恋愛

秦の始皇帝「嬴政」と宮女「向」の間に見られる、紀元前から現代に通じる男女の機微

ちょうどAmazonプライムでキングダムを見ていて、まぁ、キングダムというのは紀元前230年くらいの春秋戦国時代を舞台にしているわけだが。恋愛脳の小生は、恋愛アニメとして見てしまっているところがあった。

夜、自室で灯を灯して本を読む秦国大王「嬴政(えいせい)」

後の始皇帝であり、キングダムのもう一人の主人公である。木の本を読んでいる。この時代は木に文字を書くらしい。書き込める文字数が少なく、10行ぐらい読んだら新しいものに移らなければならないから大変そうだ。

宮女である向(こう)は、伽のために呼ばれていた。まだ大王は18歳であるにも関わらず、跡継ぎをどんどん残していかなくてならないから、このように入れ替わり、立ち代わり、毎晩宮女と子作りをするのだ。

そう、伽に呼ばれたのだが……?

このように、これからセックスするとはとても思えないような顔をして「よろしく頼む」と言う大王。これには向も参ってしまう。

その姿勢のまま、ずっと本を読み続ける大王。自分で呼んでおいて、一向に手を出してくる気配がない。やはり向は参ってしまう。

「……」

辛抱が切れて、とうとうコウはいう。

「だ、大王様」

「なんだ?」

「あ、あの……。私はどうすればよろしいでしょうか?」

「そなたはただそこに居てくれればよい」

「……」

本から視線を変えずにそう答える大王。

「……」

こんな人を初めて見た、という顔をする向。

しかし、向の疑問は解けない。

一体自分は何のために呼ばれたのか?

私に魅力がないのか? 魅力がないのだとしたら、一体なぜ、私は今、ここに呼ばれているのだろうか?

まだ長平の戦いによって40万人を生き埋めにされた趙兵の恨みの如く、がむしゃらに押し倒されて抱かれた方がよかったかもしれない。

アニメでは十数秒のやりとりだったが、実際のところ、向はどれほど待っただろう?

待ちくたびれて寝てしまう。フッと笑って、やさしく布団をかけてあげる大王。

何十回もこんな夜が繰り返され、友達の宮女にも相談する有様。しかし二人とも髪型のセンスがいい。紀元前の時代に、今の女性の髪型のセンスは負けてしまっている。

史実の始皇帝だったら、こんなことはせず、向の下半身をさっさと侵略しただろが、やはり、こういった何気ない漫画のワンシーンの機微こそに、男女の真理が隠されているものである。男女の真理は、現実より漫画の方がよく現れることが多い。

我々は、ただじっとしてそばにいたり、じっと目を見続けるということができず、ペットが愛される所以はそういうところにあるのだが、人間はなかなかできない。気恥ずかしさに遅れを取り、本当は心の奥にある一点と一点と繋ぎ合わせたい感情になるのだが、それを危惧し、生と生をぶつけ合うことの気恥ずかしさから、本やらスマホやら、何か媒体を必要とする。

いくら科学が進み、ルンバやらドラム式洗濯機やら、食洗機やらが生まれ、家事の時間が2分の1、3分の1になろうが、結局その空いた時間は何に使われるのか? 大王と向のように、人間と人間の時間、止まった時間、生と生が触れ合う時間には使われないのだ。家庭内で家人がそれぞれ一人暮らししているように見えなくもない。

夫が本を読んでいても、カービィをやってしまうだろう。

一度そこを逃げると、どんどん板について行ってしまい、黙ってそばにいようと思っても、相手に不思議がられるのが怖くて、実行しようという気になってもそれができなくなってしまう。こういうのは初めが肝心だからね。だから大王は、いちばん初めの伽の時間にやったのだろう。いちばん初めに、原始的な、プリミティブな、余計なものを排除した、濃厚な男女のぶつかりあいの時間を過ごそうとした。現代でも、風俗嬢を呼んで、ただ手を握っててくれればいいという客もいるが。

さすが始皇帝。恋愛においても百戦錬磨というわけか。

ゴーギャンは、タヒチの部族の子と送った結婚生活についてこう記述している。

〈私の新妻(13歳)は口が数が少なく憂鬱気で嘲笑的だった。二人とも相手を観察しあった。彼女の方は計り知れないところがあり、私はすぐにこの戦いに負けた、心の中で誓ったのにも関わらず、私は感情をすぐにむき出してしまい、まもなく私は彼女にとって開いた本同然の存在になった。私は彼女を愛し、それを口にだして言った。すると彼女は嘲笑するのだった。彼女の方も私を愛しているらしかったが、少しも口に出さなかった。私が仕事をしたり夢想したりするとき、テハマナ(妻)は本能的に黙っている。彼女は私の邪魔をしないでいつ話しかけたらいいかをいつも心得ていた〉

ふむ。達観している。とても13歳とは思えない。現代の慌てて結婚を追いかけている30代の女性陣よりはるかに大人びていると言っていいだろう。

部族の習性や親のしつけもあっただろうが、こういうところは、昔の時代や、部族のそれのほうがしっかりしている。キングダムのように、紀元前の時代にまで遡れば、その分だけその色は深まる。

作者の原先生はこの伽のシーンを狙って書かれたのか? 単純に大王嬴政(えいせい)の魅力を書く上で、適した書き方だと思ったのか? 原先生は、それほどの恋愛偏差値を持っていたということか? 小島瑠璃子と付き合い、破局した後も、すぐにグラビアアイドルと付き合ったというから、天下の大将軍なりの男力を発揮させている。小島瑠璃子はそれで芸能生命が絶たれてしまったのかしらんが、最近見なくなった。まぁ、瑠璃子の顔を見るたびに原先生のチンポがちらつくから仕方ない。こんな漫画家は聞いたことがない。原先生自体が、王毅(おうき)なのである。机にしがみついているだけの草食漫画家ではないことが窺い知れる。 

ふーむ。キングダムか。難しいことはわからず、歴史とか戦争といったことは、あんまりよくわからなかったが、恋愛漫画として参考になった。

は! 寝てしまった!

「わ、わ、わ、私ったら何を! だ、大王様! 申し訳ありません!」と、慌てて顔を上げたときには、もう大王はそこにはいない。中華における最も大事な会議をするために後にしているのである。

どこかで一次的な源流を求めているけれども、いつも家庭や、仕事や、子供や、学費、車……、二次的、三次的な話でつなぎ合わせてばかりいるから、一次的なことをやろうとすると、もうその頃には賞味期限が切れてしまう。後手、後手、後回し、後回し。後回しになっているものを回収しようとするときには……。

だから小生も結婚したら、難しい顔をしながら難しい本を読んでいようと思う。難しい本を読んでいると、どうしても眠たくなってしまうが、向みたいな子が何もせずに座っていたら、ちゃんとだれずに読めるような気がする(もしかしたら、同じ理由で、大王も向を座らせていたのか?)

まぁ、これもロウソクを灯して、の本で読んでたからいいんだろうな。紙の本よりもいい。スマホやiPadじゃ色気が出ない。ウルトラワイドモニターでやられたら最悪だ。ウルトラワイドモニターで読書している旦那のとなりで黙って座っていることになったら、中華とか現代とかもうよくわからないが、滅びたほうがいいだろう。

しかしこれはまた、現代を生きる女性たちも望んでいることだろう。日中は官女として宮殿内で過ごし、夜になると大王の部屋に行って大王のそばに座り続ける。そして気づけば寝てしまう。

男女というのは、このように、初めて出会ったような緊張感、話しかけにくい空気、近寄りづらい、何を考えているのかわからない、怖さ、早く帰りたい、この場から離れたい、でも、ここにいたい……、といったような感情が必要になってくる。このあたりの緊張感を維持するために、国王と宮女の関係というのはとても理想的だと思った。このシーンはキングダム全体から見て取るに足らないと大勢の読者は思うどころか、なんの思考や思想が挟む余地もなく過ぎ去っていくものかもしれないが、小生にとっては、キングダム62巻を通していちばん心に残るシーンであった。

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