仕事 ドトール観察記

いい大人が会社に行かずにドトールで字の練習をする怖ろしい話

中村天風先生が言っていたけど、心の活用方法が正しくわかってくると、字も上手くなるらしい。

先生の著作の表紙にマルを書いたものがあるけど、ある高僧がたまたまこのマルを見て、すぐに弟子入りを申し込んだという。

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俺はその逸話を聞いてから、4ヶ月くらい毎日字を書いていた。1日にだいたい2時間から3時間ぐらい書いていた。週に1日しか仕事をしないので、時間はいくらでも捻出できるのだ。

 

初めは字の正しい形を確認するためにYouTubeや美文字ブログなどを見て、配列を学んでいったけど、今はそんなものを全く確認せず、ただ自分の心の中心に向かって、あるいは無というものに向かって書いている。

 

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ドトールで書いた。店内外に映る字を適当に記していっただけなので、意味は通らない。

 

いつもドトールで書いている。朝8時にやってきて、学習帳を開いて鉛筆を走らせている。いつも同じ時間に同じ格好でやってきて、アイスコーヒーのSを頼んで、爪楊枝を1本持っていき、毎回同じ席に座り、30代らしき働き盛りの男が学習帳を開いて字を書き綴る……! なんて怖ろしい光景だろうか! いつ急に発狂して店のガラスを叩き割るかわかったもんじゃない。一体何を書いてるんだろう? 何をそんなに毎日書くことがあるんだろう? サラリーマンはパソコンで文字を書くんじゃないの? 

一体この人は何なんだろう? 夜間の仕事? ニート? 無職でハローワークの給付金をもらって暮らしているのだろうか? それにしても、もう3ヶ月以上経つけど……。

今では自宅でパソコン1台で仕事ができる時代だが、まだまだドトールの店員さんは、コーヒーカップを洗ったり湯を注いだりすることしか換金の方法を知らないようだ。

 

字を書いていて思うのは確かに精神的な所業であるということだ。心がそのまま反映されている節がある。字は外形なものだけど、心の中、心の内側に意識を集中させていくことで形になる。心の一番奥底の部分には、波風が立たない泉のほとりのような平面だけがあり、その平面に浸かることだけを目標としている。

これは人生のあらゆることに通底するものだろう。

ボクシングやテニスが趣味だけど、いつもこんな心持ちでやっている。こうして文章を書くときもそうだし、人と話すときもそうだ。話をしていると、心が浮いて外面的なものに飛びつきそうになるけど、あくまで自分の心の内側の平面だけを目標として会話をしている(笑)。そのせいでよく無言になって他人を困らせてしまう。俺の奥深いところから出る言葉に、有難く耳を傾けてくれる人は数人だけだから、さっさとスタイルを変更した方がいいんだろうけど、とっくにハンドルは壊れてしまって、今のスタイルを続けている。

 

結局何が言いたいかというと、人生の全てのできごとを通じて心の奥深くの中心に向かっていかなければならないということだ。というより、それしかない。この世界にはそれだけしかない。一字一句書きながら、自分の心をいちいち見据える。一言話すたびに、一文書くたびに、心の奥から浮かび上がってくるものだけを形にするのだ。

偉そうには言っているけど、俺はまだ一番奥深くにある扉をこじ開けられずにいる。この字ひとつ取って見ても稚拙で、書道系YouTuberで切り盛りしている輩に比べて怖ろしいほど下手くそである。

 

ただ、確かなことは、学問スポーツ芸術全ては、心の深奥に迫る為に、世界を本当の意味で正しく理解するために用意された実験道具なのである。どれもこれも目的地は同じなのである。

 

あんまりこういう話は人気がないようで、友達に話しても嫌がられてしまう。だから誰にも話せないので仕方なくブログに綴るしかない。だがブログでもウケが悪く、職場の女の悪口を書いたり、「女は街行くサラリーマンのちんこを握りたいと思っている」とか、くだらない記事の方がウケる。

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