昔の彼女が外人と街を歩いていた。
小生はすぐに目をそらしたが、気づかれてしまった。相変わらず勘のいい女だった。
みか子は小生に見せつけるように外人の腕に組みついて、あざとい下品な笑みを浮かべた。しかしすぐにハッとして、私、何やっているんだろうという顔をした。昔の男に対抗意識燃やしてどうすんのよ、と反省した態度を見せた。
普段から腕に組みついていないことは見て取れた。そして、みか子も小生にそう悟られたことに気づいたようだった。
この3秒くらいの中で、外人に組み付いたこと、反省したこと、それを小生が見抜いたこと、小生に見抜かれたことに気づいたこと、凄まじい意識の戦いがあった。外人だけはまったく気づいていない様子だった。
思えば、みか子とはいつもこんなことの連続だった。みか子は勘のいい女だった。
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ある日、みか子の部屋に行ったとき、便器にウンカスがこびりついていた。小生は気づかなかったフリをして用をたしたが、その後しばらくしてトイレに行ったみか子は、青ざめた顔をして出てきた。「見た?」とは聞いてこない。
その後のみか子は、心ここにあらずという顔だった。「昨日友達が泊まりにきた」といいたそうだった。しかしどう見ても年季が入ったウンカスで、住人が掃除をサボった挙句こびりついたものであることは疑いないものだった。
小生は別に気にしていなかったのだが、どうやらみか子は、「ウンカスを友達のせいにしようとしたけど、年季物だから友達のせいにできずに諦めた」ということを小生に見抜かれたことまで、見抜いてしまったようだった。
この通り、みか子は非常に鋭い女で、同性の友達同士の間では無敵だった。大して勉強も仕事もできる女ではなかったが、洞察力だけは長けていた。だからはじめて小生と出会ったときは、とても嬉しそうだった。やっと同族と出会えた、本気でぶつかれる人間に会えた。しかも歳の近い異性! この人こそ私のパートナーにふさわしい。そして、その上で私が勝つ。そんな顔をしていた。そうなればよかった。
みか子はゴッドタンの笑いがわかる珍しい女だった。顔も別に悪くない。胸は小さいが、身体全体に気が行き通っていて、張りがあった。足が速そうだった。
みか子は市役所で働いていた。いつもスタンプを作っているだけといっていた。本当は臨床心理士になりたいが、せっかく市役所に就いたからもったいなくて辞められないといっていた。小生も、スタンプを作るよりカウンセラーの方が向いてそうだからそっちにしたらといったが、みか子は首を横に振った。もう26歳であること。カウンセラーになるには学校に通わなければいけないこと。結婚するなら公務員の方がいいと小生に話した。
だったら普通に大人しい女として生きていればいいのに、みか子は小生に対抗意識を燃やすことが多かった。
みか子はよく本を読んだ。林真理子や内館牧子などが好きだったが、それでは小生に勝てないと思ったようで、図書館で「風と共に去りぬ」を全巻借りてきたことがあった。
そして2週間度に、息を巻いて小生に論争をしかけてきた。といっても、普通に他愛のない話題の中で、小生より進んだ知見を披露することを試みるというものだった。小生は月に一冊も本を読まないのだが、いつも瞬時にたった一言で、物事の真理めいたことを言い表すことができた。みか子はそういうとき、小生をシャーロック・ホームズを見るような目で見た。
なんで? 仕事から帰ると、YouTubeを5時間見て寝るだけのくせに、何で私より頭がいいの!? しかも差が縮まるどころか開いていってる……。女だから? 女だから適わないの? と、よくそんな目で小生を見た。みか子は「風と共に去りぬ」に引っ張られ過ぎて、逆に弱くなっていたのだが、自分では気づいていなかった。
だから小生はよくとぼけたフリをした。一時停止違反して捕まっちゃったとか、雨で濡れた靴のままフロアを歩いてたら、患者さんを転ばしちゃったとか、自分の落ち度をたくさん話した。しかしみか子は、本当の小生を倒したがっていた。いつも小生の奥にある冷たい部分を見ようとしていた。そして、小生の中にあるみか子を侮蔑する声だけは聞き漏らすまいと注意しているようだった。それが小生の本体だと思っているようだった。
こういった感情は、セックスのときにとても邪魔になった。
まるで法律書と経済書がセックスするようなもので、二人とも動物になりたいのに、動物になろうとしている自分たちを客観視してしまう。小生の「う……」という喘ぎ声も、みか子の「アン……アン……!」という喘ぎ声も、理性の影に脅かされて白々しく感じるようになってしまった。TVタックルで、田嶋陽子と池上彰が論争している最中に、セックスしなければならなくなったといえば、わかるだろうか?
いったい何を気にしているのだろう? 何に怯えているのだろう? そんな空気の中で、みか子のパンツを脱がすのがおかしくなって、笑ってしまったことがある。みか子のパンツを半脱ぎにさせたまま、ヘラヘラしながら頭を搔いてしまった。複雑な笑いで、自分でもなんの笑いかよくわからなかったが、みか子は解を得たのか、静かに「やめよっか」といった。小生はニヤニヤ笑いながら「うん」といった。それから小生は、どんな顔をして、みか子のパンツを脱がしていいのかわからなくなってしまった。
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みか子の連れている外人は、外人の中でもさらに頭が悪そうな外人だった。冬なのに半袖で、胸毛がはみ出ていた。金玉を蹴ったら「アオ!」といいそうで、一日の終わりに、疲れが溜まったパンツのいちばん臭い部分を嗅いでそうな男だった。地中海の醗酵した匂い。もはや粉チーズなのかチンカスなのかわからない。股間も異常に膨らんでいた。日本のコンドームでは無理だろう。このサイズは、通販で海外から取り寄せなければならない。
別にいい。外人と付き合いたいなら付き合えばいい。しかしみか子は何かを気にしているようだった。心の底から交際を楽しんでいる顔ではなかった。それは恋する女の視線ではなく、母親の視線だった。大きな子供を見るような目で外人を見ていた。
昔から極端な女だと思っていたが、ここまで極端だったとは。日本人の男は楽しいときは楽しいけど、苦しいときはとても苦しくなってしまう。だったらはじめから「無」がいい。そういうことか。
外人と腕を組んでいるみか子の心の矢印は、外人に向いていなかった。矢印は、みか子を貫通して小生に突き刺さっていた。小生が一人で歩いていることに対し、みか子は嬉しそうだった。そのまま一人でカップラーメンばかり食べて死ねばいいと、みか子の背中は語っていた。
これは小生が悪いのか。みか子が悪いのか。みか子の勝ちなのか、負けなのか、再出発なのか、諦めなのか、復讐なのか。
これは、復讐に見えた。みか子だって、細胞レベルでは身土不二を求めている。やはり生まれ育ったこの日本と、日本の男がいいのだ。しかし意志がそれを凌駕していた。胸毛、異国の血、地中海、ピッツァ、粉チーズ、マンモリ。これは、小生や、日本人の男に対する復讐なのだ。外人と幸せになることが、日本人の男にできる最高の復讐。女は復讐で結婚できてしまう。本当は日本人の男が好きなのだ。日本人の男が好きだから、外人と結婚するのだ。