頭を白紙にしようと思ってもなかなかできるものではない。姿勢を整えた方がよっぽど白紙にできる。
最近は修行というよりも好きでやっている。一日に2時間か3時間くらいは姿勢を決めて座ったり立ったりしている。それをやらないと気持ち悪いくらいだ。決して義務感でやっているわけではなくて、気持ちいいからやっている。
どうやら下腹部の一番下の部分だけを前にせり出すようにすると、一番決まる感じがする。
ここだけをグッと前に出すようにすると、グゥゥゥーーーッと引き絞るような強烈なパワーが構造的に生じてくる。自分で力を入れているわけではなく、構造的に生じてくる。
このグゥゥーーーッと引き絞られる感じが気持ちいい。これは横隔膜が伸びるからだろう。腰を沿って腹を突き出すというよりも、下腹部の一番下の腹底を前に突き出すようにする。そうするとグッと決まる。
そしてこれが節食にも役立つのだ。姿勢を食うといったら変だけど、食べ物の代わりに姿勢を食べている感じがする。
空腹を感じてきたら、下腹部の一番下の部分をグッと前に突き出すようにする。すると、ギュッと力が引き絞られて、その間はエネルギーが満ちて空腹を感じなくなる。俺は2時間程度この姿勢をとることができるようになってきた。2時間もやっていれば空腹はどこかにいってしまう。また空腹がやってきても、またこの姿勢をとればいいだけだ。真理は横にも縦にも繋がっているものだけど、まさか空腹にも役立つものだったとは。
白隠禅師が、禅を極める上で何よりも練丹を重視したが、俺もこれが一番重要なような気がしている。しかし、まだ正確な一点を感知するのはほど遠い。…………。間違った方法をしている感は否めない。
姿勢をまっすぐにさせることだけに意識を向ける。それ以外は考えない。何も考えないようにするとどうしても考えてしまうから、姿勢だけを調節するだけに専念する。
これは俺も散々苦労してきたが、瞑想にどうしてもうまく入り込めない理由として、心を無にしようと躍起になるからかえって上手くいかなくなってしまう。自分を一本の柱と見立てて、真っ直ぐに。右に傾かず左にも傾かず、前後左右はもちろん、まっすぐに向かえば向かうほど、余計な思考は自然に離れていく。姿勢が乱れると、必ず思考も乱れる。そして、かなりまっすぐになってきたところに、ピタッと止まるところがある。このピタッとなる感覚で停止するようにする。座禅の時だけではなく、立っている時でも歩いてる時でもどこでもやるようにしている。ピタッとなるのが気持ちいいからやっている。だから座禅というものは精神修養と考えず、5分ないし10分、ただ身体をまっすぐにするだけの時間と考えるべきである。腹部全体から暖かいエネルギーが満ちてきて、不安も焦りも憎しみも消えて、悪いことをすることが難しくなる。身体をまっすぐにすると心もまっすぐになる。
「その姿勢をずっと維持するのが大変なんだよ……!」という声が聞こえてきそうな気がするが、まあ、はじめは確かにそうかもしれない。このピタッとなる気持ちいい感覚を幾度となく繰り返すことによって、それが癖になり、日常生活に定着してくる。すると何が一番いいかというと、一日中不思議な幸福感に包まれるのである。