霊的修行

こんばんは。大三郎さん。よければこちらでお話しましょう

目次

・大三郎さんの小川さんへの評価は過剰なのか

・小川さんと大三郎さんの関係をどう見るか

・小川さんへの甘やかしについて

・小川さんは一体何者なのか 2

・小川さんからの指摘をどう思うか

・小川さんとなぜ関係がこじれたか

・女遊びは関係ない

・小川さんの面白かったコメント

・二人でYouTubeをやればいい


大三郎さんの小川さんへの評価は過剰なのか

人はよほど強い意志を持っていないと、選択しやすいものを選択し続けてしまいます。瞑想や偉大な書物よりも、YouTubeやブログばかりを漁ってしまうのは私だけではないでしょう。山羊さんも葛藤されてましたね。

チェインスモーキングみたいなもので、一度習慣になってしまうと、その人のコンテンツばかり追いかけてしまうようになります。玄米や生野菜の方が身体にいいとわかってるのにジャンクフードを食べ続けてしまうのと同じです。

結論からいうと、大三郎さんの小川さんへの評価は間違っていると思います。私に対する評価も間違っています。

盲が盲の手を引いて歩くのはよくありません。小川さんや私の言葉を追いかけるよりも、もっと目や耳を傾けなればならないものがあります。

私は真理の浜辺で砂遊びをしているに過ぎないと言ったのは、紛れもなく私の本当の気持ちです。

確かに小川さんのコメントには驚かされます。私の知力では追いつかず、コメントの真の価値を見い出せないまま流してしまうことが多いですが。

スウェーデンボルグやヨガナンダは霊界と現世を行き来することができ、霊界の様子を克明に記しています。出口王仁三郎の霊界物語もそれにあたるし、肥田春充も、今日は素晴らしい世界に招待されたと日記に綴っています。

小川さんの言葉には、そういった知識を聞きかじっただけではなく、体験があるように思います。完全な体験ではないけど、我々の知らない特殊な宗教体験があったのは事実でしょう。だからわけのわからない文章なのに我々を惹き付けます。このあたりは、私がついていける領域ではないので何も言えませんが。

しかし、真の偉人の書物からは、愛や強さや理知的な正確さ、作家よりも巧みな文章力、言葉と行動が一致していると思わせられる力、神は行間に宿るといいますが、そう思わせるものがあります。高潔な魂の輝きがあります。小川さんにはそれが欠けています。

芸術は迷いを美学にしていると、大三郎さんは以前どこかの記事に書かれていましたが、保坂さんがここにいたら、我々の中で最も正確な記事を書くでしょう。

小川さんと大三郎さんの関係をどう見るか

この記事は小川さんが書いたものではないでしょう。小川さんは、確かに傑物であることは間違いありません。人間や社会に関する洞察も優れています。しかし、全幅の思考と精神を預けてしまうのはよくないと思います。寄せていいのは、神か、神と一つになってる人間だけです。

しかしひっくり返すようですが、大三郎さんは小川さんのことを鵜呑みにしているようで、それほど鵜呑みにしていません。最終的なところでは自立されています。小川さんが右と言っても聞けない事は左だと言っています。実際、自由連想法についてとやかく言われても、自分のスタイルを貫いていました。

大三郎さんは他人に影響されやすく、コロコロ意見が変わるところは多いですが、小説家の気質が手伝うのか、そこから何度も自分の頭で考えて、最終的に腰を下ろす地点は自分で決めているように思います。

なんの因果か、これだけ小川さんのことを受け止めようとする人に出会えたことは、小川さんの人生の中で最高の幸運ではないでしょうか。小川さんと大三郎さんを引き合わせることができて心からよかったと思います。偶然ではないと思いますが。

小川さんのコメントには負のオーラが蔓延しているし、大三郎さんも一緒になって世の中や社会を毒づいたりすることもありますが、いつも寝る前になると健やかな空気になっています(笑)これがもし小川さん二人だったらそうはならないでしょう。

小川さんのおかげで、お父さん(重三郎さん)への憎しみが薄れたようでありますし、小川さんから聖エネルギーを受けて自己更新されているように思えます。小川さんも、大三郎さんの人柄に触れ、心が洗浄されていってるように見受けられます。小川さんは孤独が和らぎ、大三郎さんも執筆欲が駆り立てられているように見えます。

大三郎さんは、自分が小川さんに与えられるものは何もないとおっしゃいましたが、お互いに最高のものを与え合ってるように思います。

小川さんへの甘やかしについて

甘やかしの件は、今となっては特になんとも思いません。私は去った身ですから。

もし小川さんが大三郎さんにくだらない暴言を吐いたら、私だったら強く言います。ちゃんとはっきり謝罪するように言います。それができないなら追い出します。

ですが、それも大三郎さんが決める事です。軽く諌めるという選択も間違っていません。気に入らないなら私が去ればいいだけです。

大三郎さんは、『試練』ということで納得されたようですが、私はここで使われている試練という言葉が大嫌いです。勝手に他人に向けていい言葉ではありません。

小川さんは一体何者なのか 2

人がやってはいけないことは、人を傷つけることではなくて、人を傷つけることを正当化することです。

この辺りをうやむやにして一緒に過ごしたり、それどころか崇めたりすることは、友人としても師弟としても、愚行です。

小川さんには計り知れない狂気があります。コメントを見てると、あまりの負のオーラにゾッとすることがあります。他の面がどれだけ優れていようと、負のオーラが強烈な人には誰も寄っては来ません。

きみひとさんがアストラル界の悪い霊と結びつかないようにと言ったのはそういうことだと思います。これは小川さん本人も自覚しています。

自分の中に怪物がいるといったように、お友達にも言われたようですね。

見えるわけではないけど、
嫌がらせした人物に、
お前に関わりたくないと言われた(笑)。
貧乏神の力は、
事故、恐怖を与えるのだろう。
なんか、…
憑いているとは、
言われる。
うりゃー、
貧乏神の小川様である(笑)。

彼(しまるこ)も、エゴイストの面もある。
誰かではなく、
自分自身の自己愛を感じる。
自分自身を愛すると、
自己愛は違う。
自分のことは、自分自身ですら、
知らないのだ。
愛されたいと思っているのだ。
本人(しまるこ)は、気づいてないが、
自分自身で、認めらないからだ。
これは、私に非常に似ている。

自分自身の人生で、
疎外され、僕の中の怪物が
巨大化している。
愛されているではなく、
愛したいと思えたら、
扉を開けるのだろうが…。

私も、嫉妬や、憎悪がある。
愛とは、自己愛、他者愛、性愛。
愛…、これが、
愛か…。
ナザレのイエスが、
君たちは、愛に離れたと言ったが、
…。

私の中の怪物は、凶悪に育っている。
それは、自分自身の人生で、
負け犬の底辺だと自覚しているからだ。
ある人は、言った…。
自己愛をはいしてはいけない。
認めるのだ。
自分自身をうけいれる覚悟は、
愛だと同等なのであろう。

愛とは、異質な部分に憧れと
同様に、認めること。
怪物は、どんどん、
大きくなってきている。
私の怪物は、他人を喰らうとしている。
怖いのだ、…。
透明な自分自身でいたいのに、
自分自身ではないのに、
私の怪物は、
叫び、人を喰らおうとしている。

僕は、…、自分自身ですら、
知らない怪物がいる。
誰もが、自分自身を知らないのだ。
酒を飲んで、
朝、起きると、無性に虚しくなる。
虚しくなるから、また、酒を飲む。
僕たちは、何処にいこうとしているのか…

私は、悪の塊である。
それは、
僕を蝕む心なのだ。

自分が、悪の塊に、
蝕ばむものを
誰か助けてほしいと思う。

私は、…、
くそったれの息子と産まれ、
葛の息子である。

だから、
私は、理念を失いたくない。

葛の息子だから、
葛だと言わせない。

私は、神を凌駕してやる。

小川さんは自分のことを精神が強いと言っていますが、私は強い人だとは思いません。

欲しいものがあっても努力することができないから、何も手に入らなくて文句を言っているのだと思います。

小川さんが女性にモテないのは、戦おうとしないからです。自分を変える勇気がないからです。チャレンジする前から、自分なんか相手にされないと思って尻込んでしまい、女性を貶して自我を保とうとします。小川さんの第4密度とか第5密度とかの話はまったくわかりませんが、この辺りは私には100%わかります。私はこの道の先輩ですから。

世の中に不平不満をいう人の特徴として、自分の幸福のための挑戦を諦めてしまうところにあります。チャレンジして傷ついて、でももう一度立ち上がって、実現したいことを実現するまで諦めない。漢が背中で語るとはそういうことだと思います。試練とは、自分に自分を課すことです。スウェーデン人と結婚したいならすればいいと思います。小川さんが特殊だから不幸ということはありません。この世は決して牢獄でもなければ地獄でもない。人生は自分のやりたいことをやるために与えられた時間です。夢のような遊び場です。我々は自分のすべきことをする為にこの世界にやってきました。それはつまり、自分の生命を思いっきり開き切ることです。赤ちゃんが誕生の瞬間に泣き叫ぶのは、シェイクスピアが言うように、アホ共ばかりの地上に産み落とされたからではありません。生命が爆発しているからです。

すいません脱線しました。

一方で、小川さんは、義憤に対しては異常な行動力がある気がします。例えばアメリカ人が複数人で沖縄の子を暴行していたら、小川さんは見過ごせず、自分の命を投げ打ってでも何かすると思います。ガソリンを撒いて皆殺しにしそうです。誤って女の子まで殺しちゃいそうだけど(笑)

小川さんは、都合が悪くなると癇癪を起こして自分の世界に塞ぎ込んでしまいます。英雄豪傑と呼ばれる人達は、狂気を内在しながらも、それに打ち勝ってきた者達です。怪物に自分を明け渡さなかった人です。

小川さんが精神世界を進みすぎてるがゆえに周囲と波長が合わないことは確かです。しかし誰もが通る道です。大三郎さんも、きみひとさんも、どんな偉人も、街ゆく人だって、街ゆく人だってそんなに変わりません。傑物も、その先の傑物も、その先の先の先も。その先に神がいます。

それは小川さんもわかっていることです。以前、私の愚痴に対して、このようなコメントをされています。

てめえの
糞みたいな
、人生が苦しみ要因だろ?
いいがけんにしろよ、
聞いたら、同情すると思うか?
さっさと、地獄に落ちれ。
はいはい、てめえの人生は、
苦しみました、
だけん、なに?
ゴミごときが、
つらかったてかww、
世間は、そうだよ。
うおおおお。
ああああああ。

うおおおおとか、あああああは怪物のうめき声でしょう。

誰の中にも神がいます。もし自分の中に神を見い出せば、他人の中にも神を見出します。人間は神の元に一つとなります。これは大三郎さんの掲げている自他合一の理念と重なると思います。人間の奥底にはみんなが一つになっている、以前、きみひとさんが言っていたように水底に本源があって、我々は泡のようなもの。私は、大三郎さんときみひとさんの言葉を信じます。この世に人とうまくやっていけない人なんていません。

小川さんは人からシカトされてしまうと言っていますが、シカトされる原因をよく考えてみなければなりません。そうでなければ、これからいい出会いがあったとしても、うまくコミュニケーションが取れずに破綻してしまいます。

私は、小川さんは人から好かれる人だと思います。一度失言をしてしまったり、関係が悪くなってしまったら、そこから修正ができないだけなのだと思います。小川さんに魅力を感じて近づいてきた人はそれなりにいたと思います。しかし、仲良くなって何でも話しているうちに、その人の親を平気でクズ呼ばわりしたり、失言があったりして、ちゃんと謝ることができずに、みんな離れていってしまったのだと思います。

……と書きましたが、この辺りは私も言ってはいけないかな。大三郎さんやきみひとさんの方が、よほど言う資格があると思います。

まぁ人のことはともかく、私は自分のことをちゃんとしようと思いました。人は変えられないし、変えようとする必要はないですから。

こんなふうに悪口をつらつら並べるより、大三郎さんのように、ただ一緒に話をしたり、互いをリスペクトし合うことの方がずっと、小川さんに前進をもたらすに違いありません。少なくとも今小川さんに必要なのは、私の綺麗事ではなくて、大三郎さんです。

いやはや、大三郎さんやきみひとさんのことを記事にする前に、小川さんを2回も記事にしてしまいました。

小川さんからの指摘をどう思うか

私は素直な時の小川さんの態度を知っているから、どういうつもりで悪口を言っているのかだいたいわかります。人の評価が、感情を抜きにして急に180度変わるなんてことはありません。

小川さんはそこまでのことを言ってないといいましたが、実は、私もそこまでのことは言ってないと思っています(笑)

そこまでのことは言ってないけど、ちゃんとするべきところをちゃんとしないなら、私は付き合う気はないということです。

小川さんは決して悪ふざけでもなければ試練のつもりで言ったわけではありません。感情です。

小川さんは、他人の思考や精神を、狙った場所に誘導できるような器用な人間ではありません。小川さんは、自分から離れていくすべての人に、試練に耐えられなかったと言うと思います。小学校のときクソガキがよく言ってました。

「そこまでは言ってない」「漢字を使いなさい」「これは試練だ」「私は狂人だから仕方ない」

これらは幼稚な言い訳です。小川さんは私に会話から逃げていると言いましたが、これらの発言の方が逃げていると思います。

同様に、言われたから言い返す。傷つけられたから傷つき返す。というのも会話から逃げているのと変わりません。

小川さんのこういったところを認めてしまったら、小川さんにとって不幸なことになると思いました。大三郎さんに甘やかし過ぎといった点はここにあります。

とはいえ、私にも原因はあります。

大三郎さんが以前に、「小川さんが小川節を披露する度に、しまるこさんがスルーしてますね(笑)」と言ったように、私もスルーばかりしていました。またここでも無反応が問題になってるわけです。

私が小川さんの発言を無視していたのは、自分の言葉を持ち帰って考えてみてほしかったからです。どうせ言っても逆上するだろうから、無言でいました。

しかし、終始大人な対応を決め込むのも立派な悪です。私も意地になって無視してたところもあるから、本当はどっちもどっちなんですけどね。下手なのであまりよく塩梅がわかりません。

あまりにも話しが通じない頑迷さ。バカバカしさ。良好な関係を築いている時は面白いから笑っていられますが、真面目に意思の伝達をしようとして、漢字がどうとかわけのわからない返しをされると、イライラしてきますw というか、会話する気力がなくなります……。しかも数日後に普通に自分でカタカナでキチガイって言ってるしw 話がわからない人間に感じる特有のバカバカしさ、気持ち悪さがありました。サラリーマン生活を辞めて、再びこんな感情に出会うとは思いませんでした。この頑固さは、私がくだらない動画を撮ったり、大三郎さんが自由連想法を書き続けるのとは違う頑固さです。まぁやはり人を変えようとしたり期待するのは良くないということですね。

相手が悪かったかな。小川さんには小川さんに適した対応があったはずなのですが、気づいたらそのレールから外れていました。

しかし真面目に話そうとしても、話があまり通じないように思います。お酒の飲み過ぎか、私の思い過ごしかもしれませんが、以前より認知力が低くなっているような気がします。きみひとさんへの返信記事に、わからないと言っていたのは引きました(笑)

FFセブンリメイクという最先端のゲームの裏ボスのダークバハムートを倒せているから、いらぬ心配だといいですが。

このブログは大三郎さんときみひとさんがやってくるまでの間は、ずっと小川さんと二人きりでやってきました。半年間くらいかな。

ほとんど小川さんのためだけに書いていたような時期もありました。昔はペットの猫のことを長々と書いたり、くそつまんない記事ばかり書いていました。ほとんど削除しましたが。そんなくだらない記事に2回に1回は感想をくれました。こんなクソ長いクソ記事も。

私が記事を書いて、同じ物書きの視点から大三郎さんがコメントをくれて、山羊さんが下ネタでチャカして、きみひとさんが引いて、小川さんが暴れていた時期は、とても面白かったです。もう少し長く続いて欲しかったなと思いますが、ぶち壊した張本人の私が嘆くのは、お笑い草ですね。

私も小川さんも、関係が上手くいってる時は上手く行くけど、一旦悪くなってしまうと、自分からは何もできなくなってしまう残念な人種です。だから、そこを一歩踏み出すことのできる大三郎さんを尊敬します。きみひとさんも。

大三郎さんは小川さんが謝ったと言いましたが、私はあんなのは謝罪とは認めません。本人も謝罪のつもりなどないでしょう。私も謝罪を求めていません。

小川さんとなぜ関係がこじれたか

では、喧嘩の始まりはどこからだったか。おそらくこの辺りのコメントからだと思います。

明晰夢は、
3段階に別けられていると思う。
しまるこさんは、推奨はできないなー。
私も、そうだが、悪夢の世界に
閉ざれる可能性は高い。
幻想的な世界なら、
グラマー、幻の世界である。
チベットの術で、
教えられているが、
導師のいない霊的世界観など
危険であると言えるだろう。
月の衛星の境目にあたる
部分が明晰夢なのだろが、
それとも、元素界と明晰夢とは
、別の技法なのか?
そこがよくわからん。
むむむむ。
ベルンさんの経験談を
私に提示しなさい。
キボーンヌ。
ブログにしてちょ。
しまるこさんよ、ベルンさんの読んだら、
感想を、記事にしなさい(笑)
そして、リンクを貼りなさい。
暇だろ~。どうせ、お互いに(笑

私はイラッときたので無視しました。

そしてその翌日辺りから私の女性関係について色々言ってくるようになりました。

しまるこさんのブログに
コメントしてきた。
扇動罪と、乱交罪で
鞭打ちの刑だな。
真面目な話しをすると、
物書きとは、お金もちと
同じ罪が大きい。
文書を書くとは、
それだけの罪が大きい。
太宰治のように、
愛人、不倫を書いて、
小説家ですか?
打ち首の刑とする。
走れメロスは評価はするが、
しまるこさんが、
打ち首の罪なら、
善人と言えど、
殺されるだろう。
それが、カルマである。
もし、戦争で殺されたなら、
仕方ない。

だんだんエスカレートしていき、

たとえ、知り合いだとしても、
友人の
しまるこさんの
首を切るのが怖いなら、
私が、
処刑をする。
さっさと、女遊びの連中は、
消さないと、
害虫を駆除しないと、
害しか与えない。
何も知らないからと
言って、カルマは変わらない。
この国は、駆除しないと…。

人に悪口を言って反応がかえってこないと、悪意は自分に跳ね返ってきます。だから、止まらなくなっていったのでしょう。

また、私がよくわからない動画を撮って、小川さんがよくわからないと言ったので、「この先は小川さんときみひとさんに面白いと思ってもらえる作品は創れないと思います」と言いました。私のこういった発言も、センスがない奴はついてこれないのだと、蚊帳の外に置かれた感じを覚えたのだと思います。

小川さんは動物のように、自分を避けたり嫌っている人間を敏感に感じ取ります。今まで人にシカトされて去っていかれた経験が多いから、余計に敏感になっていたでしょう。

私も人との別れを恐れています。今まで何度も絶交したり、絶交されたことがあります。やはりいつも私に愛が足りなくて、相手をわかってあげられなかったところにつきます。

人間関係を一片の傷をつけることなく最後までやり通すなんてことは不可能ですが、私は人より争いが多いタイプです。大人ぶって理性的に対応するのですが、この態度が一番大人げなかったりします。

大三郎さんとやらかしたばかりだし、きみひとさんとも、ちょこちょこコメント欄で揉めたりしています。山羊さんは去っていってしまいました。これではさすがに愛の求道者と名乗ることはできなくなってきました。

これは小川さんが引っ張ってきた文章だけど、小川さんは、これを実行する人間としてはほど遠い。私も遠い。試練でいうなら、これこそ試練です。いつも私の前にこの文章が立ちはだかります。

夫婦けんかするでない。夫のみいかんのでない。妻のみ悪いのでないぞ。
お互に己の姿を出し合ってゐるのぞ。よく会得せよ。

愛は養はねばならん。夫婦はいのちがけで、お互にきづき合はねばならんぞ。
夫婦愛はあるのではない。築き上げねばならんぞ。生み出すのぢゃ。
つくり出すのぢゃ。そこに尊さあるぞ。喜びあるぞ。

いったい何をやってるのかなぁと思います。仕事をやめて、ネットで変な知り合いを作って、変な喧嘩をして、変な別れをして、今日も会社に行って誰かのために汗を流している人に比べて情けなくなってきます。こんなことならはじめから誰とも関わらなければよかったと思わなくもありません。……w。今日も親に車の保険の手続きをまだやってないのかと散々怒られました。やるべき事もやらないでくだらないことばっかやってます。

女遊びは関係ない

私と小川さんが仲違いした原因のいちばんの理由は、私の女関係にあるかと思っているかもしれませんが、これはあまり関係ないと思います。

大三郎さんも、じゃあなんでしまるこブログにやってきたんだ? と疑問を呈していましたが、おっしゃる通り、もしこれが原因なら初めからやってこなかったはずです。

空気が悪くなってるところに、ちょうどいい位置に私の女関係が転がっていたから、メインの食材に使われたのでしょう。関係が良好なら見過ごすが、敵なら叩くというだけの話です。ずいぶん都合のいい正義です。小川さんは正義正義と言いますが、自分の負の感情を正当化するときにこの言葉を使うことがあります。これでは正義が聞いて呆れます。

過去記事を読んでもらえればわかることですが、出会い系や恋愛の記事は、ほとんどが失敗体験を書いています。失敗して愚痴を吐いている記事がほとんどです。小川さんも一緒になって毒を吐いてた一年間でした。だから私から言わせると共犯なような気がするんですが……。……w。まあ心の奥底で嫉妬があったのかもしれませんが。

そこからは知っての通り、小川さんの発言はエスカレートしていき、私は無視し続けました。

電気クーラー買ったら?
窓にとりつけるやつ。
適度に涼しい。

こんな普通のコメントも無視しました。

今となっては、しまるこも自分をシカトした連中と同じだったと思っていることでしょう。まぁ、同じなんですが。

おやおや、
どうしたのですか?
もう、少し、
私を楽しませてくれるかと、
思えば、ごんな雑魚とは
がっかりです。
雑魚なら、
雑魚らしく、
しときなさい。

このフリーザみたいなコメントによく表れているように思います。

このまま無視していようかと思いましたが、なんだかそれも逃げているような気がしてきたし、最後くらいはちゃんと言おうと思って言ったのがこれです。

私は小川さんのことが好きだし尊敬しています。しかし、人を傷つけたときは、やはり反省すべきだし、謝罪もしなければなりません。人として通すべきところは通さなければ宗教も悟りもあったものではないし、才能とか狂人とか子供とかで片付けてしまったら、それは小川さんにとって絶対に不幸になります。大三郎さんも人を甘やかしてしまうところがあります。

お二人がご存知のように、私もお二人以上に、低俗で下品な発言で人を傷つけてしまうことがとてもたくさんあります。だから言う資格がないから黙ってた方がいい…………、というわけでもないと思います。いつも楽しく交流したいけれども、やはりキチガイ同士でも、ちゃんとしなければならないところはちゃんとしなければなりません。友人として私が言えることは以上です。

今もこの気持ちは変わりません。

小川さんの面白かったコメント

最後に私が面白いと思った小川さんのコメントを置いておきましょう(笑)

私は小川さんの宗教や哲学をどうのこうのというコメントは流し読みしていました。解読しようとしても理解できるものじゃないし。

だけどギャグテイストは好きです。それが私はからかったものだとしても。いい具合にゾーンに入ったときのコメントはやはり最高です。

ナマラが足りん。
勃起、つまり、
ナマラである。
ちんこが立たないだとー。
てめえがいかに逃げているか証拠であろう。
ちんこは、漢である。
勃起せよ。
漢なら、勃起こそする漢しか、
認めん。
勃起。
勃起。
勃起、
勃起こそが偉大なり。

逃げているのだ、
認めろよ…。
覚悟がない。
だから、勃起を恐れている。
勃起である。
真の勃起。

たてー
たつんだー、
ナマラよ。

私のEDをからかったコメントです。むかつくけど面白いものは面白いですね。「真の勃起」は面白い。「ナマラ」も一体どこで覚えた言葉なのかw

そういえば、モデルの子とやったヤりちん男によると、
気持ち良くなかったて。
やはり、女はおしりである。
美人とかどうでもよい。
そんなものは主観にすぎない。
30前後が旨味のある体つきを
するが、基本的に私はエロい
女が好み。
日本人女性は幼稚のが多くて
私的にはだめだ。
西洋人女性とやって
みたいは~。
まてよ、エロい男だと、
男根が大きいのか?
カーマストーラでは、
マンコがでかい女性と
相性がいい。
つまり、エロいプリけつした
女と抜群となる。
日本人男性は、世界で見ると、
平均的に小さい。
ふむ、幼稚い体つきを好むのは、小さいからであろう(笑)

私は、プリケツしている女がいい。
可愛いやつとか、美女とか、
どちらにしろ、財力、地位のあるやつに行く。
例外を除いてだが、
大半の日本人女なんて、
所詮、その程度。
外国人女以外、興味はない。
いかに、ゴミ箱て再認識した。
外国人難民を導入して、
ハーフをどんどん作ればいいのに。

ひねくれてていいですね。プリケツというワードがいい。

しまるこさんは、
冗談ではなく、打ち首だけど、
いいよね、

大衆を先導をした罪だけど、
大三郎さんの罪とは違う。

獄門鞭うちにして、
死刑にしょうす。

大三郎さんは、許すが、
しまるこさんは、
駄目だ。

ちんちんを大事にしなさいは、
ちんこに泣く(笑)。

あ、ちんこがたたないだけ。

やれやれ、┐(-。-;)┌、
、ちんこをおろそかした結果。

あ、ちんこが
ちんこが爆発する。

いちばん面白かったのはこれです。最後の「あ」は天才です。

二人でYouTuberをやればいい

小川さんはYouTuber向きだと思います。お二人でYouTubeをやったら素晴らしいチャンネルになる気がしますが。遠隔アプリで右半分に大三郎さんを映して、左半分に小川さんを映して、「第4密度とはなんですか?」「第4密度とは……」なんてやってたら、すぐ人気になると思います。

小川さんは顔や話し方も魅力に富んでいるに違いないから、それだけですごいチャンネルになるでしょう。それをリードできる人が必要になりますがね。noteのコメント欄でやるより時代が求めているように思います。小川さんは、もっと多くの人に愛されていいと思います。そして小川さんも、もっと多くの人を愛すべきです。フォロワーから結婚相手が見つかるかもしれません。おそらくこれが一番最適な婚活法だと私は思います。

一番いいのは結婚することです。小川さんは、結婚して、奥さんと犬を連れて散歩しているのが、とても似合うと思います。誰よりも奥さんを大切にできると思います。

こんなところが私の所感です。

あと、やはり小川さんを語る上でどうしても言わなければならないことがありますw

この通り、幼稚で、言っていることも滅茶苦茶で、シカトしたくなり、認めたくないところもありますが、嫉妬や価値観で汚れた眼鏡を外して小川さんを見たとき、個としての純粋性、芸術も宗教もこえた、狂気もこえた、ただ純粋な存在があるように見えます。大三郎さんが言っているのはこれでしょう。これに、大三郎さんや、私や、保坂さんや、どんな人間よりも、美しい輝きを見るのでしょう。私も、この輝きは無視できません。確かに、全てを超えた、信じられない輝きを持っています。幼児。ピカソの絵。自然。私は怪物とも狂気とも違った、それを、小川さんの純粋な個性のように思います。

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