普段はほとんど他人のブログなんて見ないけど、ちょっとまわっていたら面白いブログはいっぱいあった。
プロの漫画家もnoteをやる始末だ。こんな絵を描かれたら、文章だけでやってる者達は太刀打ちできないw こりゃあ俺のところまでまわってこんわと思ってしまったw
↑こんなの、ただの文章屋じゃはじめから勝負にならない。内容も面白いし。最初の「つらたん」の一言が、この漫画の凄さを物語っている。
文章だけの記事に比べて何の遜色もないほど文章(セリフ)も上手に書かれている。
それはいいね数によく表れており、漫画ブログの大半は、文章だけのブログと比べてずっといいねが多い。
絵が描ける人は羨ましい。
プロみたいなガッチリした絵でなくとも、雑な下書きの鉛筆書きでも、面白ければ十分である。案外そんな手抜きで描かれた作品の方が、読む側も気楽に楽しめるものである。そして、そんな風に読者に楽しんでもらえるようになると、作者も楽しくなってきて創作量が増えて、どんどん上手くなってくるという化学現象が起こる。広告収入システムが確立する前は、プロか素人かの二極しかなかったが、今では中途半端な実力でも中途半端な見返りはもらえる世の中になっている。週刊雑誌で連載できるほどの力がなくても食べていける人もいるのである。
ブログ記事は数多くあれども、肥田先生の思想を現在に蘇らせようと考えているブログはしまるこブログぐらいだろう。それをいちばんの目的にしているわけではないが、健康法において俺が自分で見つけたものは少ない。ほとんどが肥田先生の受け売りである。
それだったら肥田先生の著作を読めばいいじゃんと思うのはその通りだし、それがいちばんいい。肥田先生の書いたものを、俺がわざわざ何倍にも薄めたものを書く必要はないのだが、本屋で売られてないから俺がこうやって騒ぐしかない。
肥田先生の道は、もっとも人間が歩く上での基礎である。他人の道を行くな、自分の道を行けというのは真理で、仏教も坂本龍馬もJ-POPもいっているけど、肥田先生の道を行くというのはわけが違う。誰もが肥田先生の道を歩まねばならない。肥田先生もお孫さんに、おじいちゃんのような立派な人間になりなさいと言った。
肥田先生は、普段着に学生時代の柔道着をずっと着続けた。糸クズが床に落ちると、それを拾って縫い合わせて着続けた。この一件ひとつとっても恐ろしくて小便を漏らしてしまう。靴のカカトがすり減ってきたらすぐに新しい靴を買ってしまう俺ではとてもかなわない。上級ミニマリストが聞いて呆れる。
伊豆の山奥でたった一人、中心力練磨をして過ごされた。冬だろうと毎朝4時に起きて裸で冷水をかぶり、皮膚の鍛錬と称して亀の子タワシで体をゴシゴシ洗った。
肥田先生の正中心一点の修行を通してどれほどの肉体的、精神的な向上が図れたか。一点の修行により、どれだけ面白い作品を作れるようになったか。最近は一日中不思議な幸福感に包まれている。
神人冥合、悟りとは何か、悟りに至るまでの道。食事、運動、笑い、芸術、
これらの答えはすでに書かれているけれど、現代に実行しているという人は見当たらない。俺がやるしかないのだ。いや、誰もがやらなければならない。
普通人は肥田先生の書物に触れる機会は一生ないし、触れたところで簡単に通り過ぎていく。しかし、俺だけは目が合った。俺だけは一生離れられないところで繋がってしまった。
こればかりは望むとか望まないとか、そういう問題ではないのだ。
作品の見栄えや仕上がりに気を取られていないで、やはり奥の奥の奥の一点を正確に導き出すことが大事だ。
しかしエンタメ地獄だ。無料でも有料(ほとんど無料に近い)でも、面白い作品が多すぎる。過去の作品まで手を伸ばせば、本当にキリがない。
それでいて、ゲーテ、スピノザ、バガヴァッド・ギーターやラマナ・マハリシの会話だって、読まなければならないものがたくさんあるのだが、簡単に読み進められるものじゃないから時間がかかる。古典ギリシャ、シェークスピアも読まなきゃいけないんだっけ。それでいて自分を内観する時間も必要である。
これだけわかっていながら、YouTubeでハースストーンの実況動画を見たり、つい急上昇ランキングを開いて二時間くらい経過していることがある。俺は一日に6時間もYouTubeを見てしまう。
キチガイだ。
生産するのも消費するのも全てが面倒くさくなると、YouTubeで何も考えずに眺めていられる動画を見るようになる。
しかし
本当の食生活
本当の精神のあり方
本当の身体のあり方
本当の運動のあり方
本当の笑いのあり方
これらを連関させながら、究極の一点をあぶり出そうとしているブログはしまるこブログぐらいだろう。
とくに、曖昧な自己啓発がばっこしている中で、幾何学的に、正鵠の一点を示そうとし、自分を深掘させて、究極の一点を発見し、中心力を確立させようとしているブログは、しまるこブログぐらいだろう。
はあ~~~~
さーて次は何を作るんだったっけ。
結局は、究極の一点にたどりついた上で、自分にしかできないものをやらなければならないのである。