことをなされば、そのうちに、うまく帳尻が合ってきますのじゃ。あなたがそれほど深く、真剣に自分というものを知ることができたからには、もはやあなたは多くのことを行なったわけになりますのじゃ! がもし、今あのように誠実に話されたのも、その誠実さをわしに褒めてもらいたいがためだとすれば、もちろんあなたは実行的な愛の道で、何物にも到達されることはありませんぞ。すべてが空想にとどまって、一生は幻のごとくにひらめき過ぎるばかりなのじゃ。やがては来世のことも忘れ果てて、ついには勝手なあきらめに安んじてしまわれることはわかりきっておりますわい」

フョードル・ドストエフスキー. カラマゾフの兄弟 完全版 (pp. 113-115). (Function). Kindle Edition.

 マザーテレサの自伝を読んでいても、マザーテレサがそんなふうに考えていたところがうかがえるし、あんがい、そうやって精神的に傑物になろう、良い人間になろうとしている、そういう輩にかぎって、身近な人と5分とも会話がもたなかったりして」

しまるこ「そんなことをまったく考えてない人の方が、この手の人間より、ずっと仲良く、ずっと相手に幸せな時間や温度を提供できている事実があるっていうか、こういうことを考えている人間のほうが、5分と会話がもたなかったりするんだよなぁ」

亜希子「でも、その場合、けっこう悪口が多くないですか? みんな、きれいな会話だけだと間がもたないところがあって、5分以上会話が続くときは悪口や棘のある会話が入り込んでいるときが多くないですか? 心のきれいな人は、みんなが悪口で盛り上がっているときは口を紡んじゃっていることが多いから、5分以上話し続けるには彼らといっしょになって泥を被らなければならないというか」

しまるこ「なるほど、それは君のいうことが正しい」

しまるこ「うちの母親なんてさぁ、もうテレビ見てて笑うとき、すげえ声で笑ってんだよな、ギャハハハハハ!!!!!!!って、本当に、信じられない、いったいどういう人生送ったらこんな笑い方ができるんだってくらい、すごいでかい声で笑って、あれって多分、ぜんぶあきらめてるっていうか、あきらめてるから、あの笑い方ができるんだと思うんだよなぁ、そうじゃなかったら、あの笑い方ってぜったいムリな気がするもん。何か、希望とか、夢とか、ぜんぶ、あきらめて、わははははは!!!!!!ってでかい声が出てくるんだと思うんだけど、俺たちにも、もしかしたら、ああいう笑い方が必要かもしれないね? ほんとうに、ちょっと、夜、22時過ぎに、外でバット振ってると、ギャーーッハッハッハッハ!!!!!!って、そのバカでかい笑い声が聞こえてくるもんね? あれ、やっぱすごいと思うわ、あれは、やっぱりあきらめてないと出てこない気がするわ、俺がちょっと風呂から出たあとに、実家の風呂なんてよく使わないから、風呂桶の位置を違った場所に置いてきちゃうときがあるんだけど、なんか、定位置があるらしくてね、そこで、母親が風呂場に行って、その桶の場所が違っているのを見ると、『亮イチ一ーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!』って、ーーーーーーッ!!!!!!って風呂場がぶっ壊れるような声で叫ぶんだけど、あれだって、視界に風呂桶が飛び込んできて、間一髪というのがないんだよね、あいだに髪一つない、あいだに入るもんがなにもないんだね、目に入ったその瞬間に叫んでいる、ああいうのは、やっぱり前進とか希望とか、ちょっとでもそういうのがある人間にはぜったいにできないんだと思うんだけど」 

亜希子「(爆笑)」

しまるこ「やっぱり、自分が何をしたいかより、神は自分に何をしてもらいたがっているだろう? という観点が必要な気がするね」

しまるこ「その指標になってくるのは、希少性かね」

亜希子「希少性?」

しまるこ「たとえば、もし亜希子ちゃんがその公務員の仕事が誰もできる、まぁ、代わりがきく、としたら、その点、絵本の方は誰でもできることじゃない、亜希子ちゃんにしかできないことだとしたら、そこが大きいところでね。他の誰でもできるってことは、神はその人にやるべき仕事として与えてないと思う。たとえ公務員の仕事の方が好きだとしても、そんなに好きでもないレアリティの高い他の誰もできない仕事があるとしたら、そちらの方がその人の天職として与えられている可能性が高い。好き嫌いで選ぶよりもね。自分にしかできない仕事って意味で。 まぁ、バガヴァッド・ギーターにも書かれているように」

[四八] どの仕事にも短所や欠点がある ちょうど火に煙がつきもののように アルジュナよ 故に自分の天職を捨てるな たとえその仕事が欠点だらけでも──

しまるこ「正直、俺は、今、世の中で俺以上に面白い文章を書ける人間はいないだろうということで、仕方なく世の中のために書いてやっている部分が大きいんだけど。本当は、だからもっと金を貰ってもいいはずなんだけど、なぜかそう問屋が下さなくて、なぜか無償でやってあげているの(笑)」

亜希子「本当にそうだと思いますよ」

亜希子「でもそれでいったら、私がやってることなんて誰でもできると思うんですよ。だって絵を描いて、文章を書いて、それだけですから。そんなの誰だってできるじゃないですか。これが100メートルを10秒で走れっていわれたら、それは誰でもできるわけじゃないけど、私がやってることって、誰でもできると思うんですよ」

しまるこ「いや、亜希子ちゃんがやってることは誰でもできるわけじゃないよ、少なくとも、俺はあれはやれっていわれても、俺には無理だなぁ……」

亜希子「そうですか?」

しまるこ「あれは誰でもできるもんじゃないよ」

しまるこ「それはね、やっぱり、あの原稿がもつ光は、誰だって生み出せるもんじゃない」

亜希子「ありがとうございます」

しまるこ「だから、何が言いたいかっていうと、まぁ、俺も、自分がいったい何をすればいいのか、何をすればいいのか盛大に悩んだあげく、どちらかといえば、世の啓蒙書よりも聖典のほうに答えを求めたんだけど、バガヴァッド・ギーターや聖典の類を読んでいて面白いと思ったことは、インフルエンサーたちはみんな好きなことをやれ、やりたいことをやれ、自由に生きろ、みたいなことを言うけど、聖典にはそういう言葉がただの一つも書かれてなくて、聖典ってあまりそうしたキラキラした言葉って意外と書かれていないんだね。ただ、義務としてやれ、仕事を義務として遂行しなさいって、口をすっぱくして説いている。それはヨガナンダ先生やラマナマハルシや水野南北もそう

第8節: 定められた義務を仕遂げる方が 仕事をしないより はるかに善い 働かなければ 自分の肉体を維持することさえできないだろう

第9節: 仕事を至上者(かみ)への供物としなければ 仕事は人を物質界に縛りつける 故にクンティーの息子よ 仕事の結果を ただ至上者(かみ)へ捧げるために活動せよ

第10節: 創造の始めに造物主は人類と神々をつくり各自に神への捧げ物(ここでは義務の意)をつけてこの世に送り出しこう言って祝福した『汝らこのヤグニャによって幸いなり これを達成すれば望むもの全て授けられ解脱に達する』

第19節: ゆえに仕事の結果に執着することなくただ当然の義務としてそれを行え 執着心なく働くことによって人は至高者のもとにいくのである

第20節: ジャナカのような王たちでさえ義務の遂行によって完成の域に達した ゆえに世の人々に手本を示すためにも君は自らの仕事に従事すべきである

第27節: 生まれたものは必ず死に 死したものは必ず生まれる 必然不可避のことを嘆かずに自分の義務を遂行せよ

第31節: "わたし"を信じて"わたし"の指示するままに 常に疑心なく 誠実に行動する者は やがてカルマの鎖を断ち切って 自由になることができるのだ

第35節: 他人の義務を引き受けるより不完全でも自分の義務を行う方がはるかによい 他人の道を行く危険をおかすより自分の義務に従って滅びる方がよいのだ

第47節: 君に定められた義務を行う権利はあるが行為の結果についてはどうする資格もない 自分が行為の起因で自分が行為するのだとは決して考えるな だがまた怠惰に陥ってはいけない

第48節: アルジュナよ 義務を忠実に行え そして成功と失敗に関するあらゆる執着を捨てよ このような心の平静をヨーガというのだ

[四五] 自分に生来与えられた仕事をして すべての人は完成に達する どのようにしてそれが可能なのか "わたし"の言うことを聞きなさい

[五八] "わたし"を想い 慕っていれば "わたし"の恵みで全ての障害が除かれる だが "わたし"を意識せずに我執で働き "わたし"の言葉を聞かぬ者は滅びる

[五九]  幻想の下で君は"わたし"の指示に従って行動することを今拒んでいるが おおクンティーの子よ しかし 持って生まれた性質により君は全く同じことをするであろう

[六〇] クンティーの息子よ 君は迷いのため "わたし"の指示に従うのをためらっているが しかし 天性にかりたてられて 為ないといっていることを為ることになる

[六四] 君は"わたし"の最愛の友だから 無上甚深の真理を話して聞かせよう これはあらゆる知識の中で最も神秘なこと 君にとって真実の利益になるからよく聞きなさい

[六五] 常に"わたし"を想い "わたし"を信じ愛せよ "わたし"を礼拝し "わたし"に従順であれ そうすれば必ず"わたし"の住処に来られる "わたし"は君を愛しているから このことを約束する

たとえ不完全でも、つまんなくっても、楽しくなくっても、義務としてやることだろうかね? まぁ、それが本分である以上は楽しくないってことはないさ。ただ、そんなふうに思いだしたのは、わりと最近で、やっぱり、アラフォーになってからだね。それまでは、俺も、何かもっとキラキラした、キラキラと仕事しているふうな、これこそ自分がやる仕事だというものを掘り当てたというような感覚があって然るべきだと思っていたし、そういう気でいたからね。もっと他に自分がやるべきことがあるのだとしたら、そっちに導いてくださいってずっと祈ってたし、でも最近は、これが自分がやることなんじゃないかな?というふうに思い始めてきたのは。まぁべつに俺だってね、そんなにうまいわけじゃないし、ネットのブログ文章にちょっと毛が生えたようなもんでね、べつにうまくもなけりゃプロのどうってこともない、とくに金銭が発生するわけでもない、この先もそれはずっと最後まで変わらないかもしれない、ただ、楽しくなくても、金銭が発生しなくてもね、これが自分の役割なんじゃないかというのはちょっとだけある。俺が、この時代、この人生において、日本でいちばん面白い文章を書くという役割を与えられて生まれてきたのはそういうことらしい。だから、まぁしょうがない、これは選べるものでもないから受け入れるつもりでいる。神がそういうふうに作って、そういうふうに導いているんだから、それにしたがえばいいと思うけどね。望む望まないとあれ、じっさいはすでにそうなってる。これを人間に置き換えてみても、たとえば家族だとしてみても、もっといい家族をと思っても、変えられるものでもない、友達とか恋人にしたって自分で選べるものでもない、おそらく仕事もね、ぜんぶ神から与えられていて、それを愛すか愛さないかでしかない、だから、自分の与えられている、この役割を愛すか愛さないかでしかないと思う。家族、友達、恋人、仕事、新たに自分で獲得するようなものではないと思う」

しまるこ「どうやら真実は自分が思っているよりもその役目は神が担っているところが大きいらしくてね、自分ではどう考えても、どうにもならないような人生経路が神によって設計されている、自分がこうしたいと思っても、たいていは軌道修正されて、自分が本来やるべきだった道に戻されてしまうもんだ。俺は何度となくそんな経験をしてきた。だからけっきょく自分が本来歩むはずだった道を歩む羽目になるから、その点において俺は亜希子ちゃんのことを心配していないんだけどね。亜希子ちゃんがそうやってぶつぶついいながらも絵本を描いているのは、その力が働いているためだと俺は思っているから」

亜希子「ありがとうございます」

亜希子「そうかぁ」

亜希子「そうかぁ、たしかに、欲かもしれないなぁ」

亜希子「わたしは、ずっと何かをやらなくちゃいけない。このままじゃいけない気がする、このままでいいのか、何か、あるはず、何かって、いつも何か足りてないような、欲しているような、そんな気でいたけど、これってもしかしたら『欲』かもしれないなぁって。これは、ちゃんと考えみようっと。よかった。電話して、あーよかった! これから寝る前に考えてみようと思います」

しまるこ「そうだね。そういうところが亜希子ちゃんのいちばん良いところだね。ここで、この電話をして、それで終わりということはしない人だからね。このあと、亜希子ちゃんは電話を切ったあと、ベッドの中でゆっくり時間をかけて自分が納得するまでひとり考えるでしょう?」 

亜希子「はい、しますね」

しまるこ「ほらやっぱり! むしろこの電話はそのきっかけでしかない、亜希子ちゃんの絵本から感じるのは、そのすべての言葉、すべてのセリフが、自分の中でよく考え抜かれていて、十分によく考え抜かれて発酵されて出てきた言葉が紙面に落とされているから、そこに作家性があると思う。博覧強記の読書家は、たいてい自分の中で十分に温めて熟考されたものより、たんに耳障りのいい、それらしいものを外から借りてきて当てはめるという積み木細工みたいな仕事しかしないもんさ、自分の中に生きたものがない、それはAIと変わらないものになってしまう、作家性があるとすればそこだね」

亜希子「ありがとうございます! なんだか少し気持ちが楽になりました!」

しまるこ「少しか」

しまるこ「亜希子ちゃんは誰とも同じではない唯一無二の最高傑作として、価値あることをするためにデザインされ生まれてきた。意味と目的とをもってつくられた神の作品なんだよ。最高に素晴らしい人生のプランが用意されていて、それは実現される日を待っている。そして、それを実現するために必要な才能や能力の一切は、すでに亜希子ちゃんの中に備わっている。だからないものねだりをする必要もなければ、他人を羨む必要もない、必ず成功するこの上もないハッピーな人生を満喫するために生きているといっていい。亜希子ちゃんはそのためにデザインされた神の作品なのだから」

しまるこ「ヨガナンダ先生が言っていた言葉を読み上げるよ」

「神はもともと、あなたが内なる全能の力を発揮して、いかなる試練にも挫けず、この人生の舞台における崇高な役割を達成することを望んでおられるのです。

神はわれわれを楽しませるためにこの世界を作られた。

あなたががたはどのようにして自分に適した役割を見つけようとしていますか? もし、だれもが王様になりたいと思ったら、だれが召使いになるでしょう? 舞台で劇を成功させるには、王様の役も、召使いの役も正しく演じられなければなりません。どちらもその重要さは同じです。われわれがそれぞれ異なる個性を持ち、さまざまな職業的志向を持ってこの世に送られてきたのはそのためであることを覚えておきなさい。神は、われわれを楽しませるための巨大な舞台劇として、この世界をつくられたのです。しかし、われわれはとかく、舞台監督の意図を忘れて自分勝手な役割を演じようとします。あなたが人生の舞台で失敗するのは、神の定められた役割と違う役割を演じようとするからです。舞台では、ときには道化役のほうが王様よりも注目を集めることがあります。ですからあなたも、自分の役割がどんなに目立たないものでも、良心的に演じなさい。神に意識を合わせれば、あなたは自分に与えられた役割を立派に演じることができます。あなたがたは、苦しんだり悲しんだりするために劇を演じるのではありません。悲劇を演じている人は、ただその役を演じているだけだということを理解すべきです。どんな役を演じることになっても、嫌がらずに、聖なる監督の指示に従って、その役を立派に演じるよう努めなさい。そうすれば、たとえ小さな役でも、人々に光を与えます。神の無限の力が、あなたを通してこの地上劇の一役を演じていることを自覚しなさい。神の無限の力は新しい成功をつくり出します。神は、あなたがロボット人間になることを望んでおられません。工場で働いている人も、商売で走りまわっている人も、自分の意識をその偉大な力に同調させて、いつもこう念じなさい──

「わたしの中には神の無限の想像力がある。わたしは死ぬまでに、必ず何かを成し遂げよう。わたしは神の化身であり、わたしには理性がある。わたしは、わたしの魂の力の源、神の全能の力である。わたしは実業の世界でも、思想の世界でも、学問の世界でも、何をするにも神の力を引き出して創造する。わたしは神と一体である。だから、私も創造主のように、自分の望むものは何でも実現することができる!」と。

「神に集中しなさい。結果を求めずにあなたの仕事をしなさい。それがあなたが為すべきすべてです。」

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