彼女が非処女だった場合の解決策
鈴木先生という文学的漫画で素晴らしいテーマがあった。
非処女はもう女ではないのか。
男はその女の初めての相手ではなかった場合、一生それを悔やんで生きていかなくてはいけないのか。
永遠にその初めてを奪った男に対して、嫉妬し続けていかなければいけないのか。
女の方も、初めてを別の男に受け渡してしまってつらい。私だって初めてを今の愛する人に与えたかった。
この男女のすれ違いを一生懸命描き下ろした素晴らしい漫画だった。
作者はスケベなのでいつもこんなことを考えているんだろう。
確かに、これは処女膜が再生したから一件落着という話ではない。
何十話に渡って、この問題に対してメスを入れて大手術が続けられてきたのだが、
残念なことに俺は頭が悪いので、どういう結末になったのかわからない。
一生懸命、鈴木先生が高尚なことを生徒たちに話して、生徒たちは解を得て嬉しそうな顔をして散り散りになっていったが、肝心な、鈴木先生が何を言ったのか全く忘れてしまった。
ちょっと前に読んだ漫画なのに分からなくなってしまうなら、初めから読まなかった方がよかったぐらいだ。
目を瞑って読んでたのと同じだ。
記憶に残らなかったというのは、大した解でもなかったのだろうか?
一応俺なりの解はある。
アナルだ。
アナルを撃てばいい。
普通アナルセックスなんてしようとは思わないだろう。
一生侵攻されることはない神聖な領域だ。
今の時代、男がモテ始めるのには時間がかかるので、意中の女を落とすことに成功できるようになっても、その頃にはもう、目当ての穴は朽ち果てて悪臭を放ち、パカッと開けてみると別の男の精液が流れてくる始末だろう。
仕方がないので、そこから3cmぐらい下にある、もう一つの穴を求めて生きよう。
こっちの穴の方が臭いけど、精神的な意味合いにおいてはよっぽど高潔で、常に「一方通行」で根がまっすぐで浮気なんて考えられないような性格を秘めている。
顔についている鼻の下にある穴も、すでに調教されて使い古されてしまっていて心許ない。
この穴も、外側からのものをひたすら受け入れ続けるという八方美人で浮気症な性格だ。
信じられるのは、受け入れる穴ではなくて出ていく穴だ。
アナルとはいい名前だ。穴の頂点でしか名乗ることは許されない素晴らしい名前だ。