仕事

仕事はやりたいことよりもできることをやること

投稿日:2018-05-10 更新日:

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 最近友達が「仕事がつまらなすぎて飽きた」と泣きついてきた。

「これからはAIに仕事が取って代わられると様々なところで言われている。なんだか本当にそんな気がしてきた。今俺らがやっていることは本当に無意味で、それなのに仕事ができない部下を抱えていて、こいつらをよく怒っている。こいつらを怒って、こいつらを正したとしても、全て水泡に帰すかもしれないのに、何で怒らなくちゃならないんだろう? 一体自分が何をやってるのか分からなくなる、彼らを怒ることも、そして自分が毎日働くことに意味があるのか? たとえ意味があったとしても、もう飽きた!つまらなすぎて限界を迎えた……!」

 友達の気持ちはよくわかる。俺は3年で限界を迎えてくれた、もう元の世界に戻る気はない。このまま前のめりで死ぬ予定だ。

 もう一方の友達でパティシエをやっている人がいる。この人は東京でパティシエをやっていて月給が14万円。年収は200万円にもならない。家賃が8万で死にそうで、それでも毎日楽しそうだ。休日も生活費と戦いながら、三ツ星ホテルで食事をして勉強している。趣味と勉強が一緒になっている。こういう人は別に給料が低くても全く問題はない。とりあえず生活ができて、自分自身といえる仕事をやり続けていれば、いつか報われる時が来る。

 人はいつも自分の理想な仕事を求めている。食べていくために、しぶしぶ今の仕事を受け入れているが、本当にこれでいいのか? と思わずにはいられない。どうやったら理想的な仕事が見つかるのか? そこで、理想的な仕事を探す上で、ある2つの意見がある。

 1つは林修先生の話。

 林先生は、人間はやりたいことじゃなくて、できることをしろといっている。他人が困難であっても、自分には簡単にできてしまうことがある。林先生の場合は、それが塾講師だった。

 みんながみんなできてしまうことでは意味がない。地球上にこれだけ多くの人が存在する理由は、その人にしかできない役割をもって遣わされたからである。

どうしても、人は自分のできることよりもやりたいことを夢みてしまう。そして挫折する。まぁ、実際は夢だけ見て何も行動を移すこともなく、時間だけが過ぎて諦めるというのが現状だが。

 この「やりたいこと」とは、他人がやっていることを羨望する心持ちである事が多い。憧れであり、必ずしも自分の特性に合っているとは限らない。

 林先生は、「他人がいくら背伸びしてもできないことが何故か自分にとっては簡単なこと」を、仕事に選べという。それは色々挑戦してみないことには見つからないという。アルバイトはするなといっている。アルバイトは確かに小遣いは稼げるが、時間を引き渡さなければならない。そんな時間があったら借金してでも片っ端から色んなことに挑戦してみろという。

 人間は自分にしかできないことが見つかると、それを愛さずにはいられなくなるとスティーブン・キングも言っていた。

 俺もこのブログを書く上で書けることしか書かないようにしている。本当は色々もっと複雑で面白くてびっくりさせるようなことを書いてみたいけど、なかなか書けるもんじゃない。すごく労力を使って、労力を使う割にはまるで筆は進まない。自分の書けることだけを毎日書いていたら、特に労力ほ入らず、淡々と筆は進む。

 やりたいことをやろうとするのではなく、自分が簡単にできてしまうことを見つけることが肝心だ。周りがどうあがいても難しくて、自分に簡単にできてしまう仕事なら、大切にせずにいられなくなる。つまり、やりたいことをやっているのと変わらなくなる

 なかなか人は自分のやりたいことできることに気づけないでいる。傍から見れば、意外とわかるものだけど、本人が一番気づかないことがある。

 お菓子を作るのが好きで、2000円もする製菓の本を毎月取り寄せておいて、それでも自分のやりたいことはお菓子作りだと気付けない人がいる。お菓子作りが自分にとってあまりにも自然すぎるので、そのまま意識することなく通り過ぎてしまうんだろう。苦労して実現したものにこそ達成感とやりがいを感じて報酬に値する行為だと思ってしまうんだろう。

 自分が無意識に自然にできてしまっていることに気づかなければならない。

 2つ目はマザーテレサの話。

 マザーテレサは祈りの習慣があった。祈ることで心が静かになり、雑念が消えて、無色透明となって澄んでくる。この澄んだ状態になると、自分の中に神の意思が感じられるという。

 この神の意思は、他の言葉でいうと、直感とか、潜在意識とか、イドとかそういった類のものだろう。多くの偉人や天才達は、自分を脱却し、この神の意識を利用して仕事を成したことが様々な資料から推察される。静かになり、自分の心を極めて静かに観察すれば、自分が今何をすべきかわかってくる。

 人はやりたいことはあるけど、自分でブレーキをかけている。この「やりたい」という気持ちは、残念なことに、美味いものを食ったり、デートしたり、家でゴロゴロしたり、様々な欲求より下に位置してしまう。自分のすべきことややりたいことをやっているときは、光芒に包まれたような素晴らしい精神状態になることがあるが、それでも、いつもこれをしていたいという気持ちにはならない。食うか寝るかしている方が気持ちがいい、楽しい。ここに問題がある。

 だが食うとか寝るとかの楽しさは、後味が悪く、後悔を呼び、不毛な時間となって帰ってくる。死にたくなってくる。常に毎日を素晴らしい仕事による光芒の中で生きていたいものだ。みんなそう願っている。人間の一番の幸せはやはりそこだ。そして指一本動かなくなるぐらい精いっぱい働いて、世界が終わったように一日の眠りにつきたいものだ。

 目を閉じて瞑想して、神に祈り、自分の心を常に澄み渡るようにすることで、やるべきことに専心できる自分を造ることができる。

 とあるシスターになりたての女の子が「私は、食べることや寝ること、ダンスが好きです。そんな私が貧しい人に尽くせるようになるにはどうしたらいいでしょうか?」とマザー・テレサに言った。

 マザーテレサはそれに対して、微笑みながら「祈りなさい」とだけ言った。

 これは、心が澄んでいけば、自分の中の私利私欲がなくなっていき、神の大きな意識がそのスペースに割り込んでいき、誰かの為に尽くせるようになるという意味だ。「祈りなさい」とだけ返されたら、馬鹿にされたと思うかもしれないが、マザー・テレサは祈りが、祈りこそが、自分を発見する最大の営みだと考えていた。

 祈るというと、現代人にとっては無意味で宗教くさくて、アレルギーを起こす人が多いと思われるが、こんなうるさい時代に生きる我々にこそ最も必要なことではないだろうか?

 自分の心をひたすら静かにして、澄ますことで、神の声が聞こえてくるとマザーテレサはいう。直接言葉で語りかけてくれるわけではないが、心で静かに感じ取れるようになってくる。常に自分の心を静かにして、神からのお告げだけを頼みにして生きるということだ。

 補足だが、イケダハヤト氏は、やりたいことを見つけるには環境が必要だと言っていた。

 その環境とは、貯金を100縲鰀200万貯めて、田舎や実家に引っ越して、節約しながら仕事をせずに暮らすというものだ。そんな暮らしをしていれば、ずっと引きこもっているのも苦痛だから、必ず何かしたくなるという。そして自分がやりたいことをやりたいだけ過ごすことが可能になるので、その過程で好きなことが見つかるといっていた。週に2日働けば生活費に困ることはない。残りの5日で自分のやるべき仕事を見つけたらいいのだ。

 というわけで、これら全ての要旨をまとめると、仕事を辞めて、最低限の生活費だけ稼ぎながら、様々なことに挑戦して、自分の無意識や生活を見直し、何が自分のできることなのかを考えて、神と霊交して自分の心の深屈を図るということだ。余計な外界のできごとに惑わされたり、自分の時間を奪われず、好きなことを好きなだけやって、思索して反省して瞑想して、心を白紙にして、神の声をしっかり聞く。自分の仕事を見つけることは早急の課題だ。今すぐ動かねばならない。

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