欲を出せばきりがないということを今更声高に言うつもりはない。そんなことはみんなわかりきっている。
それにしても本当にみんなよく食べる。
よく食べるし、よくネットをする。よくゲームをする。よく服を着て厚着になる。
仕事で忙しいとか自分の時間はないとは言うけど、食と生活の快適さにおいては凄まじく行動が早い。
こうして快適さを追い求めているとどうなるかと言うと、何もしなくなる。
ひたすらさらに欲を求めるようになる。
もっと快適にもっと便利にと欲が止まらなくなる。
何か具体的に将来のためにこれをやろうと思っていても、食事だとか寒いから服を着ようとか、そんなことを優先しているから何もできなくなってしまう。
そういった部分をしっかり整えた上で何かに挑戦するのが当たり前だと思っているだろうし、衣食住が十分に備わった状態でも、何かを成し遂げている人たちもたくさんいるから、自分もまずは衣食住を整えようと思うかもしれない。
本能がそう思うかもしれない。
だが、そんなことはない。
欲といえばいいすぎになってしまうであろう食事や服装ですら、追い求めるほど人間はクソになっていく。
一番重要な心の静けさというものはなくなっていく。
本当に心の中に静かに光る何かだけを感じ取っていればいい。
そのためにはまず断食することだろう。
断食すると恐ろしいほど心が静かになる。
神の声が聞こえてくるようになって、普段何となく聞こえる自分の内部のわずかな声がしっかり体全体に広がるようになる。
断食においては確かにそういう例があるし、聞いたことがあるかもしれない。
だが薄着にしてわざと寒い環境に身をさらすということはあんまりしないと思う。風邪を引いてしまうと思うかもしれない。
だがー律神経を鍛えるためには寒いところに身を置いた方がいい。体の内部の体温調整機能が腐ってしまう。
常にあったかい関係でぬくぬくとしているから精神も腐っていくんだろう。
暖かい服を着て温かい食べ物を食べているうちにやりたいこともなくなってきてダラダラしていく。1日が終わってしまう。
だから服も着ないことだろう。服を着ないで寒いままでブルブル体が震えているとだんだん体が暖かくなってくる。
結局寒いとか寒くないとかは、服を脱いだ瞬間にあるだけで。気温差が生まれたときに生じるだけで、ほっとけば気にならなくなってくる。
そして一番大事なことは服を着ないでいると心が神聖さが心の内側から感じられるようになってきて、あまりダラダラしてくだらない時間を過ごそうと思わなくなるのだ。
だらだらYouTube を見てしまう人間は、断食をしたり服を着ないことだろう。
そういう快適さばかり求めているからそのまま延長でYouTube をダラダラ見るようになってしまう。
反対に断食をして後何も着なければ、心がしんとまっすぐに座ってきて、くだらない時間を過ごそうとは思わなくなってくる。
食わず裸でいると自分の中の生命力が燃え上がってくる。
そのエネルギーを仕事に役立てるのだ。