出会い系の27歳の女と、明日会うという段階になって、「私、結構太ったりしていますけど大丈夫ですか?」というメッセージが来たので「どれくらい太ってるの?」と聞いたら「柳原ぐらいです」と返ってきた。「ちょっと柳原はきついです、すいません」と送ったら、
「うわぁ、最低ですね、人を見かけで判断するんですね」
「っていうか無視してくれればよかったのに、なんでいうんですか? 余計傷つきました。っていうか元々私会う気なかったですー七 全然気にしないでいいですよ(o^^o)」
「細くてモデルみたいな可愛い子と上手くいくといいですねー七」
と、立て続けにメールが3通送られてきた。これまでは、何でもハイハイ言うような殊勝な文面だったので、びっくりした。「そうですよね、すいません」とでも返ってくると思った。
会う前に、ちゃんと柳原クラスのデブと申告することは、立派な行為だ。なかなかできることじゃない。
俺は尊敬して、その勇気に応えようとしたら、こんなことになってしまった。
友達にも、「ひでぇなお前、無視してあげろよ」と言われた。
「もう明日会うという段階だから無視もできないじゃん。待ち合わせ場所に来ちゃうかもしれないじゃん。明日は用事があってすみませんって言うの? 明日会おうねって送ったばかりなのに? 柳原だけど大丈夫ですか? と言われてすぐに、急に用事ができたのですみませんなんて、笑って送れねーよ(笑)」
「まぁそうかもしれないけど、言葉にした方が傷は深いだろうね」
「傷か」
無言で断られるのと、口に出して断られるのと、そんなに傷の深度は違ってくるのか? 同じことのように思えるけど。そもそも、傷つくとか傷つかないなんてどうでもよくないか?
痩せない以上は、どこで何をしても、何百万回の傷を負い続けるし、これまでもそうだったんだから。
誰も何もいわないのが本当に良くない。自分で努力できなくてこうなってるんだから、周りがなんとかするしかない。友達は何も言ってくれないのか。親もノータッチなのか。
不機嫌になられても、30kg減るまで、ずっとしつこく喰らいつく。何度、断られても付きまとい続けるのが友達や親じゃないだろうか。デブを放っておくのは、ガンを放っておくのと同じだ。
しかし、デブに限って性格が悪いの多いのなぜだ?
今回もそう。立て続けに醜いメッセージを3通送ってきた。堪え性がなく、みなぎる負のパワーを相手にぶつけてしまう自分を許してしまっている。そして、精一杯、俺を傷つけようとした。
感情だけじゃない。頭も悪い。「そういえば、私、元々会う気なかったですー七」なんて強がりは、中高生でもやらない。俺に傷を与えようとがんばってみても、こんな瑣末ものしか送れない。音符がまた痛々しい。( ´∀`)y━・~~←今は見なくなったが、昔の2chは自分を優位に見せるために、こんな顔文字を使う奴ばっかだったのを思い出す。怒りも笑いも起こらず、ただ悲しくなった。27歳で、これか、と思った。
どうせ相手を傷つけたいと思うなら、もっと写真の悪口をいうとか。
『ナルっぽくて気持ち悪いです。男のカメラ目線ドアップやめた方がいいですよ?』
『これ絶対に盛ってますよね。明らかに光の加減とかおかしいし』
『32歳でも若く見えるようにと、がんばってる感がでちゃってます。写真加工して一生懸命女の子漁って必死ですね、仕事もそれくらいがんばってたら、今頃結婚してましたね』
『タップルに載せるために、わざわざヒョウ柄のシャツ、クローゼットから取り出しましたよね? なんで部屋の中でこんな格好してるんですか?(笑) めっちゃ撮り直してる感出てるし(笑)』
『一体いつからこんなことしてるんですか? 周りが結婚していくなか、ろくに仕事も精を出さず、会社で相手見つけられないから、出会い系やって、おっさんのくせに歳に合わないような格好で痛々しいです。出会い系に命賭けてる感じします』
『仕事も結婚もできなくて毎日苦悩にうちひしがれてるのに、タップルの相手にはバレないようにしなきゃ、って空元気が写真や文面から出ちゃって痛かったです』
とか、いろいろありそうだけどな。
必死すぎて逆にアレか。それに、お互い様、か(笑)
コホン。
だけど、『なんでいうんですか? 余計傷つきました』というメッセージは、ストレートに心に響いた。これは、頭じゃなくて身体で作られた文章だろう。正直で、いい。
賢い人間は、傷つけられたとき、傷ついたと素直に言ったりしない。降伏を意味してしまうし、相手を調子づかせてしまう。だから、傷つきましたと、素直に言われたのは新鮮だった。心に響いて俺も傷ついてしまった。
しかし、やはりというべきか、苦悩は脳を小さくするのか? 確かにデブやブスは、美人より内面が醜悪にできていることが多い。
小説家のモームは、この問題に対して、「人間に苦悩は必要ない。ただ卑屈になるだけだ」と言っている。この言葉はモームの色んな小説に出てくる。やっと導き出した愛しの真理だったのか。
大文豪のモームがいうんだから、そのまま鵜呑みにして、考えるのをやめちゃっていいのだが、俺も、人間に苦痛が必要かどうかは考えてしまう。
全く苦痛がないとクソ人間になるとは思う。嫌なこと、孤独、未来への不安、布団の中で歯を食いしばって、死にたくて仕方ない夜もある。だが、がんばって乗り越えて朝を迎えると、自分が一段と皮がむけたような気がする。
筋肉痛と一緒で、大きくなるには痛みが伴うものだから、どんどん苦悩した方がいいと思っていた。自分から苦悩に向かっていった。
全身でいっぱいに苦悩をするのはどこか気持ちよかったし、達成感があった。だが、今は苦悩ほど邪魔なものはない思っている。
何も考えず淡々と目の前のことをできる時間だけを愛おしく思う。
人間は考えてばかりいるから苦悩する。行動しない人間はいつも苦悩している。苦悩はつまるところ、行動しない人間に対する神の制裁じゃないだろうか。神が痛みを通して最も大切なことを訴えている。
結局人の人生は苦悩を避けては通れないし、どれだけポジティブに自分を固めても、その隙間をいつも悪魔に狙われている。決意を新たにしたって絶対に避けられない。行動だけが、苦悩を解放する。
この子は、デブでつらくて、どんどんどんどん苦悩して、身体の体積と反比例するように、心は小さくなってしまった。
デブは治る病気だ。これだけの情報社会の中で答えを見つけられないのは残念だ。