友達から返事が来ない。一ヶ月、既読になったまま返信が来ない。
?
こんなことは20年間付き合ってきて初めてのことだ。友達はいつもマメに返事をくれる。遅くとも2時間以内に返信をくれるのが常だ。
やっぱり仕事辞めたからか? 友達は仕事を辞めてニートになってしまった。半年前までとある病院で理学療法士を勤めていて、主任にまでなっていたのだが、辞めてしまった。
友達が退職したのは3月末。最後に電話したのが7月で、今は9月だから……、もう2ヶ月連絡を取っていない。まだ働いてないとすると半年以上ニートをやっていることになる。
「今週末キャッチボールしよう」
もう一通送って見た。一週間経った。今度は既読にもならなかった。どういうことだ? 既読になるなら生きていることはわかるが、既読にならないと、生きているのか死んでいるのかわからんくなってくる。
ニートの考えていることは分かる方だが、今回ばかりは分からん。だらだらし過ぎて、すべてが面倒になって、外部の情報を完全にシャットアウトしているのかもしれない。そういう時期かもしれない。
さらに一週間が経った。
「おーい、生きてる?」と送ったが、やはり既読にならなかった。
本当に、これはどういうことだ?
あいつは一度だけ俺に言ってくれたことがある。「もし本気で死にたくなったときは、死ぬ前に俺のところに電話して。それだけはお願い。頼むわ」と。俺はこれのせいで死ねないところがある。直前にあいつに電話するのが嫌なのだ。
まさか、そんなことを言い出してくれた張本人が、自分の場合は連絡しないなんてことがあるだろうか?
そういえば、とある事件を思い出した。
この友達は、何も言わずに他人との関係を白紙にすることがあった。過去に2、3回あった。10数年仲良くしていた仲間と口論になり、相手が話し合いの場を持とうとしても、一切取り合わず、相手からメッセージがこようが電話がこようが無視し、数年越しにその相手から電話がかかってきてもシカトする、ということがあった。「もう時効じゃん」と俺が諭しても、友達は聞き入れなかった。「相手だって、数年ぶりに電話するというのはどういう気持ちで電話してきてるのか分からないお前じゃないだろ? 話すだけ話しなよ」と言っても、友達は「そうなんだけどね」と言ったまま、いまだに無視し続けている。
まぁ、それはその相手がイカれていて、そいつはツッコミが強すぎる人間で、やたらと身体をガシガシ殴ってツッコミをする男で、その一発が痛いのなんの、力いっぱい殴ってくるのである。大袈裟に言っているのではない。本気で思い切り殴ってツッコミしてくるのである。本人に悪気はない。ある日、友人はそいつのツッコミにブチギレて、そいつの顔面を思い切り殴った。当たりどころが悪くて、眼窩複雑骨折になってしまい、救急車で運ばれてしまった。キチガイ同士が遊ぶと血を見ることになる。その事件以来、友達はそいつからLINEをきても無視し続けている。もう10年以上だ。殴って重傷を負わせた方が無視しているのは奇妙な話だが、まぁ、逆を言えば、それくらいのことがなければシカトをしないということだ。
ふと思い当たることがあるとすればこの件くらいだ。俺は気づかないところで友達の信頼を損ねてしまったのかもしれない。前回の電話で、何か悪いことを言ってしまったのかもしれない。
なんなんだ? あいつだぜ? 15歳の頃から20年来の親友だぜ? 青春のすべてを共にして、あれだけ毎週毎日、5時間も10時間も電話してきて、それで、何を不安がっているんだ? 俺が、あいつの気持ちがわからなくて不安になっている? 女じゃあるまいし、出会い系じゃあるまいし、何なんだこれは? 恋愛? いったいこれはなんだ?
喧嘩がないということもなかったけど、とても少ない方だ。配慮に欠けた言葉を口にしてしまって空気が重たくなる……くらいが最大なものだった。
岡本太郎は、「 いちばん燃え盛るのは、相手に裏切られていると感じる時だな」と言っていたが、その分に漏れずといったところか。お前は俺との関係が切れてしまっても平気なの? それでいいの? という気持ちでいっぱいになった。
女の運命の相手には出会えなかったが、男とは出会えたと思っている。これからもお互いにずっと独身だろうから、一緒に老人ホームに入ろうなどと言っていたし、 少なくとも、必ず訪れるであろう、これからどちらかが先に死ぬという現実を果たしてその時になって受け止められるかどうかという不安さえ今から心配に思ったり、今だって、俺が生きている理由の半分は、親友が生きているからである。
あいつのことがこんなにわからなくなるのは初めてだ。絶交されるようなそんなひどいこと言ったか? それなら俺だって自分でわかるはずだし、向こうだって、一言くらい言ってくれるはずだ。何も言わずに絶交って、そんなことあるはずがないだろう? でも、じゃあ、なぜ連絡が来ない? それがいちばんおかしいんだ。生きてるなら返事をするはずだ、生きてるなら。
クソ、本当に生きてるのか? たんに面倒くさがってるだけか? 半年もニートやってて溶けちまったのか? 全部どうでもよくなってるのか? そういう時期なのか? それならいいが。
しかし、そこまでダメになってしまったとして、俺はどうすればいいんだ? 俺があいつの立場だったらどうしてもらいたい? 押しかけに来てもらいたい、か? 俺だったらどんなに苦しくても痩せ我慢するし、とりあえず返信はする。あいつだって似たようなもんだ、俺と同じことをするはず。しかし、それすらできない状態も、あり得るか?
俺はまがりなりにも目標だけはある。世界最強の面白い発信者としてやっていくつもりだし、神を見出さなければならない。一生働かないつもりだ。金だってどうにかする手立ては見つけた。一生このままでもいいと思ってるニートと、あいつのニートでは違うかもしれない。あいつの場合はどうだ? 単純に、ばかばかしくなってしまった。すべてが切れてしまった。意識の下層でゴミみたいに堆く溜まっていたものが溢れ出して、バタンキュ〜って言って、ぶっ倒れてしまった。
俺とも電話で話したくないくらいなんだから、そうとう追い詰められてるとして。俺とだから話したくないのかもしれない? 今は俺という情報に少しでも触れるのが嫌だったりして? じゃあ俺が駆けつけたところで迷惑になるんじゃ? 駆けつけるか、恋愛みたいだな。だからさっきからずっと恋愛みたいなんだって。
そこで、俺は共通の友達のチビに、3年ぶりくらいに電話をかけた。
「〜というわけで、既読になったまま連絡つかないんだわ。いや、今はもう既読にもならない(笑)さすがにこれやべーんじゃないかって。あいつの身に何かあったんじゃないかって思うんだよね。ちょっと事件性も感じられるし、お前の方でも連絡とってくれない?」
「どんだけ好きなんだよ(笑)」
「(笑)」
「大好きじゃねーか(笑)」
「いや、死んでたら笑い事じゃないよ」
「大好きじゃねーか(笑)」
「死んでたら笑えないだろ(笑)」
「わかった。じゃあ連絡とってみるよ」
と言ってチビは電話を切ったが、3日経っても、チビから連絡がこなかった。
チビからも連絡がないってことはどういうことだ? 連絡が来ないから連絡を頼んだんだろーが。なんだ? あいつらの地域では既読無視が流行ってんのか? チビと友人の家は歩いて10分くらいのところにあり、ちなみに、友達が辞めてしまった病院に、チビは未だに勤めている。こいつらは幼稚園、小学校、中学、高校、大学、専門学校、一つ目の就職先、二つ目の就職先が全部一緒なのである。同じタイミングで一緒に就職して、一緒に勤め先を変えている。どっちが大好きなんだよって話だが。家も近いんだから様子見に行けるだろうに。
なぜチビからも連絡が来ない? 友達から、こうこう、こういう理由で俺を無視しているということを伝えられ、ああそうか、そりゃ酷いな、じゃあ俺も無視するよ、という流れになったとか? まさか、ね。
おそらく、友達と連絡が取れたら俺に連絡しようと思っているけど、いまだに繋がらないから連絡してこないのだろう。しかし、それならそれで繋がらないという連絡を俺によこせよ。どうしてこんなのが社会人やってられるんだ? 報連相もクソもねーじゃねーか。ニートの俺の方がよっぽどしっかりしている。
くそ、見かけ通り頼りにならねーチビだぜ。これじゃあ、拉致があかない。というわけで友達の家に直接訪ねることにした。俺は友達の家まで車で2時間かかるのだった。
友達は実家暮らしだ。家に行けばお母さんが出てくるだろう。20年来の付き合いだが、お母さんの姿を見たことはない。行く時間も考えなければならない。平日に行ったら、この人は一体何してる人だろうってお母さんに不審がられてしまうかもしれない。そうなると友達を出してくれないかもしれない。ちょうど週末にマッサージの仕事があり、実家に戻るから、そのついでに友達の家に寄ることにした。
※
友達の家に着いた。18時になってしまった。駐車場を見てみた。あいつの車がない。いつもの見慣れたアクアの姿はなかった。ひょっとしたら家にいないかもしれない。じゃあどこにいるんだ?(笑)
あの世? もし死んでたら車が撤去されていてもおかしくはない。あいつが死んだとしても、俺に連絡が来ない可能性は高いのだ。俺と友達は二人だけの関係で終始しているから、お母さんは俺の存在を知らない。お母さんが俺に連絡をくれなかったら、俺は友達が死んだことに一生気づかないままなのだ。友達が働いていた頃に死んだとしたら、同じ職場にいるチビが教えてくれるかもしれないが、そうでなかったら、俺もチビも気づかない。
しかし、新しい車にすると言ってたからな。確かに見慣れない新車があるが、これは新しく買った車か? しかしニートのくせに車を買い換えるか? お母さんかお父さんか弟くんの車かもしれない。友達のお母さんはでかい病院の看護師長をやっており、お父さんはまた別のでかい病院の院長をしている。二人とも大学の講師まで兼任している。とにかくステータスの高い一家で、大金持ちなのである。だからこいつがニートになるのは遅すぎるくらいなのだ。
一度だけ遊びに来たことがあるが、インターホンを鳴らすのは初めてだ。
ふと思った。ここで問題が発生する。お母さんが出てきたとして、俺が、「康平くん(友達)に会いに来ました」と言ったら、お母さんは次のように言うかもしれない。「あの、お友達だったら、携帯で会う約束するものじゃないですか?」うちの親だったら疑り深いからそう言うだろう。よくわからない中年の男が尋ねてきたら、「息子と直接やりとりしてください」と追い返すと思う。それが普通かもしれない。
いや、ここまできたんだ。家の前でうろうろしている方がよっぽど不審者だ。とりあえず押せ! えーい、ままよ!
『ピンポーン』
やっぱりお母さんが出てきた。サザエさんみたいな頭をしていた。主婦とはいえ、なぜわざわざサザエさんのような頭をするんだろう? かなり太っていて、ドラクエ11の主人公のお母さんに似ていた。おいしいハムエッグトーストを作りそうな見た目だった。予想していた外見とぜんぜん違った。20年来付き合ってきて、知らなかったことが明るみになっていく。同時に遠くなっていく感じもする。
「すいません、康平くんの友人のちんこと申しますが、ここしばらくずっと康平くんと連絡が取れないので、何かあったのかなと思って、心配になってお尋ねさせてもらったのですが」
「連絡が取れない?」
「はい」
「家に居ますけど」
「あ、そうですか」
(やっぱり家に居やがった……!)
「呼んできましょうか?」
「あ、すいません。お願いします」
お願いしますとは言ったものの、生存確認さえできればいい。もう用は済んだ。あいつは生きていた。もう18時だし、暗くなってきてキャッチボールもできない。友達と会う時はキャッチボールしかしないので、出てこられても何もすることはない。
それから10分ぐらい経ったが、友達は出てこなかった。なんでこんなに遅いんだ? 何をしているんだ? やっぱり誰にも会いたくないのかな? やっぱり俺に会いたくないのかもしれない。まぁ、生きてることはわかったから、今日は帰っていいかもしれない。LINEで一言メッセージだけ残して去ろう、と思っていたところに、キィ〜ッと扉が開いて、友達が出てきた。
「おー! どうしたぁ!」
友達は俺を見て大きな声で言った。
こっちのセリフだよ。
ボサボサの寝起き頭で、ヨレヨレのTシャツ。顔もパンパンに膨らんで、ケロイド状に爛れたような、一体どこの誰が、車で二時間飛ばして会いにきたくなるだろうか、と思う風貌だった。
「いやー、ずっと連絡なかったから」
「それで生存確認に来てくれたんだ」
「18時に寝起きか」
「(笑)」
毒がなかった。働いていた頃に比べると、お日様みたいにポカポカしていた。何もない、脳が入っていない人間に見えた。
俺は「飯でも食いにいくか」と言った。「うん? じゃあ着替えてくるよ」と言って、友達はまた玄関の戸を開けて戻っていった。
※
「普通にスマホ見てなかったわ」
「一ヶ月以上見てなかったとかありえる?」
「パソコンはずっと見てたけどね。ニートだとスマホ見ることなんてなくない?」
「んー、まぁ、どうかな? うーん、どうだろう」
「……」
「チビからもLINE来てると思うけど。あいつにもお願いしたんだよね。連絡とってくれないって」
「きてないよ」
「きてない?」
「うん」
「嘘でしょ? そんなことありえる? 生存確認のためにお願いしたんだよ!?」
「きてないよ」
なんなんだあのチビは? 本当にサラリーマンなのか? 俺と友達にしか見えない幽霊じゃないのか? 本当にこの世に実在することすら怪しかった。
「だって、命に関わることかもしれないし、『わかった、じゃあ連絡してみるよ』ってあいつ言ったんだよ? 『今すぐ緊急に連絡して』って言わなきゃダメだったの!? そこまでしなきゃ伝わらない!? 俺が悪いのかな??」
「いや、お前は普通だと思うけど」
「本当に、いつもどうやって仕事してんだよ……」
「ふ」と言って友達は笑った。
友達はやっぱりお日様みたいにポカポカしていた。助手席のシートに座って気持ちよく揺られていた。施設の高齢者のように窓の外をぼーっと眺めていた。
「喋るトーンがぜんぜん違うね。やっぱりニートになると喋るトーンもゆっくりになるのか」
「寝起きだからね」
「18時に寝てるって、面白い時間に寝てるね」
「そう?」
そう? じゃねーよ。
「いちばん睡眠と遠い時間な気がするけど。俺は人生で18時に寝たことなんてないわ」
「そう?」
だから、そう? じゃねーよ。
俺は運転しながら適当に話を広げた。「俺さぁ、思うんだけど。うちの姉ちゃん見ててさぁ、週末に誰かと遊びに行ったりしないんだよなぁ」
「うん」
「多分、友達いないんだよなぁ」
「うん」
「でもさぁ、わりと多くの人が、そんなもんじゃないかって思うんだよね。プライベートで遊んだり、長電話する友達が一人もいないなんてことは、普通にあり得ると思う」
「常識人だとしてもってことでしょ? 人として問題なくて、いい人みたいな人でも、めっちゃ仲のいい友達が一人もいない、あるいは、いなくなっちゃった、みたいなことでしょ?」
「寝起きのくせに頭の回転早いじゃん」
「誰だってわかるよ」
「そう。まぁ、働いてたら面倒くさいってのもあるだろうけどね。週末は一人でゆっくりしたいみたいなね。でもそんなふうにしているうちに、普通に話せる人は職場にいても、プライベートでがっつり話せる人はまったくいなくなるってことはありえると思う。職場で仲良くなっても、退職した後に続く関係ってなかなかない気がする。コミュ障とかそういうのじゃなくて。だって、俺がそうだもん。たまたまお前が一人いるだけで、お前がいなくなったら、そういう友達まったくいなくなっちゃうもん。おかしいんだよなぁ。けっこう話せる人には出会ったし、プライベートで遊んでた奴もいたんだけど。たまに会ったりする人は今もいるけど、年に一回会うとかはあっても、週末遊びに行くなんて友達は本当に難しいと思う。たぶん、これは、これから新しくできるものでもないだろうね。恋人作るより難しいと思うよ」
「可能か不可能っていうことでね」
「そうそう。作りたくても作れるもんじゃないし、はい、友達になりましょ〜って言って、なれるもんじゃないし。そういう関係になろうとする会やサークルがあっても、かえってギクシャクして、なれるもんでもないと思うし」
「うん」
「この先、お前より相性が良くて、思想や感性が近い人間に出会ったとしても、果たして仲良くなるかどうか」
「ふ」と言って友達は笑った。
「運がいいとか、そういうことを言いたいというよりも、怖いってことだよ。この時代がね。可能か不可能という観点から言って、不可能の要素がこれほど大きいことは怖いことだと思う」
「うん」
「いや〜、そういう人はどうしたらいいのかな〜って思ったね! 週末一人でゆっくりして、それでいいと思うんだけどさ、ふつうに電話で毎週5、6時間も話す友人なんているのかなぁと思ってね。みんないるのか、いないのか、それが気になっただけ。うちの姉ちゃん見てると、まったくそういう様子がないから」
「芸人とか、プライベートでも集まってワイワイやってそうだけどね」
「そうかもね。子供の頃は、仲のいい友達と遊ぶことがいちばん大事だったような気がするけど。でも、仕事中心になってくると、いろいろ変わってくるね」
「うん」
「ずっとニートしてきてわかったけど、これからはもっと友達と遊ぶ時代が来るだろうね。これからそんなに働かなくてよくなって、そんなに結婚しなくてよくなって、そうなってくると、もっと人と遊びたくなると思う。だから、これから地中海ギリシャの時代のように、あるいは小学校一年の頃のように、午前しか授業がなくて午後は遊んでいた頃のような暮らしになると思うんだけどね」
「かねぇ」
「案外、神がどうのこうのって言う連中はさ、ここにあるんだと思うんだよ。友人、知人、家族、恋人でさえ、どうしても詰められない間のようなものがあって、自分のいちばん根深いところに持っている思想や感情を共有できなかったりするもんで。その隙間に、神だけは入れるんだよなぁ。いつも見ててくれている、問答無用で、全存在をもって自分のそばにいてくれる、やっぱり内部にしろ外部にしろ、そういう存在が自分以外にいてほしいものでね。そうじゃないと、どこまでも一人になっちまうからなぁ。だから、ある意味、寂しがり屋が生んだ産物だ」
「……」
「信じる何かが欲しくて、それが自分自身ならいちばん良いけど、自分ひとりでは心許ない。自分がぐらついて崩れそうなときでも、闇に負けて落ちそうなときでも光に導いてくれる何か。そこはもう自分でも他人でもダメだね」
「……」
友人は神の話とかはあまり好きではないので、これくらいにすることにした。
「でも、まぁ、人はおせっかいなもんで、わりと多くの人が最悪な状態の人のところへ助けに行きたがってる気がしてね。Twitterとかで病みツイートしている人間を放って置けない人が多すぎる気がしない? そういう人に対して、これでもかと優しいメッセージが飛び交うけど、あれは、少し前の自分に対して、声をかけてるんだろうね。自分があのとき、そういう声をかけてもらいたかった言葉を」
「言っとくけど、俺べつに病んでたんじゃないよ」と言って友達は笑った。
「わかってるよ(笑)」
「それもあるかもしれないけど、大喜利みたいになってる気がするけどね。自分の方が上手な励ましの言葉をかけることができるって、競い合ってる気がするけど」
「それで喧嘩になるっていうね」
「本末転倒じゃん」と言って友達は笑った。
「ドトールでさ、いつもこんにちはって言ってくれる女の子の店員がさ、死にそうになってたら、駆けつけたいんだけど。駆けつけていい資格が与えられてねーからな」
「そうだね」
「それで、芸能人とか最近死んでるけど、駆けつけたいって思ってた人も、本人が思ってるよりずっとたくさんいたんだけど、やっぱり条件が揃わなかったからね」
「でも、揃うことないじゃん、その条件は」
「そうなんだけどね。でも、条件だけの問題でさ。本質的にはその人は孤独ではなかったということだよ。駆けつけたくても、よっぽど心が繋がってる相手でないと駆けつけることができないってのは、つまらない仕組みだね」
「でも、よくわからない奴に駆けつけられて嬉しい?」
「嫌だね」
「でしょ?」
「うん」
「そのドトールの店員の場合だと、駆けつけるよりも、『いつも美味しいコーヒー作ってくれてありがとうございます』って言った方がいいと思うけどね。太宰治の『葉』だっけ? 『死のうと思っていた。今年の正月、よそから着物一反もらった。お年玉としてである。〜、これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った』ってあるじゃん。ああいうことだと思うけどね。今のお前とそのドトールの店員との関係性の中でできることをやるのがいいと思うけど」
「今言えよってことか」
「やっぱりちょっと童貞の発想の気がするね。絶体絶命の状況の時だけ、力を奮い立たして突っ込んでいくってのは。童貞はそういうときになると張り切り出すような気がする。ふだん世間話できない分、いろんなものをすっ飛ばして、その分をチャラにするために利用しているような。そっちの方が簡単だし、ずるい気がする」
「いったいどの口が言ってんだよ(笑) 駆けつけてきてくれた友人に言う言葉かよ(笑)」
「別に俺はドトールの店員じゃないからね(笑)」
「なんなんだよこの会話は(笑) 駆けつけた奴と駆けつけられた奴の会話じゃなくて、評論家と評論家の会話じゃねーか(笑)」
「(笑)」
※
「ふだん何してるの?」
俺は友達に聞いてみた。
「映画見てる」
「毎日?」
「うん」
「一日中、映画見てるの?」
「うーん、そうかな」
「半年も見てたら、見る映画もなくならない?」
「ネットフリックスに無限にあるよ」
「まぁ、そうか」
「1日に3本くらい見てるわ」
「すげーな、俺はもう映画一本も見れねーわ。2時間ずっと見てられないもん。YouTube見すぎて10分くらいのコンテンツじゃないと、消化できない体になっちまったわ」
「俺は逆だね。YouTubeの場合は垂れ流しにしてるから、長いラジオしか聴かない」
「出会い系はやってんの?」
「やってないよ」
「そうか」
「女って夏になると機嫌悪くならない? たぶん汗がファンデーションと混じって毛穴に染み込んで気持ち悪くなるからだと思うんだけど。みんな重そうな、気分悪そうな顔してね?」
「あんな暑いのにブラジャーしなきゃダメしなぁ。ブラジャーの締め付けもアポクリン腺と相性が悪そうだしね。お前(男)はいいよな、Tシャツと短パンでっていつも言われてる気分になるところはあるわ」
「その苦労を俺が取り返さないといけないような、めちゃくちゃ会話を頑張らないといけないような気がしてね、苦しくなるんだよね。夜に会えよって話かもしんないけど」
「ニート生活は楽しい?」
「楽しいよ」
「それならいいけど」
「……」
「親は何も言わないの?」
「3ヶ月前に一度だけ、『まだ働かないの?』って聞かれて、『うん』って答えて、それだけ」
「それでいいんだ。それはすごいね、そんなお母さん、どこにもいないよ」
「かねぇ」
「お父さんは何も言わない?」
「母親が伝えてないから、俺がまだ働いてると思ってるよ」
「ふーん。一緒に住んでて気づかないんだ」
「うん」
「これからも働かないの?」
「働くとは思うけどね。家に4万だけ入れて、ほとんど金使わないから、金には困らないしね。やろうと思えばずっと続けられちゃうわ」
それだけ話すと、しばらく無言になった。俺は車の外に見える人々を見ながら言った。
「しかしあれだね、こうして久しぶりに、地元の街をふらついてると、そんな奴ばっかだね。スイッチが切れてる。切れてるんだけど、いい具合に切れてるね」
「お前んとこの地域は違うの?」
「まぁ、似たようなもんだけど。今はさぁ、バイトの時給も高くなってるから、どこで何して働いててもいいやみたいな、結婚もしなくていいやみたいな、別にどこで働いても対して変わんないから、そしてみんなあんまり金も使わないから、困ってる感じがない気がする。……。いい街だね。街を行き交う人々を見ていてもさ、不幸そうなのがいない気がするね」
「ふーん、そう? まあ、ウエルシアばっかできてるね。ウエルシアのこと言ってんの?」
「いや、まあ、全般的に。どことなく世間全体が前ほど危機感なくなってない? この空気にあてられて、お前みたいな感じでやり過ごせちゃいそうなところがある気がする。それに、がんばるってことが見直されてる気がする。そんなに、みんな、がんばらないようにしようっていう空気が強くなってきている気がする」
「ふーん」と言って、友達は窓の外を見た。
※
どっか行くかという流れになって、バッティングセンターに行くことになった。20時を過ぎていた。
地元の小さなバッティングセンターである。打席は10席くらい、客数も10人くらい。今時、まぁ、よくバッティングセンターなんて潰れずにやってるもんだなぁと思わせる老舗の店だった。20代前半くらいの男たちがほとんどを占めていて、一組だけ、女の子の二人組がいた。
大学生くらいだろうか。一人は異様に丈の短いベビー服のような白いタイトなTシャツを着ており、腹が完全に露出していた。露出が多い女はエロいと相場が決まっているものだが。もう一人はちびっ子で、腰まで届く長い黒髪に、全身黒のコーディネート。黒いTシャツに黒いパンツ。全身黒で統一しているのにオシャレに見えるのは、高い生地だからだろう。
こう書くとギャルっぽく思われるかもしれないが、二人とも品が良くて、クラスでやや明るめの女の子といったような、単に垢抜けている程度だった。夜遊びに慣れている感はあったが、ちゃんと学校に行って単位を取っている学生感があった。
「こいつらなんでバッティングやってんの?」
女の子たちを無視してゲームをやっている男たちに対し、友達が言った。
「こんなのナンパしてくださいって言ってるようなもんじゃん。見向きもしねーじゃん! 声かけなくてもチラ見したり、声かけるか悩むそぶりくらい見せるじゃん! 頭ん中にグローブ詰まってんじゃねーの?」
「ふーむ」
「失礼だと思うけどなぁ。あと10年若かったら声かけてるら?」
「まぁ」
そうか、やっぱり10年若かったからか。今の年(36歳)で声をかけることは難しいか。当たり前だよな。友達ですらそう思っているのだなと思った。
女の子達はバッティングをやっていた。背の高い腹を出している女の子は、極めて下手くそで、ボールにかすりもしなかったが、小さい黒づくめの方の女の子は、3球に一回は前に飛ばしていた。フォームからして経験者のように思われた。80kmの打席だったが。
「このまま帰ったら、ぜったい後悔するんだよなぁ」
俺はポツリと言った。
「マジで言ってる? 俺、顔も洗ってないし、歯も磨かないで来てるんだけど」
「だって、これぜったい後悔するパターンだもん」
「なんのために今日俺のところに来たんだよ」
と言って友達は笑った。
「ニートだし、ちょっとは全身の血が逆流するようなことやらないと。やっぱりこういう二択に迫られた時は危険な方にかけないと」
岡本太郎だったら、声をかけるんだろうか? それが疑問だった。
「もうずっと人と話してないし、スライムみたいに弱体化してんのわかってるら?」
と友達が言ったが俺は無視した。
女の子たちが打席から離れ、店内に置かれてあるゲーム機コーナーに移動すると、俺たちはコソコソと後ろをついてまわった。
「いやー、この感じが無理だわ。こうしている時間がいちばん恥ずかしいわ」
「確かに」
「ねぇ、やっぱりやめよう」と、何度も友達は制した。
しかし、その後も俺は諦めきれず、俺たちはコソコソとずっと彼女たちの後を付き纏い、10分ぐらいはバッティングもせずにウロウロして、機会を伺った。機会は8回くらいあったが、そのどれもが足がすくんで動けなかった。
「お前、いま俺のことまったく頭にないよね?」
と友達が笑いながら言った。
女の子たちが個室に入った。休憩用の自販機しか置かれていない個室だ。俺は「ここだ!」と思って、すかさず行った。
「お姉さん、バッティング上手いですね」
声をかけたのはいいが、何をどう話すか、全く考えていなかった
「あ、どうも、ありがとうございます〜!」
黒ずくめのバッティングが上手い女の子の方が対応してくれた。
「コナンの黒ずくめの男みたいですね」
と、自分でもわけのわからないことを言ってしまった。いちばん最初に浮かんだ投げやりな言葉をそのまま投げてしまった。後ろにただくっついているだけの友達が俺を見て、「はぁ?」と、歯を磨いていない臭い口で言った。
「あははは! そうですねぇ〜!」
と黒ずくめの女の子は返してくれた。
「野球やられてたんですか?」
「はい、まぁ〜」
「フォームがやっぱりしっかりしてますよ」
「ありがとうございます〜」
「二人は大学生ですか?」
「そうです〜」
「やっぱりこうして地元に戻ってきてバッティングってのはいいものですね」
「ハハ! はい〜!」
「……」
少し沈黙が訪れて、この沈黙を利用するように、「それでは、失礼します〜」と言って、黒ずくめの女の子は個室から出ようとした。
俺も、「はい、それでは〜」と言った。
背の高い腹が出ている女の子はけっきょく何も話さなかったが、ぺこりとお辞儀をして、黒ずくめの女の子の後をついていった。腹が出てるのに行儀はいいもんだ、と思った。
思想は実現する、か。俺はなんとなくこの一連を頭で思い浮かべていたような気がする。イメージ通りに事が運んだような気がしないでもない。
俺たちも、恥ずかしくて店内にいられなくなって、俺の車に乗り込むことにした。個室から出るとまた女の子たちに会った。俺たちは何事もなかったように通り過ぎた。彼女たちも表情ひとつ変えなかった。
車に乗り込むなり、友達はタバコに火をつけた。ナンパに限らず、物事に失敗した時に吸うタバコは美味しい。友達はいつもより美味そうにタバコを吸った。どちらがため息か煙かわからなかったが。
「生物として負けた感じだね」
と友達はポツリとこぼした。
生物。確かにこのボサボサ頭の口が臭い男と、さっきの女の子たちを見比べると、生物としてどちらが優れているかは一目瞭然な気がした。
俺は言った。「岡本太郎が言ってたけど、時代の中心は、いつも若い女が作り上げているって。彼女たちは責任というものがないから一番自由にものを見ていて、その審美感はバカにできないってさ。この、時代の中心にいる、あの子達に見向きもされないってのは、他の何を手にしたとしても、たかがしれている気がするね」
「まぁね〜。ホリエモンだろうと何だろうと、あいつらにモテないとね。EXILEだってもう無理じゃね? King Gnuならいけんのかな?」
「時代の中心に弾かれたような気がするね。ぴえんとか普通に面白いからね。タピオカはよくわからなかったけど、ぴえんは面白いよ。ぴえんとタピオカに弾かれた気がする」
「ぴえんはあいつらが作り出したの? あいつらが作り出したわけじゃないでしょ? いちばん最初は他の誰かが言って、あいつらはそれに食いついただけでしょ?」
友達は、彼女たちの功績ではないというふうに言った。
「でも、そこに食い付くセンスがいいじゃんってことだよ」
「でも、2番じゃないでしょ? 3、4、5って、5番目くらいに食いついてるっしょ? その5番手の絶対数が大きいだけで」
なんで俺たちはぴえんのことで喧嘩しているんだろう。
「年齢かぁ〜。10年前の俺より今の俺の方が、付き合ったとしても、いい男な気がするんだけどなぁ」
と俺は漏らしてしまった。
「ニート暮らしして、自己との対話に明け暮れてばかりしていると、ますます自己肯定感が増えていっちゃうからね。俺も今のお前の方がいいとは思うけど」
友達は笑いながら言った。フォローしてくれたことがかえって悲しくなった。
「10年前の俺だったら、今日お前のところに来なかったからね。でも、今日来るんじゃなかったわ」
「ナンパは勝手にお前がしたんだけどね。俺のために来たことも悪いことになってるんだ」
「でも、若い奴のコミュニケーションってくだらなくね? 動物の鳴き声で応酬しているようなもんじゃん。機嫌だってそのまま出すし。若いやつでこの辺のコントロールできる奴なんていなくね? この辺の妙がわかんないと、付き合いなんて始まらない気がするんだけど」
「まぁ、ね〜」
「最近はYouTubeだと、勝間和代さんと斉藤ひとりさんと外人のルームツアーしか見てないんだけどさ、二人とも、今俺が言ったことの大事さを何度も力説しているね。だから、そういう意味じゃ、今の俺の方が女を幸せにできる気がするんだけど、若い頃よりモテないっていうね」
「外人のルームツアーってなんだよ(笑)」
と言って友達は笑った。
「じゃあお前はさ、それができてる40代のババアと付き合いたいと思う? 」
「うーん、ちょっと」
「勝間和代と付き合いたいと思う?」
「ちょっと」
「でしょ?」
「うん」
「そういうことじゃん。あと、10年前のお前は、コナンの黒づくめの男なんて言わなかったと思うけどなぁ」
「俺は別に成功しなくてもいいんだけどさ、ここでやらないと、あとで後悔が残るのが気持ち悪いんだよ。寝る時、思い出しちゃうんだよね」
「損な性格だなぁ」
「損どころか、得したんだって」
「出てきたよ」
友達が先に気づいて言った。店からさっきナンパした二人組が出てきた。
こうして彼女達を車の中からまじまじと見ると、違うな、と思った。全てが違う。年齢、服、見た目、食ってるもの、宗教、性格、夢、アイデンティティ、信条としているもの、構成されているもの。そりゃ上手くいかないわけだ。接点が何一つない。そんなことは最初からわかっていたけど、自分でもよく特攻したものだなと思った。
「まぁ、いいオカズになるわ」
と友達が締めくくりの一言を言った瞬間、勢いよく、でかいBGMを鳴らしたjeepが飛び込んできた。そして、彼女たちの行く先を通せんぼするようにして、彼女たちの目と鼻の先に停車した。駐車場の配列を完全に無視していた。
ワイルド・スピード?
jeepから一人、アイシールドのヒルマのような、逆髪立った金髪頭の男が車から降りてきた。つま先がとんがった靴を履いて、腰に長いチェーンを巻いていた。金髪男は二人の女を前にして、大きな身振りで機関銃のように喋り立てた。位置的には俺たちが乗っている車から15mほどだったが、でかいBGMに邪魔されて何を話しているのかはわからなかった。女に喋るターンを与えず、延々と自分のターンを維持して話していることだけはわかった。
「何話してんのか気になるね」
と友達が言った。
「うん」
「あの腰のチェーンはたまに見るけど、アレはありなの? 6周くらい回ってるよね? もう回りすぎててよくわからないけど、あれは今もアリってことになってんの?」
「わかんない。人や場合によるんじゃない? 財布をなくさないようにしている子供みたいとか、木の枝に引っかかりそうで心配になるって意見を女の口から聞いた事があるけど、どうだろう? 俺らがつけてちゃ逆効果な気がするけど……この辺の地域だとアリなのかね? 東京とかだとどうだろう? 逆に良かったりすんのかな? たぶん女もわかっちゃいない感じだね。アリという空気で来られると受容するしかないって感じがするけど。今のところ、不利にはなってなさそうだけど」
「外人のルームツアーにはチェーンつけてんのいなかった?」
「いねーよバーカ(笑)」
jeepには4、5人くらいが乗っていた。小さな駐車場だったことも手伝って、ナイトゲーム用の大型ライトが駐車場を包んで照らしていたため、車内の連中の姿も確認できた。ナンパは金髪男の役割だといわんばかりに、車内に残された男たちはふんぞり返って座ってスマホをいじっていた。窓の外に一瞥もくれない。外の結果にはまるで興味がないというふうだった。
「何これ? なんで降りてこないの? さっきの店の中にいた男たちもそうだったけど、流行ってんの? 目もくれないのが」
友達は興奮しながら言った。
「失礼じゃね?」
「失礼だよ」
一人、クマさんタイプの大柄な人間が見えた。この手のグループには必ずクマさんタイプがいる。
自分はクマさんタイプだから、清潔感がなくてもいいということになっている。無言でデンと座って、「ジャニーズ系を好きになることは間違い」というオーラを出して座っていた。女の子たちと話す段になったら、自分は一見恐く見えるけど意外に優しいという面を、タイミングを間違えることなく出すチャンスを伺っているようだった。他には、キャップを被っている男がいたり、黒縁メガネをかけている男がいたり、少し地味の男だったり、信号機みたいにキャラ分けがはっきりされていた。全員で一人みたいだった。
「クマさんタイプだからってことで、それだけでウヤムヤにしようとしてね?」
と友達が言った。同じことを考えていたことに驚いた。友達もこれには不服そうだった。
「とりあえずデブはクマさんキャラになってれば、この人はクマさんだからってことで100点になることはないけど、65点くらいは維持できるってことになってね? あれずるくね? クマさんキャラにしとけば、ルックスとか全部、クマさんっぽさでうやむやになるよね。それでロイヤリティーみたいの出してるっていうか。ずるいと思うんだけど」
「ロイヤリティーか」
俺は友達の寝癖頭と磨いてない口元を見ながら言った。
友達は言った。「やっぱり作られたロイヤリティーだよね。既存のロイヤリティーに乗っかってる。わかりやすさはあるけど、自分発祥じゃないね」
「まぁ、オリジナリティーはないね」
「ずるいっていうか、ダサいと思うけどね。クマさんっぽさで65点を狙いに行くところが。まぁ、デブがモテたかったら、それしか道がないんだろうけど」
「……」
「おいおいおいおいおい……!」
友達が叫んだ。友達は口をぱっくり開けて驚いていた。俺も驚いて口がぱっくり開いていた。
なんと、俺たちがクマさんタイプについて議論しているうちに、女の子二人は、車の中に乗り込んでしまった。女の子たちが乗り終えるや、jeepはそのままでかい音を鳴らしながら彼方へ消えていってしまった。
「本当にバカだね。何されても、文句言えねーじゃん」
小さくなっていくjeepを見つめながら友達は言った。
※
「子供の頃、お母さんに知らない人について行っちゃいけませんよって言われただろうに」
と友達が言った。
「そうだね。たぶん俺の予想では、さりげなくたまたま通りすがった感じに見せてるけど、本当は、先に誰か一人が店内であの子達を見かけていて、計画的な犯行だったんだと思うんだけど」
「変なの乗ってたらどうするつもりなんだろうね?」
「襲われるのといちばん遠い人種だと思ったのか。逆に安心感があったのかな?」
「俺たちの方が不審者のように見えるのかね。アプリ(マッチングアプリ)でも、安心感を植え付けようとして、遊んでいる風のみんな出すからねぇ。本当にバカだね。ノリというか即興というか、動物的なカンだけで生きてるね」
「そうかなぁ。俺は逆に思っちゃったけど」
「逆?」
友達は不思議そうに俺に尋ねた。俺は答えた。
「冒険感をそそられた感じだったね。日常からの乖離。全てを忘れさせてくれそうな、危険なところに行ってみたいっていう女のアバンチュールななんとかを、男達がお膳立てしたみたいな」
「それはわからないでもないけど」
「女は、ナンパされている時、自分がその男の立場だったら、自分をどう口説くか再変換しているところがあるよ。面接官だってそうでしょ。自分が応募者だったらこう答えるみたいな、自分がやる通りにやってくれたらOKを出すところがあるよ」
「あんな風に車に連れ込まれるのが、女が思い浮かべているものだったの?」
「PTOだろうね。夜のバッセンと、PTO的に波長がいいんだろうね。息つかせぬような、ロンブー淳みたいに捲し立てて。俺はあの子たちをナンパしたとき、『間』というか、空間の間合いのようなものが、ことごとく失敗したのを感じた。最初は、女もあんまり話したくないんだろうね。自分にターンをよこさないでって言ってた気がする。そういう意味じゃ、あの金髪男はやっぱり気配りもよくできていた。ワイルドスピードみたいな演出も考え抜かれてたような気がする。彼女たちをドキドキワクワクさせるために、すべての手を尽くした感があったね。あのどデカく鳴らしているBGMだって、本人たちは聴きたいのかもわからない。後ろでふんぞり返っているクマたちだって、内心じゃドキドキだっただろうし、プレミア感を出すために、我慢して座ってたんだと思う。なんというか、すべてにおいて繊細さを感じた。ぜんぶ彼女たちのために周到に用意されたシチュエーション。主導権は彼女たちの方にあったような気がする」
「プレミア感ってなんだよ(笑)後ろでふんぞり返ってスマホ見ているだけで何がプレミア感だよ(笑)プレミアムモルツみたいに言うな(笑)」
「これもナンパなんだろうね。そして会話なんだろうね。黙って車内でふんぞり返ってスマホを見ているのがコミュニケーションなんだ。でも、全員それだと始まらないから、一人だけ竹槍を持って突っ込まなければならない。何だか俺らのナンパよりも奥行きがあるね」
「奥行きねぇ。この件に関しては絶対に俺の方が正しいと思うぜ? マジでただのバカだと思う」
「多分、お前の方が100%正しいよ」
「つーか、年齢でしょ?」
「年齢だよ、年齢なんだけど、俺は今あいつらと同じ年齢だったとして語ってるんだよ」
俺は続けた。
「さっき言った、岡本太郎の若い女達の価値観をバカにしちゃいけないっていう、その価値観のために男達が合わせたって感じだね。俺、今度エバーフレッシュっていう観葉植物を育てようと思ってるんだけど、あれの育て方は面倒くさくて、エアコンの風を当てたりすると枯れちゃうらしいんだよ。室温なんかもうまく保たなければいけないし、 自分が好きなように育てるわけにはいかないんだね。ぜんぶ植物の後手後手、赤ん坊に振り回される大人のように植物のために働きかけなければならない。男たちが主導権を握って、男性性で押し通したように見えるけども、結局は女たちが動かしているように見えるんだよなぁ。ちなみに婚活アドバイザーが言うには、植物を枯らす男とは結婚してはいけないらしい」
「ふーん、俺にはちんことまんこがくっついただけにしか見えないけど」
「そうかもね」
「そんだけ分析する人間が、コナンの黒づくめの男だからなぁ。何も信用できねーわ」
「(笑)」
「そうかぁ〜。あんなギャルっぽくない普通そうな女の子が、車に乗り込んでいっちゃうんだ。カルチャーショックだわ」
世の中のことがまたわからなくなってしまったというように、友達は車のシートに大きくもたれかかり、両手を頭の後ろに組んで言った。それから、友達は天井に目をやりながら言った。
「お前の方がちゃんと礼儀正しく声をかけたのにね。だって車の中にいる奴の顔すらろくに見てないんだぜ? 挨拶すら交わしてないんだぜ?」
「あれがナンパにおける礼儀ってことだね」
「何それ? つまりお前は透明人間に負けたってことじゃん。お前、存在しない人間に負けたってことじゃん。礼儀って。ワイルドスピードみたいに通せんぼしてるんだぜ? どんな礼儀だよ(笑)なんなら中の4人は車から降りもしないんだぜ? スマホいじってふんぞり返って会話すらしないんだぜ? 透明人間じゃん! お前はいったい何に負けたの? 透明人間に負けてんじゃん! 存在しない人間に負けてんじゃん!」
「うるせーよ(笑)お前も一緒に負けてんだよ(笑)」
「(笑)」
「めっちゃ喋るな。さっき会ったばかりの頃と比べて、めっちゃ話すじゃん(笑)」
「(笑)」
※
「今日は来てくれてありがとうね」
「うん」
友達を家に届けた。帰り道、友達はずっとこの件について喋っていた。あの後どこに行ったんだろう? 今から行くところってどこだろう? と、興奮しながらずっと話していた。まるで友達の心も、jeepに連れ去られてしまったようだった。