仕事

断食と同じくらい情報断食は必要

今日も朝7時にドトールに来て執筆をしている。
いつも7時に来て、アイスコーヒーを注文して、1時間か2時間ぐらい何もせずに座っている。

 

昔はよくスマホをいじってしまったが、今はそんなことはなくなった。
ただ何もせずに座っている。

ドトールの店員は俺のそんな様子を見て不思議に思っているだろう。別に誰も何も言ってこないが。
食べ物の断食もとても大事だが、同じくらい情報断食は大事だ。

 

とにかくみんな時間があればスマホをいじりだす。
ドトールは安いので勉強に訪れる学生がたくさんいるが、みんなすぐにスマホをいじりだしてしまう。

これは現代の最も重大な病の一つだ。今更俺が提起することもないぐらい重々承知かもしれないが、スマホのデメリットは図りしれない。
結局俺もこうしてスマホを使って音声入力で記事を書いているのでスマホに頼りまくっている(^_^;)

 

スマホをいじってる時は脳が死んでいる気がするし、この自然界に漂う何かと離れてしまっているような気がする。
ただ何もしないという瞑想のような、空白の中に身を置くという時間で人間は成長できるのだと最近は確信している。

 

この真っ白な空白の時間に身を置かない人間というのはどうも慌ただしくて世界の源泉というか、本流なるものからズレている気がする。話していて軽薄に感じてしまう。

みんなもったいないと思うのか、隙間時間に何かと詰め込もうとする。
食べ物と一緒で、食べれば食べるほど栄養が身につくと思っている。

しかし情報は、ファッションと同じでどれだけ引き算が大事かということに尽きる。

増やすのではなく減らすに尽きる。

仕事に取り掛かる前に1時間ずっとぼーっとしてるが、やばいときは4時間ぐらいずっと何もせずに座っている時がある。
アイスコーヒー一杯でずっと4時間も座っている。何もせずに(笑)

人によってはこれは苦痛だろう。
もしかしたら仕事に取り掛かるのが潜在的に嫌で、現実逃避としてただ座っているのかもしれない。

 

この待機中にスマホをいじりだしてしまうと、そのまま作業に移ることなく終わってしまうことがあるが、
ただ座っているだけだと、そのうちにちゃんと仕事に移れるようになれる。この差は大きい。

ただ座っているのは時間を無駄にしていると思うかもしれない。

とある昔、遠い北の国で、雪でかまくらを作って、その中でぼーっと一人で過ごす文化があり、それは神聖な行いで思索の極みで、それを邪魔することは大罪だと思われていたらしい。

その他にも祈りや瞑想だったり、昔はそういう時間を丁重にされてきた。

ただ何もしないで座っていると、自然界の本質を肌で感じ取れたり、心が縦横無尽にいろんな方向に流れ出して、今自分が最も大事な部分に精神を置いているんだという自覚になれる時がある。

 

俺は人と話すときもそういう態度でいるので優しいと言われることが多い。
優しい言葉を振り撒くことないのに、ただ静かに話しているだけで優しいと言われることがある。
まぁ、それ以上に変人と言われることのが圧倒的に多いが。

変なドキュメンタリー番組で、変な部族たちの特集をやっていた。

彼らは午前中に狩をして変な動物を食べたら、その後の午後の時間はずっと、みんなでテントの中で座っているのである。夜に宴があり、それまではみんなで座っているのだ。
腰に布切れを巻いた程度で、ほぼ裸のような状態で、5、6人が黙ってずっと座っていた。
特に何も話さず、外は暑いので陽を遮るテントの中で、座りやすい所に腰を下ろして、全員で何も語らずにぼーっとしていた。

 

その光景が印象に残っている。

多くの人はそんな時間は無駄だと思うのかもしれないが、俺は神聖な時間に思えた。

たくさん食べてたくさん情報を集めてるうちは、醜く肥えていくだけだろう。病気にもなるだろう。

 

何もなかった時代の方が精神的にも肉体的にも学術的にも人はしっかりしていた。
昔の人の手紙を見ると恐ろしいほどの文章力を持っていたことがわかる。
今の我々30代の人間がどれだけ逆立ちしても、昔の10代の人の文章に敵わないのだ。字もまた綺麗で美しい。

 

それは何もないぼーっとした空間の中で育まれたような気がする。
人は慌ただしく情報を吸収すればするほどダメになっていくんだと思う。
車に乗れば目的地まですぐ着いてしまうけど、1時間でも2時間でも、ただ思索しながら歩くという素晴らしい時間を奪い去られてしまった。

 

ソポクレスはいつもぼーっとしていて使い物にならず兵士として招集された時にも、船の上でずっとぼーっとしていたと言う。

ダウンタウンのまっちゃんも、そんなに本を読むわけではないけど、寝る前にいつも1時間ぐらいは1日の反省をしたりぼーっとしていると言っていた。そうしないと寝れないらしい。一日を過ごした気がしないらしい。若い頃からの日課だと言う。

ぼーっとし続けることで全体の空気の、得体のしれない何かを感知することができて、それを笑いに転換させている。
バラエティー番組で全体の空気をキャッチしたり、その空間の中で一番適した言葉をつかんで発することができるようになっている。
それは自分の心の静けさの中からしか会得できないものだ。
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スマホは決まった時間だけいじって後はなるべく触らない方がいいだろう。特に仕事の前には。

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