ちんこブログでいろいろ発信してきたけれども。「よく噛む」ということが、皆さんに提供できる情報として最も有益なものだと思っている。
「よく噛む」というより「最後まで噛む」か。
本当に基本的な事であるが、基本を正しく確認する以上の情報はないだろう。
よく噛むことは、以前記事で書いたことだから、もう2度も3度も書いてもしょうがないと思っていたが、大事なことだけを繰り返し書くことの方が、ずっと良いことだろう。
よく噛むことを甘く見てた。みなさんもそうじゃないですか?
間違いなく、よく噛むことこそが、少食の奥義である。
よく噛むことが大事ということは、巷で嫌というほど言われてきているし、耳にタコができるぐらい皆さんも聞いているかもしれないが、しかし本当に実践している人というのは恐ろしく少ない。
よく噛むという人でさえ、人の2〜3倍、ゆっくりクチャクチャ噛んでいるだけで、「最後まで噛む」という人はいないだろう。最後とは、完全な液状になるまで噛むということである。一切の固定物感がない状態。
最近、小生は思うところがあって、ここ2ヶ月ぐらい、ずっとよく噛んで食べていた、普通に言われるような、よく噛むというレベルではなく、完全な流動食状になり、食べものの跡や形はなく、膨らんだ自分の唾液だけをずっと噛んでいる状態が、いつまでも続く感じである。そうやって、自然に嚥下が始まるまでずっと噛んでいた。
するとどうだろう? 驚いたことに、普段食べている量の半分以下でお腹いっぱいになり、これ以上食べたくないという気分になるのである。
小生は蕎麦が好きで、この暑い時期は(この記事は2021年8月に書いたものを書き直していますw)冷たいざるそばを食べたくなって、近所のお蕎麦屋さんに2週間毎日通い詰めることもあった。
注文する時は、せいろ蕎麦の大盛り(460円)を頼むのだが、大盛りですらまだまだ足りなくて、いつももう一杯食べたいなぁと思っていた。いや、あと2杯いけるなぐらいの気持ちでいた。大盛りを頼んでおきながら、そして、そば湯まで飲み干しながら、まだまだ食べたくて仕方なかったのである(蕎麦屋というのはどこもそうだが、なんの嫌がらせかわからないが非常に量が少ない。ラーメン屋の半分も出してくれない)
しかし、この食べ方をしていたところ(完全流動食状態になるまで噛む)、自然に嚥下が始まるまで噛んでいると、なんと、半分以下、いや、3分の1の量でもういいやという思えるようになったのである。
以前は上の蕎麦を完食するのに2分ほどだったが、完全流動食食事法をするようになってから、上の蕎麦を完食するまで35分かかるようになった。もともと小生は異常なくらい食べるのが早く、これまで小生より早く食べる人間を見たことがなかった。そういうこともあって、普段は2分で食べ終わるのに、(なんで35分かかってんだ?)と店主から非常に気味悪がられた。
あれほどおかわりしたかった大好きな蕎麦が、もう本当にいらなくなるのである。これは蕎麦だけには限らず、全ての食事に言えることで、実家に帰ってご飯を食べている時も、いつもの半分以下の量でお腹がいっぱいになった。
そして、この時お腹にいっぱいになる感じは、あまり噛まずに飲み込んでいた時のお腹いっぱいになるときの感覚と違って、心地が良い状態でお腹いっぱいになるのである。固形物が胃の中に入ってパンパンになるのと違って、液状で満たされるからだろう。食後に全く苦しくならない。静かに栄養分が身体全体に満たされる心地よさに陥るのである。
この技を編み出してからというもの、最後まで噛まずに食べることが気持ち悪くなってしまった。何を食べるにしても、完全な液状になって飲み下すようにしていたら、気づきがたくさん訪れるようになった。
まず、どんな食べ物でも、自然に飲み込めるまで噛んでいると、ほとんど変わらない食べ物になるということだ。白米だろうが玄米だろうが蕎麦だろうが肉だろうが魚だろうが、最後まで噛むと、すべて同じ食べ物になる。口に入れてからしばらくは、その食べ物特有の食感や味を味わう事になるが、それからまだまだずっと噛むという長い旅が始まると、その長い旅が終わる頃には、始めに噛んでいた食感や味はもうどこ吹く風ということになる。時間でいうと、自分の口の中に詰まってる咀嚼物と自分の唾液がミックスされてグチャグチャになり、グチャグチャなものだけを噛む時間だけが、永遠にも感じられるほど長くなるだけになる。
【一口が終わるまでの時間】
「おいしい時間(食べ物特有の味を味わえる時間)」=8秒くらい?
「味のない時間(唾液のかたまり)」=1分30秒くらい
つまり、合計すると、1分38秒が一口あたりの計算になるだが、後半の1分30秒は、どれも同じ味、同じ匂い、同じ食感なのである。最初の8秒はともかく、その後に続く長い長い時間は、結局何を食べても同じ味なのだから、食べ物に対する特別な選り好みというものがなくなってきて、身体にいいものだけ食べようという気分になってくる。
どんなに美味しいと言われる食べ物でも、だいたいの場合は調味料の味を美味しいと言っているのである。蕎麦だって、つゆをかけなければおいしいものではないし、結局みんな美味しいとか言っているのものは調味料を味わって美味しいと言っているに過ぎない。
しかし、その調味料の味ほど、いちばんすぐに失っていくものであり、調味料の味が消えると、次の調味料の味へと急ぐはめになる。味覚という点で突き詰めて言うならば、この8秒の調味料の味を追いかけているに過ぎない。調味料の味が終わった瞬間に、ノータイムで、次の調味料の味へ、というふうに、調味料による味覚を何よりも優先するためである。少なくとも、小生はこれまでずっとそんなふうな食事をしてきた。
1:15の法則(8秒と1分30秒の法則)
最初の味(調味料の味)は、8数秒で消え去ってしまう。そっからずっと噛んでいると、ただ自分の唾液の味しかしないものである。したがってどの食べ物は同じ味となり、その同じ味である味だけが、ずっと続くことになる。
【一口が終わるまでの時間】
「おいしい時間(食べ物特有の味を味わえる時間)」=8秒くらい?
「味のない時間(唾液のかたまり)」=1分30秒くらい
この計算式でいうと、一口あたり、約1:15の割合で、味のない時間の方が長くなる。つまり、15倍だ。どんな食べ物を食べるにしろ、一口あたり、15倍の長さの、味のない時間になるということだ。
この1:15の法則は、肉となると、そうはいかなくなる。肉になると、どれだけ噛んでも、噛み切れず、完全に液状になることはない。このような食べ方をしていると、顎が疲れてきて、あまりにも最後まで噛むのに時間がかかる食べ物は、拒否したくなってしまうのである。
しかしスナック菓子だと、口に入れた瞬間にすぐに溶けてしまうので、10秒も噛んでいられるものではない。
だから、食べ物によって異なるので、1:15の割合は絶対ではない。
この奥義を取得してからというもの、基本どこで何を食べても同じ味しかしないからいいやと思うようになって、食べ物の選び好みというものをしなくなったし。そしてたくさん色んなレパートリーが並べられてあったり、分量が多かったとしても、それを液状になるまで最後まで噛まなきゃいけないと思うと、面倒くささの方が上回るものである。
大盛りのラーメンなんて出されても、これを完全になるまで噛み砕かなきゃならないのかと思うと、うんざりしてしまう。そう思うと、生玄米をミキサーで砕いたジュースで飲み干すのが楽に感じてしまう。
この食べ方をしていると、食べ物の喜びが味わえなくなるんじゃないか? と思うかもしれないが、たしかに透明な無色の味だけが続いて、味がしなくなったガムをずっと噛んでいるだけのような状態が続くが、食べ終わった後の心地良さはずっと上である。(あ、なんだろう。こんなに気持ちいいんだぁ……)と、間違いなく、実感してもらえるはずである。普通は、食事をすると、食べているときは美味しいけど、食べ終わった後、少し苦しくなったり気持ち悪くなったりするものだが、その逆の状況が起こる。
もちろん大きな固形物が胃の中に入ってそれを消化してる時の気持ち悪さやだるさ疲れとは無縁である。
本だって速読しようものなら、書かれてあるものを次から次へと読み落としていくものであり、何一つ頭の栄養に残らないものだが、これと同じ、 この食べ方をしていると、後に残る気持ち悪さと言うものが全くなく、すべて、隅から隅まで自分の血肉になっていくような、毛細血管の循環作用が頭の中で浮かべられるようなイメージさえ湧いてくるものである。ああ、食事とはこんなに気持ち良いものだったのかと。
味に関する考察
よく噛んでいると、その素材の味を楽しむことしかできなくなってくる。調味料の味は長く続かないためである。例えばコンビニ弁当などは食べていると、最初に味がした時はおいしいが、だんだん気持ち悪い味が続くものだけれども、玄米や生野菜は、噛めば噛むほど味わいが増してくるものである。特に生玄米をお菓子代わりにポリポリ食べてみてもらえればわかるが、香ばしくて味わい深いものが後半になるにつれて増してくる。食べ物は液状になったときにその真価が問われる。本来の性格が明らかになってくるのである。 また、食べ物を食べる上で身体の各器官がなす目標は、その食べ物を液状にするためにあることから、 液状になった状態で食べ物を考える事は大変重要なことだろう。
生玄米ジュース、これはいいだろう。
生野菜ジュース、これもいいだろう。
炊いた玄米ジュース、まぁいいだろう
ゆで野菜ジュース、まぁいいだろう
魚ジュース、うーん
肉ジュース ←w
生の玄米をポリポリ噛んでいると、ずっと噛んでいれば噛むほど、どんどん美味しくなってくるものであり、その香ばしさが広がっていくものだが(果物や生野菜、木の実などもそうだろう)、肉はその反対に噛めば噛むほど、液体状になるほど不味さが増してくるものである。肉のジュースなんて誰も飲めないものである。いくら肉が好きだと言ったって、肉が液体でベチャベチャになっていたら気持ち悪さしか感じられないだろう。
特に食べ終わった後が一番重要だと思う。食べ終わった後の満腹なのに、心地の良い満腹感、胃の中に溜まったものがないというこの気持ち良さを、是非とも皆さんに味わってもらいたいものである、
噛むことと満腹中枢は繋がっているものであり、よく噛めば噛むほどそれだけでかなり満腹感や満足感が得られて、そんなにたくさん胃や腸の中に食べ物を放り込まなくても、十分な満腹感を得られるものである。
ちょっと待って、ここで満腹中枢の話
またこれも有名な話ではあるが、食べ物を食べても、満腹になるまでには時間差があるのである。実際に満腹担っても、満腹感は後になって訪れる。 胃の中に食物が送られ、それがすぐに脳の満腹中枢に働きかけるわけではない。だから早食いをしていると、満腹感が訪れる前にまだ食べ続けてしまうのである。
また、噛む回数と満腹中枢は密接な関係があり、噛む回数が多ければ多いほどお腹がいっぱいになったと脳に指令が届く。単純にたくさん食べ、たくさん胃の中に食物を積もらせれば、それだけお腹がいっぱいになるという単純な方程式で身体はできていないのである。
普段のように頭が鈍くなったり重くなったり体がだるくなったりすることが著しく減少し、(消化の負荷が減少するからだろう)、食べ終わりだというのに、スッキリした気持ちが続くものである。
また急激に血糖値が上がったり、急激にお腹が空いたりすることも少なくなり、満腹感が長時間続くようになる。また、何か食べたくなっても、あー、またたくさん噛まなきゃならないのか、と、この食事法をしていると、本当によく噛まなければならなくなるから、食事が面倒くさくなるものでもある。とくに間食は。
まぁ、騙されたと思ってやってみてほしい。本当にグッチャグチャにベチャベチャに噛んで自然に嚥下が始まるまで、液体状になるまで、最後まで、よーく噛むことである、本当にそれだけである。
みんな、よく噛むというと、そうですかと言って、太陽を浴びるとか、そういったことを軽視するけれども、やれアボガドに○○を加えて〇〇をして〇〇の栄養素というのが……、複雑で難しい知識の方を有難がるところがあるけれども、この、最後まで噛む術の方が、ずっと役に立つだろう。
ゆっくりたくさん噛むとか、歯医者さんの冊子などで書かれているけど、最後まで噛めとは、あまり言わない。本当の健康法とは、一切金がかからないものなのである。
唾液で歯の表面を洗い流してくれるから、虫歯予防にもなる。歯と書いて齢とも言う。 これは歯と長寿が密接な関係にあることを昔の人は知っていたから、この漢字を作ったのだろう。
顎の筋肉が発達する。咀嚼と脳は密接な関係があり、認知予防にも大変役立つ。 臨床経験者の立場から言わせてもらうと、確かによく噛んで食べる人や、あるいは口をクチャクチャ動かす癖がある人や、 口をモゴモゴ動かしながら話すおじいちゃんやおばあちゃんの方が、圧倒的にボケているケースが少なかった。
最後まで噛んで完全な液状にしてしまえば、それはもう水分を飲んでいるのと変わらなくなってしまうところもあるだろう(もちろんそうは言い切れないだろうが)、そう考えると、ほとんどリキッダリアン(液体しか飲まないで生きる人)と同じとも言えるだろう。 リキッダリアンになりたくてもなれない人は、まずは固形物を最後まで噛んで完全な液状にしてしまうというのも1つの手だと言える。
当然、胃に入ってしまえば、胃には歯の代わりになる機能がついていないのだから、それを一生懸命、胃液で溶かすしかない。この消化行為ほど体内のエネルギーを酷使するものはないとされている。
完全流動食食事法に移行するためには
この食べ方に移行するのはとても苦労するものだった。昔から食べるのを遅くしようと一生懸命努力してきたが、どんなに頑張っても、それは、歩く速さを変えるように、話す速度を変えるように、食べる速さだけは、変えるのは本当に難しいものだった。 小生はこれまで自分より早く食べる人間を見たことがない。それは周りからも言われることであり、自他とも認める一つの最大の特技ではあった。
だから、ずっと難しいと思っていて無理だと思っていたのだが、実のところ、そんなに難しいことではなかった。これは車の運転と同じである。小生はせっかちなため、急にハンドルを切ったりして隣のレーンを走っている車とぶつかったりすることが昔あったが、今ではこういうこともなくなった。直し方はこれと同じである。 どうやってこのせっかちの癖を直したかというと、ひたすら止まることである。
食べるという事は、その動物的欲心から興奮じみた衝動があり、この衝動のまま食べていると、どうしても食べる速さが速くなってしまうものである。そこで、本当に、ただ止まることである。停止する。食べるという行為を流動的なものではなく停止する類と定めて、一回に食事をするという行為は、時間がかかるものであるという認識を自分の中に植え付ける。
運転に関しても同じだ。止まったような気持ちで運転するようになってから、まったく事故を起こさなくなった。怒りの抑制とも同じである。人から何か言われたとき怒りの心が芽生えたりするが、これも怒りの衝動に任せて言い返したりすることなく、一回止まる。止まり続ける。これはセネカが「怒りについて」という本で、怒りの克服策として書かれていたものと同じである。
どもったり、せっかちに話してしまう人も、ゆっくり一息ついて話すことは難しいだろう。しかし、止まる。 つい余計な一言を言ってしまう人も、これも同じである。まず止まること。 生活における大体の問題の対策は、完全に停止して、いちばん停止したところから、言葉や精神態度を取り出して生きることであり、それを癖にしていれば、そうそう困ることもなくなり、迷いも少なくなるだろう。ほとんど多くの問題が解決されるだろう。 自分の精神のいちばん底の部分にぶつかって、そこから食べ始める感覚である。少しでも生き急ぐような、アルプスの少女ハイジないし子供が、生き急いで道路に飛び出してトラックに轢かれるような、疾走感を完全に停止させるのである。
さて、小生の食べている動画を見てもらえればわかるのだが、大変凄まじい速さで食べているだろう。これは話しながら食べているから、こんなにはやく飲み込もうとしているわけじゃなくて、ずっとこういう食べ方をしてきた。ほとんど飲み込んでいるようにしか見えないだろう。これでもがんばってゆっくり食べようと意識しているのだが、どうしても改善させられなかった。高校時代はこの2倍の速さで食べていて、小生がお弁当を食べていると、みんな指を指して笑ったものであり、隣の席の女子に悲鳴をあげられたこともあった。 親にも「動物と食事してるみたいで気持ち悪い」と言われたり、 職場の飲み会でもほんとに恥ずかしい思いをしてきた。 女性にモテなかった原因の一つかもしれない。また、今でさえ痩せているが、昔はもっと痩せていた。小生は人の5倍ぐらいのスピードで食べていたから、十分に栄養を吸収できず、このような痩せっぽちな身体になってしまったと思われる。ゆっくり食べる少食の人は、みんな肉付きがいい。反対に、大食の早食いは細い人が多い。これは傾向の話であって、絶対ではないが、うさぎの糞のようなものをポツポツと食べている女子生徒の方が、太っていることが多いものである。
大食い系youtuberはみんな目の下にクマがある
大食い系youtuberは最たる例だろう。多くの大食いとか早食いと言われる人たちの動画を見ていると、みんな細い人ばかりである。それはyoutubeで確認してもらえればすぐわかるだろう。栄養吸収できていないためだろう。彼らの特徴として、全員目の下の大きなクマがある。
なぜ大食い系youtuberはみんな目の下にクマがあるのか? どんな食べ物にしろ、結局のところ水分がいちばん多く占めるため、体内にたくさん水分をため込んでいるか。 なぜ尿で排出されないのか、消化の時間差か、浮腫=水分とは安易に言えないかもしれないが、小生自身の経験から言うと、暴飲暴食した翌日はひどく顔がむくれる。太らないが、顔がパンパンになるのである。大食い系youtuberの人たちも同じで、彼らは通常時の状態で、小生の暴飲暴食した翌日の顔の様になっている。細いけど顔がパンパンなのである。
大家は「よく噛むこと」「食べすぎないこと」の2点しか言わない
食べ物の研究の大家。研究が行き着いた人が言う言葉は、何を食べるかというよりも食べる量の方を重視する。水野南北もあれを食べろこれを食べろとは言っていない。
さらに霊的視点から、幽玄微妙な世界から食というものを見通した人、たとえば自分の内臓の動きなどを透視できたり、その人たちも、やはり質よりも量を重視していることが多い。
砂糖だって、2キロ食べれば半分の確率で死んでしまうらしいが。西洋科学中心の、栄養素の解明に重きを置いている多くの食研究家は身体に良いものだったらそこそこ食べても大丈夫だと思っているらしく、ここに大きな隔たりがある。やはり、生の玄米を土に植えれば新しく生えてくることから、この生命、生長、ブリルという生きた物としての観点はどうしたって数値で語れるものではない。まぁその話は良いとして。
肥田先生はこの2点しか言わない
「よく噛むこと」
「食べすぎないこと」
中村天風先生もそうだし、ガンディーもそうである。大家の人たちが言うには、我々人間がいざ現実的に実践しようという地点に立ったとき、この2点くらいしか守れるものではないと思っていることもあるだろう。なかなかヴィーガンやら生玄米食といってもそうはいかない。 しかしこの2点さえ守っていれば大方大丈夫なのだ。
肥田先生は、生玄米の効能について自身の体験から明らかにしてくれているが、それを強く広める活動はしなかった。家族に対してもよく噛むようにしか言っていないようである(著書で家族との食事のやりとりを読んだ限りでは)
だから基本的にはこの2点だけを守ってさえすれば良いと思われる。また、この2点に異論を唱える人はいないだろう。
ルイジ・コルナロにいたっては、何を食べてもいいとさえ言っている(食べ過ぎなければ)。実際、ルイジ・コルナロは、 卵や肉の切身などを食べていたが、ルネサンスの時代において100歳を越えている。
ガンディーも水すら噛んで飲めと言っていて、真の食の大家となると、よく噛むこと、食べすぎないこと、というこの単純の2点しか言わなくなる。あまり口やかましく肉はダメ魚はダメと言ったりしない(そういう本人は決して肉を食べたりしないのだが)
人はなかなか苦しい食制限に耐えられるものでもないし、人々の多くは量より質の方を重視したがる。しかし、ルイジコルナロも肥田先生も、圧倒的に質よりも量のほうが大事だと口すっぱく説いている。
現実的な実現可能な観点からいえば、この2点以上のものはないだろう。 そして小生が考案する、液体状になって自然に嚥下が始まるまで最後まで噛むという方法だけを守っていれば、自然と2つ目の点である「食べすぎないこと」も守られるのである。
一応肥田先生のエピソードも紹介しておこう。
▽食物の量(昭和二十六年十一月三日)食物は質のみでなく、量も亦大変重要なことである。今度東京へ行った時に、そのことも実験して来たが、軽く一膳の飯を摂って、それに魚を適当にとった時と、飯を二膳にして、肉食を全然とらないが、野菜を過度に摂った時と、体に与える影響を調べて見たが、前者よりも、後者の方がずっと害が大きい。K博士は、五尺四寸の体で、病気の時には七貫目位になったそうだが、それで、あれこれと医療をやったが、どうしても、よくならないので、遂に玄米野菜にしたら、めきめき良くなったらしい。それで、その人は、今でも、実に厳重に食養を守っているとのことだが、その人の本に、果物の過食もいけないと書いてあるが、それは確かにそういうものである。果物の含むヴィタミンCの如きは、ごく少量の野菜だけで充分摂れる訳だから、別に果物は必須のものと考える必要はない。のみならず、多くとり過ぎると、肉食の過食と同様の害をするものである Hida Harumichi. Kikanshi SeiChusindou: Shinheiwaundou Kenkouto Shin Koufuku Heno Michi (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1741-1750). Kindle 版.
※また、 別のページでは、食べ過ぎた時の早急な対応として、冷水につかることが甚だ効果が高いことを論じている。
完全流動食食事法のメリットのまとめ
・少量で済む(お金がかからなくなる)
・食べ物の選り好みがなくなる
・人間らしい品の良い食べ方になる
・栄養吸収がよくなる
・食後の気持ち悪さがなくなる
・食後の眠気がなくなる
・認知予防になる
・虫歯予防になる
・ 落ち着きのある性格になる
今すぐに実践できて、今すぐに多大な効果を感じられる、最高の方法だ。お金も時間もかからないので、ぜひ実践してもらいたいのである。正直、食生活の記事はこれだけ読めばいいくらいだ。 他の記事の食健康法は、場合によっては、あるいは人によっては不健康を招くこともあるかもしれないが、これに関してはその心配はないだろう。小生は今まで食生活の記事をたくさん書いてきたけれども、これほど皆さんにオススメできることは知らない。 なぜなら何一つデメリットがないからである。あるとすれば、異常なくらい食事の時間が長くなることぐらいだろうか。しかし皆さんの大好きな食事の時間が長くなるのだからメリットとも言える。