霊的修行

悟りを開いている人の動画から神を検証する

投稿日:2020-07-03 更新日:

悟りを開いている人はどんな顔をしてどんな動きをしているのか。文献を漁るより、実際に悟っている人の映像を見た方がいいのではないかと思った。

俺が参考にしているのはこの方達の動画である。

俺も初めて見た時はインチキだと思った。友達もこれを見て、「ぜったいに勝てる」といった。「この人たちはみんな他流派で段位を持ってる人たちだよ。それでもこうやって簡単にやられちゃってるんだよ」といっても、「俺は勝てる」といった。

それはさておき、動画をよく見ていると、間に合っているように見える。

達人中の達人になると、力やスピードや技を超えて、ただ間だけを制するようになる。

寸分の狂いもなく、天の周期と一致しているように見える。神が糸を垂らして人形のように操っているように見える。神の道具になっている。

言葉はあまりにも多様性を許してしまうから、武道やスポーツの方がはるかに神の意思を感じ取りやすく、進行度も確認しやすい。

〇〇道と、道と名がつくものは、神を体験するための道だったのだろう。いくら探してもブログ道というものはない。

そうやって〇〇道を極めた結果、人はどんな話し方になるのだろうと思って、今度は話している方の動画を見たり、いったりきたりしている。

やはり呼吸と言葉が一致していて、間に合っている。ひたすらカットを多様して、矢継ぎ早に情報を撃ちまくるYouTuberとは正反対だ。俺は、宮崎禅師のピタッとハマっている一致感を感じたくてこの動画を開いている。しかし、こんな話し方をするYouTuberがいたら、誰もが一瞬で動画を閉じるだろう。

宮崎禅師はただ座るという。それ以外は余分だと。

上原先生も、臍下丹田に力を集約して立っているだけだという。

肥田先生もまったく同じことをいっている。果たし合いを挑まれた時は立っていたら終わったと言うし、7~8人から奇襲を受けたときも、気づけば全員が膝まづいて弟子入りを志願したという。

植芝先生も、合気は無心で立っているだけでいいといっている。

真の武とは、相手の全貌を吸収する引力の練磨。だから私はこのまま、立っていればいい。

相手の目を見てはいけない、目に心を奪われてしまうからだ。相手の剣を見てはいけない、剣に気が囚われてしまうからだ。相手を見てはいけない、相手の気に吸収されてしまうからだ

ただ立っているだけで一切が自動的に行われるのだろう。悟りを開いた人間には、「行為だけがある」と聞いたことがある。

確かに、相手を見ている様子もない。見ることなく見ている。

この三人の共通点は姿勢にある。植芝先生や上原先生に至っては肥田先生とまったく同じ姿勢をしている。そして同じ体型をしている。一般的に、禅僧よりも武道家の方が悟りがはやいと天狗芸術論に書かれていたように、この姿勢を見る限り嘘ではなさそうだ。

他人と気を合わせてしまうから天の周期と一致しなくなってしまう。合気道は人と気を合わせるのではなく、天と気を合わせることなのだろう。

特に欲に駆られているときはそのリズムを著しく見失ってしまう。深夜に牛丼が食べたくなって車を飛ばしてすき家にいくと、ライトをつけ忘れて点数を取られたり、ライトをつけ忘れて目の前の自転車をひいてしまいそうになる。

とある部族の村に、聖霊や動物と会話できる人がいた。その人はおそろしいほど言葉数が少ないのに、誰からも多大なる尊敬を集め、部族の長として君臨していた。ある日、噂を聞きつけた人が、自分のペットの犬と会話をしたくて、その人に会うためにはるばる部族の村まで行き、「あなたのように動物と会話するためにはどうしたらいいですか?」と尋ねた。1分経ち、10分経ち、1時間経ち、半日経ち、夜が明けて、次の夜が明けて、やっとかえってきた言葉が、「あなたの犬に聞いてみるのがいいでしょう」だった。

普通だったら激怒するところだろう。しかし訪問者は感動でいっぱいになり、すべての疑問が解け、何度も礼をいって、犬が待つ家に帰っていった。

部族長は、考えていたわけではない。待っていたのだろう。完全に空間と時間が一致して、神が降り立つのを待っていた。例え同じ言葉だったとしても、即答されたのでは違う結果になっただろう。その間でしかならなかった。

つくづく、会話とは祈りだと思う。俺にはそこまで待つ勇気はないけど、俺にも、一致しない以上は語らない方がいいという場面にはいつも遭遇する。それでもまだ、店員からお釣りを受け取り、おじぎが次の足と一緒になってしまう、そんな話し方ばかりをしてしまう。俺が神にとどかないのは、こんなところからきていると思う。蓮の雫が落ちるタイミングは一つしかない。言葉にも生命があって、そのときがきたら自発的に飛び出す。我々にできることは生じるまで待つということ。俺は自分が考えたり感じたりする言葉よりも、この言葉を信じる。

神のまにまに。間に合うところに神が存在する。

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