ブログ・文章論

いかに低品質な記事をぶち込むか

2020-11-20

さて、このブログは、安定の高品質とか、どの記事も秀逸とか、すべて読む価値ありといわれることもあって、小生もその気になって、すべての記事を面白くしようと試みたことがあったが、これが非常に害になった。

一流どころはすべての作品が高品質なのだが、超一流になると高品質と低品質がごちゃ混ぜになる。モーツァルト、ピカソなどね。

ただひらめきを形にする。それだけだ。それを良いとか悪いとか、善とか悪とか考えず、思ったものはそのまま形にする。

案外どうでもいいと思って投下した記事が、他人の人生観を変えてしまうこともある。もちろん、自分自身を変えることも。

いいものを投下しようと思わない。悪いものを投下しようとも思わない。ただひらめきを投下するだけ。

ひらめきは、そのひらめきのうちに既に完結している。それ以上それ以下でもない。生き物として、確かに頭の中で、ピシャリと生命を持って生まれた。そう、我々のように。

それに良いも悪いもない。それは一つの有機生命として、骨格を持ち、外に出て、日の光を浴びるのが自然ではなかろうか。

間違っているとか間違っていないでいえば、人間が話すことは、もともとすべて間違っている。

最近は、ひらめきをそのまま転写するだけである。それを見栄えいいものにしようとか、上手くしようとか、いいものにしようとか思わない。わからないものはわからないまま。つまらないものはつまらないまま。しかし、作品は性格が伴っていればつまらなくなりようがない。ひらめきは必ず性格が伴う。性格がないひらめきは存在しない。だから、ただひらめきを表現すればいい。逆をいえば、我々にできることは、ひらめきを形にすることだけである。

普通に生きていれば人間はいくらでもひらめく。それを頭で否定して亡きものにしてしまう。そこにすべての原因がある。

考えるから書けなくなる。

考えなければ考えないほど書けるようになる。それに最近気づいた。まぁ、小生もよく書かなくなったりすることがあるから、この先、大量生産し続けるかは怪しいものだがね。ただ、この記事も、ひらめいた以上は書こうと思っただけだ。

鴨頭さんの動画を見た後だと、凄すぎて、迷いが生まれることもあるけどね。はははは!

東村アキコ先生の漫画『かくかくしかじか』で、主人公の美大生の女の子が描けなくなっているとき、恩師の先生が「描け」といった。

これがどうしても忘れられない。

これを読んだ当時は、これだけ? 短すぎるだろ、もっと長く教えてくれよと思った。仕方ないので、もっと書くことについて丁寧に解説してある本をたくさん読んだが、

今はこのひと言。『描け』という言葉。これがいちばんしっくりくる。

物事は単純の方がいい。何か一つ心に信念を置くなら、『描け』のたった一言の方が信仰しやすい。

小生は今日、歯医者に行ったら病んでしまった。院長一人と大勢の歯科衛生士とでやっていた。朝は9時から夜は22時まで。4日連続で行ったら、4日連続で院長も衛生士も働いていた。4日どころではない、毎日、毎日、もう何年か。

これでは稼いだ金を使う暇もないだろう。あまりにもルーチンワークで作業的で、小生がいくらか質問を投げると、びっくりした顔をされた。流れ作業の中で、予想外の風が入ってきたようで、新鮮な顔を見せた。

これは無理だなぁと思った。しかし小生も、これくらい機械的にならなければならない。目いっぱい感情や想念を表現するには、感情や想念が邪魔になる。ただ書く。それだけが必要になる。

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