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まーた喧嘩しちゃった(笑)

2020-07-22

まーた喧嘩しちゃった(笑)今度は別のサイトで喧嘩しちゃった(笑)

最近は本当に喧嘩ばかりである。今回は以前よりまともな口喧嘩ができたけど、やっぱり怒らせてしまった。怒って出ていってしまった。ここが終局だと思うから俺はもう何も言わない。向こうも二度と話しかけてこないだろう。「俺(しまるこ)のせいですべてが台無しになった。サイコパス。死ね。キチガイ。最初からずっときもいと思っていた。死ね」まぁここまではっきり汚い暴言を吐かれると、10:0で相手が悪いからこちらは葛藤しなくてよくなるところはあるが。

円満で終わらなかったとしても仕方のないことだ。以前の俺の喧嘩のやり方のほうが間違いなく円満っぽさはあったけど、どこか心の中にノイズがあった。

口げんかをたくさんやってきて思ったことは、まっすぐ立っていることである。喧嘩中、ずっと立っていればいい。決して相手を憎まない。論破しない。正論を言わない。媚びない。

今回は感情にかられることなく、もっとも必要なことを言うことができた。以前はできなかったことだ。まっすぐ立っていながら自然に出た言葉と、感情にかられて出てしまった言葉では、同じ言葉だとしても結果がまるで違ってくる。同じ言葉でもタイミングが重要なのだ。まっすぐに立ち、自分のさわやかな心持ちが相手の中へ伝染するように、春風が相手に駆け巡るように喧嘩するべきである。聞くことを多くしなるべく黙っていることだ。相手の悪霊を退治しようとするのでなく、自分の中に入り込んでくる悪霊を退治する。

たぶん彼女は間違いを正さないし、これからも暴れ回るだろう。ただ俺を恨むようになっただけだ。だから本当のところは何の意味もない喧嘩だった。

論破しようとか、傷つけようとか、あるいは優しくしようとか、そんなのはいらない。ただまっすぐ立つだけである。

傾聴しすぎてしまうのもよくない。「そうですね」「わかります」と言って傾聴ばかりしていると身動きがとれなくなる。相手を見すぎていると、相手にのまれてしまう。以前の俺はそれが多かった。やはり言わなければならないことは言わなければならない。

そこに憎しみがないこと、則天去私、天の慈愛に満ちていればなんとかなるだろう。波動でかき消す。相手の邪念を愛の波動でかき消すこと、それが修行者の喧嘩なのである。今回は光不足で闇の底まで届かなかった。再び練丹をして光度をあげることに努める。

口喧嘩は無心で立って天にすべてを任せる。ぜったいに人格攻撃はしてはならない。憎しみすら抱いてはならない。相手に気を使いすぎてヘトヘトになるのもよくない。相手を見ない。相手を見ることなく見る。相手を変えようとするのもよくない。相手を褒めるのもよくない。褒めるとかえって怒らせてしまう。不快にさせてしまったことに対して謝るのはいいが、簡単に自分の発言を覆すのもよくない。

この辺りのすべてを解決させるたったひとつの方法は、まっすぐ立つこと。たった今はじめてこの地上に降り立ったような清心な気持ちで対応すること。決して議論に入り込んではならない。

俺は、個人的には〜〜とか、私はこう思いますとか、たぶんとか、おそらくとか、保険をかける言葉使いはなるべくしないように心がけている。だがはっきり「ですます口調」を使うと角が立つ。今回も角が立ってしまった。記事は断定口調でいいかもしれないが、人と話すときは、〜〜思います、もやむを得ないかもしれない。

武道の達人はただ立っているだけでいいと言う。これは執筆にも言える。すべての仕事に言えることだ。文章は確かに体で書かなければならない。村上春樹も保坂氏も天坂氏も言っていた。これは見習わなければならない。俺はにわかボクサーだが、以前にスポーツと執筆を関連させて考えた記事がある。


脳科学の話によると、文章を書く時とスポーツをする時の脳というのは非常に近い関係性を持っていて、運動神経がいい人は文章を書くのも上手い。ミスターチルドレンの桜井さんも、自分の作曲センスは運動神経からきているようなことを言っていた気がする。頭で書かれた文章と体で書かれた文章の違いはすぐにわかる。哲学者が書いた文章は大体下手だ。

話す時も体で話さなければならない。スポーツも当然体でスポーツをしなければならない。だとしたら、体は真っ直ぐにすべきである。体とはつまり臍の下であり、そこが体の中心なのだから。中心で書くということだ。これをさらに拡大して考えると、日常生活の問題は頭で考えて処理するのではなく、体ですべてに対応すべきなのではないかということだ。

俺の調べたところ、この「人格と芸」は非常に密接な関係を持っている。というより一緒だ。まっちゃんが一番面白いのはまっちゃんがいちばん男らしいからである。誰にも媚びないからである。

多くの人が人に何も言えないのは、自分がまっすぐ生きていないからである。同僚が仕事をサボっているのを見て放っているのは、自分もサボるからである。

別に俺は人の間違いを正して歩きたいわけじゃないけど、芸の究極がまっすぐにある以上はまっすぐでなければならない。まっすぐに向かって修行しているとまっすぐなことしか口から出てこなくなる。で、喧嘩になるだけだ。

散々タバコのポイ捨てをしてきたし、急に雨に振られてコンビニで傘をパクって帰ったこともある。この歳になって自分を変えてみることになるとは思いもよらなかった。急に善人になったのでどこでも喧嘩になる。正中心修行を毎晩2時間やるようになってから変わってきてしまった。今までの自分を捨てさり、新しい自分に出会うようになって、今はその転換期であるから争いもやむを得ないかもしれない。暗黒騎士からパラディンにクラスチェンジしたのだ。まだパラディンのレベルが3だから仕方ない。最近はどこで何をしても人を怒らせてしまう。怒らせてしまったけど、なんとなくヒントを得られた。とても魅力的な人だったから仲良くしていたかった。なぜかそういう人とばかり喧嘩になる。謝りたいけど、謝ってはいけないこともある。次はもう少し上手くやるつもりだ。

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