食物は質のみでなく、量も亦大変重要なことである。今度東京へ行った時に、そのことも実験して来たが、軽く一膳の飯を摂って、それに魚を適当にとった時と、飯を二膳にして、肉食を全然とらないが、野菜を過度に摂った時と、体に与える影響を調べて見たが、前者よりも、後者の方がずっと害が大きい。K博士は、五尺四寸の体で、病気の時には七貫目位になったそうだが、それで、あれこれと医療をやったが、どうしても、よくならないので、遂に玄米野菜にしたら、めきめき良くなったらしい。それで、その人は、今でも、実に厳重に食養を守っているとのことだが、その人の本に、果物の過食もいけないと書いてあるが、それは確かにそういうものである。果物の含むヴィタミンCの如きは、ごく少量の野菜だけで充分摂れる訳だから、別に果物は必須のものと考える必要はない。のみならず、多くとり過ぎると、肉食の過食と同様の害をするものである。
肥田春充
人のいのちを養うのが食だ。だが、大食暴食というものは、量の過ぎた下肥えを草木にするのと同じ。かえって人命を損ねてしまう。人にとって第一の慎みは食である、外に遊興に出かけて散財をして、放蕩に身を任す者であっても、ただ食さえ慎めば、家を潰したり、病にかかることもないものだ。長生きもできれば、財産すら築けよう。
水野南北
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多くの人は食べ物は量よりも質のほうが重要だと考えていて、ポテトチップスとか油っぽいものを食べないようにしようと気をつけているように思うが、肥田先生やルイジ・コルナロなどは、口を酸っぱくして、質よりも量の方が重要だと説いている。
YouTubeで、食べ物が体内に入って消化されて排泄されるまでの映像を見てもらえばわかることだが、信じられないくらいに、ずーっと食物は体内に留まり、胃が大仕事するが、それでもぜんぜん消化されていかないことに驚くだろう。もし人は自分の体内を可視化できれば、大食はしなくなるだろう。
何よりもこの映像が説得力あると思う、この映像を見ればいかに良い食べ物だろうが、消化するのにこんなに大変なのかということが身に染みてわかり、質よりも量のほうが重要なのだとよく痛感することになる。
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ルイジ・コルナロは、卵だったり肉だったり、少量ではあるけれども、身体に悪いとされるものを食べていた。
しかし、100歳を越えても、姿勢が良く(腰がいっさい曲がらず)、道をスタスタ歩き、発声もよく、合唱団で歌うときは低い歌声がよく響き、一日8時間の執筆作業をすることができて、落馬して瀕死になってもすぐに回復し、頭脳も極めて明晰で、認知症とはまるで縁がなかったとされる。
うちの近所に100歳を超えている夫婦がいるが、なんと、2人とも菓子パンしか食べない。しかし量としては、その菓子パンを1日1個だけ食べているらしいが。
また、小生の利用客のおばあちゃん達も、アイスクリームやチョコレートが好きで、まぁ肉も野菜も食べるが、基本的には超がつくほど少食である。
10月1日にお誕生日パーティーをやったが、寿司2カンだけ食べてお腹いっぱいになり、これで1日分の食事はOKだと言っていた。
ちなみに、上の料理はほとんどすべて小生が一人で食べた。
ガンジーも、質よりも量の方がずっと重要だと考えていて、たとえどんなに体の良いもの、例えば水でさえ、2リットルも飲んだ暁には気分が悪くなってしまうだろうというようなことを言っていた。
肥田先生は、基本的には生玄米生活を勧めているけど、多くの人が履行できる指南として、「食べ過ぎないこと」「よく噛むこと」の二点だけを強く著書に残している。
パラマハンサ・ヨガナンダは、人間の体の65%は水分なのだから、固形物より飲み物に気をつけなさい、と言っている。
飲み物にどうやったら気をつけたらいいかというと、水よりも果物がいいと言っている。果物は血液を浄化させたり、酸性化した血液を中和させる効果もあり、週に一日だけ、果物だけを過ごす日を作るだけで、ずいぶん身体が綺麗になると言っている。
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さて、ここからは小生の実体験の話だが、
生玄米生活を一ヶ月ほど送っていたが、実家に帰って加熱食を食べたことを経緯に、10月2日から3日間は、加熱玄米を食べている。
それで、改めて思ったことだが、加熱食だと食べすぎてしまう。
生玄米だと1合で済むところを、やはり、2合食べてしまう。
これはかなり驚かれる、小生は1日に1食しか食べないが、しかしその1食に、お米2合を食べている。
そう言うと、周囲から非常に驚かれる。しかもその2合の米の上に納豆を3パックだったり、あるいは6パックぶっかけて食べたりすることもあるので、もしかしたら小生は、非常に大食の類にふるいわけられるかもしれない(笑)
ま、実のところ小生はそんなに胃が小さくなく、食べようと思えば結構食べれてしまうたちではある。
大食漢の定義として、友達と一度話し合ったことがあったが、道の駅で売られているラーメンを3杯食べられたら大食漢だろうと定義した。
というのも、普通のラーメン屋だと、店によって量が全然変わってくるから、なかなか定義付けが難しいけれども、道の駅で売られているラーメンだと、量がだいたい一定である。(やや少なめ)
つまり、↑これを3杯いけたら大食漢。1杯でお腹にいっぱいになっちゃう人は少食。2杯はその中間、まあ普通というところで。この定義が、小生と友達はピンと来たものだったが、ふふふ、さて、皆さんは何杯食べれるかな?(笑)
小生はなんと、↑のラーメンを3杯食べれてしまうのだ……!
米2合というと驚かれるが、昔の人は1日に玄米を6合食べていたと言われていて、それが標準だったと言われている。宮沢賢治ですら、詩に1日に玄米4合と出てくるが、あれも、謙虚に控えめという意味で言っているらしい。
だから、小生としても、2合のどこが多いのだろうと思うが、だが実際食べ切ると、結構満腹感がある。
この満腹感というものが怖いもので、生の食べ物を食べていると満腹まで食べようとは思わない。じっさい食べることができなくなる。けれども、加熱食だと満腹まで食べたくなってしまう。
これは甲田先生が言っていたが、生だと栄養や滋養に溢れているけれども、加熱したものだと栄養素がほとんど取り払われてしまっているので、その分、たくさんの量を食べることで補おうとする働きのためらしい(自分の感覚としては、栄養素が足りなくて食べているというよりかはただただ美味しくて満腹まで食べてしまいたくなっているだけのような気がしてしまうけど)
そして、やめておけばいいのに、2合の玄米に納豆を6パック食べて、そのあとに、どんぶり一杯の味噌汁を飲むと、死ぬほど苦しくなる。
これは不思議なことだが、このどんぶりいっぱいの味噌汁を飲むか飲まないかで全く変わってくる。
これを飲まないうちは、お腹いっぱいだな、と思うくらいで済むけれども、これを一杯飲んだだけで、途端にものすごく苦しくなる。しかし、このどんぶり一杯の味噌汁を飲まないと、満足感が得られないため、どんな時でも、このどんぶり一杯の味噌汁を飲んでしまう癖がある。
そこでいつも思うことだが、やはり空腹よりも満腹の方が苦しいということである。
人類の歴史から見ても、餓死で死んだ人よりも便秘で死んだ人の方がずっと多いらしい。
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しかしまあ、これだけ食べても全く太らないんだなーこれが。これはダイエットに夢中になっている女性の方々に是非声を大にして言いたいが、玄米だけを毎日2合食べても、おそらく太らない。白米だったら、どうかわからないが。
少なくとも小生は1日に2号の加熱した玄米を食べて、そのあと、味噌汁どんぶり一杯飲んで、納豆六パック食べようが、全く太らない。むしろ痩せていく。
こればっかりは体質的なものがあるから、あくまで小生に限ったことかもしれないが、他のブログなどを見ていると、玄米と味噌汁だけの生活をしている人は、いくら食べても太らないどころか、痩せていくと語られている場合が多い。
ダイエットしている女の子達は食べ過ぎないように気をつけているみたいだけれども、どんなに食べても太らない食べ物というものはある。生野菜だったり、果物だったり、無理をしないでそういったものを食べて生活していればいいのにと思う。
そんな小生でも、ポテトチップスだったり、油っぽいものを食べると、急に体重が増える。これも小生がそういう体質なのかどうかはわからない。肉や魚を食べてもそれほど太らず、何が一番太るかというと、スナック菓子である。そして菓子パン。カロリーやら体積でもなく、油なのだと思われる。
小生はこれまでの経験を考えてみるに、食べ物とは体積や重さよりも質、特に脂っぽいものかどうかというものが非常に重要になってくるのではないかと考えている
体積で考えてみても、どんなにでかい大根を丸々一本食べても、ぜったいに太らない。菓子パンをひとつ食べただけで、明らかに体重が増える。
他の人はどうだか知らないけれども、おそらく同じようなもんなんじゃないかと思ってしまうが。
よくダイエットに苦しむ女性がいるけれども、彼女達は確かに少食かもしれないけれども、食べているものが悪いのだと思う。彼女達は少食といえどもポッキーだったりお菓子だったり食べているから太ってしまうのではないか。これが玄米だったり野菜をお腹いっぱい食べても、果たして同じようなことが起こるだろうか。
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さて、で、何が言いたいかと言うと、昨日の晩、玄米2合を食べた。その上に納豆3パック。そしてどんぶり一杯の味噌汁の飲んだ。 そうすると、一気に眠くなった。何もやる気がしなくなった。YouTubeを見てダラダラしたくなった。頭も働くなった。
ここずっと生玄米生活だけは1ヶ月やっていたから、あ、これほど違うんだとよく実感できた。
これを3食やってしまったら、頭がボーッとして疲れやすくなり、とても1日をまともに過ごせたものではないが、一日一食だったら、別に2号だろうが3合だろうが、それぐらいの量は食べてもいいと思われる。
例えば夕食の時間が20時だとしたら、それまでにその日のやるべきことを片付けたら、あとは20時になったらゆっくり2号でも3号でも食べて、あとはずっとゴロゴロしていたっていいのである。また明日頑張ればいいだけの話だから、20時まで何もしなかった自分が悪いだけの話なのである。20時になってから、遅れを取り戻そうとしてはいけない。やはり、朝がんばるべきである。
で、何が言いたいかというと、単純に違いを語りたいだけである。加熱玄米は、食べてる時は本当に美味しいなと感じられたが、つい食べすぎてしまい、食べ終わってみるとかなり苦しくなり、頭が働かなくなり、寝る以外なんにもしたくなくなる気持ちになってしまった。生玄米だと、まずこういう状態にはならない。食べた後も、ずっと頭の中に冷風がなびいているような状態が続くのである。そのくせ、生玄米生活の方がよく眠れる。
そして今日は朝、こうして文章を書いているのが、やはり生玄米食をしている時と比べると、どうもいまいち頭がはっきりしない感じがある。身体のスッキリ感も変わってくる。ちょっと2号というのは食べ過ぎた感じもあるかもしれない。1合だったらもっとシャキッとしたかもしれない。やはり、すべては食べ過ぎからきていると思う。質よりも量である。
何度も言うが、質よりも量。小生は自分の体験から、はっきりと言える。多少の化学調味料がどうのこうのというよりも、玄米(身体にいいもの)の食べ過ぎの弊害の方がずっと大きい。
生食の最高のメリットは、食べすぎないでいられることにあると思う。
生の食事だったらまず食べ過ぎることはない。美味しくないというのもあるし、不思議とここだなというポイントで、食欲がピッタリと止まるのである。そしてそれが、本当に人間の食べるべき量を当てているのだと思う。生でないと、この感覚は働かない。ヒポクラテスの言う通り、「火食は過食に通ず」というやつだ。
まあ、ほとんどの人が火食をやめるということは、まず不可能であり、絶対できるものではないから、別に生食を勧めているわけではないが、生食をすると、こういうことがあるという話である。
水野南北と出口王仁三郎にいたっては、人は元々食べられる量というものが決まっていると言う。そしてそれを迎えると、今度はどんなに腹が減っても食べれなくなってしまうそうである。そうなると、そのまま餓死する他ないらしい。もしそれが本当なら、過食の時代を生きている我々は、50や60になる頃には、一生分を食べ尽くして、食べたくても食べれなくなってしまうのだろうか?
人間は、食べている量の4分の1で生きていけると言われているが、うちの母親を見ていると、その通りだなと思うものである。
うちの母親はこんなものしか↓食べない。1日3食食べているが、3食ともこんなものである。3食分合体させたとしても、小生の1食の2号には到底及ばないだろう。
こんなもん食ってたら、かえって腹が空きそうなものであるが、なぜか知らないが、そういう人ほど太っていたりする。うちの母親も、かなり肉付きが良い方である。
少食にしていれば、頭脳が明晰になり、天運も良くなるというが、じゃあ母親が天才的な超能力の持ち主かというと、そうでもない。
女性なんかでも、本当に食べない人がいて、昼食時にうさぎのフンのような手作り弁当を食べていたりするが。嫁入り前ということを考慮して、食いしん坊と思われないようにやっているのかも知れないが、あれは、家に帰っても同じような食事をしていたりする。
そして彼女達も、別に天才でもなんでもない。寿司を2カンしか食べられないおばあちゃん達も、天才ではない。
田中みな実は、あまりにも痩せ過ぎてしまうので、無理して白米2合を流し飲みしているらしいが、それでも、あの通り細すぎるほど細い。
でも、田中みな実のほうが、ずっと天才的な女性である。