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女がつい目がいってしまう男とは、金持ちの男である。

女がつい目がいってしまう男とはどんな男か、それは金持ちの男である。YouTuberのヒカルなんかも、女からすると、私はあんなチャラチャラしてる男は嫌い、半分髪を金髪なんかにして、自分をキャッチーに売り込むことに長けているだけで、自分というもので勝負していない。中身がない。ペラペラしている。私は割り切れない存在としてがんばっている。人間は割り切れない存在なのだから、この姿のまま勝負するのが本当だ。私はこのままいってやるんだ。と、女は成功者に簡単になびくと思われがちだが、思い通りになってやるもんか、という反骨精神の方が強く働き、まだ口説かれてもいないのに一生懸命に抵抗を開始するものである。

しかし、そうだとしても、女は金がある男だけはどうしても目がいってしまうものなのである。

短髪のスポーツ刈りで、簡単なTシャツとジーパンだけ履いて、YouTubeやヒカルに対して、「俺、あがいなことはよくわからへん」と言っているような九州男子の方に魅力を感じ、彼の清貧な生活態度を見て、彼の身の世話をして生きるのもいいかもしれないと思うが、しかし、そちらの方のときめきも長くは続かない。

例えば、九州のとある田舎で、彼女と田舎者達が一緒に暮らしていたとして、昼は彼らと共にクワを持って畑を耕し、夜は古民家の縁側で、鈴虫の声をバックミュージックにしてウクレレを弾く、そんな生活をしていたとして……、そこから、彼女が金持ちの男に素直になれる道を考えてみよう。

「ほんま、ここでは何でもあるきに」「人間の幸せがぜんぶ詰まってるきに」畑で取れた野菜を七輪で焼き、泡盛を囲いながら、村の男達が言う。「カンチは村一番の好青年だきに」畑仕事から帰ってきたジジイが言う。村ではもう、彼女(チカコ)とカンチが結婚する流れみたいになっている。

「今日はほんまに美味い野菜が取れたで」「やっぱり人は中身が肝心や」「ヒカルなんて大したことないきに」「ヒカルは金儲けが上手いだけや。牛の乳搾りもまともにできんきに」「牛の乳か絞れんじゃあ女の乳もまともに絞れんきに(笑)」「おまーらチカコがいる前でよさんか(笑)「カンチの方が偉いきに。隣町まで行って地蔵磨きをしとるんや」

「おまーら、大概にしい」カンチはそうは言うものの、まんざらでもなさそうな顔をする。

「ほんま、うまい空気と水さえあれば、他にいらんきに」「そやそや」

「ほら、チカコも酒のみーに」「あ……うん」チカコは酒の搾りカスのような声しか出てこない。気のない返事だ。彼らの現状の満足の上にあぐらをかいている姿勢が気に入らないのか。チカコは彼らのような牧歌的な人間を求めてやってきたはずなのに、どうしてもこの場の空気に同調できずにいた。

彼らはたしかに優しい。どこも嫌なところはない。いちばん風呂はチカコに用意し、汚物ケースの取り扱いなどもデリケートに考えてくれている。この村に来る前には、羌族とか匈奴みたいな要素もあるかとチカコは心配していたが、彼らが女性の取り扱いを心得ていることに安心した。

しかし、今日も今日もとて、勝利と敗北と関係のない幸せをおかずにして泡盛を囲い、敵に攻め入って来られたら容易に討ち取られるだろう彼らの危機感のない顔を見ると、チカコは走り出したくなる衝動に駆られる。周りも走らせたくなる。今日は昼、十分働いたはずなのに。牧歌を求めてやってきたのはチカコなのに、なぜ牧歌を否定するのか。今は泡盛の時間だ。この時間にいったい何を焦ろというのか。人が休憩していると働かせたくなる。人が働いていると休憩させたくなる。

「チカコは東京もんにしてはなかなか気骨がある女や」

「チカコの尻は安産型や。この村でいちばんいい尻をしとる。100年に一人の逸材や。才能があるけぇ。この村に来たのは遅かったが、遅れはすぐに取り戻せるけぇ」

(何の遅れを取り戻すの?)

「村長。女性はそういう風に、まるでどこから計算してもこの村で子を生んで育てることが完全無欠に合致していたというような、生き方が決まっていたかというような物言い、選民思想、村の女達より村の女的だと言うような、運命論の立場から評されるのが男と違って嫌いけん。そう言われると、かえってケツを細くしたがるのが女じゃけぇ。女がとつぜん髪をピンク色にしたり、すっぴん顔を見せたがるのには、こういった理由があるけえ。自重せい」

「カンチ」

「やっぱりカンチは違うけぇ」「ふむ。カンチはこの村に染まりきってる割には、ヒカル的な要素も持ち合わせているけえ」「これからは、こういった田舎出でありながら都会的な思想を持っている男が出世するけえのう」

清貧の美徳をみんなで有難がる風潮が薄気味悪いのか、その空間の一員でいることが納得いかないのか。チカコの中の納得行かない気持ちが、庭の柿の木のように育ちつつあった。私はヒカルにつくべきか、彼らにつくべきか。チカコはこの気持ちを一生隠し通す気でいた。よかった、彼らが鈍感で。ヒカルだったら見抜かれていただろう。私は金になびく女ではない、それは確かだ。吐き気を催して、チカコは外の空気を浴びたくなってきた。

「チカコ、どこ行くんや」

「ちょっと……散歩に……」

「散歩〜? こんな夜更けに? 女衆がこんな夜遅くにほっつき歩いたがばってん、傷物にされちゃあ」

「そげなこというやない。この村にそんな男がいるはずなかんきに」

「心配しないで、すぐに帰るから」

彼らの心配をよそに、チカコは外に出た。

田舎の夜は暗い。しかし今日は満月が出ていたので、チカコは月の光に導かれるように、海へ向かった。

海に行くと、ヒカルがいた。

え? ヒカル? どうしてここに?

あの天下のYouTuberのヒカル様がこんなど田舎になんの用だろう? この地をリゾート開拓地にする打ち合わせに来たのだろうか? それ以外にヒカルがこの地に足を踏み入れる理由などあろうはずがない。しかし、そうだったとしたら、村の男衆は、気がおかしくなってヒカルの髪を引き抜いてしまうに違いない。

(凄い、本物だ)

暗くてはっきりしないが、微かに月明かりに照らされていて、人間の頭部と思われる位置に半分だけ黄色い物体が浮いている。そんなことはヒカルにしか起こらない。

YouTubeでしか見たことがなかったヒカル。話題にしたことは数多くあれど、実物を見るのは初めてだ。しかし、口にその名前を出したことは数え切れないほど多かったからか、チカコは不思議と初めて会った気はしなかった。

チカコは思い切って、ヒカルに声をかけてみた。

「YouTuberの、ヒカルさんですよね?」

あれほど嫌いだったヒカルに、自然に話しかけられていることにびっくりした。チカコは自分の心の中のどこを探しても、ヒカルに対する悪意が見つからなかった。有名人に出会った感動で、悪意も霧消してしまったのか? チカコは自分の真意を確かめたかった。

「この村の人?」

ヒカルは質問で返した。

「いえ、違います! たまたまちょっと移住してきただけで。移住と言っても、まだそんなに長く住むかわからないんですけど」

「そうなんだ」

「……」

私は何を言っているんだろう。別に聞かれてもないのに、なぜこの村に深く関わる気でない人間だとヒカルに思ってもらうための発言を早口で言ってしまったんだろう、とチカコは赤面した。

「ヒカルさんは、どうしてここに?」

「ちょっとね……」

と言って、ヒカルは星空を見上げた。

「本当に、ここは、星がよく見える」

「……」

それは、村の男達が星空を見上げる時の顔よりも、ずっと星空の価値を理解している顔に見えた。ヒクソンが海に入る前に2時間ストレッチして、やっと海に入り、まるで光合成のように両手を広げて、海のプラーナ(生命エネルギ一)を吸収している映像を、チカコはYouTubeで見たことがあったが、チカコはその時のヒクソンの姿をヒカルに重ねて、じっと見入っていた。ヒクソンは、「海を自分の中に落とし込むには技術がいる」と言っていたが、ヒカルがYouTuberとして成功したのは、そのためではないかと思われたからだ。

(海を自分の中に落とし込む技術……とは……)

チカコはヒカルがこんな詩情性を持ち合わせていることに嫉妬した。この詩情性は、この村に住む人間の特権だと思っていた。金持ちにもこんなふうにして見上げられたら、私達はどこを頼りにして生きていけばいいのか。

チカコはこの詩情性だけが唯一ヒカルに勝る武器として君臨するものだと思っていた。ヒカルのことをもっとずっと人工的な人間だと思っていた。内面的な富の深さでは負けない自信があったのだ。しかし、その希望は見事にうち砕かれた。もしかしたら、とチカコは思った。もしかしたら、ヒカルは村の男達より人格的に勝っているかもしれない、と思った。いや、「人格的に勝っていてほしい」か。チカコのこの気持ちは何を意味するか。ヒカルが金持ちではなかったら、発生しなかった気持ちだったと言っておこう。

「ヒカルさんは、ここで何をされてるんですか?」

チカコはもう一度、同じ質問をした。彼の瞑想的な領域に立ち入るのは愚行かと思ったが、チカコはそうせずにはいられなかった。

ヒカルはゆっくりと口を開いた。

「自分が軽薄な人間なんじゃないかって」

「……」

ヒカルは一言だけそういった。不思議とチカコにはその言葉の意味するところが分かった。軽薄。自分自身から出てくる声、言葉、吐息、行動、何から何まで疑わしい。いくら金を持っていても、宮本武蔵や大山倍達、ルフィ、黙って重たい建設物資を担ぐ人、男しての骨太さは彼らに見劣りする。ミレーの絵画の「種まく人」のような人間にも到底敵わない。風が吹けば飛ばされそうなペラペラ感、しかし自分が自分であることをやめられない以上、いつでもどこまでもこのペラペラ感がつきまとう。これまでペラペラを売りにしてきたヒカルだったが、それが人々の常識となると、今度はそれが我慢できなくなってしまう夜が訪れるのである(じっさい、ヒカルが夜にホテルで一人で考え事をしているときの顔は、中級クラスの哲学者と称していいほどの深淵めいたものがあった)。本当はペラペラじゃない。何をどうやったら重々しい空気が立ち現れるのか。これ以上ないほどのコンプレックスの吐露、ヒカルは自分自身にアレルギーを発症してしまっていたのだ。

「実際、どう? 俺って軽薄な感じに見えるでしょ?」

「い、いえ……そんなこと」

チカコはこういうとき、相手の矜持を復活させるための言葉を見つけるのが上手かった。なぜならそれは、普段ヒカルについて思っていることを逆に言ってやればいいだけなのだから。

「うーん、軽薄に見えるかぁ……、うーん……そういう人の意見もあるかと思いますが、テレビに出たりYouTubeで上位クラスになる人っていうのは、私生活で相対してみると、違う感想になるんじゃないかと思いますね。ココリコの田中さんは、普段、ほとんど黙ったきりで一言も話さないというし、芸能人は、普段まったく話さないという人が多いらしいですね。ココリコの田中さんクラスでそれだと、もっと大物芸能人クラスとなると、もっと話さなくなるのかもしれませんね。たぶんですけど、本当に軽薄な人、空っぽな人が何かを発信しようとすると、口に出した直後から泡沫化していってまったく形に残らなくなり、視聴者に何一つ情報を届けられないと思います。それは、透明な時間の中でしか育たない客観性を持ってないから、ワ―とかキャーとか言いながら泡盛を頭上にかかげるだけの動物めいた発信内容になってしまうのだと思われます。私が思うに、ヒカルさんはお友達と居られるときは、わりと静かに周囲を観察しているんじゃないかと思いますね、そしてそこから持ち帰った物を、まくし立ててお話されているのであって、それは立派な芸だと思います。大物芸能人たちはみんなそういうスタイルだと思います。いったいどれだけの人がヒカルさんのようにお話できるでしょう。自分の言葉を手足のように自由に扱いたいという、一つのことを完全にしたいという尊い試み、決して軽薄なんかに値しません」

「……」

ヒカルの目の前ではこう言ったものの、チカコは友達と電話で話すときは、以下のように語っていた。

「基本的にYouTuberのトークスキルは低い。YouTuberのいちばん上を持ってしても芸人のいちばん下に敵わない。ジェットカットを多用して、人間の持つ間、時間、空間、情緒というものを一切廃している、あれが良くないね。日本が古来持っていた俳句や短歌の念を失っている。アメリカのやかましいCMみたいな、情報だけをマシンガンみたいに撃ちまくるのを良しとしている。完全に西洋文明に毒された発信方法だよ。大喜利が下手なんだね。一発だけ核となるものだけを用意して、時間たっぷり使って、その目玉となるものを掘り下げていけばいいのに。ダウンタウンの漫才やフリートークはゆっくりしてるでしょ。ダウンタウンやジャルジャルのコントは瞬間芸だね。題目、役割だけを用意したら、あとはセリフの細かいところは決めない。二人でその世界に飛び込んで、そのシチュエーションの約束を守りながら、アドリブで次から次へと差し迫ってくる勝負に挑んでいく。そういうとき、本人達でも次に何を言うかわからない。そのスリルやギリギリ感を視聴者と共に体感して、そのギリギリのところで即興で生まれた言葉は、用意されてあった言葉より生命を持つ。パッと闇の中で光明のような言葉に出会うというか、八方塞がりで道なき道に差し込まれた一条の光に出会って自分が感動する。すると、自分の感動が視聴者の感動につながるんだね。私は今さっちゃん(友達)と電話してて、1分も2分もお互い無言が続いてしまうこともあるけど、それを含めて、『会話』だと思う。案外、人間というのは話しているときの言葉より、黙っているときの方が言葉を持つものだよ。小説も行間に神が宿ると言うし。ヒカルがあれだけ早く話すのは、一種の焦りだろうし、自分の中の何かを隠匿するためだろうね。ヒカルもメンタリストDaigoも一度黙った方がいい。『僕はうるさいから黙ります』というタイトルの動画で、10分黙っている動画を出したほうが再生数も伸びるんじゃないかな? いちばん押し黙って、いちばん静かになって、そこから浮かんでくる彼らの核となる言葉を配信してほしいと思うのは、私だけじゃないはず」

この世界にあるものは認識でしかない。人は一つの事項の表裏を選択しているに過ぎない。人間の長所と短所がその最たる例である。チカコは、ふだん友達と話しているヒカルについての内容をひっくり返して話したのである。

しかし、チカコは、あまりヒカルの悪口ばかり言っていると、逆に嫉妬していたり、意識しているように見えなくもないから、ヒカルの話題に関してはぜったいに話さないと決めていた。いつからか、ヒカルの話題が出ると、ふーんと、うまくいなすのが板についてきてしまっていた。女が金持ちの男を話題にするときは、だいたいこのような態度を取る。

女性は男に対して、つうじょう減点方式で採点を始めていき、及第点で留まれた男に対しては、ご褒美として自分を分け与えるが、しかし、金持ちに対しては加点方式で採点を始めていく。つうじょう男がしでかす些細なミス、失態は、金持ちが行った時は減点せず、加点的な行為を行ってくれたことだけを+値とする。言い換えれば、もう満点なのである。後はその満点のプリント用紙を自分のところへ提出してくれるかどうかということなのだが、しかし、急に提出されたとしても、受理するわけにもいかない。しかし、受理されなければならないと思っている。つまり、すべての女が、ヒカルが結婚のアプローチをしてこないことにイライラしている。今、そういう話をしているのである。

チカコは最後のチェックとして、余計なことかもしれないと思ったが、とある質問をしてみたくなった。

「あの、ランボルギーニ乗ってますよね。あれって、その、楽しいのですか?」

金を稼ぐことは決して悪いことではないし、努力の結晶として素直に讃えることができる。が、しかし、問題は金の使い方なのである。チカコは金持ちの金の使い方のほうをものさしにしていた。この人は、いったい何にお金を使うのか? いくら綺麗事を言っていても、ランボルギーニを乗り回して悦に浸っているようじゃ浅はかに思われた。無論、結婚した後のことを考えても、ランボルギーニを何百台も買われて自己破産というマイク・タイソンみたいな例が起きても困る。金があり、かつミニマリズムの精神がある男が望ましいと思ったのだ。

「ああ、あれはね、税金対策だよ」

「あ、税金対策」

「(金を)持ってるだけだと、税金として持ってかれちゃうんだよね。高級車は値が下がりにくいから、担保として都合が良くて。本当はべつに何十台もランボルギーニなんていらないんだけど、普通にアクアの方が乗りやすいし。ただ、部下の交通手段としての経費としてカウントされるんだよね」

「あーなるほど」

これを聞いたチカコはスッキリした。満点のプリント用紙がちゃんと自分に行き渡ったのを感じた。しかし、実際は、最後の問いにヒカルが「ランボルギーニが好きだから乱れ買いしている」と答えたとしても、減点はされなかった。そして、このあたりから、チカコはヒカルの髪型をかっこいいと思うようになった。

女性の生理的現象のひとつの特徴として、イケメンを見てもイケメンだと思わない。初めてイケメンを一瞥したときは、むしろ不快の方が勝る。イケメンの性格を知り、イケメンと打ち解けることによって、急にその瞬間から、彼がイケメンであることを発覚し、有難がる様になるのだ。それは、柿の木に実っている柿が取れないと、「あの柿はまずかった」と周囲に言いふらすようになってしまうのと同じ理屈だと思われる。

女性は金持ちに迫られると逃げていくが、それは、金持ちと仲良くなるためには、こういった特別な段階を踏まなければならないからである。金を持ってれば女は簡単に手懐けられると思うかもしれないが、女はそう思われるのが嫌だから、このような前提を必要とする。

チカコがヒカルと付き合うためには、これらのお膳立てが必要だった。運という名のお膳立て。外的要因、社会的要因とも言える。チカコがヒカルの何にイライラしていたかというと、これまで、このお膳立てが用意されなかったことに対してイライラしていたのだ。すべては揃った。これでやっと彼女はヒカルを好きになれる。

お膳立て(社会的要因)とは、

1、周囲の人間が金持ちを非難することで自分たちを持ち上げること

2、金持ちの孤独な戦いを自分だけが知ること

この2点である。

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