食べ物に関する研究・美容・健康 仕事

車を見ていると、すべての車は、食のために車を走らせていることがわかる

こうして道路を走っている車を見ていると、すべての車が、およそ外食であれ、スーパーで食料を調達するであれ、食のために走っていることがわかる。

勝手にインスピレーションで感じることだが、もし食というものが、自分の畑の庭で採れたもの以外、口にしないというなら、ここまで道路に車があふれていないと思うのだ。

バイパスには、くら寿司、デニーズ、すき家、リンガーハット、ニトリ、CoCo壱カレー、マクドナルドが20m間隔で並んでいて、こっちはホームランを打った覚えもないのに、それぞれハイタッチするかのように大きく手を伸ばして待ち構えてくる。

今日はラーメンを食べたい人のために丸源! いや、やっぱりピザを食べたい人のためにジョリーパスタ! 僕は公認会計士! と、我先に行かんと左折していく。

そして、スーパーがある。

あるいは、農家からスーパーへ。あるいは、輸入してきた外国の食べ物をそれぞれの会社へ。自分で道路を走って食べ物を摂取しに行くこともあれば、たんに食べ物を移動させるために使われることもある。

もちろん、車は、それ以外の用事に使われることはある。職場に向かうため、遠く離れた家族に会いに行くため。脚立を買いにホームセンターに行くため。

まぁ、でも、やっぱり、基本的には、職場に向かうために使われることが多いかな?

なんだよ! じゃあ食のために車は走ってるわけじゃないじゃん! と、ここまで読んだ読者で、怒る人はいるかもしれない。

しかし、どうやら、その職場とやらが、食べ物と密接な関係があるようなのだ。

飲食とか、コンビニとかだったら、それは食のためにあるような職場だから、ここでは、ぜんぜん違う職種をあげるとして……。

俺はこれまで、印刷会社、フレッツ光の販売、まねきねこのアルバイト、パスタ屋のアルバイト、デイサービスで仕事をしてきたが、そのどれもが、食べ物と密接な関係があったことを肌で感じる。

印刷会社を見てみようか。

俺が働いていた印刷会社は、ほとんど需要がなくて、倒産しかかっていた。大日本印刷とかいう会社の下請けのさらに下請けの仕事しか受注できず、その仕事を、精一杯、ぜったいにミスをしないように、細心の注意をはらって仕事していた。

しかし、ぽくちんをはじめとする、できの悪い従業員が、パラ検という、封筒の口に糊がついているか、一枚いちまいパラパラめくってチェックする仕事があるのだが、もし一枚でも封筒に糊がついていなかったら、パカッと封筒がひらいてしまうので、個人情報がまるわかりということになってしまう。もし、糊がついていないまま送ってしまったら、大日本印刷には罰金として一億円を支払う誓約が交わされていた。

いつも、何回やっても、必ず誰かがパラ検に失敗した。かならず、最低一枚は、糊がついていない封筒が、どこかの家庭に送られてしまい、クレームとなった。本当にこれだけは気をつけてね、これをやっちゃうと、売り上げが全部パーになっちゃうからね、と、さんざん口を酸っぱくして言われて、ある日は工場長がやってきて、お願いだからそれだけはやめてねと言われたのに、必ず誰かがやってしまった。たった一人の不手際で、すべてが水疱に帰した。

おっと。話が逸れてしまった。

で、何が言いたいかというと、このような隙間産業、どうにか仕事にありつこうとして、大して、というか、ほとんどというか、いや、まったく必要がないのに、無理やりにでも仕事を作り出そうとするから、こういうことになるのだ。他の仕事も似たようなものだったよ。デイサービスもそうだった。まねきねこも、ぜんぶ、ね。

 

必要のなさと、必要性がうまく噛み合わなくなる?

まぁ、多分だけど、無理だね。もし、玄米菜食だったり、そういった食事のみをしていたら、今、我々がやっているような仕事を継続させることは不可能になる。

なぜかはわからない。そう感じるだけだ。

どうも、畑の庭で採れた、茄子とか胡瓜とか、サツマイモや玄米を食べながら、この手の仕事を継続させることは難しい気がする。もちろん、中には、現在、玄米菜食の一日一食をしながら、上のような印刷工場や、まねきねこで、仕事をしている人もいるだろう。しかし、これが10割、全員が、この食事をするとなると、たぶん、今やっている仕事はなくなってしまう。

ラーメンを食べる。寿司を食べる、その手の精神と、これらの仕事の精神は呼応し合う関係にあり、食事のハイカラ具合と、文化のハイカラ具合が同列になるという原則があって、

もう7割を超えたあたりで、ズレが生じる。

じっさい、噛み砕いて説明すると、こういう理屈になるわけだけど、理屈よりも先にインスピレーションがきた。まだ、インスピレーションがぽくちんに語ったことを、ぽくちんはここで詳細に述べることができていない。ただ、食べ物のためにこれだけおびただしい数の車が道路を走っているということは、疑いないことだろう。

およそ、こうした食事をしながら、いわゆるゲーミングPCとか、ゲーミングチェアとかに座ったり、

並列意識、というものがある。

バーガーキング、車、リンガーハット、丸源、AbemaTV 、ひろゆき、子持ちトレーナー、酒、6時間セックス、それに反応するファン、それらはすべて肉を起点とする横並びの文化である。

どの時代を見ても、食と文化は繋がっている。

一つなのだ。これは、他の仕事もそうだ。まねきねことか、ぜんぶ、ね。

とかく、何にせよ、お金を作り出さないことには、食べていかれない。そのため、こういう仕事が作り出されている。もし、食べていけるのなら、すぐにでもみんなやめてしまう仕事なのだ。

しかし、これだけおびただしい数となると、 仕事か、なるほど。そうか、みんな働くために職場に向かうために道路が必要なのか。しかし、その仕事とやらも、我々の生活の向上のためにあることは否定できないだろう。なぜかくも、朝も晩も、工場もコンビニも24時間稼働し、我々の生活は楽になっていないのか。文明は進化するというけれども、その恩恵を預かる日はいつになることやら。繰り返し繰り返し、上にあげようとして一つの石を絶えず転がしているようなものだ。

 

じっさい、それがパソコンだとか鉄アレイだとか、椅子とか、洗濯機とか、運んでいるものは違えども。

 

なぜなら食というものが基盤に起こる。その他はどれもが副次的にやってくるものだからだ。服屋。

プリズンブレイクを見ているとき、やたらとチョコレートやお菓子を食べたくなる。ハンバーガーなどの西洋料理を食べたあと、胃にぎゅうぎゅうに詰め込むように、スナック菓子とチョコレート、ポップコーンを食べながら、プリズンブレイクを見ている時は、最高に楽しい。

べつに、海外ドラマだから、食べ物も、西洋料理を食べなければということもないかもしれないが、いや、ありそうだ。

この、海外ドラマ=プリズンブレイク=ハンバーガー=洋風料理=ジャンクフード=お菓子=タブレット=スマホ=いわゆる今の多くの仕事=サービス業=ホテルの仕事とか=車=道路=出前館 ここは全部横並びの文化な気がする。いわゆる並列。

なかなか、玄米菜食しながら、プリズンブレイクは楽しめないからね(笑)

プリズンブレイクを楽しめなくなる代わりに、別のものが楽しめるようになってくる。例えばチャンドラーのロンググッドバイとかね。

「1930年(戦前)に発表されたアガサクリスティの推理小説、『牧師館の殺人』には食卓で「日本人があんなに頭がいいのは、生煮えの米を食べてるからだそうですよ」などといった、会話が交わされるシーンがあります。日本人は頭が良い、食べている物にも原因があるのだろうというのは、欧米では一般常識だったから、大衆小説にこういうシーンがあるのでしょう。アメリカが日本の食事を変えようとした原因は、こんな所からも推察できると思います。。。。
騙されたことに気づこう、日本!」

↑とある知り合いの書き込み

だから、楽しいとか、面白いとか、感覚とか、そういった諸々の手触りが変わってくる。

これらのものを食べているから、これらのものを触っているから、それに相応しいような仕事をするようになる?

不必要なものを食べることが、不必要な仕事をしていることと、横つながりの関係になっている。

サービス業?

 

そうか、サービス業。サービスか。サービスが悪いのか、と思った。サービスの仕事。

 

いわゆる、世の中の“サービス”というものが、欲を助長する役割しか成さない。ホテル、リゾート、デイサービス、カラオケ、スーパー

となると、やっぱり欲が悪いということになってくるのかな〜。

スーパーはサービスなのか?

いや、

スーパーや、病院、市役所はいいとして、その他の、車、印刷、カラオケ、TV、サービスというのは、本来必要なものの、上乗せをしている。

サービスが悪いのか。

サービス業。

サーカスみたいなもんだしな。

 

本来必要のないものに、サービス、上乗せしている。

サービスって何をしているんだろう。サービスってやっぱり欲を助長しているに過ぎない気がするな。

サービスしようとすると悪い?

サービスを、しようとすることが悪いということ?

 

昔はなかった仕事。昔はなかった仕事は全部、悪い?

 

馬。人力車。

 

風俗。

 

吉原。

たぶん、サービス業と言われている仕事が基本的に悪くて。ん? そのサービス業と、車と、道路が、連結している?

 

サービス業と、車と道路が連結しているから、悪い、といえそうだ。

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