174cmと会ってきた。
小生は、今日の出会いは、ボケるためでしかなかった。とにかくボケたかった。変愛の方面はまったく期待していなかった。
小生は基本的に人と話すときは、ボケることしか考えていない。面白いこと以外は話さないと決めている。会話とは大喜利だと思っている。
会話は、ただ頭に去来した面白いことをいうのがいちばんいいと思っている。男だろうと女だろうと、そのコミュニケーション法がいちばんうまくいく。友達と電話しているときも、話を聞こうとか、相手を見ようとか、自分を見ようとか考えず、頭に浮かんだ面白いことをさっさという。それがいちばん自分も楽しくて相手も楽しくなることがわかった。
一人で感動を追いかけている方が、かえって相手に楽しんで貰えることが多い。相手を楽しませようと、意識が相手に向かっていると、感動させるどころか、そもそも言葉も浮かんでこない。それは、こうして記事を書くときも一緒である。相手を楽しませようとして書くと、何も浮かんでこない。自分の深層心理にある言葉は、相手の深い部分とも繋がっているから、自分の深い部分に到達して話したり書いたりすることができれば、相手の心を覗き込む必要はないという話だ。相手を見過ぎると、相手の気にのまれてしまう。
気持ちの矢印を相手に向けるか自分に向けるか、これはとても難しい問題だ。小生はとにかくこの問題にすごく悩んだ。10年以上悩んできた。だいたいそこらのコミュニケーションの大御所や、書店で平積みになってる本には、相手の気持ちを見ろとある。相手を観察しろ。相手優位で考えろ。相手の気持ちさえわかれば、何も怖いものはない。相手の心を解剖することがコミュニケーションの定石のように謳っている。
相手のコップの水が減っていないか、つまらなそうな顔をしていないか、仔細に相手を観察する力こそが恋愛力と考えられており、恋愛力とはつまり観察力を指す。鴨頭さんも、人と話すときは心の矢印を相手に向けることが大事だといっている。これにはどうも小生は納得できないでいた。
今日のデートではっきりしたが、小生は心の矢印は自分に向けるべきだと思う。自分自体が輝光し、黄金体となって、太陽みたいに照らして歩く。見返りは求めない。太陽は周りを照らそうなんて考えていない。ただ自分が輝いているに過ぎない。ただ瞬間、瞬間に熱源とひとつになっている。
小生の周りを見ても、相手の気持ちを伺ってこざかしい真似をしている男よりも、好きなら好きと暴走している男の方がモテている。やはりスピード感。熱気ですべてを包んでしまうぐらいの気迫がなければ彼女なんてできやしない。厚い壁が迫ってくるような求愛を受けてこそ、女性の子宮は呼応するのだ。
小生の本源の力、生命力の発露こそが最も重要だと考える。小生が楽しく面白いことをいったり、面白い言葉を見つけたときの感動、その小生の感動こそが、目の前の他者にもっとも熱い輝きをもって伝達される。
デートはまず自分が楽しまなければならない。これは記事や動画を作る上で学んだことである。最近は、「芸術とは己の感動を他者に伝えることである」というロダンの言葉をヒントに、創作を続けていた。
今日は終始、自分の感動を注意して見ていた。もっと楽しく、もっと爆発させろ、もっと面白い言葉があるはずだと。
小生も、小生に気を使ってロダン展に連れていかれるより、小生の好きでないディズニーランドに連れていかれて、楽しんでいる様を見せられた方がいい。女性も同様で、引っ掻き回された方がいいと思っている。しかし、なかなか引っ掻き回せる度量の男がいないのだ。
今日はたくさん笑わすことができた。しかし誓っていうが、笑わせてやろうなんて一度も思っていない。ただ小生が面白いという言葉を連想して放り投げていたに過ぎない。やはりこの辺りは創作と似ている。執筆の極意も出会い系の極意も変わるものではないだろう。
自分がいかに楽しむか、マイケル・ジョーダンも、コービー・ブライアントに、とにかく楽しめといった。いかに自分の奥にある最も熱い感動を見つけられるか。鍵はそこにある。そこに自分も他人もない。他者のために作ったものより、ずっと高次元のものを提供できる。だから、己の奥にある最も熱い部分をずっと見据え続けるのだ。デートだろうがね。出会い系や、人間世界のコミュニケーションの真髄はそこにある。
不思議なことに、自分のいちばん奥の中心点を見続けると、いずれ消えていき、「空」となって、相手と繋がることがある。初めから相手に意識を向け続けると、この繋がりは訪れない。この辺りはまだ小生も勉強中である。なにしろ一日の会話が「アイスコーヒーのSで」しか言わないで終わる日々ばかりだから、実験の量が足りない。
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しかし、実のところをいうと、小生が笑わせたというより、彼女がよく笑う人だった。
可愛くて、思ったよりそれほど大きくなくて、オシャレで、色気があり、気づかいができて、プラスのエネルギーに溢れていて、子供のように天真爛漫だった。
出会い系とは本当にわからないものだ。今日の出会いはぜったいに不幸に終わると考えていた。メッセージのやりとりもつまらなかったし、写真もタイプじゃなかったし、31歳だし、174cmだ。いったい何しに会いにいくんだろうとずっと思っていた。ボケるため、本当に小生は、久しぶりに人と会ってボケたかっただけである。
たぶん今日は60回は笑わせた。爆笑は4回ほどあった。あれだけ笑わせたのに、何をそんなに笑わせたのか、ひとつも覚えていない。小生の頭はどうなっているのか。
しかし小生はお笑い芸人でもなければ彼女も観客ではない。彼女も、わざわざ休みの日に時間をとって、小生のボケを聞きにきたいとはまったく思っていないだろう。
休日に二人で会って、笑って、この先に何があるだろう? 同性の友達だったらそれでいい。むしろそれは、同性の友達の役割だ。しかし、小生と彼女は、結婚に向かって走らなければならない関係なのである。
大事に両親に愛されている家庭の臭いがした。沈黙が訪れると、会話もよく切り出してくれた。たくさん運転してどこでも連れてってくれた。お昼を食べて、ドライブをして、公園で鴨を見て、たまたま山を見かけて、登ってみようということになり、子供みたいに冒険した。
セックスフレンド? セックスフレンドになってもしょうがない。相手が望むなら別だがね。しかし、彼女にはそんな時間はないのだ。
やはり出会い系は26歳以下に限る。30以上の女と遊ぶと、ぜったいにこういうことになる。だから嫌だった。すべてわかっていたことだがね。罪悪感が付き纏う。とくに今日の女性は、いい子だったから、とても罪悪感を感じてしまう。
小生と、真剣に付き合って、真剣に結婚を考えようとしている女性を、毒牙にかけるのはつらい。かといって、結婚することもできない。小生は、いったいどうしたらいいんだろう。ボケるだけでよかった。今日はボケるだけでよかったのに、小生は、彼女ともう一度会いたいと思っている。というか、会う約束をしてしまった。なんと、彼女は小生と同じく卓球部だった。小、中、高と卓球部だったのだ! 高校で卓球をやっていたとなると、なかなかの腕前だろう。中学でしか卓球をやっていない小生より上手いはずだ。受けてみたい、174cmから繰り出されるエベレストサーブを……!
小生は次に会っても、ボケたいと思っている。卓球をやりたいと思っている。暇だからだ。しかし彼女は違う。彼女には時間がない。もう、早ければ、三ヶ月後に結婚したっていいはずだ。時間の感覚にズレがある。小生はただ卓球したいだけ。どこまでも、どこまでも、結婚の二文字がつきまとってくる。