コミュニケーション

部屋で一人でいる時の自分を異性に認めてもらいたいから苦しむ

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出会い系の女に会っても、いつも自分自身が出せないでいる。たとえうまくキスできたりラブホに連れ込むことができても、自分の薄い表面的な社交モードに徹し、徒労感でいっぱいになる。

本当の自分が受け入れられない。心が繋がらない。こと恋愛マニュアルを読んで出会い系に励んでいる人はこんな気持ちを抱くだろう。

「本当の自分をわかってもらえません」は昨今では親の敵のように狙い撃ちされて、言い終わる間もなく淘汰される発言だ。この問題を、「とにかく行動しろ!」という以外の方面から打診しようとするのは大変危険な行為ではあるが、俺はやってみようと思う。

誰しもが、本当の自分を貫くか、それとも人に合わせて生きるかという巨大な問題を抱えて心労している。

 

人間はやはり霊的な生き物だから、肉体ではなく霊的なところで繋がることができなければ長続きはしない。いくら俺が神の慈愛を借用して挑んだとしても、その女と霊的階級が5段か6段階くらい離れていることがしばしばなので、いつもうまくいかない。

 

この世は幻で、神の夢が具現化した世界なので、神と一体化して夢想することができれば、願ったことは必ず反映されるという。もし、自分が心の奥底から恋愛や結婚を求めるのであれば、可愛い女の子が突然降りたってくるものらしい。

今では誰もこんなことは信ぜず、行動科学論が全盛の時代だから、そんなことを考える暇があったら、ペアーズのアカウントを余計にもう一つ作って無料イイねを送る方が健全だと思うに違いない。

願えば本当に運命の相手が降ってくると俺は本気で思っている。心の奥底て結婚したいと思っていないから今は現れないのだと思っている。また、肝心な霊的修養が足りてないことも、もちろんある。

今の俺は月収6万円で、運命の相手が現れても却って困ってしまうから、そんな風に奥底で思っているために、その通りの願いが叶っているようにも思える。

 

だがしかし、願望のために願っているだけではダメだ、実現のためには行動を起こしなさいとヨガナンダ先生は言っているから、やはり行動しないとだめだろう。ペアーズをちょこちょこやりながら、しっかり祈り、俺の祈りが最高に満ちた時、運命の相手に出会うと思っている。

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(まさに孤高の詩人気取り……! 一人でワンルームで座ってるのが絵になってると思っている……!)

 

まあ、そんな馬鹿げたことを考えている訳だけど、

 

話が変わるようだが、今回一番言いたいことは、人間は一人でいる時が一番かっこよくて、賢くて、神聖な感じがして、無言がキマっていて、男して最上の空気を醸し出していることについてだ。一人で無言で皿を洗ったり、ちょっとした横顔だったり、自分の時間の中で呼吸が落ち着いて、その状態で親友に腹の底から産まれる珠玉の言霊を吐き出しているときは、これ以上世の中に魅力的な人間がいるはずがない、自分が世界一の男だ……! と思わずにはいられない。

この、部屋で一人でいるときの完全体のまま出会い系の女と会い、この完全な空気の中に相手を誘い込んで深く溶け込むことをみんな夢見ている。それが「気が合う」とか、「運命」とか、そんな風に呼ばれるものの正体のようだ。

世界にたった一人でいいからそんな存在(異性)がいてほしいと思っている。そんなドラマをいつも頭の中で描いていて、たまには目で見える形として確認したいから1500円払って映画館に行く。実際は、ストーリーの端役どころか、床に転がるポップコーンにしか過ぎなくとも、人生の主役という思い込みは消えず、42歳のバツ2のパチンコ店員のクソババアは俺にイイねを送ってくるし、俺も俺で19歳の医療系専門学校に通う女の子にイイねをしている。どんなに錆びついて老け込んでも、絶世の異性が自分を好きになってくれる可能性を捨てきれないのだ。これはやはり、部屋で一人で佇んているときの万能感が、自分は価値があると感覚を麻痺させているところが大きい気がする。

 

1人の世界の中で1人で完結しているあなたの美しい姿はあなたにしかわからないだろう。最も親しい友達や親がたまに見かけて褒めてくれるぐらいだろう。

しかし、その姿さえ他人にしっかり見届けてもらえれば全ての恋愛における病は解消すると思っている。

普通に見たら、ハゲてチビで仕事も出来なくて、どこに値打ちがあるかわからないような人でも、自分という人間に諦めきれないのが人間である。

1人でいる時、静かにしている時、何か自分には人間として値打ちがあるような、心の奥から幽玄微妙な光の粒子を感じることがある。ただどうしても、人と会っている時は自分の成分が薄れて、殺菌された牛乳のようになって、何の味もしなくなってしまう。

ただ会話を続けることに一生懸命で、沈黙を守れず、沈黙が怖いから話をする。そんな風に慌てふためいて腹で温まっていないことばかり話していると、俺はこんなはずじやないんだ、本当は、本当の俺は……、と苦しみ枯れる。

人は沈黙の中で安寧を約束されて、部屋で1人で壁を見つめているような気分で恋愛したいのだ。それが一番の関心ごとなのだ。愛。愛。愛を求めている。

漫画やドラマの恋愛は全てそんな感じだ。自分の最も優れた部分をアピールすることなく「自然に」相手に受け入れられるストーリーばかりだ。それだけみんな愛を求めている。みんなの言う愛というのは、自分の自然なかっこよさを魅力的な異性に焦がれるように見つめてもらうことを指している。

漫画の主人公はずるいと思っても見てしまう。それが理想だから。自然に思うがままに自分の道を歩いているだけなのに、いろんな人が熱い視線を送ってくれる。本当の自分のよさというものがどうしても相手に伝わらないから苦しいのだ。俺は出会い系をやっていてそんな風に思った。

 

さて……、突然過程を飛ばして解決の話になって申し訳ないが、「人は相手に合わせて生きるべきか、それとも自分の道を生きるか」という巨大な問題だが、俺の答えは相手に合わせる必要なんてない、だ。

霊的境地が進んで、心が澄んでいけば、その願望は叶うようになるだろうと思っている。宗教的な答えで申し訳ないが、今はそれが真実だと思っている。

心を綺麗にして、誰に対しても、その人の中に自分を見いだし、神を見いだし、尊敬と謙遜を忘れずに、そしてペアーズをやっていれば、時が満ちたときに神が与えてくれる。現在の全ては、自分の霊的境地の報いであり、現れでしかない。未熟な心が映し出した幻想の中で息しているだけなのである。

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