理学療法「独立開業・副業・仕事体験記」

独立した理学療法士の仕事の一風景「利用者さんが危篤になってしまった」

投稿日:2019-05-14 更新日:

「延命治療は国の借金を重ねるだけだからさっさと止めろと世論は言うが、目の前で家族が死の縁に立って選択を迫られたときに同じことを言えるものじゃないよ」とある患者さんが言っていた。

 出会い系の保育士の女の子が「わたし子供に好かれないような男の人は絶対にイヤです!」と言っていた。確かに若い子はいい人間になろうとしているが、一面的な善で、偽善だ。


 そんなのが集まって川でBBQをするが、肉を焼く人、コンロを用意する人、スピーカーで音楽を鳴らす人、それぞれが自分の役割を果たし、ゴミもしっかり持ち帰り、正しい人間が正しい遊びをしているという顔で肉を食うが、肉の匂いに誘われて浮浪者がうろついてきても見向きもしない。彼らはいい人間側の住人だと考えているが、それは彼らの足元に横たわった犠牲者を無視した独善的なものだ。

 男はBBQ中に暴漢が現れてそれをやっつける妄想をしながら肉を食べている。それぞれが夢想するキャラクターを演じている。例えばさっきまであったはずの集金用封筒がなくなったら、「この中に犯人なんているはずないよ!」と非論理的なことを叫びだす女がいて、「ヨッスーは買い出しに出掛けていたからアリバイがある」と言い出す名探偵キャラも登場し、「別によくね? 俺、こんなんで喧嘩すんのが一番きれーだわ」というクローズの読み過ぎキャラが有終の美を締める。ちなみにこういうときの犯人は大体名探偵キャラである。自分のアリバイより他人のアリバイを親切に言ってあげることで信頼を得て切り抜けようとする。彼らは一見仲良しに見えるが、自分が一番魅力的に映るためにいつも競争しているのだ。

 若者の優しさは自分のためにある。異性の気を惹くため、憧れの漫画のキャラクターになるため、この世には善人と悪人がいるという間違った基準、若さゆえの焦り、安い勧善懲悪の漫画を読み過ぎた結果に起因している。やはり漫画の読み過ぎが深刻だ。そのせいで悪人は根っからの悪だと思ってしまっている。悪人は自分を飛翔させる跳び箱としか思ってない。いつも痴漢野郎を見つけてボコボコにしたくて仕方がない。とにかく褒められたくて褒められたくて息を荒くしている。

 おばあちゃん達にそんな差別はない。みんないい人間に見えるのである。愛だけで生きているといっていい。朽ち果てた枯れ木となった今は何も欲しいものはなく、あとは静かに死んでいければいいと思っている。見栄も演じたいキャラクターもない。何かしてもらうことよりも与えたくて仕方がない。上記のBBQの例で言えば、集金袋がなくなって騒ぎになっても、(盗んだ人はお金がなくて困っているのかしら?)と、お金をあげたくていてもたってもいられなくなるのだ。

 我々はいつも何かをしてもらうことばかり考えて何も与えようとしない。それは子供が産まれても変わらない。自分の方が胃袋が大きいから仕方ないといった顔で回転寿司で一番多くの皿を取る。

 キイさんは83歳。変形性膝関節症により膝の軟骨がほとんどない。両膝に手を当てて背中を丸めてゆっくり1歩1歩歩く。甲状腺機能低下症により体温調整が出来ず毎晩滝のような汗をかいて着替えを2回する。膝を悪くした最大の原因は庭仕事で、1日に4時間もしゃがんだ状態で花の手入れを続けた結果だ。変形性膝関節症を患う人の多くが庭仕事のせいである。大好きだからいくらいってもやめない。キイさんは悲痛な顔を浮かべながら公園1つ分のお庭を毎日廻って水をくれている。

 人が良くて騙されやすく、薬をあちこちから10種類以上買って服薬している。営業に来た人から変な漢方を勧められると一つ返事で買ってしまう。ある日、デイサービスの冷房が効きすぎて寒かったらしく、少し肩を暖めるものを求めて隣のブティックに行き、5万円のカーディガンを買わされて戻ってきたことがある。
 俺が送迎でバンの横腹を大きく擦って半壊させたとき、「先生は悪くない! あそこは道が悪い、あれはしょうがないね! お金は会社が払ってくれるの? 自腹切らされることがあったら、私にいってください!」といってくれた。

 俺は基本的にマッサージは「出会い系のことを考える時間」と解釈していて、3年間デイサービスでマッサージをしたが、「お願いします」と利用者さんに頭を下げた次の瞬間には出会い系のことを考えていた。
 さゆりちゃんとまみちゃんに返す返事のパターンを13個考えるという、頭は非常に広範囲かつ多義に渡る高度な情報処理をしていたが、手はずっと同じところで止まっていた。つまり、1度もまともにマッサージをしたことがなかった。それにも関わらず、キイさんをはじめとする一部からは宗教的な人気を博していた。

 ある日、本気で出会い系に専念するために辞表を出すと、「どうにかなりませんか先生! 先生とお別れしたくありません! 先生の新しい職場は遠いのですか? 新しい職場を教えてください! 私達もそちらへ移ります!」とキイさん達に強く懇願された。
 本当に新しい職場についてきそうだったので、俺はキイさんを含む3人のおばあちゃん達のために個人開業することに決めた。週に1回、キイさん(83)のお宅へフネさん(88)と小世さん(81)を連れて行ってマッサージするのである。ちょうど開業して1年になる。

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「やっぱり先生にマッサージをしていただくのが一番です」
「私たちは先生に感謝しています」
「いつも先生にはこんな3人の老骨のために憩いの場を設けてもらって」
「先生ほどお若かったら土曜日は忙しいでしょうに」
「先生はお付き合いされてる女性はいらっしゃらないのですか? いや、いるに決まってますよね!」
「先生がデイサービスを辞められたときはどうなるかと思いました。もう会えないかと思ったけどこうして会えて本当によかった」
「先生にマッサージしてもらった後は本当に嘘のように体が軽くなるんです! 次の日の庭仕事もへっちゃらです!」

 こんな出会い系しかやらない男を一生懸命褒めそやしてくれる。お世辞を言ってるわけではない。本当に俺のいいところしか映ってないのである。おばあちゃん達の凄いところは人の良いところしか映らないところだ。キリストも人のいいところしか見ないようにしなさいと言ってたけど、とても俺にはできそうにない。そもそもあまり達成させようとも思ってない。人のいいところしか見れない人間になってしまったらどうなるんだ? 考えただけでも恐ろしい。

 俺は仕事を辞めてこれしか収入がないから貴重な収入源だった。でも、それ以上に毎週キイさん達に会えるのを楽しみにしていた。だけど恥ずかしかったから一度も感謝を口にしたことはなかった。この方達に貰った言葉のほんの切れ端分も口にしたことはなかった。親父とも、実のお婆ちゃんとも、何も伝えないまま死別してしまった。そして今同じことを繰り返そうとしている。

 いつも帰りに山のようなお菓子やお土産をくれた。採れたての野菜、缶詰、海苔、冷凍したニシン。いつもテーブルの上に様々なごちそうを用意してくれていて、食べ切れなかった分(ほとんど俺以外手をつけない)も全部貰い受けていた。車のトランクに入りきらないほどだった。

 老人3人と中年無職1人が集まって一体何の会話をしているのか気になるだろうか?
 基本的に俺はそんなに会話に参加しない。3人で3時間ほど尽きることなく話している。
「皆さんお金の管理はどうしてますか? 私はお金だけは最後まで自分で管理したいと思っているんですが」
「お金の管理だけは最後まで自分でやらなくちゃダメだね」
「毎週土曜日になると必ず次男が電話かけてくる。一緒に住んでる長男はそんな事しないから、やっぱり離れて暮らしている人の方が優しいね」
「うちの嫁が最後まで面倒みますよといってくれてね」
「私は多分施設に行くことになると思う。息子達には面倒見ないと言われているから」
「キイさんのお嫁さんは優しそうでいいね」
「施設に行くなら皆で同じところに入りたいね」
「でも3つも同時に空きがでるかしら?」
「ご飯がおいしいところにいきたいね」
「先生! この前息子に、お母さんにはいつまでも元気でいて欲しいからデイサービスに休まずに行くようにと言われたので、私、がんばって行こうと思います! 本当は先生のマッサージだけで十分なんですが(笑)」
「今は本当に豊かになりましたね。昔はサツマイモしか食べるものがなかった」
「今の夫婦は仲がいいですね。私達は一緒に出掛けるなんて恥ずかしくて、いつも離れて歩いてました。何をあんなに話すことがあるんでしょう? 私、主人の生前はほとんど話しませんでした」
「便利になったね。昔はお米を炊いてるだけで一日が終わった」
「先生! 私、今ではこんな老骨ですけど、女学校時代は槍を持って訓練していたんですよ!」
 こんなことを毎回話している。一字一句違わず毎回必ず同じことを話している。彼女達はデイサービスでも、電話でも、ほとんど毎日話しているのにも関わらず、楽しそうに同じ話をしている。ひとつわかったことは年寄りも若者と一緒で将来のことで頭を悩ませていることだ。人間は未来に対して永遠に悩み続ける生き物なんだろう。

「老人の優しさに比べて今の若い子は……」と、老害の虚言じみたことを、昔、実習先の先生が言っていた。ほんのポツリといった言葉だけど、俺はこれがすごく気になって確かめた。あの頃は、老人が優しく見えるのはボケているだけ。やることもストレスもないから余裕があるだけ。知性と一緒に悪意も消えてしまっただけ。優しさとは知性に他ならない。年寄りの優しさを最上に置いてはいけない、と思っていた。

 愛は技術か才能か。詩人のような顔をして愛の勉強をしてきたが、俺の調べによると、愛とは頑張って相手に尽くすものでもなく、優しいほんわかした気持ちを目一杯膨らまして微笑んでいることでもなく、気がつけばそこにあるものでもなく、自分を消して相手と同一化し相手すらも気づいていない相手の一番奥深くにあるものになってしまうことだと思う。

 しかし、老人の愛は全くそれとは異なる。そもそもの心の中を占める善悪の配分が違う。邪気がまるでない。若者たちのように誰かを打ち据えてまでも評価されたいと微塵にも思っていない。

 俺の、相手の心の一番奥深くを掴みたいという狙いも利己心からきたものだろう。見返りを求める気持ちからスタートしている。俺とキイさんでは明らかに違う。俺の考えるものとベクトルが違う。そもそも比べることが間違っているのか。いくら俺が瞑想しても敵わない。世界でキイさんを見て嫌いに思う人はまずいない。たったの一人もいない。俺のことを嫌いになる人は山ほどいるだろうが。

 欲も私心も何もなくなったとき、人ははじめて人を愛せるようになるのか。出会い系をやりながらこういう人と会っていると何が何だか分からなくなってくる。しかしおばあちゃんと結婚するわけにはいかない。

 もう言わなくてもわかると思うがキイさんの家は金持ちだった。非常に大きな邸宅で中規模の公園ほどの庭があり、その庭にキイさんが何十年も費やした花達が咲いていた。海外から種を仕入れるという手の込み様で、どれもこれも見たことのない珍しい見た目をしていた。キイさんほどの背丈の花もあった。いつも車で乗り入れると、キイさんが花々に囲まれながら出迎えてくれた。澄み切った心境が笑顔に表れていて後光が差しているように見えた。お嫁さんがピアノ教室を営んでいて、美しいピアノの旋律がマッサージ中に聴こえてきた。豪邸に花とピアノ。本当にこのような場所に出会い系野郎が足を踏み入れてもいいのか、俺はいつもガクガク震えていた。

 キイさんの愛は愛によってつくられた。キイさんが花に水をくれるように、キイさんも愛を注がれて育った。そしていっぱいになった溢れた分を周りに配って回る。それがキイさんの人生だった。家全体から光が溢れていた。家と家族の顔を見ればキイさんがどんなふうには生きてきたかわかった。お嫁さんに、施設には行かなくていい、私がずっと看ますと言われたことを、キイさんは嬉しそうに何度も話していた。

 人を憎んでばかりいると、誰からも愛されず面倒を見てもらえず施設に入れられ介護士からも雑に扱われる。そして自分の知能も低下させる。気性が荒く文句ばかりいっている老人ほど認知症になる。やはり最後は人徳がものをいう。

 つい1週間前、キイさんから、「少し具合が悪いのでマッサージをお休みさせていただきます」という電話があった。
 そして昨日、お嫁さんがお菓子を持って俺のところへ届けに来た。キイさんが次のマッサージの日の為に用意していたものだった。
 夜中に突然息が苦しくなり救急車を呼んだという。救急車で運ばれて意識があった頃、キイさんは側にいたお嫁さんに、「この姿を見られたくないから、お願いだから誰かがお見舞いに来るのを止めて欲しい」と言ったそうだ。そして今朝、突然意識がなくなってしまって、現在は集中治療室で人工呼吸器に繋がれているらしい。
 肺に水が溜まっていたことが原因だった。肺に水が溜まってるかどうかは検査でわかることだが、下手な病院に当たると見過ごされてしまうことがある。キイさんがかかっていた病院は悪評高く、周りから他の病院にしたほうがいいと散々いわれていて、その病院の看護師にすらここはやめておいた方がいいと言われていたのだが、キイさんは主治医の先生と長年の付き合いだからといって変えようとしなかった。

 今際の際でキイさんは何を考えているだろうか? いつも、もう悔いはない、楽にぽっくり逝けるなら逝きたいなんていってたけど、今、その時が来て本当に満足しているのか? 83歳。少し早いかなと本人も思っているだろう。年寄りはみんな早く死にたいという。今死んでも全く悔いはないとみんないう。この仕事をしていて、もっと長く生きていたいなんていう年寄りに会ったことは1度もない。
 今キイさんの魂がどこにあるかはわからないが、なんとなく俺が感じるのは、キイさんはもう少し生きたいと思ってるんじゃないかな、ということだ。あと2年か3年か。もう少し家族や友達やフネさんと小世さんと居たいんじゃないだろうか。あの日、一週間前、俺と電話した時に留守番電話のように軽く要件を話すだけになっていたから、ちゃんと一言、お別れを言いたがってるような気がする。たった一度だけ息を吹き返して、みんなにお別れをいいたがっている気がする。家族もちゃんとお別れをしたいと願っているが、それ以上に、ちゃんとお別れをさせてあげたいと願っていることだろう。

 老人は本当にお節介を焼きたがる。変にウロチョロされて転ばれたら溜まったもんじゃないから座ってて欲しいのだけど、そうはいかない。何度言ってもウロチョロするから家族もヘルパーもつい大きな声を出してしまう。
 足が痛いんだったら外まで見送りしてくれなくてもいいのに必ず見送りをする。せっかくマッサージをして足の痛みが良くなっても、ぶり返してしまう。
 家の中を少し歩くだけでも大変そうだった。トイレに行くのも台所に行くのも大変そうだった。俺が海苔が好きだと言ったら海苔を買い集めて用意しておいてくれて台所まで取りに行っていた。砂糖に漬けた夏みかんも作ってくれた。
 俺が1人マッサージを終える度に、さぁ先生座ってくださいと言ってお茶を入れ直してくれた。いつも誰かのためにバタバタしていたあの姿はもう見れないのか。

 キイさんの方ではこちらが見えているのか? 肉体の制限から解放されて、あちこち行ったり来たりしているだろうか。だとしたら膝が軽くなってびっくりしてるだろう。お嫁さんが家と病院を行き来したり、親戚中に電話したり、遠くにいる息子さんやお孫さんが慌てて駆けつけている様子も見えているだろうか。フネさんと小世さんが泣いている姿も見えているだろうか。だから、もういいかなと思っていたけど、一言だけお別れを言いたいと思ってるんでしょうキイさん。俺も言わなくちゃならない言葉がある。もう一度会いたいねキイさん。

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