霊的修行

愛全振り人間のうざったらしさについて

投稿日:2020-05-12 更新日:

愛を信条として、聖書か自己啓発書かわからないけど、とにかく愛が世界でいちばんなんだと、なんか勝手に洗脳されて、暑苦しくて、宗教に目覚めてしまう人はどこにでもいる。

俺も愛が世界でいちばん大事だと思っているが、うざったい「愛全振り人間」との違いは一体どこからくるんだろうか。

愛全振り人間は、自分ペースなのである。

表情ひとつとってみても、愛がいちばん偉大ですよね? あなたもそう思いませんか? と押しつけがましい空気に満ちていてイライラさせる。

人類愛を唱えたり、聖書の言葉を引用したり、八方美人だったり、口からでる言葉と発音は柔らかいが、こちらの気持ちを汲んでくれないからイライラさせる。

愛の実行の仕方が間違っている。

愛とは相手自身になることである。相手自身になって、相手が今必要としているものを的確に実行することである。

言葉は得てして害になることが多い。優しぶった言葉をかけるよりも、その人の気持ちになって、その人に今いちばん必要なものを提供することが愛なのである。

そういう意味でいえば、愛とは想像力である。

想像力もないのに、愛の神秘に心を打たれたままに未熟な行動に出るから、愛の押し売りになって人から嫌われてしまう。

自分の気配を殺すことを知らない。透明になって相手の動線を読み取ることなく、自分の時間軸のままに行動する。

相手に嫌われると、次々と余計なことしかしない。何かしないと不安になり、どんどんどんどんドツボにはまっていく。

何もしなければいいのに、何かせずにはいられない。

愛全振り人間は肝心なときに役に立たない。愛の押し売りしかできない。ただ優しい感じがすることをするだけなのである。

何の能力もないから、愛の一点張りで欠点をごまかそうとする。

愛全振りで生きることは、思考をひとつに限定するだけでいいから、むしろ楽なのである。

「素敵ですね」ですべて解決すると思っている。

誰かの体調が悪くなると、水を得た魚のように活き活きして駆けていく。もちろん医療的知識はないので、となりで優しく微笑んでいるだけである。

どの分野で戦っても負けてしまうから、この領域で勝負しようとする。

とりわけ女に多い。女の感情的な面が悪くでるのである。

最後には、「私はこんなにみんなのために尽くしたのに、どうして私を褒めてくれないの!?」と逆ギレする。

見返りを求めないのが愛なのに、見返りしか求めない。

アインシュタインもいっているが、

「科学なき宗教は盲目であり、宗教なき科学は欠陥である」

人間の生理をしらない。人間はただ好意をぶつけられると、かえって気を悪くする生き物である。それはストレートな表現が苦手とか、照れとかいうことではなく、そもそも愛が傾聴に位置するものだからである。同じだといっていい。受動的なものを能動的に行うことである。

愛全振り人間は、相手を知ろうとしない。山岡鉄舟が剣の奥義は箱の中身をよく調べることだといったように、相手が今どんな状況か何を求めてるのかさえわかれば、失敗しなくて済む。

愛全振り人間は、みんなでバーベキューをやることになっても、ひとりだけずっと肉を焼いている。

みんなに「もう休憩して食べなよ」といわれても、「ううん、私のことは気にしないで!」といって焼き続ける。

暑い中、熱いものを焼き続けて、額に汗を流して、みんなそんなものを見ながら食うと不味くなるから、気を使っていっているわけではなく、不味いからいってるのに、愛全振り人間は狂ったように焼き続ける。

3回くらい、「もうこっちにきて一緒に食べなよ」といわれ、それをすべて自分で断ったくせに、(なんでこの人たちはみんな働かないの?)と、心の中で毒づいている。こんな風にいつも一人相撲して自滅する。

本人は黒子に徹しているつもりだが、なかなか景観を邪魔するものである。そして完全にバレている。

(あーこの人はいい人に見られたいんだろうなぁ)

(今日もオナニー絶好調だなぁ)

(今この人の中で、いい子ぶることが大きなウエイトを占めているんだなぁ。ハマっている時期なんだろうなぁ)

(私も中学のときにあったなぁ……)と、内心で苦笑されているのである。

すべて透けて見えるから、「おかわり持ってきますね!」とニコリと笑った顔に、みんな吐き気を催すのである。

やっと手を休めて、みんなと一緒に肉を食いだしたかと思ったら、満面の笑みで、「おいしいですね!」とクソつまんないことしかいわない。

愛とか聖性が……とかいっているから、もともと持ってないセンスがさらに枯れて、ジジイとババアに「さっちゃんはいい子だねぇ」と頭を撫でてもらうテンションで、毎日の生活を闊歩するのである。

誰よりも肉を焼き、誰よりも皿を洗ったのに、誰よりも次は呼ばれないのである。

愛全振り人間のいう愛とは、せいぜい耳障りのいい言葉を振りかけるだけである。肝心なときに役に立たない。それで救われ、天国へいけると思い込んでいる。アパートに勧誘にくる変な宗教おばさんも、そんな顔をしている。

肥田先生もいっていたけれども、宗教的見地が進んでるように見える人よりも、アインシュタインやニュートンのほうがよほど自然や神について理解している。人々を愛している。芸術家や科学者の方がよほど実用的な修練を積んでいるのである。そこでは実測に基づいた宗教感覚が養われる為、ただ愛を宣う盲目的な、非科学的な数学的根拠のない愛とはまるで変わってくる。愛全振り人間は、救急車を呼ばずに、おんぶして病院に向かう人である。

「私は昔から精神修養なんていうことは考えたこともない。およそ、肉体を離れた精神修養ほど空漠たるものはない。人間は精神と肉体と一体になったものだからただ精神だけを修養しようとしたって駄目なもんで、例えば虚心になろうと思えば思うほど、ますます雑念が出て来る。これを生理的に絶対虚無の境地によるように肉体をもって来れば、虚無ならんと勉めずして、自ら虚無状態になる。これが実質的の虚無状態である」

「地上一切のことは、理によりて判識し、徳を以てこれを行うの境地にまで進まねばならぬのである」

肥田春充

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