ふと、エミリーディキンソンのこの言葉にひかれ──
「魂はいつも少し開いていて、恍惚とした体験を迎える準備ができているべきです」
「人生の中に恍惚を見つけなさい。生きているという感覚だけで、十分な喜びなのです」
「生きるということはあまりにも驚くべきことで、それ以外のことに費やす時間がほとんどなくなってしまいます」
たぶん、この人は本当にこの中で生きていた人だと思う。いや、それとずっと戦っていたというべきかな、どうにも、一つひとつ有象無象を紐解いていき、たった一つの、やはりそうだとしか思えなかったという、最初から目星をつけておいた、精神の秘宝の最後の在処を予見しながらも、その道中において戦っていたと思われる詩が多い。
自分の他にもこんなことを考えて戦っている人がいるのかと思った。いうのも恥ずかしいが。
俺というのも、寝転がって、一日が終わってしまう。何をしているの──?と聞かれると困ってしまうが、それは人々の多くの人が返答に困ってしまうだろう。何もしていない──。何もしていないのだが。
ただ、存在していること、生きていること、
そんなに、つまらなくもない、不幸でもない、退屈でもない、たまに寝ているのと変わらない感覚に陥ることもある。死んでいるとも変わらない感覚に陥ることもある。
ふと、一日が、何もしていない時間なのに、ただそれが心地よく感じられることがある。食べ物が関係しているかと思ったら、そうでもないようだ。食べ物はその下地を整える上で、いい働きをするが、
しかし、こんなに難儀に難儀を重ねなければ、幸福を手にできないとしたら、人々が幸福を追い求めるのをやめ、べつに変わる快楽を求め出していってしまうこともやむを得ないだろう。
あんがい、瞑想などというものは、静かにして、この生の存在からやってくる喜びをかみしめる行為なのかもしれないね。