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タリーズのバックヤードは

タリーズのバックヤードは

確かに、けんもほろろ、というように、雨後の筍、女が女、女を呼ぶ。

また新しく一匹、女が増えた。今度は若い子だ。

歳をとっても威厳がたつ。古くからいる、年配の女従業員は、女の貫禄というか、立つ瀬がたつ。セネカの時代の長老のように、よく慕われている。これがやはり、男の職場で一人立たされていたら、こうはならなかっただろう。土曜日と言って、7、8人が雁首並ばせている。なかなかに、満喫くさい。きな臭さだ立ち込めそうなものだが、やはり若い子はしおらしく、それからもういくばくかした、この前までは、2、3年前までは同じく潮らしいものとして、自他ともに認められていたその新米も、今じゃその役を譲らざるを得ない。まるで、女子校だな。こうやって女が女が呼び、女が結集している。しかし、こうしてみると、いくよるべを失ったような、何か自分たちのよるべとして、さし示してくれる指揮棒のありかを探し求めているようだ、その指揮棒はちんこのような形をしているに違いない。およそ女というものは、これから解放され、どこまで汚れ落ちる瞬間のために男を必要としていると思わなくもない。この女子更衣室のような空気を満遍に吸って、限界点のような顔をしている。お笑い芸人の汚いコントも、ああやって笑っているけれども、汚さの所在を他人のせいにして、自分の責任ではないということにしているけど、ほとんど女がそうやって男の行動を指定しているものだ。そうやって、自身もまた、その汚いもののために美を貫いているように思えなくもない。いつかくる日の、いつかくるその汚いものに身を沈める日のために、タリーズのバックヤードの連中の女陣は、全員、その波動を汚いものののために身を埋めるための日のために、ああやって輝いている気がしないでもないのだ。

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