ブログ・文章論

ブロガーの記事を読むのはよくない

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ブロガーって本当に同じ記事しか書かないなと思う。
決まっていつも、くだらない自己啓発の文章だ。

会社を辞めて一歩を踏み出そうとか。
本当の自分を知るには、とか。
考えるよりもとにかく行動することが大事とか。
好きなことを仕事にするのは楽じゃないとか。

同じことをずーーーっと、ブツブツ呟いている。

 

これとか笑

世界を変えるには、まず自分自身を変えることから始めなきゃいけない。 | まじまじぱーてぃー

 

結局、毎日家に引き篭もっていたり、カフェの往復で、外部の刺激に触れることもなく、いつも自分の脳内で世界が完結しているから、自分が更新されないのだ。

それでも無理して自分を奮い立たせて記事を書こうとするのはなぜか。何も伝えるものがないのに、どうしてキーボードを親の敵のように叩くのか。

 

一番は、更新が途絶えると収入が減るからだろう。
これは、まぁいい。

だが、恐ろしいもうひとつの理由がある。
変な使命感に駆られているのだ。書くことは素晴らしいとか、情報を発信するのはどんな内容であっても素晴らしいとか、怠惰に負けずにしっかり朝起きてちゃんと一つ記事を仕上げたことに変な達成感を感じてしまっているのだ。

 

自分のことをクリエイターや作家だと思っていて、知識や経験がないから何も書くことがないだけなのに、それでも無理して書こうとして生まれる苦しみを、クリエイター特有の悩みや辛さだと勘違いしている。

彼らはなぜか毎日書かないと、、! と思い込んでいて、感覚は麻痺してしまっていて、「質より量」という言葉に呪われてしまっている。

 

しかし、それでも一応会社に勤めることなく生きていけるし、それを楽しみにしている読者(笑)もいるわけだから、悪いことではないのだろうか?

ここまで悪口ばかり言って恐縮だが、俺はいいことだと思っている(笑)

 

自己啓発の究極は、既に岡本太郎の本に全て書かれているし、あるいはマーフィーの本でもいいし中村天風でもいい。
自己啓発の最奥はとっくに導き出されていて、古今東西の万巻の書に記されているのに、今更その1/10の知識も経験もない若造が、何を誰に物を教えるんだろう、とケラケラ笑ってしまいたくなるだけだ。

 

会社を辞めて、葉っぱ一枚で野原に追い出されて、寒空の下でビクビク震えながらペンを持って、何もないところから何かを無理やり引きずり出して書こうとする。

そんなことをしていても辛いだろうし世の中のためにもならない。
そんな大したことない記事を色々キーワード選定したり、タイトルを工夫して多くの人の目につくようにする。

本当に良い記事の上にそんな不燃ゴミ(文字通り燃えずに残る)が積み重なってしまうという恐ろしい事態を巻き起こしている。

 

記事というのは、書くことがあり過ぎて、書いても書いても間に合わないような調子で書かなければならないのだ。
これもあれも書きたい。自分にとっても誰かにとってもこれは必要な情報だという確信がなければならない。
書くことは決まっていて、後はスマホにそれを浮かび上がらせるだけなのだ。

自分の居場所を守るために、何もないところからウンウン唸って、無理やりひねくり出した記事は死んでいる。

毎日更新することしか考えていないから、最終的には拙い自己啓発文しか書くことがなくなってしまうのだ。

 

本当はこの人達も、ワンピースのように夢に溢れるような物語を書きたいのだ。
新しい島に行って、新しい人がいて新しいストーリーがあって、ワクワクするような冒険譚を書きたいのだ。

でも絵は描けないし、小説のような複雑奇怪に満ちた物語や、10万字を超えるような長文も書けないので、とりあえずコメダのシロノワールのように気軽に食べてもらえるような文章を書くしかないのだ。

 

ツイッターの呟きのような文章や量だったら、時間は取られないし、つまらなかったとしても許してもらえる。

そして何より読む方は無料なので、無料だけど広告収入で稼げてしまうという、Google から情状酌量をもらって稼いで行けるというビジネスモデルに甘えている。

そんな人間が必死に自己啓発文を垂れ流してるのを見て、いつもせせら笑ってしまう。

 

シバター氏が言うように、ユーチューバーやブロガーなんていう生き物は、中途半端な能力しか持たず(あるいは何も持たず)、たまたま Google という優しくてお金持ちな企業に運良く巡り会えただけなのである。
一夫多妻制というか、大奥というか、ご主人様のお情けを頂いて、シッポを振ってる牝犬である。

 

挑戦しない人間が損なだけで、挑戦したところで偉いわけではない。

この電子の大海原の中を嗅ぎ回って、楽して稼げる方法を探し当てただけなのだ。

多くの人間は疲れ果てて、もう分厚い自己啓発本を読む気力なんて残っていない。
ナポレオンヒルの「思考は実現する」とか岡本太郎の「自分の中に毒を持て」とか、「7つの習慣」とか、
世界中に認められた名著はいくらでもあるのだが、それらに手を伸ばすことはなく、わざわざ、20代や30代の「フリーター」の文章を読もうとする。

 

疲れ果てた脳に静かに染み込んでくる優しく抵抗のない、自分の脳の器量にあった記事や動画に侵食されていく。

 

これがブロガーやユーチューバーの正体だ。

こんなもんは世の中を積極的にするもんでもないし、むしろ退廃させていくだけだから、フリーターの自己啓発を100回読むようだったら、その回数だけ岡本太郎の本を読むのがいい。

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