異世界転生アニメを見ていて、怖くなることがある。
高校生だったり、いわゆるユーモア、ノリ、柔軟性がある、その転生先の世界に飛ばされても対応できそうな若者がいつも選ばれているからいいけど、これが、そこらを歩いているおばちゃんだったらどうなってしまうんだろうということだ。
俺の母親だったら無理だ。真面目で、固くて、常識に輪をかけたような、一般人が服を着て歩いているような人だ。異世界アニメどころか、アニメすらほとんど見たことがない、もう63歳だし、ハゲてきて、残った髪もほとんど白髪で占められており、多大なる家事を繰り返してきた結果、指はへバーデン結節によって変形している。あのころ、すべてのことから守ってくれた当時の面影はもうなく、今となっては、物陰から「ワッ!」とデカい声を出して驚かせただけで死んでしまいそうだ。
見たことのない種族、半獣人だか、ミノタウロス、ゴジーラとか、ペガサスとか、神話の化け物、電気もインターネットもない、およそ未だに井戸の水をたよりに生活している前時代のそれ、ドワーフの斧とか、転送式のダンジョン、そんな場面にでくわしたら、はたしてどうなってしまうだろうと思うのだ。
呪文のじの字もわからない、見たこともない壮大なファンタジー世界を前に、その場にしゃがみ込んでしまって、ただ怯えて、ちぢこまり、死よりもずっと苦痛な面持ちで、村にも入れず、その辺の草むらで隠れているだけの異世界生活になってしまうだろうと思うのだ。
アニメの主人公のお母さんは大体ノリがいいこともあって、ギャグのテイストで乗り切ってしまうけど、うちの母親は無理だ。
俺だったらやれる。俺はどちらかといえば、異世界アニメの主人公のような性格だからだ。むしろ転生したい。
元来、日本の文学ではレアリズムといふことを、ひどく狭義に解してゐないかと私は思ふ。いつたい、空想といふことを現実に対立させて考へるのは間違ひである。人間それ自らが現実である以上、現にその人間によつて生み出される空想が現実でない筈はない。空想といふものは実現しないから、空想が空想として我々愉しき喜劇役者の生活では牢固たる現実性をもつてゐるのではないか。坂口安吾
坂口安吾の言葉どおり、空想が現実と変わらないのであれば、今ここで、もしもの場合(?)に備えて、脳内シミュレーションをしておくことは、役に立つのではないかと思った。何に役に立つかはわからない。母が異世界転生したときに、あんがい無事にやっていけるという結果が得られたなら、少なくとも、俺の方は、今より楽な気持ちになると思ったからだ。
※
「伊藤 文絵(いとう ふみえ)、よくきました。」
「……」
「ここは全ての時代に通じていてどの時代にも属さない時空を越えた場所
──大審問界」
「……」
「ここは、どこなんですか?」
「……」
「ここは……どこなんですか?」
「……」
「ここは、死後の世界なんですか?」
「そうです」
「……」
「伊藤文絵。あなたはこれから新しい生命を授かり、新たな人生が始まろうとしています」
「……」
「生物は流転。永遠にその業の応報によって車輪が回り続けるように繰り返し生まれ変わる。不死なる根源が転生を繰り返すことで進化し神となる──」
「……」
「伊藤文絵。あなたの今世は悪くないものでした。多少、気が強く、油断すると口汚い罵詈雑言を発してしまうこともありましたが、全体的には心優しく、まじめで、全ての生き物に対する慈愛の念をもっていました。あなたが近所の野良猫にエサをあげているところや、必要以上に水を使わないように蛇口の水を節制して洗い物をするなど、私はこの場所からあなたの地上での様子を見ていました」
「……」
「子供は一時期万引きをしたり、すみやでゲームキューブを万引きしてブックオフに換金するといった非行に走ることはありましたが、今では神を敬愛する宗教心をもった中年に生まれ変わりました。あなたの子育てあってこそです」
「はぁ」
「伊藤文絵。あなたはこれから異世界に転生して、新しい人生を送ります」
「異世界……?」
「……」
「あの、私は死んだんでしょうか?」
「はい」
「そうですか……」
「あの、さっきまで、西友に自転車に乗って買い物に行こうとして、曲がり角をまがったところから記憶がないのですが」
「あなたは西友に買い物をしに行こうとして車に轢かれて死にました」
「……」
「……」
「ああ……、そうですか……そうですか」
「……」
「それで、子供は、子供たちはどうなったんでしょうか?」
「……」
「あ、いや、どうなる……と言った方がいいんでしょうか……?」
「地上の様子を水晶玉で見てみると、娘さんは現在病院で勤務していて、息子さんは現在プリズンブレイクの第4シーズンを見ています。二人とも、これからあなたが死んだことをしって深く嘆き悲しむでしょう」
「最後に一言だけ、メッセージを伝えたりすることはできませんか?」
「できません」
「……」
「これは運命だったのです。かえようはありません」
「そうですか」
「……」
「じゃあ……しょうがないですよね」
「……」
「それで、私はどうなるんでしょうか? 死んだんですよね?」
「はい」
「それで、今、話し合いがされてるってことですか?」
「そうです」
「……」
「あの、今、こうして話しているのは、これは、魂ってことですか?」
「あなたは死にました。それによって、いま新しい生命を得ようとしています。あなたはこれから異世界転生をして新しい人生を送ります」
「異世界転生?」
「あなたがこれまで住んでいた世界とはちょっと違います。中世の騎士道物語ふうといえば、わかりますか?」
「前の世界とは違うんですか?」
「はい。あなたはこれからカビ大陸のルイニ・ザムカ・ソーダファンタ地方に住むファルという名のハーフエルフの15歳の少女となって」
「15歳!?」
「……」
「0歳からじゃないんですか!?」
「今回、前世の徳によってイレギュラーなケースが発生する事態となりました」
「15歳?」
「基本的には記憶がリセットされるのですが、今回は例外として記憶を保ったまま生まれ変わることになります」
「え!? 死んだら、記憶がなくなって、生まれ変わるものじゃないんですか?」
「何かお困りですか?」
「ちょっと面倒くさくて」
「面倒くさい?」
「はい……それだったら、このまま死んでいたいっていうか」
「……」
「それはなしにすることはできませんか?」
「これは運命で決まっていることです」
「……」
「文絵さんには、特殊スキルとして『プラズマ放電』約120秒間電光をまとい周囲に雷属性ダメージを発生させる、ダメージは範囲化ライトニングの半分程度と控えめですが、長時間持続するため、雷弱点の相手や多数の敵と戦うさいに使っておくと有効なダメージを稼いでくれる能力が与えられることになっています」
「プラズマ……?」
「……」
「それは戦うんですか?」
「ティアマットやジン、ルフなどがかなりの頻度で登場している世紀になります。ナーガやヴリトラといったモンスターを輩出している点が地域の特色といえそうですが、同時に神々や妖精の種族やその村といったものも登場しています」
「モンスター? 私、運動の方は、ちょっと……」