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面白い漫画とつまらない漫画の違いについて

いぬまるだしという漫画は世界最強で、Amazon レビューを見ても分かる通り、読みさえすればその才能にひれ伏す他ない。

しかし知名度と言えば200人に1人知ってるかどうかかもしれない。

インフルエンサーとして何の力もない俺がいくら騒いだところで、山積みになっている本のいちばん低い本の裏側に積まれるだけだから、申し訳なく思ってしまう。

少し笑いのセンスがある人間だったら、このマンガこそが最強のギャグ漫画ということは疑いようもないけれど、そう簡単に手放しで褒められるもんでもないのが漫画という世界だ。

実力としてはワンピースと同じくらい評価されてもいいわけだが。

絵がダメなのだ。
絵が上手いとか下手とかではなく、画面から原稿が出る不思議な光というものがないのだ。
同じヘタでも稲中卓球部に関しては原稿から何か光のようなものが出ていた気がする。
ギャグに対する理解に関しては「いぬまるだしっ」の方がよっぽど上なのだが。
売れる売れないに関してはこの原稿の持つ魔力というものが大事になってくる。

鳥山明はワンピースやナルトを一目見ただけでこの漫画は売れるなと思ったらしい。
内容やストーリーどうこうではなく、絵を見てそう思ったらしい。
鳥山明の右腕だったマシリト編集長さんも、ジャンプをパラパラめくって、その中でピンと目に止まる漫画が優れた漫画の条件だと言っていた。

確かに今のジャンプはパラパラざっとみたところ本当にクソしかないと思う。
これがあの90年代に猛威を振るったあの神雑誌なのかと本気で疑ってしまう。
こんなのを読むのだったら壁に向いて静かに呼吸していた方がよほどマシで、
一人の人間が自分の全知全能をかけて面白い何かを発信して、それを受け手が受け取って楽しむというビジネスモデルなのかさっぱり分からなくなってしまう。

パラパラ見て終わりにしてしまったら申し訳ないかなと思って無理して読んでみると、やっぱりクソなのだ。
パラパラ見てクソな漫画は、しっかり見てもクソなのだ。

「いぬまるだしっ」もパラパラ見て胸にぐっとくるものは確かにあるけど、ワンピースほどではない。

マガジンをパラパラ見ていてもはじめの一歩だけが異彩を放っている。

この基準はよくわからないが、スクリーントーンやデジタル処理を多用したり、無機質な付加を加えると、精彩は落ちるように思われる。

「いぬまるだしっ」の時はなかなか異彩を放っていたが、その後の「トマトイプーのリコピン」は光の質が落ちているように思う。

特に今の若い漫画家さん達はデジタルで作画されて、どれもこれも冷たく見えてしまう。全部同じ絵柄に見えてしまう。
その人の持つ魂やパワーがそのまま原稿を通して伝わってくる漫画は少なくなってきていて、ワンピースぐらいだと思う。

俺の周りでもワンピースだけは毎週立ち読みするというクズは多い。

一コマに3時間も4時間も丁寧に描いていないからこういうことになるんだと思う。
おそらくバッと描いてバッと終わりにしてしまっているんだろう。
手際よく簡単に絵を描いているように見える。
そのせいか絵に動きがある。

この速筆感がどうしても大事で、頭の中にあるものを一瞬でバッとダイレクトに落とし混んでるような絵の書き方をしてるかしてないかで漫画のパワーが変わってくる。

丁寧に丁寧に作ろうとして死んでしまっている人が多い。

なんでもその道に長けている人は簡単そうに手際よくこなすものだ。

事実その人にとっては簡単で、全てを収束した感性が、ほんのひと捻り撫でるだけで、最後の形となって表れ、むしろそうした方が原稿は光るんだろう。

手塚治虫は大量に原稿を重ねたが、これも流れの中でぱっぱと量産したから原稿に光が宿ったのだろう。一つ一つじっくり描いていたらこうはならなかっただろう。

どこにも心を止めずに仕事をするということが大事なのだと思う。

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