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jeep、闇夜に消ゆ

友達が一年以上ニートをしている。とある病院の理学療法士を勤めていたが辞めてしまった。

友達は現在36歳だ。10年間同じ病院で働き続けて主任にまでなった。高校時代から彼のことを知っている俺としては、むしろよくここまでもったものだなと思う。

友達はふだんは大人しい人間なのだが、激情家な一面もあり、カラオケで酔っ払いに尻を撫でられたときにはその男を半殺しにしたこともあるし、バイク事故で入院し、病院のベッドで「いてぇ……いてぇ……」と呟いていると、診察に来た医者に、「本当に痛いってことがどういうことかわかって言ってるのか?」と言われ、「テメーだって本当に痛いことしらねーだろ!」と怒鳴り散らしたこともある。トイレに行くのを面倒くさがってペットボトルにおしっこを溜め込んだり、ペヤングの容器にうんこをしたり、高校時代は人気コミックやゲームキューブを万引きすると、それをブックオフに売って換金して、スーパーで買い物カゴいっぱいにカニを買って食べたりしていた。

友達とは月に二回くらいの割合で電話をしていたが、もうかれこれ半年以上電話をしていない。一回電話をすると5〜10時間くらい話した。日をまたぎ、深夜2時になることもあり、それが月曜日だったりすると、「もうジャンプ出てるかもしれない」と言って急に電話を切られ、ジャンプを立ち読みするためにコンビニに行ってしまうところもあった。

なぜ電話をしなくなったのだろう? 俺もわからなければ、向こうもわからないだろう。出会う人には出会い、用が済めば、別れも必然なのだろうか。これまでは自然の力に任せきっていたが、これからは人工的な力でないと存続できなくなっている気がした。こんなふうにヤキモキしながら、まあいいか、そのうち……なんて言っているうちに終わっていってしまうものなのか。それが36歳の友情というものか。単純に怠慢なのか。まだ間に合うと思う、でもそんなに無理をする必要もないような気もする。

……なんなんだ? あいつだぜ? 15歳の頃から20年来ずっと一緒だった、青春のすべてを共にした、あれだけ毎日、5時間も10時間も電話して、それで何を不安がってるんだ? あいつの気持ちがわからなくて不安になっているのか……? 女じゃあるまいし、出会い系じゃあるまいし、何なんだこれは……? 恋愛? いったいこれはなんだ? あいつはどう思っているんだ? 俺のことを考えたりするんだろうか? ニートになって考える時間はたっぷりあるはずだ、あれだけ電話していた相手と半年以上何もないんだ、向こうだっておかしいと思っているはずだ。この半年、一度も俺のことを思い浮かばなかったことなんてあるか? あるはずがない、この感情は執着か、執着だとしたら間違っているのか? たとえ感性も頭脳も違ってきて、同じものを見て笑えなくなってきたとしても、それでも一緒にいたいと思えるかどうかが大事なんだろうか? このセリフを言っていたのはグラビアアイドルのMEGUMIだ。MEGUMIはそんなこと言ってても離婚したんだっけか。

一体あいつは何を考えてるんだ? ニートの考えていることはわからん。なんだかんだいって繊細な野郎だからな、どこかで線がプチっと切れて、全部どうでもよくなって、すべてを放り投げてしまいそうな男だとは思っていた。そういう時期なのかもしれない。モラトリアムってやつか、遅すぎるモラトリアムだな。それならいいが、俺があいつの立場だったらどうしてもらいたいだろう? 押しかけに来てもらいたいか? わからない、俺とも電話で話そうとしないくらいなんだから放っておいてほしいのかな? じゃあ俺が駆けつけたところで迷惑になるんじゃ? 駆けつけるか、恋愛みたいだな。だからさっきからずっと恋愛みたいなんだって。

動くか、動かないか、それが問題だ。女の運命の相手には出会えなかったが、男とは出会えたと思っている。これからもお互いにずっと独身だろうから、一緒に老人ホームに入ろうと約束したし、 少なくとも、必ず訪れるであろうこれからどちらかが先に死ぬという現実を今から心配したり、今だって、俺が生きている理由の半分はあいつが生きているからだ。よし……と俺は意を決すると、

「今度キャッチボールしない?」

と友達にLINEを送ってみた。

基本的に、俺は彼と遊ぶときはキャッチボールしかしない。夕方頃に彼の家に行き、彼を車に乗せると、近所の公園に行って2時間ぐらいキャッチボールをする。そして夜の部に向けて、一度それぞれ家に帰る。シャワーで汗を流し、夕飯を食べた後、再び今度は19時ごろに海岸で集合する。そこで夜の浜辺の風を浴びながら上半身裸になってマラソンをする。これがお決まりのコースで二部制になっている。人にこの話をすると大変驚かれる。

友達から返事はなかった。既読にもならなかった。二週間待ってみたが既読にもならなかった。友達は返信は早い方で、遅くとも一時間以内には返事をくれるのが常だ。俺は友達が死んでいる可能性を真剣に検討し始めた。このとき40%くらいは本当に死んでいるのかもしれないと思った。俺と友達は二人だけの関係で終始しているから、彼が死んだときに俺に連絡をよこしてくれる人はおらず、俺は友達が死んでも気づけないのだ。友達のお母さんも俺の存在をしらない。

しょうがないと思って、友達の家に直接訪ねることにした。車で30分ほどだ、すぐに行ける。いつもキャッチボールをする時、彼の家まで迎えに行っていたが、家の中まであがった事はない。インターホンを鳴らせばお母さんが出てくるだろうから、行く時間も考えなければならない。20年の付き合いだが、お母さんの姿を見たことはない。平日の昼間に行ったら、この人はいったい何をしている人だろうと不審がられて、友達を出してくれないかもしれない。 俺の親だったら間違いなくそうする。うちの母親はとても疑い深く、「友達だと言うのなら、LINEか何かで直接連絡を取り合ってください!」と言って追い払うだろう。

土曜日の18時、友達の家に着いた。相変わらずの豪邸だった。国道から山麓に至るための勾配のある坂に位置しているが、土地は広大で大きな庭がある。この辺りの地域は、友達の家だけでなく他の家もこぞってでかい。山の湧き水を利用したコーヒー店やそば屋などもあり、もう少し上に行くと、旅館や林間学校やゴルフコースや乗馬体験できる牧場もある。近所一帯は地主ばかりで、不動産収入などで働かなくてもお金が入ってくるらしく、年中海外旅行ばかりしているらしい。いつかアメリカナイズの一風変わった陽気なセレブリティなおっさんが外を歩いていて、友達に話しかけていたのを見たことがある。友達の両親の職業は伏せておくが、まぁ、つまり、友達は金持ちということだ。友達がニートになるのは遅すぎるくらいなのだ。

駐車場に友達の車はなかった。とすると家にいないかもしれないと思った。じゃあいったいどこにいるんだってことになるが……。やっぱり死んだのか。死んだとしても車を撤去するものだろうか? しかし見慣れない新車があった。プリウスだった。半年前に友達と電話したとき、いま乗っているアクアが限界だから新しく買い替えるとか話していたから、友達の車かもしれない。ニートのくせにグレードアップしている。両親か弟くんの車かもしれないが。

インターホンを鳴らすのは初めてだった。鬼が出るか蛇が出るか。俺は急に臆病風に吹かれて帰りたくなった。いや、ここまできたんだ、家の前でうろうろしている方がよっぽど不審者だ、えーい、ままよ! と思って押した。すると、やっぱりお母さんが出てきた。お母さんはサザエさんみたいな頭をしていた。主婦とはいえ、なぜわざわざサザエさんのような頭をするんだろうと思った。金持ちのお母さんの髪型には見えなかった。全体的にふっくらしていて、イシの村に住んでいるドラクエ11の主人公の母に似ていた。おいしいコーンスープを作りそうな見た目だった。

 

「すいません、康平くんの友人の○○と申しますが、しばらく康平くんと連絡が取れないので、何かあったのかなと思って、心配になって尋ねさせてもらったのですが」

「連絡が取れない?」

「はい」

「家にいますけど」

「あ、そうですか」

(やっぱり家にいやがった……!)

「呼んできましょうか?」

「すいません。お願いします」

やっぱり家にいるじゃねーか。しかし、疑り深いお母さんじゃなくてホッとした。これが泥棒だったとしたらどうするんだろう。金持ちはあんがい不用心だと思った。

俺はしばらくその場に残された。10分以上経っても友達は出てこなかった。いったい何をしているんだろうと思った。やっぱり俺に会いたくない理由があるのだろうか? もう18時なので暗くてキャッチボールもできないし、出てこられてもすることがないから帰ってしまおうかと思った。さらに10分ほど経ったが友達は出てこなかった。本当に何をしているんだろうと思った。しかし生存確認できたことに俺は安堵し、LINEで一言メッセージだけ残して去ろうと思い、スマホに触ろうとした瞬間、玄関の扉が開いて友達が出てきた。

「おー! どうしたぁ!」

俺の姿を見ると、友達はとても驚いた様子で言った。友達のこれほど驚いている様子を見ることはあまりなかった。

ちりめんじゃこのようなボサボサの寝起き頭で、くたびれたヨレヨレのTシャツ、顔もバケツいっぱい分の塩を昨晩寝る間に飲んだかのようにパンパンに膨らませていて、皮膚もケロイド状に爛れたような溶けたナメクジのような風貌を思わせた。一体どこの誰が生存確認のために車を飛ばしてやってくるだろうと思う見た目だった。そして人を20分以上待たせておいて、どうしてこの格好なんだろうと思った。

「いや、LINEしても返信がなかったから」と俺は言った。

「生存確認に来てくれたんだ」と友達が言った。

「今起きたの?」と俺は聞いた。

「うん」

「飯でも食いにいくか」と俺は言った。「じゃあ着替えてくるよ」と言って、友達はまた家の中に戻っていった。

「LINE繋がらなかったけど、どうしたの?」

「普通にスマホ見てなかったわ」

「一ヶ月以上まったくスマホ見てなかったとかありえる?」

「うーん。ニートやってたらそうならない?」

「さすがに数回くらい見るだろ」

「そう?」

そう? じゃねーよ。

俺は運転しながらチラリと友達の横顔を見た。友達はお日様みたいな顔をしていた。仕事のすべてを俺に任せて助手席にもたれかかっていて、運転の仕方を忘れてしまっているように見えた。もし今事故に遭って、代わりに友達が運転しなければならなくなったら無理のように思われた。

「喋るトーンがぜんぜん違うね。やっぱりニートになると喋るトーンもゆっくりになるのか」

「寝起きだからね」

「18時に寝てるって、すごい時間に寝てるね」

「そう?」

だから、そう? じゃねーよ。

「18時っていちばん不思議な時間に寝てるね。俺は人生で18時に寝たことなんてないわ」

「そう?」

「インターホン鳴らしてからしばらく出てこなかったのは何してたの? てっきり準備してるのかと思ったけど」

「母親から、友達が来てるよって声かけられた気がしたんだけど、気のせいかなと思って、もう一度寝たの。でも、やっぱり声かけられたかと思って、もう一度起きたの」と、友達は施設の高齢者のように窓の外をぼーっと眺めながら言った。

「ふだん何してるの?」と俺は友達に聞いた。

「映画見てる」

「一日中、映画見てるの?」

「たぶん」と友達は答えた。

「半年も見てたら、見る映画もなくならない?」

「ネットフリックスに無限にあるよ」

「まぁ、そうか」

「一日に3本くらい見てるわ」と友達は言った。

「すげーな、俺は一本も見れねーわ。2時間ずっと見てられないもん。YouTube見すぎて10分くらいのコンテンツじゃないと消化できない体になっちまったわ」と俺は驚いて言った。

「YouTubeで何見てんの?」と友達は俺に聞いた。

「俺は外人のルームツアーの動画見るだけだけど」と答えると、「何それ」と友達はギャハハハ! と大きな笑い声をあげた。

「出会い系はやってる?」と俺は友達に聞いた。

「やってないよ」と友達は言った。「夏って、あんまり出会い系やりたくならないんだよね。女って夏になると機嫌悪くならない?」と友達は言った。

「そうかな」と俺は答えた。

「たぶん汗がファンデーションに混じって毛穴に染み込んで自分で気持ち悪くなるからだと思うんだけど、見てる方も気持ち悪くなるわ」と友達は言った。

夢庵でそばを食べた後、バッティングセンターに行くことになった。

小さな老舗のバッティングセンターである。打席は10席くらい。申し訳程度にクレーンゲームやパンチングマシーン、モグラ叩きなどの昔ながらのゲーム機が併設されてある。

20代前半くらいの男たちがほとんどを占めていて、一組だけ女の子の二人組がいた。大学生だろうか? 一人は異様に丈の短い白いTシャツを着ており腹が露出していた。もう一人は150cmにも満たない小さな子で、腰まである長い黒髪に、黒いTシャツに黒いパンツ、全身黒のコーディネートをしていた。全身真っ黒なのにオシャレに見えるのは高い服だからだろう。こうやって書くとヤンキー女のような印象を抱くかもしれないが、二人とも品が良く、単に垢抜けている程度だった。夜遊びに慣れている感はあったが、やることはやって、ちゃんと学校に行って単位は取っている学生感があった。

女の子達は80kmレーンでバッティングをやっていた。腹を出している子は極めて下手くそで、ボールにかすりもしなかった。小さい黒づくめの子は二回に一回は前に飛ばしていた。フォームからして経験者のように思われた。

店内でこの子たちだけが浮いていた。客の男たちはバッティングをやったりゲーム機で遊んだりはしていたが、彼女たちのことが気になって、互いの会話が頭に入っていない様子だった。店員の男も黙ってレジで変な書き物をしていたけど、心と動作が一致していないように見えた。

「なんでこいつら声かけないんだろうね?」と友達が言った。

「うん」

「声、かけりゃあいいじゃんね。俺たちはもう36だから無理だけどさ、こいつらは声かけなきゃダメでしょ」

「まぁ」

「俺たちも、あと10年若かったら声かけてたら?」と友達が言った。

「この歳で声をかけるのは難しいかな?」と俺は聞き返した。

「ちょっと無理だろうね」と友達は言った。

「このまま帰ったら、ぜったい後悔するんだよなぁ」と俺はポツリと言った。

「マジで言ってる? 俺、顔も洗ってないし、歯も磨かないで来てるんだけど」

「だって、これぜったい後悔するパターンだもん。成功とか失敗とかはどうでもよくてさ、ここで声をかけないと後で引きずるような気がするんだよね。寝るとき絶対思い出すっていうか。あいつらだって、声かけられたら、ちょっとは嬉しくならないかな?」

「声をかけないことが最大の優しさだと思うけど」と友達は言った。「俺が一年以上ニートやってて、ナメクジみたいになってるのわかってるら?」

「まぁ」

「ナメクジと塩だわ。あんな刺激が強いものに触れたら溶けちゃうわ。腹出てるし」と友達は言った。

女の子たちが打席から離れ、ゲーム機コーナーに移動すると、俺たちも移動した。彼女たちは変な鍵盤が虹色に光るリズムゲームをやり出した。そのあとも他のゲームを物色していたが、注意が散漫でどれをやっても長続きせず、物見遊山が歩いているようだった。俺と友達はスロットマシンの椅子に座りながらそれを見ていた。

「いやー、この感じが無理だわ。こうしている時間がいちばん恥ずかしいわ」と友達が言った。

ナンパしているところを他の客たちに見られることが恥ずかしかったので、俺は彼女たちが人目につかない場所に移動したら声をかけようと思っていた。スナイパーみたいに気配を殺しながら彼女たちを追っている俺を見て、「お前、いま俺のことまったく頭にないよね?」と言って友達が笑った。「今日、俺のところに来た目的、完全に忘れてるでしょ」と言った。

女の子たちは移動して、自販機しか置かれていない個室に入っていった。(ここだ)と思って、すかさず俺も入っていった。

「お姉さん、バッティング上手いですね」

俺は手前にいた黒ずくめの女の子に話しかけた。

「あ、どうも、ありがとうございます」

「野球やられてたんですか?」

「はい、まぁ〜」

「フォームがしっかりしてましたよ」

「ありがとうございます〜」

「二人は大学生ですか?」

「そうです〜」

「やっぱりこうして地元に戻ってきてバッティングってのはいいもんですね」

「はい〜」

「コナンの黒ずくめの男みたいですね」と俺は言った。

「あはは、そうですねぇ〜」と黒ずくめの女の子は返した。

少し沈黙が訪れた。この沈黙を利用するように、「それでは失礼します〜」と言って、黒ずくめの女の子は個室から出ていった。腹が出ている女の子も、お辞儀をすると、黒ずくめの女の子の後を追うように出ていった。「腹が出てるのに行儀はいいもんだね」と、後ろに突っ立っていた友達が言った。

俺たちもこの場から立ち去ることにした。個室から出ると再び女の子たちに会った。彼女たちはこちらを見ようとしなかった。俺たちもできるだけ見ないようにした。視界に飛び込んでくる楽しそうなゲーム機たちをよそに俺たちはさっさと通り過ぎていった。バッティングもせず、ゲームもせず、何をしにきたのかわからない客だったが、やっと今になって、はっきりした足取りを見せていた。車に乗り込み、友達は助手席に座るとタバコに火をつけた。フワァ〜と白くのぼるそれは煙なのか溜息なのかわからなかった。

「生物として負けた感じだね」と友達は言った。

生物。確かにこのボサボサ頭の歯を磨いていない男と彼女たちを比べると、生物としてどちらが優れているかは一目瞭然だった。

俺は言った。「時代の中心はいつも若い女が作り上げている。あいつらには責任というものがないからね。日本でいちばん自由にものを見ているのはあいつらだ。そのもっとも優れた観察眼を持つあの子たちが、俺たちはいらないんだとさ。この、時代の中心にいる、あの子たちに見向きもされないってのは、他の何を手にできたとしても、たかがしれている気がするね」

「ぴえんとか普通に面白いからね。タピオカはよくわからなかったけど、ぴえんは普通に面白いと思った」と友達は言った。

「ぴえんは面白いね」と俺は言った。

「でもさぁ、ぴえんはあいつらが作り出したの? あいつらが作り出したわけじゃないでしょ? いちばん最初は他の誰かが作って、その後にあいつらは食いついただけでしょ?」と、友達は彼女たちの功績ではないというふうに言った。

「でも、そこに食いついたのはあいつらのセンスじゃん」と俺は答えた。

「2番でもないでしょ? 3、4、5って、5番目くらいに食いついてるっしょ? その5番目の絶対数が大きいだけで」

「そんな後ろでもないでしょ、3番目くらいじゃない?」と俺は言った。

「いや、5番くらいだと思う」と友達は言った。

なんで俺たちはぴえんのことで喧嘩しているんだろう。

「まるで秋元康の作詞だな」と俺は言った。「女が気づいていない女の根源にあるものを探すのが男の仕事なんだ。女は何も作り出さないけどカラオケに行っていっぱい歌うんだ」

「地元に戻ってきてバッティングってのはいいもんですねって誰目線だよ」と言って友達は笑った。

「ふ」と俺は答えた。

「何でオメーにそんなこと言われなきゃなんねーんだよ」と友達は言って笑った。

夜のバッティングセンターの駐車場は明るかった。10台ぐらいしか停まれない小さな規模で、ナイトゲーム用の大型ライトが全体を照らしていた。友達が「吸う?」と聞いて、タバコを差し出してきた。俺は久しぶりにタバコを吸った。物事に失敗した時に吸うタバコは格別に美味しかった。

「出てきたよ」

友達が先に気づいて言った。店からナンパした二人組が出てきた。

こうして何にも憚れることなく、ゆっくり彼女たちを観察できる環境が許されると、俺は車内からじっと彼女たちを観察した。違うと思った。すべてが違う。年齢、服、アイデンティティ、信条としているもの、住んでいる惑星すら違うのではないかと思った。

「久しぶりに生きた素材をオカズにできるわ」と友達が言った。するとその瞬間、勢いよく、でかいBGMを鳴らしたjeepが飛び込んできて、彼女たちの進路を妨害するように目の前に停車した。

ワイルド・スピード?

一人、逆髪立った金髪の男がjeepから降りてきた。つま先がとんがった靴を履いていて、腰に長いチェーンを巻いていた。金髪男は二人を前にして機関銃のように喋り始めた。大型ライトのため駐車場を明るく、車内の人間の姿も確認できた。jeepには3、4人くらいが乗っていた。男たちは車内でふんぞり返ってスマホをいじっていた。彼らは車から降りてくることはなく、ナンパ行為のすべてを金髪男に任せていた。

「何話してるのか気になるね」と友達が言った。

「うん」

「あの腰のチェーン、久しぶりに見たけど、あれは今もアリってことになってんの?」と友達は言った。

「わかんない。人や地域によるんじゃない? ネットだと、『財布をなくさないようにしている子供みたい』とか、『デート中に木の枝に引っかかりそうで心配になる』って女の書き込みを見たことあったけど、何周も回りすぎてわからなくなってるね。たぶん女たちもわかってないと思う。アリという空気で来られるとアリってことになると思う。今のところは不利にはなってなさそうだけど」

「外人のルームツアーにはチェーンつけてるのいなかった?」

「いねーよバーカ(笑)」

jeepからは、『ドン! ドン!』と、音楽なのかも疑わしい重低音がずっと鳴り響いていた。狂ったラーメン屋の親父がひたすらゴミ箱を蹴り続けているような音だった。

「何これ? なんで降りてこないの? 失礼じゃね?」と友達は言った。

「失礼だね」と俺も言った。

一人、jeepの中に、クマさんタイプの大柄な人間が見えた。デンと座って、「ジャニーズ系を好きになることは間違い」というオーラを出しながら座っていた。女と話す段になったら、自分は一見恐く見えるけど意外に優しいという面を出すチャンスを伺っているようだった。この手のグループには必ずクマさんタイプがいる。他にはキャップを被っている男がいたり、黒縁メガネをかけている男がいたり、信号機みたいにキャラ分けがはっきりされていた。

「またクマさんタイプかよ」と友達は言った。「デブの肥満や不潔感を逆手に取った汚いやり口だね。自分はクマさんタイプだから清潔感がなくてもいいということになってる。とりあえずデブはクマさんキャラになってれば、100点になることはないけど、65点くらいは維持できることになってる。雰囲気やファッションでクマさんってことにしとけばね」

「デブがモテようとしたら、これしか生きる道がないからね」と俺は言った。

「クマさんっぽさで65点を狙いに行くところを女はダセーって思わないのかね? これを見てダセーって思わない女の方がムカついてくるんだけど」と友達は言った。

「まぁ、オリジナリティーはないね」と俺は言った。

「おいおいおいおいおい……!」

友達が叫んだ。女の子二人は車の中に乗り込んでいった。jeepはそのままでかいBGMを鳴らしながら夜の彼方へ消えていってしまった。

小さくなっていくjeepを見ながら、「何されても文句言えねーじゃん」と友達は言った。

「子供の頃、知らない人について行っちゃいけませんよって言われただろうに」

「本当にね」

時刻は21時を回っていた。俺は友達を家に送り届けるために運転していた。

「変なの乗ってたらどうするつもりなんだろうね?」と友達が言った。

「変なのって、変は変なんだろうけどさ」と俺は答えた。

「だって車の中の連中とは一言も話してないんだぜ? 顔すら合わしていなかったじゃん」と友達は言った。

「逆に安心感があるのかな? 俺たちの方が不審者のように見えるのかね? マッチングアプリでも、安心感を植え付けようとして、遊んでいる風をみんな出すからねぇ。冒険感をそそられた感じだったのかな? 日常からの乖離、全てを忘れさせてくれそうな、危険なところに行ってみたいっていう女のアバンチュールななんとかを、男達がお膳立てしたような」と俺は言った。

「それはわからないでもないけど」

俺は言った。「TPOだろうね。俺はあの子たちをナンパしたとき、『間』というか、空間の間合いのようなものが、ことごとく間違えているのを感じた。彼女たちはこっちにターンをよこさないでって言ってた気がする。そういう意味じゃ、一方的に捲し立てることで彼女たちにターンを渡さず、あの金髪男は気配りがよくできていた。ワイルドスピードみたいな演出も考え抜かれていたような気がする。たぶん、たまたま立ち寄って、鉢合わせたみたいに装ってたけど、あらかじめ店内を物色して目星をつけてたんじゃないかなぁ? 女たちをドキドキワクワクさせるために、すべての手を尽くした感があった。あのどデカく鳴らしているBGMだって、本人たちは聴きたいのかもわからない。後ろでふんぞり返っているクマだって、プレミア感を出すために我慢して座ってたんだと思う。なんていうか、すべてにおいて繊細さを感じた。ワイルドなんだけどね。女の出した答案用紙に見事に答え抜いたというか」

「プレミア感ってなんだよ(笑)プレミアムモルツみたいに言うな(笑)」と言って友達が笑った。「後ろでふんぞり返ってスマホ見ているだけで何がプレミア感だよ(笑)」

「一人は竹槍を持って突っ込んで、一人はふんぞり返ってスマホを見ているというのが最善なんだろう」と俺は言った。

「ちょっとニートには刺激が強すぎるわ。いかにもそっち系の女だったらいいんだけどさぁ、わりと普通だったじゃん? 普通の子にああいうことされると、ちんこ握りしめたまま歯を食いしばって泣きたくなってくるわ」と友達が言った。「お前の方がちゃんと声かけたのにね。だって車の中にいる奴の顔すらろくに見てないんだぜ?」

「あれがナンパにおける礼儀なのかね」と俺は言った。

「礼儀って」友達は笑った。「ワイルドスピードみたいに通せんぼしてるんだぜ? どんな礼儀だよ! 見たこともない相手についていったんだよ? お前はいったい何に負けたの? 存在しない人間に負けてんじゃん! 透明人間に負けてんじゃん!」

「お前も一緒に負けてんだよ(笑)」と言って俺も笑った。

「めっちゃ喋るな。今日、会ったばかりの頃と比べて、めっちゃ話すじゃん」と俺は言った。

「今日は来てくれてありがとうね」

「うん」

友達を家に届けた。帰り道、友達はずっとこの件について喋っていた。あの後どこに行ったんだろう? 今から行くところってどこだろう? と、興奮しながらずっと話していた。まるで友達の心もjeepに連れ去られてしまったようだった。

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