ブログ・文章論

ブログ300記事を書いて思うこと

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このブログを書いてきて300記事が達成した。初めは気合いを入れて頑張って書こうとして、今日はこのテーマを書こうと思ったら、それを書き上げるまでは家に戻らなかったりしていた。

今はあまり頑張っていない。頑張らなければ続けられないようなことは今まで続かなかったから、やっぱり楽に感じることしか人間は続けられないのだなと改めて思う。

気持ち的には頭の中で浮かんだ言葉をただ書き留めているだけだ。文章を書こうとしたり、作ろうとしたりすると非常に面倒だし疲れてしまう。こんな風にただ思ったことを書き留めるだけにして一つの記事を書き上げられる方法が身につくまでは、ブログを更新するのが面倒くさかった。

 

さて、今回はこういうことを細かく書いていくことになるが、思ったより長文になってしまった。ペーペー物書きほどこうして偉そうに文章講義を垂れたがるもんだ。もし文章が書けない人が見たら、少しは有益になるだろうか。

基本的に音声入力でメモしている。もし音声入力を使えなかったらブログの更新はできないかもしれない。その時、その瞬間、ふと思ったことをメモしている。思ったことをメモすると、そこからまた何か言葉が生み出てきて、その言葉を連ねていくと言った感じだろうか。テーマとか全体とかそんなことはまるで考えちゃいない。

よく音声入力だと何を書いていいか分かんない。迷ってしまうみたいだけど、そのコツとしてはただメモするだけである。あまり長く書こうとしないことだ。そのメモを一文だけで取っておいて、後で全部合体させる。

文章を書けない人は、恐らく大きな塊で考えているからだと思う。文章は、読んでいる分には滞りない大海のように続いていくせいか、書く分においてもそうする必要があるとは思うからかもしれない。

文書は小さな単位で考えなければならない。ナポレオン・ヒルが「困ったことがあったら全て小さな単位に分解してひとつひとつ対応しなさい」と言ったのと同じだ。大きな文章を頑張って書こうとすると、必ず綻びが生じてくる。その綻びは全体に関与してきて破壊してしまう。たった瞬間、その小さい部分だけをパッとメモするだけでいい。小さな部分を完成させたら、そのまま放っておく。そしてまた別の小さい部分を作って、小さい部分を作って、小さい部分を作るということを繰り返して保存しておく。テーマはそれぞれ散らばってデタラメで構わない。ある程度量が溜まったら、関係性のある小部分達を合体してあげればいいだけだ。もちろん、長く書けるときはそのまま書いてしまったらいい。

何も材料もなく机に向かい、さぁ、なんか書こうなんてやっていると、何もしないまま時間だけが過ぎていってしまうだろう。それだと結局苦痛になってきて、スマホを触ってしまうことになる。

やはり無理はよくない。無理しても続かない。こんな偉そうな事を言っても、つい最近まで3カ月間ずっとサボっていたから、あんまり説得力はないけど、ブログを更新するというのは辛いものではない。むしろ楽しいものだ。ただ思いついた時にメモをする習慣をつけるだけでいいのだ。

いい記事とか悪い記事とか関係ない。思いついたらメモしていればいい。スマホを手に取ってGooglekeepを開いて音声入力すればいい。思いついた言葉を思いついた形で前後脈絡なくただ一文だけ話せばいい。その一文は立派に全体を構成する力を持ち、不足している材料を呼び寄せる。結局、書けるものしか書けないのだからただ思いついたものだけ書き写せばいい。何も考えなくていい。書けるものしか書けない。できることしかできない。それがブログを300記事書いてわかったことだ。

 

大筋は以上の通りだが、せっかくだからもう少し細かく書いてみよう。普段何気ない生活をしていると、急にポーンとなんか浮かぶ時がある、スマートニュースを見ていると、俺だったらこう思うのにとかYouTubeを見て人間観察をしたり、あるいはヨガの本を読んだり、断食したり瞑想したり、あと温泉入ってる時によく浮かぶことが多い。何か急にポーンと浮かんでくることは俺だけではなく誰にだってある。

そういう時、とりあえずメモをしておくのだ。何もないところから文章を書こうとすると大変だけど、そのメモをしておくと、そのメモに注釈を付け加えたり、他の似たようなメモをくっつけてあげると3000文字ぐらいは完成する。思いついた時、その情熱でそのまま一気に書き上げてしまうのが一番楽で効果的だ。

思いついた時に思いついた文を思いついた分量だけ書く。それを1日に何度も繰り返していれば2つ3つの記事はできてしまう。俺はこの方法で今日は2000文字ぐらいの記事を10個作ってしまった。2万文字だ。昔は1日2万文字なんて考えられなかった。別に稼いでないし何にも評価なんてされてないけど、軽い気持ちで1日に2万文字を書ける物書きはなかなかいいことだろう。

しかし、こんなクソみたいな文章を毎日2万文字も読まされたら、みんな胃がむかむかしてくると思うので、2万文字書くぐらいだったら、その半分は瞑想に費やした方が自分にも読者のためにもいいと思っている。どんなに傑物作家が書いたものでも、毎日2万文字読まされるのは迷惑だろう。人はその人の最高傑作だけを読みたいのだ。高密度に凝縮されたその人の代表作だけを味わって、さっさと先に行きたいのだ。

頭から尻尾まで捕まえて徹頭徹尾書こうと一生懸命に書こうとすると続かない。だが、音声入力で思いついたことを思いついた時に思いついた分量だけ書いて、それを適当にまとめているだけであれば疲れない。編集は疲れるけどね。

その編集や校正作業というのが厄介で、音声入力自体が10分ぐらいだとしたら、その3倍か4倍はかかってしまう。だから全部修正まで終わらせて20000文字というのは、ちょっとできないかもしれない。ちなみにスマホでフリック入力で編集している。

 

まぁ、何にせよ、別に完成させないでもいいからとりあえず思いついたことだけを残しておいて、それだけで終わらせてしまうことだ。何か書こうと思って書くべきテーマを一生懸命追いかけて、何が何でも書き上げるぞと血まなこにならなくていい。ただ待っていてピーンときたものをその時その時まとめてストックしておいて、後で繋ぎ合わせる方がよっぽど一つ一つが新鮮な生命を持ち、良い記事になる。

これは文豪ゲーテが言っていたことでもある。多作のライトノベル作家の鎌池先生も同じことを言っていた。また100冊以上の本を書いているか加藤諦三先生も言っている。多作の人はこうやって大量の作品を生んでいるのである。

結果を出している人が口を揃えてまったく同じことを言っているのだから鵜呑みにしてしまっていいだろう。この人達はみんなメモを持ち歩いて、その時思ったことを書き留めてストックを作る。あとはそれをつなぎ合わせるという方法を取っている。熱情が新鮮なときに書き留めたものは、新鮮な生命を持つのだ。

文章を高速でまくし立てて書いている時は、人に向かって自分の話を熱くなって止まらずに話している時の気分と変わらず、気持ちのいいものだ。物書きだったらいつもこういう気分で書きたいものだ。だがなかなかそうはいかない人が多いだろう。

Twitterで炎上中はおそろしいほど言いたい事が湧いてくるが、いざ机に座ってワードを開いて何か書こうとすると何も書けなくなってしまうだろう。あの時あんなにガンガン書けたのにどうして今はなにも文章が進まないんだろう? と苦悩する人はいるだろう。

現在には現在の権利がある。その日その日に詩人の内部の思想や感情につきあげてくるものは、みな表現されることを求めているし、表現されるべきものだ。

これはゲーテ先生の言葉だけど、ネットの炎上など、何か喋る時に不思議なくらい言葉が浮き出てくるような、そういう時はその熱情でその分量を原稿に落とすことが大事なのだ。それ以外の時は書かなくていいかもしれない。

モーツァルトはそのとき頭に流れた楽譜をそのまま記す作曲法をしていたし、ラマヌジャンも数式は天からの贈り物だと言っていた。あの名作レ・ミゼラブルのヴィクトル・ユゴーの息子が父の生活に対してこんなことを言っていた。

「父はほんのささいなこと──よく眠れたとか、なにか飲むものをくれ、とかいう会話以外のすべて──を一言いうたびに、メモ帳を取り出し、いま自分がいったことを書きとめた。なにひとつ取りこぼさなかったし、そのすべてが活字になる。だから、息子たちが父のいったことを自分の作品に使おうとしたら、必ず見破られてしまう。自分たちがメモしたことはすべて、父の本が出たときに、もう世に出てしまっているのだから」

この創作法が一番楽で素早く楽しいと思う。これはおそらく文章だけではなく、漫画や映画全ての創作に通じる理屈だと思う。ブログ300記事書いてきて、これを理解したことが一番の財産だと思っている。

 

サラリーマンを辞めて1年が経った。正直、俺は書く喜びや習慣が身につけられればそれで良いと思っていた。貯金を尽くし無職のまま5年が過ぎたとしてもそれさえ見つかればよかった。そしてその後また普通の仕事に戻り、また週5で働くことになっても、この期間で身につけた書く習慣さえあれば、空いた時間でいくらでも書けるようになるだろうと思った。

未来の自分に託したのである。どうしてもサラリーマンをやっていると、書くことの葛藤の時間が足りなかった。悩んでるとすぐに朝が来た。一度辞めて思う存分、葛藤の海へ飛び込んでみようと思った。そして1年経った。周りは結婚とか子供とかどんどん忙しそうになっているけど、俺にとってはこれが早急な使命だった。そしてなんとか持ち帰ることができた。ある程度創作法は確立できた。
今だったら正直空き時間30分もあればいくらでも書けてしまう。自信もついた。1年で目標を達成することができた。だからまた週5の仕事に戻ってもいいんだけど、俗世のくだらない仕事に手を貸すつもりはない。俺には俺の仕事があるのだ。まぁ、何よりも、やっぱり仕事はだるいから戻りたくないでーーす(^^)
俺は幸運なことに上級ミニマリストなので、まだ10年以上は貯金はもちそうである。まぁ、一応週に1回自営でマッサージ業をやっていて、月に6万の収入はありますが。

いくら時間が用意されていても、書けないときは書けない。それはなぜかというと、その人が怠け者だからではなく、書き方が分かっていないだけである。

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