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ハローワークでうつ伏せになる男

2020-11-21

少し前、会社を辞めたとき、給付金の申請のためにハローワークにいった。

ハローワーク内を見渡すと、むさ苦しい、黒いダウンジャケット、ファッション目的でない穴の空いたジーパン、エスポワール号に乗っていそうな覇気のない空気、しかしパチンコと風俗には精を出しそうな、いかにも失業者という風体の人間ばかりだった。

小生の番号は567番。(コロナか……)しかし、まだコロナが脚光を浴びる前のころの話である。小生は567番の入場券を握りしめて、番号を呼ばれるのを待っていた。番号。本当にエスポワール号みたいだ。

相談窓口は三席あったが、そのうちの一席が、まったく入れ替わらなかった。一人の男がずっと占領していたからである。

その男は若かった。26歳くらいだった。

ずっと下を向いて、何も話さない。事務のおばさんの前で、何もいわずに座っていた。およそ人と話すときのモードではない。部屋で虚空を見つめるときのテンションである。ずっと下を向いている。これでは事務のおばさんも困ってしまう。

「どうしたの?」「なにかあったの?」と、おばさんは、優しいときの細木数子みたいに、親身になって男に話しかけていた。

おばさんも、次の人が待っていることはわかっていたけど、それには触れず、急かそうとせず、男が口を開くのをゆっくり待っていた。優しい言葉を添えながら。

男はどうやらそれが居心地いいようなのである。男はすでに書類を提出し終えているので、そこに座ってる意味はなかった。しかしずっとそこにいた。その場から離れる気がなさそうだった。

小生は間違えてメンタルクリニックにきてしまったのかと思った。

男はなんと、机にうつ伏せになってしまった。ばたんきゅ〜といった感じで、頭を机につけて倒れ込んでしまった。完全に自分の部屋でやるやつだ。誰にも見せてはいけないやつだ。凄まじい度胸だと思った。これならどこの会社でも社長になれそうなのにと思った。

むにゅ〜と、女の子がクッションに顔をうずめたまま止まってしまうときの態度というか、もっとボクの相手をしてほしいというメッセージが体全体からでていた。

神聖のかまってちゃんだ。小生はこれほどのかまってちゃんを見たことがない。かまってちゃんの金字塔、浜崎あゆみでさえ、びっくりして耳が治ってしまうだろう。

きっと嫌なことがあったんだろう。それ以上に、相談できる人がいなかったんだろう。優しくしてくれる人がいなかった。まるでおばさんの子宮に包まれて、赤子に戻っているようだった。おばさんの本当の息子に焼きもちを焼きそうなくらい、おばさんを自分の親にしようとしていた。ママ……という声が伏せた背中から聴こえてきそうだった。

事務のおばさんは、「もう……困ったわね……」といった感じで、優しく微笑んでいた。「ふふ……」とか、「もう……」しかいわない。(男はともかく、お前はしっかり追い出せよ!)と、待合席では、おばさんに無言のメッセージを送る失業者たちの姿があった。

会話はほとんどなくなっていた。男はうつ伏せになった状態のまま、おばさんの手を握っていた。おばさんも、男の手を握り返していた。

手を握るって、え? え? な、なんだ、これは、何が行われているんだ? よ、弱い。弱すぎる……。そんなんで社会をやっていけるわけねーだろ! だから失業するんだよ。どうせ仕事中、パートのババアとイチャイチャしてたからクビにされたんだろ? パートのババアの後を、お母さんみたいについてまわったりしてたからクビにされたんだろ? それともババアのパンツを盗んだか? 擦り切れたベージュのパンツを! 今もそれ履いてんのか!?

待っている失業者たちは怒り心頭である。このあと仕事はないから暇なくせに、こっちは急いでるんだぞ! という顔で怒っていた。

男はうつ伏せになったまま、手をギュッと握りしめたり、緩めたり、その手の動きで、自分の心情を伝えているようだった。おばさんもそれに応えるように、ギュッと握り返したり、緩和したりしていた。神聖な空間だった。セックスに見えた。これはセックスなのか。新しいセックスか。ピンサロか。ハローピンサロ。失業者に向けた新しい性サービスか。おばさんじゃなかったら、ありなのだが。

しかし、これはこれでいいのかもしれない。うつ伏せになってる男の髪の毛を掴んで、「働かんかいコラァ!!」といったところで、逆効果だろう。

「がんばれ……」
「がんばらない……」
「がんばれ……」
「がんばらない……」
「もう少し……」
「もうダメ……」
「君は若いからできるよ……」
「もうダメ……」
「君はできるよ……」

手がギュッと閉まったときは、「がんばれ……」のメッセージで、手が緩んだときは「がんばらない……」のメッセージのように見えた。

小生は番号を呼ばれて、さっさと書類だけ提出してその場を後にしたが、最後にハローワークを出るとき、もう一度二人を見たら、まだ手を握り合っていた。

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