女性研究 霊的修行

図書館に行ったらなかなか可愛い子がいた

最近、米の値上げがどうだとかうるさいが(備蓄米がどうだかでちょっとは安くなったとか聞いているけれども)、野菜は依然として高いし、なぜかはわからないが勝手にお菓子類も高くなっている。明治のミルクチョコレートなんて99円で売られていたイメージがあったが、217円になっていてびっくりしてしまった。この物価の乱高下に乗じて、これまで高いとされていなかった物までも、知らん顔しながら値上げされていて、その知らん顔っぷりが面白い。

ガソリン代ももちろん高いし、木刀が折れたので新しく購入しようとしたら、以前の倍額はするし、木材高騰のために生産が間に合わないとのことで発送まで二ヶ月かかるというし、もう、なんでも値上げすればいいことになっているのかな? だったら、もう、この際、おにぎりとかも2000円とかにしちゃえばいいんじゃないかと思うけど。パンもお菓子も、カラオケも、タバコも、酒も、8万円とかにすれば、俺はあんがいそれがいいんじゃないかなと思うのだけど。それが日本を復興する上での俺の政治経済に対する考えだし、まぁ、その馬鹿げた値札を見て馬鹿笑いしたいからにほかならないが。

その物価上昇に応じてか、アルバイトの時給も上がっていて、深夜のすき家などは時給1500円とかだったりする。ここ最近の賃金の時給額が200円くらい上がっている気がして、これらのアルバイトを、週2、3日やっていれば、十分生きていけるんじゃないかと思う。

いよいよ、欲との戦いだなぁと感じる。

この、物価の乱高下の中で、必要なものしか買わずにいられたら、その高くなったアルバイト代の恩恵だけを享受して生きられるようになるからだ。

世間は依然として、人々の欲望に火をつけることしか考えていないけれども、もしこの欲望に火をつけずにいられるのなら、それは億万長者とほとんど変わらないことを意味する。依然として、必要なものを必要な分だけ買って生きるには、生活において困ることはないからだ。だから、貧乏などというものは、私は欲深い人間ですと白状していることに他ならない。

老子は、為政者の政治経済のあり方として、大衆の欲望に火をつけることを何よりも禁じている。大衆は無知だから、欲望に火をつけられると、抑えが効かなくなってしまう。欲望に欲望をこまねいて、その結果、どうなってしまうかというと、今の時代を見れば明らかだろう。この広い世界、誰かが得をしている分は、誰かが損をしているものだ。私たちも、そろそろ損をする側になってきてしまったかな。このような時代を起こらせないためにはどうしたらいいかと、よく考えて考え抜いた挙句、大衆の欲望に火をつけてはならないと忠告したのが老子である。

それで、ちょうど夏休みということもあって、図書館に行ったら、高校生たちがワンサカいた。ほとんど学校のようなものである。いいなぁと思った。俺が今の精神状態のまま高校生に戻ったら、多分、見境なく、女に声をかけると思う。欲深いからだ。高校生なんて、一般の大人女性よりもナンパにフラフラとついていってしまうものだ。誰よりも若く、可愛いのに、ナンパにフラフラついていってしまう。それが嬉しくも悔しくもある。

当時、このことを知っていた俺は、誰よりもよくナンパをして、中学生とも付き合ったりしていた。俺は高校三年生の時に、中学三年生の子と付き合っていた。ナンパした子だ。今の人間力を駆使すれば、さらにもっと上手くやれる自信がある。なかなか思春期につける薬はなく、どこの学校でも、教室内で遠くから石を投げ合って様子を伺うような状態が繰り広げられているものだから、そんな中、我先にと躍り出る勇者がいたら、学校の全ての美女は彼のモノになる。

そういう意味からして、図書館というのは羨ましいと思う。出会いの宝庫で、入れ食い状態だ。男も女も、いちばん性欲が強い、青春の真っ只中でありながらも、今日は勉強をしにきたのだという仮面の姿ばかりが目立ち、恋にならない。どうも図書館というものは、タリーズに比べると、閉鎖的な感じで、物音ひとつたててはいけないような、シーンとした、ガラんとした空気が続き、表情ひとつとっても、カフェにいる人間たちの方が明るく、このシーンとした静かな中で、ノートが擦れる音、ページが捲れる音、ゴリゴリと筆記の摩擦音が響くのが神経にさわる。少しは気が紛れるような場所に腰をかけようかなと思い、大きなガラス越しに見える、公園の景色、広々とした空間の方へ行こうとするが、だいたいそういう席は、閲覧席専用で、パソコンは使用不可となっている。カタカタと音が鳴るのを防ぐためだろう。こちらはマックブックのパンタグラフ式で音が鳴らないからといっても融通が効かないから、こういうシステムの悪いところだ。

相変わらず、図書館というものは、ホームレスしかいないもので、この暑い中、彼らの涼む場所になってしまっている。大広間に行くと、10m以上に渡りそうな、大きな窓越しに横渡っている大ソファに、ホームレスたちが一同に座っている。中高生とホームレスしかいない。まともに税金を払っている連中は仕事に出払っていて利用できないのはいい冗談だ。

大広間を抜けて、別館へと続く廊下を渡り、パソコンが使える教室に行くと、そこはたいてい社会人なのか、なんなのかわからない、なんの資格かわからないけど、資格の勉強をやりに来ている変な人たちしかいない部屋になる。ここでは、平日の朝9時からいつもお決まりの席に座っている人もいる。このエリアには、なかなか中高生は立ち寄らない。

が、しかし、この部屋でパソコン作業をしていたら、突然、俺の隣の席に、女の子が座ってきた。

こちらに近寄ってくる時、あ、女の子だ、と思い、俺はチラッと見た。俺はこういうとき、視界に入ってきたから、つい、ちらっと見てしまったというふうな、仕方なくといった体を装うけど、今回はそれをやらなくてもよかった。というのも、俺が見たときには、すでに向こうが俺の顔を見ていたのだ。大体の場合、俺の視線に気づいた女の子がこちらを見る形になり、女の子が振り向く動作、目を見開く瞬間がかならず見えるのだが、今回は反対だと思った。

パッと目があった時、すごい、光のようなものを感じた。

なんだ、これは、というような、胸の奥から、ズンと湧き上がってくるような、ハンターハンターでゴンが蘇った時のような、ズン、と、心の一番、下腹部のあたりから、ズン、と込み上げてくる何か。

そして、光粒のようなものが舞った気がした。今度はクワァァア……っと心が開いていく何か、パアアァァァ……と、生命のようなものが開いていく何かがあった。心の中が開き切るときは目も見開くようで、俺は無抵抗にも、自分の目がパッと見開いたことにびっくりした。こんなふうに自分の目が勝手に限界を越えて大きく開いたのは初めての経験だった。まるで、咲くようだった。元来、目が大きい上に、無抵抗にも、こんなふうにバっと大きく開いたので、向こうのほうでも、いったい、この人はどれだけ目が大きい人間なんだろう、というような顔をしていた。

この光は以前、どこかで感じたことがある、懐かしい感覚だ。たぶん、人生で、3回くらい感じたことがある。この光の持ち主の女性と目があった時、生き返るような、人生が開き切る感覚。

俺は思わず、光に取り囲まれてしまって、目を見開いたままガン見してしまった。その、驚いて、あまりにもあなたの美貌にびっくりしてしまいました、というような感動や感想が顔に出てしまい、臆面もなく、そのまま相手の顔を見続けてしまった。それが相手にも伝わったようで、相手も止まったようにこちらを見ていた。そのような時間の中で、じっとお互いを見ていた。時間にして3秒くらいだろうか、それは違和感を感じるには十分の長さで、一瞬にして永遠のようで、永遠にして一瞬のようだった。

キン、と、頭が痛くなるような感じを覚え、俺はしばらく、これはなんだろう、これは、一体なんだろう、と放心していた。

この光の正体はなんだろう? 顔は可愛いといえば可愛い。だが、パッと、うつったその顔といえば、色が白く、ゾンビみたいな、およそ人間というより人形のような出立をしていた。それだけ、とっつん坊やみたいに、単に均整が揃って突っ立っているような、つっかけ棒のような、頼りない、人形のような立ち方やシルエット、出立をしており、それが目を見開いたかと思った。彼女の目は、ひどく、しょぼくれた、レイプ目のような、暗く、静かな、どんよりした、ダウナー気質なようなものを見せていて、底のしれない、何か、やばいものを持っているようなものを感じさせた。人にはいえない、何か、深い、謎めいたものを持っている。それはおそらく闇だ。油断していたのだろう。こういったものは、人と話している時には見せないかもしれないが、一人で外を歩いている時には、どうしても顔に現れてしまうものだ。やはり、共通しているものがある。以前、光を感じた、その、約二名の女性も、そういうところがあった。一人でいるときは鬱屈しているような、何か困っているような、影のようなものを見せるが、相対した時はそんな闇はまるでなかったというような、今度はまばゆいばかりの光を見せ、その闇を跡形もなく消し去ってしまうほどの光を見せるのだ。いったいどちらが本物なのかわからないほどに。

彼女の机の上には、たくさんの教科書類が置かれてあった。世界史、日本史、生物、数学Ⅱ、Ⅲ、こんなに同時に雑多な教科の勉強をできるはずもなく。それから、彼女は生物の本を開いて、熱心に読んでいた。書き物をするためのノート類といったものは一切なく、彼女は読むことで勉強するタイプのようだった。これは女性には珍しいものだ。

彼女がやってくる前、やたらとたくさん、机に、雑多に、いろんな教科書の類が置かれてあるなぁと思って、俺は空いた隣の机を見ていた。この席の持ち主は、きっと、だらしないヤツだろうと思っていた。机の下にはリュックが置かれていたが、そのリュックがえらい汚れ様で、きたなく、ボロボロで、サンリオのぬいぐるみが5匹くらい吊る下げてあった。リュックも汚れているが、ぬいぐるみ達もひどく汚れていた。こうしたものを身につけていると、だらしないような、軽そうな、チョロそうに見えてくるところはあるが、参考書の類を見ていると、多教科ということもあって、国立を目指しているかもしれない。数ⅡとかⅢとかの赤本を出していたから、おそらく、かなり、偏差値の高い大学を目指しているだろうと思われた。

そういうことを考えると、たんに、物持ちがいい方なのかもしれない。ぬいぐるみだし、途中で買い替えるということはなく。また、後で口述するが、ファッションの方はうってかわって新品感が丸出しであり、ファッションは別ということらしかった。リュックのサイドポケットには、化粧水やらハンドクリームやらがぎっしり詰め込まれていて、この夏における熱対策にはバッチリということで、その白い肌を守るためにあらゆることをやっているように思えた。ペンケースは、変なハリネズミみたいな、30cmぐらいの、これもまた、すごくでかいぬいぐるみのようなものを使用していて、その中に、たくさん文房具が詰め込まれてある。物持ちは良さそうだが、物をよく買うために金はかかりそうだと思った。

彼女は、参考書の2、3ページを読んでいると、すぐにこっくらこっくらするようになってきた。こりゃ、寝るな、と思ったら、案の定、すぐに寝た。しかし、机に突っ伏して寝るということはなく、器用に座ったまま寝ていた。そして、驚いたことに、教室中の誰よりも綺麗な格好で座っていて、背もたれとほぼ直角に座りながら寝ていた。俺はこんなに綺麗な姿勢のまま寝る人間を初めてみた。

(今、戻ってきたと思ったら、すぐに寝るのか)

たまたま寝てしまったというより、学校でも授業中、よく寝るタイプと見た。

俺は、彼女が寝ていることをいいことに、横目でマジマジと観察した。青い服を着ている、紺の、ドレスみたいな服を着ており、肩や袖口にフリルみたいのが、2、3個ついている。下は黒いホットパンツみたいな短いスカートみたいなのを履いていて、靴はたいへんな厚底で、20cmぐらいはありそうな、そしてその先端にリボンみたいなものがついたシルエットになっていた。今時、こんな厚底の靴を履いているものがいるだろうか? 不思議なほど、底が長い厚底だった。座っているので身長はよくわからないが、足の長さからして、背はそれほど小さくないと見える。

髪型は、一体どれだけ時間がかかるんだと思われるような気合の入れようで、長い、黒髪を左右に編み込んで、ツインテールのおさげみたいになっている。今日はこのパターンということだろう。毎回、いろんな髪型をしていることは想像できた。服装といい、髪型といい、毎日違うものを試して、それを試すのが何よりも楽しみといったところだ。自身を着せ替えドールとして、毎度、鏡の前でファッションショーをしていることが容易に想像でき、その鏡の前でやっていることが外でも、学校でも、図書館でも変わらない、ほとんど自分の美のために生きている。愛や恋、男にどうみられているかというより、自身の楽しみのためにやっている。もっとも、顔が小さく、スタイルもいいため、張り合いも出るだろう。化粧の方も、今時の高校生というのはこれほどまで決め込むものか、と大人っぽいもので、厚化粧ということはないけれど、目元はかなり気合が入っていて、まつ毛やら、アイシャドウやら、目の周りが少し黒かったり変形していたり、自然ではなかった。だが、一種のダウナーというか、目のトーンの暗い、クスリでもやっているようなキマった感じが出ていたのは、本人独自のものだろう。

もっとも、刮目すべき点は、髪かもしれない。この髪の綺麗さはなんだろう。変なツインテールみたいな、両サイドをおさげのように編み込んでいて、これは一体何時間セットにかかるんだろうというような髪型をしていたが、俺は未だかつて、これほど綺麗な髪を見たことがない。繊維ご細やかで、水分を多量に含んでいるが、脂ギッシュではなく、ほとんど光っているように見えた。どんな芸能人の子役の子でも、これには敵わないだろうと思われた。触ったら、指の間をすり抜けていって、消えてしまいそうだった。鼻はかなり小ぶりであり、口元は特徴的で腫れぼったい、よくアレルギー持ちに多い、厚めの口元をしている。ファッションといい、少しダウナー気質の、変なコスプレイヤー界隈にいる、オタサーの姫みたいなところがあった。こういう、俺みたいに、オタク気質の、イケイケ系の女に近寄れないタイプの、童貞ホイホイみたいな男は引っかかってしまいがちなやつだ。そのせいか、なんとなく、ふわふわした、蝶々みたいな、チョロそうな、飴をあげたらついてきてしまいそうな、こっくん、こっくん、寝ているから、ちょっと声をかければついてきそうな、チョロさを感じた。じっさい、頭の中も、可愛いとか可愛くないとか、ピンクとかピンクじゃないとか、そんなことばかりだろう。サンリオとか、キラキラした、そんなことばかりでほとんど頭の中が占められている気がした。

先の光、パァッと見開いたように、感じた光はなんだったのだろうか? 確かに、可愛い。可愛いからそう感じたのか。恋だからそう感じたのか、前世のつながりだったから。確かに、前世のつながりのようなものを感じた。大げさだと思うかもしれないが、人は、過去生で出会った人間と、あいも変わらず出会い続けているだけだという説もあって、『袖振り合うも多生の縁』というだろう? 何か、過去生において特別な縁があったのかと思った。で、なければ、この光り方はおかしい。

しかし、この光は、向こうは、光のようなものを感じたのだろうか? 今、こんなふうに、こっくり、こっくり寝ていることからして、あんまりそんなふうではなさそうだけど。

それとも、彼女自身がいつも光の中にいる、一種の光芒を通して自分を見ているから、他者もその光に引きずり込まれた、か。

俺は、やはり、もったいないと思った。これだけ、たかが図書館に勉強しに行くだけなのにオシャレしてきたというのに、うんともすんともない。このまま家に帰るだけじゃつまらないだろう。そうやって一人で自己完結しているのもいいが、もう少し、ラブやロマンスというものもあってもいい気がする。むしろ何もないのは失礼といった気持ちさえする。どうして、まわりの男は何も言わないのだろう? 同じ高校生なら、ちょっとぐらい声をかけてみればいいのに、と思った。だが、はたして、彼女の方でいえば、やはり関心があるのは自分のことばかりで、周囲に声をかけられるのを期待している、ということはなさそうだった。

だが、声をかけられれば、誰よりも目を見開き、家に帰ってもそればかりを考え、ずっとそのことを反芻していそうな、人より10倍、乙女というか、真っ白なキャンパスに誰よりも色が染みつきそうなところがあった。だから、たいへん、チョロそうであり、悪い男に引っかかりそうであり、だが、ちゃんと身支度をして、ちゃんと図書館で勉強している、勉強している科目からして国立かもしれないし、内容もちらっと見たところ、偏差値が高そうな教材でもある。遊び回っている女子らとはまた違い、この手の女が、高い大学に行って、ちゃんとして企業に就職して、いい結婚をして……、そういうこともあるもんだ。

とはいえ、この子は、人より欲望が多いこと確かだ。これだけ、モノに溢れているのだからね。だからといって、食べる量はそれほど多いとは思わない、スタイルが細いこともあるけど、食い意地が汚いかどうかは、顔を見ればわかるものだ。量はともかく、すごく、食べるのが遅そうな顔をしている。子リスのように、小さく、小さく、ちまちま食べることだろう。欲望は食事からくることが多いけれど、彼女の欲望はそこからくるものではなく、たんに、キラキラしたものからくるように思われた。

まぁ、やっぱり、39歳だからねぇ……。ちょっと、声はかけられないかな。これはいいことなのか、悪いことなのか、年齢を言い訳にしている? 図書館だから? 高校生だから? いけないことだから? そんなにいけないこと? 彼女だって、目を見開いて、こちらを見てきた気がするし? この光粒を彼女の方でも感じたかもしれない。いや、そんなこともないか、グースカ寝てるしなぁ。これこそ、危険な考え方ってやつか? 犯罪者の思考ってやつか? みんなが一番危険視して、石を投げてくるやつだ。でも、こんなものは、口に出すかどうかの違いで、ほとんどすべての男が考えていることだ。みんな、人間は、自分といつも付き合っているから、自分は愛されて当然だと思っている。どんなズタボロのデブ男でも、橋本環奈に告白されても、なんで僕を?とは思わない。どこかでそれもありえると思っている。でなきゃアイドルのファンなんかにならないし、それにやはり、全ての人間が、自分を愛しているから、自分に期待を持ってしまうのだ。

しかし、昔だったら、声をかけれたとは思うが。ちと厳しいな……。ほとんどお父さんみたいな年齢じゃなかろうか? 向こうだって、声をかけられたら嫌と思うかな、いや、でも、こんな、チョロそうな子だし、乙女心満載だし、単に声をかけられたということ、それだけでハッピーになりそうなタイプにも見える。いや、でも、やっぱり勉強しにきてるんだから、図書館に勉強しに来づらくなってしまうか? 

39歳だから、17歳だから、そんな、年齢を言い訳にして引き下がることは、芸術家がすることだろうか? べつに声をかけたって、それで向こうが拒否するようだったら、そのときは大人しく引き下がればいいんじゃないか? 引き際を弁えているなら、何をしたっていいはずだ。それに、社会勉強になるしな。ここでちゃんと当たって砕けてしまえば、やっぱり39歳はダメなんだ、って変な望みのようなものが雲散霧消され、次に向かう前進への活力のようなものが生まれてくる気もする。それでも、やはりためらってしまうのは、年齢というより、傷つくのを恐れているためか。仮にも、光のようなものを感じたから、それを感じた相手に無下にされてしまうことは、普通の女に断れるより傷が深いかもしれない。

まったく困ったもんだ。たんに、こうしたものが、自分との戦いにまで発展してきているから始末に負えない。ワンチャンあるかどうかよりも、行くか行かないか、行かなきゃ自分に負けたことになるって、その思いの方が強くなってきているところがある。だとしても、これは勇気といえるのか? ただのヤケか? 蛮勇? 恋は、自分との戦いか、恋? これが、恋と呼べるものなら、な。

欲望か。これも、欲望だ。欲望のせいで、俺が俺でいられなくなる。これが欲望でなく愛だったら、俺でいられただろう。

まったく、面倒臭いぜ、欲望ってもんはぁ……! なんで、こうもかくも、こんなことで色々思い悩まされなきゃならないかねぇ? 俺は俺でいたいだけなのに。このままの状態で、恋やら、愛やら、というものはまったく、できないものだろうか?

なんで、こうも、年齢がぁとか、図書館がぁ、とか、高校生がぁ、とか、くだらないもんにつき従わなきゃならないかねぇ? いいものはいい、それだけでいいような気がするんだが。だが、いいものはいいと言っても、向こうはいいかわからんし、そのいいは、よく考えてみりゃ、よく考えてみなくても、ただ顔がいいっていうだけだ。ただタイプだというだけだ。

しかし、欲望ってのは、面倒臭いもんだなぁ。こうして、変に出会ってしまったからには(出会ってしまった? 見てしまった?)、いろいろ、考えなきゃいけなくなってくる。考えたくなくても、いろいろ考えてしまう。ことが収まれば、声をかけてダメと言われれば、はいそうですか、と、パタっと気持ちに片がつくのは目に見えているが。変に、自分の方でも、声をかけないから、変に期待するところがあって、気持ちに決着がつかない。だから、スッキリしたいがために、声をかけたくなってしまうところがある。

もう少し、まともな格好してくれば、な。

午前中は出前館をやっていたから、これ以上ないほど汚い格好だ。変な、ユニクロのUVカットの、変な、小汚い、パーカを着ている。肌も日焼けし放題だ。肉体バイト? ウーバーイーツ? そう思われること甚だ。

しかし、だ。付き合ったところで、何が起こるだろう? おそらく会話は何一つ合わないだろう。何を、どう話していいかわからない、ディズニーだとか、サンリオだとか、YouTubeのショートムービーだとか、インスタだとか、それだったら、向こうからしたら、そういったものがよくわかる、話の合う男と付き合った方がいいだろう。年齢が合う男と付き合った方がいいだろう。同じところで笑い、話し、共感できる相手の方がいいだろうからな。たぶん、付き合ったら、一生懸命、その辺の話題で、うまく、なんとか、繋いだり、話したり、しなきゃならないところがあるだろう。遥かないほど、精神的に訓練してきたこの俺が! この精神界の大巨人である、この俺が、このしょんべんくさい小娘のご機嫌どりをしないといけないというのか! なんと無様か! ギーターを熟読して瞑想していたもう一人の俺が聞いて呆れる。

俺の動画なんて、死ぬほど、何が何なのかわからないだろう、ブログ記事だってそうだ、俺の書いたもの、何一つわからなそうな顔している。そんな女と付き合ったところで、ねぇ。いったい何があるというのか、それでももちろん、付き合えたら付き合うけれども。

それはつまり、精神ではなく、ただ容姿が好きだからに他ならないだろう。彼女が30だったら付き合ってないかもしれないし、でもなんか光を感じたから、この光の中に吸い込まれてみたいと思ったのは事実だ。それもまた精神よりも肉体の欲求なんだろうか? 若くてきれいな女性というのは、それだけで輝いて見えるものだし、ね。だからしいていうなら、俺はこの光をずっと見ていたい、というのがある。そばで、ずっと見ていたい。どんなファッションでも、髪型でも、かまわない、裸でも、パジャマでもいい。俺はただそれを見ていたい。今だってこうして見ているのだけれども。それはそれでかなり楽しい。こうしているだけで楽しいから、許されて、近くで見れたら、もっと楽しいと思う。

だから付き合いたいってことなのかな? 別に、セックスしなくてもいい、ただ見ているだけでいい、といったら、まぁ、嘘になるけど。

あんがい、こっちの方が変態チックなのかわからないけど、普通に、ただ見ていたい。それだったら、今と変わらないんじゃない? 図書館で遠くから見てればいいじゃん、と思うかもしれないけど、だから見てるんだよと俺は答える。まぁしかし、いやらしい気持ちがまったくないかといったら、嘘になるけどね。いやらしい気持ちを、なしでもありでも見ている。熊谷守一さんも、庭に転がっている石ころ一つあれば、私はそれを見ているだけで一ヶ月以上過ごせると言っていたけど、俺もそれに近い。が、俺は石ころじゃ無理だ。そういう話だ。

まぁ、熊谷さんだって、石とセックスしないでいいのっていったらね、熊谷さんは、石とセックスしてるんだよ。だからね、これもセックスみたいなものだ。こうして、図書館の自習室の隣の席から、あるいは遠くの片隅から見ていたとしても、遠くの魂の奥の部分を見て、溶け合うことができたら、それはセックスだ。セックス以上のセックスだ。こうやって、いつでもどこでも誰とでもセックスできるようになるために、霊能力を鍛えているといったら、別にそのために修行しているわけじゃないが。精神的なセックスはどこでも起きているからね。どっちかっていうと、こっちの方面を強化していく方が正解な気がしているだけだ。もし、それができるようになれば(魂の奥の部分の、見えざる部分を見えるようになって、そこに溶け合うことができれば)いちいち街で美人な女の子を見かけても、こうして指を咥えて悶々とすることもなくなるだろう。残された手が、それしかないような気もしているが。もっとも、俺はずいぶん、この部分が発達してきているから、それに期待しているところはある。昔は見ているだけじゃ難しいところがあったけど、今はこうして見ているだけで、多大なる情報が洪水のように押し寄せてきて胸焼けしそうになるくらいだから、付き合ったら、どんなことになってしまうことかと思う。

しかし、欲望だな。欲しいと思ったり、諦めなくちゃならなくなったり、まぁ、めんどくさいもんだ。この欲望が連れていってくれるところは、どこまでだろう? だいたい、行き先は見えている。何度も、行ったことはあるからね。せいぜい、満腹になったり、射精したり、精神的なハレーションを迎え、その後はブタのように眠りこくるだけ。肉体の欲求がおさまるところで欲望は終焉する。それまでは続くってこった。

このために、多くの人は人生を棒に振る。

だいたい、この程度でしかないのだけどね。

まったく、邪魔なものだ。手に入ったから、なんだっていうのだろう。

それは手に入れてから言え、か。手に入ったときも、いくらか、可愛い女の子と付き合って、セックスしたときも、感動はあったけど、その感動も永遠ではない。わりと3ヶ月ぐらいでなくなってしまう。それでも、また、手に入らないと欲しくなったり。あんがい、手に入らないから欲しくなるのかもね。

およそついさっきまでは、彼女のことを知らなかった時分においては、俺は完全でいられたのに、今では何か足りてないように、まるで分割された精神として、先までの自分とはうってかわってしまっている。彼女を知ったがために。

何かを欲しいと思うことは、何かが欠けている、と思うことと同義であり、その対象を欲しいと思ったら最後、それが手に入るまでは、ずっと自分にそれが欠けている、と思い込むようになってしまう。

欲しいと思うから、いちいち考えたり苦しまなければならない。これがそもそもの元凶だ。欲しいと思うこと。欲しいか。そんなに、欲しいかねぇ? こんなしょんべんくさい青二歳が。難しい国立大学の勉強しているかもしれないけど、精神面じゃ、俺の登っている階段の一歩目にも登れないようなところでジタンダ踏んでいる小娘に過ぎない。それが、そんなに、欲しいかねぇ? ちっとだけ話せば、あー、馬鹿馬鹿しいと思うかもしれない。俺だって、女と二時間以上ファミレスで話していると苦痛になって帰っちまうからな。だから、彼女のことはわからない、少なくとも、今、彼女がどういう人間かはわからない。なのに、こんなに欲しがっているとすると、それはもう、想像だな。俺は自分の中で彼女を作り出し、自分の理想の何かに恋をして、心を奪われている。彼女ですらないのだ。俺の想像上の産物だ。そんな、幻に心を悩まされている、夢みたいなものだ。

これを思わないでいられるためにはどうしたらいいか? 最初から欲しいと思わないことだ。別に思ったら思ったでいいという意見もその通りだとは思うが、なきゃないでいいという精神を、それ以上のものへ発展させなければ、性犯罪者になってしまうことは疑いないだろう。まぁ、いっても、そんなに欲しいかというと、欲しいっちゃ欲しいけど、なきゃないで済ませられるもんだ。済ませられるっていうか済ませてきたし、そうするほかないからな。んなもん、9歳の頃からずっと続いている。人生なんて我慢の連続だ。みんな、街ゆく美女を眺めては固唾を飲んで我慢している。

べつに女に限ったことじゃない。家だって、もっと自然豊かなところで、こんな変な息苦しいマンションじゃなくて、赤毛のアンの家のようなところに住みたい。この通り、欲しいものはいつだって手に入らないのだから。女であれ、なんであれ、そうやって生きていくしかないだろう? もっといえば、俺自身のことすら、手に入らない。たとえば、若さだって、もう手に入らない。強いていえば、時間か、時間が手に入らないことを憂いているのか、欲しいものと時間は結びついているからな。今の俺でこの子と付き合うより、昔の俺でこの子と付き合いたかったという気持ちの方が強かったりするんだから。

今、俺が欲しがっているこの彼女だって、一刻一刻、もっとも欲しいものから遠ざかっていっている。地球は美しいものほど移ろいやすくした、というより、移ろいやすいものにしか美は宿らないというような。彼女がパタパタと毎日楽しく塗っているファンデーションすら、その肌にたった一つでも亀裂が入ったり、老化したり、今のそれから離れていってしまったら、苦しみの方が依然として多くなってくる。その気持ちの多さに従って、悩みもまた多くなる、楽しんでいるようだけど、同時に地獄だ。

あんがい、これが死にも直結する。もし、交通事故でちょっとでも肌に亀裂でも入ったら、それだけで死にたくなってしまうだろう。

こうして、自身が愛するもの、それが物であれ精神であれ、賭けているものであれ、対象が、自分ではない外側のものであれば、それがどうにもならなくなったとき、人は死んでしまう。それが芥川龍之介であり、太宰治だ。そういう意味じゃ、この子も変わらない。自分以外の何かに入れ込むというのは、それだけ危険なのだ。

持っているものがなんであれ、どんなに素晴らしいものを持っていても、それは失われていくし、実のところ、本当のことを言えば、手に入ってすらいないのだ。この点、みんな知らないでいるがね。

なんでも手に入るようで、手に入らないのが世の中だ。手に入るものなんて、本当に一つでもあるだろうか? はたして、彼女だって、手に入れるなんてことができるだろうか? だって、そうだろう? 俺が彼女と付き合ったとしても、命令したらいつでもフェラしてくれるとはわからない。ちんこが唾液でしょぼしょぼしてきたからいいよと言って、んで、また乾いてきたら、おい、またフェラしろと言って、あー、ちんこがむず痒くなってきたから、一旦休憩、おい、またフェラしろ、と言って、オナホールのスイッチをオンオフするように、フェラさせたりさせなかったり、なんてことはできないのだ。

彼女の俺への態度、関心、心持ち、それらを全部、俺の好きなようにすることはできない、付き合ったところで、何も手に入れていないのだ。欲望で始まった関係は、欲望を昇華してくれることを期待しているところから始まっているから、それが、一つ一つ、かなわないとなると、イライラしたり、不満も出てくる。

彼女の方でもそれは同じで、すべてを持っていると思われる彼女ですら、俺と同じ思いを抱いているのだ。今、最も、興味津々の、いちばん大切にしているその美貌ですら、今も、今も、失われていってしまっている。持っていながら、ゆっくりと指の隙間からこぼれ落ちていくなんてものは、持っていないと同義である。

何かを得て嬉しがったり、何かを失って苦しがったり、それは不幸でしかない。なぜなら、直接的には何も得ていないからだ。人は自分自身以外に、持てるものなど何もない、それ以外の全ては失われていくし、そもそも、手に入れるということすらできない。マンションだって、買ったとしても、自分の思惑通りに、壁を高くしたり低くしたり、形を変形したりできない。それどこから、こちらの思惑を外れて、勝手に傷ついたり腐ったりしていく。

本当に、自分がコントロールできるものとは、はたしてなんだろう、それだけが自分の持ち物だと言えるのではないだろうか。

自分自身がコントロールできないものに対して、それを好きになったり、入れ込んだり、欲しいと思ったり、そのために苦しむことになる。

みんな、何も手に入らない、不思議な世界、何一つ手に入らないようになっている、謎の世界。

「先生、ただいま帰りました」私は恥ずかしさに顔を赤らめながら師の前に出た。
「そうか、台所に何か食べるものがあるはずだ。見てこよう」スリ・ユクテスワは、私がふだんちょっと出かけてきたときと同じように、何気ない態度で私を迎えた。
「先生、私はここの仕事を中途で放り出して出て行ってしまいました。さぞお困りになったことでございましょう。私は、先生がきっとおこっておいでになるものと思っておりました」
「どうしてわたしがおこったりしよう。怒りは、自分の期待が裏切られたときに生ずるものだ。わたしはひとに何も求めてはいない。だからひとがどんな行動を取ろうと、 裏切られることもない。お前に対しても、わたしは自分のために利用しようと思ったことはない。お前の幸福が、そのままわたしの幸福だ」
「先生、私は今まで、“神の愛”というものを耳にしたことはありましたが、今初めて、先生の天使のようなご人格の中にその実例を見る思いでございます。世間では実の父親でも、息子が勝手に家をとび出せば容易には許しません。それなのに先生は、私が仕事をやりかけたまま出て行ってさぞお困りになったはずなのに、少しも腹立たしいようすをお見せになりません」
 互いに見つめ合う二人の目に涙が光った。そして、至福の波が私を包んだ。私は、先生の中に化身している神が、 私の中の小さな愛の炎を広大な宇宙的愛にまで拡大してくれるのを感じた。

人に何も求めてはいない。だから人がどんな行動を取ろうと、 裏切られることもない。そんなふうに生きれたら、どれだけ幸せだろう。自分だけではなく、他者すらも幸せにする。実際、こうして、ヨガナンダ先生とスリユクテスワ先生は目に涙を浮かべながら見つめ合った。

小生もできるなら、このような視線で彼女を見つめたいと思うが。やっぱり食事が関係している気がするね。昨日、ついおばあちゃんの家にマッサージに行った時、ケーキ二つと、チョコレートと、タコ煎餅10枚と、カステラ一個食べたから、どうもそれが悪さしている気がする。ふだん、善良な食事をしていると、こういうものを食べたとき、より悪さが働くようだ。だいたい、悪い食事をしたときは悪夢を見る。やっぱり食事か。

しかし、この欲求とどうやって付き合っていけばいいのだろう? 相変わらず、この欲求との付き合い方は難しいところがある。欲求を超えた欲求。やはりどんな場合であれ、欲求は苦しみにしかならない。それは自分の経験からもほとんど感じ取れてきている。食欲にしろ性欲にしろ。食べ過ぎたらもっと食べたくなるしで、それでもっと食べたら今度は苦しくなってきてしまう。夏目漱石の草枕にも書いてあった言葉だ。

──喜びの深きとき憂いよいよ深く、楽しみの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片づけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖えれば寝る間も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支えている。背中には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽き足らぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……

夏目漱石『草枕』

私たちの頭の中は、いつも欲求だ。想念は欲求にほかならない。私たちの考えていること、頭の中に浮かび上がってくること、それは、一つひとつ、たった一つでも取り上げてみればわかるが、それは欲求だということがわかる。これが欲しいあれが欲しいあれが足りない。もっと欲しいもっと足りない。あれがダメだこれがダメだ。不安もあるかもしれないけれども、その不安だって欲望が叶わないところからきて気を揉んでいるだけだ。私たちの頭の中に浮かんでくるものはすべて欲求だ。だから私たちは頭からつま先まで欲望に支配されていて、てんてこまいである。これが地獄でなかったらなんだろう? かなっても地獄、かなわなくても地獄。常に頭の中が欲求という名の想念だらけで地獄。それらのうちの何一つ自分の手に入ることはできないという地獄。

そして、この欲望が勝手に火だけをつけておいて、手にしたところで、根本的な部分では何も解決してくれなかったことは、とても腹の立つ話だ。

もし、この、全身を通して浮かび上がってくる欲求が一つもなかったら、いったいどれだけ幸せだろう? 俺はどちらかというと、図書館の彼女より、こちらの方が欲しい。

無欲こそが最大の幸福だ。最大の自由だ。

その素晴らしさは、言葉では表現することができません。

アーナンダマイー・マーが言うくらいだからな。

欲望を終えることができる欲望

「すべての存在は苦痛に満ちている。彼らは苦痛のなかにいるから、快楽のなかに解放を探している。彼らが想像しうる幸福のすべてとは、繰り返される快楽の保証なのだ。苦痛からの一時的な解放を快楽と呼ぶ。幸福と呼ばれる終わりなき快楽を期待して私達は空中に城を築く」スリ・ユクテスワ

「睡眠中はだれも自分が男であるか女であるかを知らない」先生は言われた。「ちょうど、男が女に扮しても本身はあくまで男であるように、魂はこの世に生まれて男や女に扮するが、魂は依然として魂であって、男でもなければ女でもない。魂は、不変にして変幻自在な神の似すがたなのだ」
 スリ・ユクテスワは決して、男性の堕落の責任を女性に押し付けたり、また、そのために女性を避けたりするようなことはなかった。彼は、男性もまた女性にとって誘惑の因になることを指摘した。私はあるとき、昔のある偉大な聖者がなぜ女性を『地獄への門」と呼んだのか尋ねてみた。
「おそらくその聖者は、若いとき女のために幾たびも心の平和を乱された苦い経験をもっていたのだろう」先生の答えは辛らつだった「もしそうでなかったら、彼は女を責めるかわりに、自分自身の自制力の弱さを責めたはずだ」
 僧院に来た来客の中に、臆面もなくみだらな話を持ち出す者が居ると、先生は冷然と沈黙してしまった。「官能的誘惑の挑発に負けてはならない」先生は弟子たちに言い聞かせた「官能の奴隷になっている者には、人生の真の楽しみはわからない。そのふくいくたる香りは、彼らが泥沼の快楽に酔いしれている間に逃げて行ってしまう。色欲に溺れた者は、何事にも適切な判断力を失ってしまうものだ」
 迷妄がもたらす性の誘惑から抜け出そうと苦闘している弟子たちに、スリ・ユクテスワは根気よく思いやりのある助言を与えた。
「人間が空腹を訴えるのは、必要な食物の補給を促すためで、意地きたない食欲をあおるためではない。それと同様に、性的本能も、自然が種族保存のために植え付けたもので、あくなき性欲を駆り立てるためにあるのではない。
 誤った欲望は今すぐ捨てなさい。さもないと、その欲望はお前の幽体が肉体の殻を脱ぎ捨てたあとまでもお前について来る。たとえ肉体は弱くとも、心ではたえず抵抗していなくてはいけない。誘惑の強襲を受けたら、冷静な自己分析と不屈の意志をもってそれを克服しなさい。そうすればどんな欲情も必ず押えることができるものだ。
 自分のエネルギーは浪費せずにたくわえておきなさい。
 そして大洋のような大きな器となって、感覚の河川から流れ込むすべての刺激を静かにのみ込んでしまいなさい。感覚的刺激を次々と追い求めることは、心の平和を蝕むことになる。それは、水おけの底にあいた穴のように、たいせつな活力の水を漏らして唯物主義の砂漠の中に失わせてしまう。誤った欲望を駆り立てようとする執拗な衝動は、人間の幸福をおびやかす最大の敵だ。厳然たる自己制御の王者となって人生を歩みなさい。感覚の弱卒どもの弱音に耳を傾けてはならない」
 真剣に神を求める者は、ついにはあらゆる本能の強制から解放される。彼はすべてのものの内に唯一遍在の神を観る。そして、自分のあらゆる地上的愛情や欲望を、唯一の神に対する愛に昇華してしまうのである。

© 2026 しまるこブログ Powered by AFFINGER5