外へ出る時にはいつも、あごをぐっと引いて頭を高く上げ、大きく深呼吸すること。太陽の光を全身で受けとめ、友達に会えばにこやかに、心をこめた握手をする。誤解されるのを恐れたり、敵のことを思いわずらって、一分でも無駄にしないこと。こうしたいという目標をしっかり心にとどめれば、あれこれ迷うことなく、あなたはそれに向かってまっすぐ進んでいく。こうなりたいという輝かしい理想を胸に抱き続けること。そうすれば日がたつにつれ、目標達成に必要なチャンスを無意識のうちにものにしているだろう。ちょうど、珊瑚虫が流れ去る潮から自分に必要な養分を摂取するように。あなたがそうなりたいと願っている、有能で熱意あり役に立つ人物を頭の中に思い描くこと。その思いが、目指す人物へ刻々とあなたを変身させていく。……思い、これこそ至高のものだ。いつも正しい心的態度を持つこと。勇気と率直さと朗らかさを忘れないように。正しい考え方をするとは、何かをつくり出すこと。すべては願望を通じて実現し、誠実な祈りは必ず応えられる。私たちは自分の心に思い定めたような人間に自然になっていくのだ。あごをぐっと引いて頭を高く上げよう。私たちは、神々になる前の準備段階なのだから。
これはD・カーネギーの『話し方入門』という本に書かれていた一文なのだが、あまりにも素晴らしかったので保存してしまった。
スピリチュアル系の文章をコピペするのはもういいかなと思って、この手のメモ欄はしばらくかさが増えない状態が続いていたのだが、この文章を見てそうはいってられなかった。
『鼻の下伸ばして媚びを売るスケコマシのイエスマン』などの、語感やセンスのいい一文をみると、コピペする癖が小生にはある。
さて、この文章の凄さは、わざわざ説明するまでもないことは、賢明な読者の方々からしたらわかることだが、
この文章のいっていることは本当で、小生は特に特別な訓練はしていないが、どんどん頭がよくなっていっているし、記事は勝手に面白くなるし、物事の本質が勝手にわかってくるし、身体から発する雰囲気やオーラも重厚かつ優しさにあふれていっている。
より、芯へ、芯へと近づいていっているようだ。たまに芯の方から小生を引き寄せることがある。
特別な訓練はしていないが、小生は芯を意識している。芯をグッと頭に思い浮かべて、近づいていけるように、自分がそれとひとつになっていけるようにと、感知するようにしている。
そうすると、いざ字を書いてみると、勝手に上手くなっている。一応毎日数ページ書いているので、上手くなるのは当然なのだが、いちばん大きな要因は、芯にある。芯の感知度が進むにつれ、字がうまくなっていっている。
こうしたいという目標をしっかり心にとどめれば、あれこれ迷うことなく、あなたはそれに向かってまっすぐ進んでいく。
これは真実だ。小生は夢想しかしてない。夢想しかしてないのに、なぜか勝手にすべての能力が上がっている。芯は万能選手だ。どんなスポーツもちょっとやればすぐに上手くなってしまう。
こうなりたいという輝かしい理想を胸に抱き続けること。そうすれば日がたつにつれ、目標達成に必要なチャンスを無意識のうちにものにしているだろう。
これも真実だ。成し遂げたいことを一念に考えていると、なぜか急にアイデアが沸き立ち、助けてくれる。いったいこのアイデアはどこからやってくるのか。いつも、このアイデアに助けられてばかりいる。
こういった考えは、今を生きるすべての人に必要なものだろう。いちばん重要なものに違いない。このブログは、基本的には小生のお笑いセンスを見せつけたくてやっているのだけれども、きっと、多くの人にとって大事なのは、こちらだろう。
まぁ、鴨頭さんが1500本の動画でいっていることだがね。しかし、文学、お笑い、スポーツ、武道、書道と連関させて芯を解説することは鴨頭さんにはできないだろうから、こっちは小生の方で引き受けることにしよう。
やはり、芯ですよ。
生命の中心に触れない思想、感情、哲学、神学が、宗教上、無意義無価値のものであるように、中心を基礎としない肉体の鍛練もまた、労多くして効果極めて薄弱である。
この言葉が、いつも小生の基盤となっている。これは小生が最も尊敬する肥田春充先生の言葉だ。
鴨頭さんも凄いのだが、この微細なる一点を確かにすることができた人に適うはずもない。鴨頭さんも、小生も、一点を確かにすることができないから、周りをうろついて、そこから持ち帰ったものを話すしかできない。だからよく間違う。
最近は肉体の真一点を探る中心練磨をサボってしまっている。心の中でこれが芯だな……というものを、ボーッと感じたり、あるいは追いかけるように感じたりしているだけで、身体の方から探る方面をサボってしまっている。これは反省しなければならない。肉体から研究した方がいいと、その道の先輩が口伝を残してくれてあるのだから。
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肥田春充先生に学ぶ、正中心一点における立禅について
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どんなときでもこの芯を感じとっていると、ひとついいことがある。すべての能力が底上げされるということだ。
理屈はわからない。こうすればいい方に向かうということがわかってくるのだ。決して頭ではない。知識ではない。芯の方から、こうするとよいと、小生を動かしてくれる。ここに身を委ねれば委ねるほど、効果は著しくなる。何をすればいいのか。この声に耳を傾けることだろう。静かになることだろう。
あまり小生も自分のことを凄い凄いといいたくはないのだが、『芯』を凄いといわないわけにはいかない。芯を研究して、芯を活用することに、10年来の時間を要してきたので、どうしても偉そうな語り口になってしまう。偉いのは芯である。小生ではない。そして、もちろん、芯は誰にでもある。人の一切の不幸は、芯を研究しないことにある。ただ芯と一緒にいるだけで幸福になれるのだから、安いことだ。
小生は、芯の成果については、自分の行っている趣味の範囲が全体的に著しく底上げされたという結果しかなし得ていないが、芯の最奥に行き着くことができた肥田先生になると、気合いで海を割ったり、触れずに人を気絶させたり、約2ヶ月何も食べないでいられたり、目隠ししたまま弓矢で的をあてることができてしまう。
小生も、姿勢と精神の中心点をさらに賦活する術に長けていったら、同じことができるようになるだろうが、そのためには芯の位置をはっきりさせなければならない。まだ座標がぼやけているから、力をいれようとしてもズレてしまう。意識的に緊張をいれることに成功すれば、大緊張を起こすことができる。そこにはっきりと大緊張を起こすことさえできれば、すべてが思うままになる。それは肥田先生がいっている。
しかし前より鮮明にすることができた。だから記事が面白くなっている。字も上手くなっている。性格もよくなっている。すべての物事において判断力が増した。
人よりボーッとしていることが多かったり、朧げに『芯』を感じとっている人は少なくない。そういう人は決まって面白くて魅力ある人だ。しかし、はっきり一点を定めて緊張をいれられる人はいない。宮本武蔵でもできなかったと肥田先生はいっている。はっきり定めて緊張をいれられなくても、朧げに、少しづつ、少しづつ、芯が鮮明になり、近づいていくことができれば、それだけ神に近づくことができる。すると、あらゆるものが進化し、幸せになることができる。