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10年以上働かない芸術家が奥さんに送った手紙

投稿日:2020-02-16 更新日:

『昨夜で、亜希の気持ちは良くわかった。嬉しかったよ。本当に俺は幸せな男だと思った。でも、たった十万しか稼げない仕事ですら、きつくて、愚痴をこぼしている自分が情けない。そんな人間が、亜希でなくても、誰かを幸せにできるとは思えない。

とはいえ、一人になっても、その程度の仕事くらいできないとどうにもならないから、なんとか今の仕事を続けるなり、うまく転職するつもりでいるけど、仮にそれができなかった場合、俺一人の破滅で止まるか、亜希を巻き込んでしまうかのどちらかがあるとしたら、俺としては当然、前者のほうをマシに思う。

仕事やお金のことは、心配しなくて良いと言ってくれたけど、亜希には亜希の大切にしていることがあるし、俺は亜希の夢や計画を壊したくない。それは亜希のためというより、俺のためだ。亜希の夢は俺の夢でもあるから。

せっかくここまで頑張ってきて、今も休みなく働いている亜希に、俺は迷惑をかけたくない。だから、バイトはちゃんと繋ぐつもりだし、できることなら少し援助してやりたいと思っていたけど、もしかしたら、それが危うい今の現状と、仮に、今を乗り越えられても、また同じようなことになるかもしれない今後のことを考えると、やり直すことにはどうしても躊躇してしまう。

俺は亜希の人生が今より少しでも良くなるように、ただそれだけを考えてずっと一緒にいた。そのために、お金があるときは飲みに行ったり、美味しいものを買ったり、掃除や家のこともしたり、税金の話もしたり、仕事の愚痴を聞いたり、ケンカになったときも、亜希の色々な気持ちや感情を自分なりに理解しようと努力してきた。やりたかった心理学の勉強も、少しずつできるようになってきて、それを俺は心から嬉しく思い、応援してきた。それは亜希のことが大好きだから。

でも、俺自身は、亜希に不満や悩みを打ち明けたり、相談することができなかった。

俺が飯田橋のバイトで、上司から嫌がらせを受けていたとき、そのことを亜希に愚痴っていたことがある。精神的に一番きつかったその時に、亜希は友だちと飲みに行って、よりによって夜中の二時を過ぎても帰ってこなかった。何の連絡もなく、俺は心配と怒りで気が狂いそうだった。その時以来、俺は自分の愚痴を亜希に言えなくなってしまった。

小説のことにしても、文才がないと言われてから、読んでもらおうとは思えなくなった。松本くんのことにしても、そのことはもう言わないでほしいとあれほど頼んだのに、何気なくそれを言ってしまう亜希に、俺はこれ以上どう自分の気持を伝えれば良いかわからなかった。

人には、どうしても言われたくないことがあって、それを言われることで傷ついたり疲れたりすることがある。たとえば、ケンカしてお互いが感情的になっている時に、それをつい口に出してしまうことはあるだろうけど、日常の何気ない会話でそれを口にするのは、十分わかっているだろうけど、やっぱり良くない。

とにかく、そんな事情が重なって、俺は亜希に何も言えなくなってしまった。自分の不満や愚痴、一生懸命やっていることに関して、亜希にいうことで、さらに傷ついたり、落ち込んだりするのが怖かったから。

もっとはっきり言えば、俺は亜希に何かを求めたり、期待することがなくなった。それでも良いと思えたのは、本当に亜希のことが好きだったから。亜希が笑うと俺も嬉しいし、亜希が悲しいと俺も悲しい。今でももちろんそうだ。

でも、亜希の不満には底がない。そのせいで、最近はとくに俺なりに我慢していることがたくさんあって、だからちょっと冷たくされるだけで、過剰に反応してしまう。

何かでケンカした時に、理解しようとしたり、事態を収拾しようとするのはいつも俺。亜希は別れようというだけ。それだけとっても、亜希が俺のことを好きでいてくれているとは思えなかった。いや、どうせ上手くまとめてくれるだろうという亜希の下心が見えて嫌な気分がした。そんな俺は亜希にとって都合が良いだけじゃないのか?

こんなこと、こうしてわざわざ文章にしなくても、その都度適当に文句いって、適当に流してしまえば良いことかもしれないとも思う。そうすることが出来る人は世の中にたくさんいるし、そうできない俺に問題があると言われれば、確かにそうかもしれない。

でも俺は、現時点でそれが出来ない。楽しそうにしている最中の亜希に何か言うのは気が引けるというのもあるし、それ以前に、俺はお金がないことで亜希に対して必要以上に卑屈になっている。

亜希のおかげで、お金に対する自分の価値観は相当変わったと思う。貯金もしなきゃと思っているし、仕事も以前よりずっと真面目にするようになった。

でもその反面、俺の人格の半分以上を占めている小説への情熱とかプライドのようなものが、まるで亜希には意味を成さないことをつくづく感じる。

ある程度のお金と、優しさと、同じ食べ物を美味しいと感じる舌さえあれば、たぶん亜希は満足してくれる。しかし、ある程度のお金は別として、他の二つにしても、それはほんの一部の俺でしかない。

ここ数週間、秋葉原通り魔の犯人宛に手紙を書いている。できれば犯人と何度か手紙のやりとりをして、その内容が良ければそのまま文学賞に応募しようと思っている。

でも、一方的に手紙を送ることでさえ、拘置所の担当者と交渉しなければならないし、状況によっては、犯人の家族なり被害者と接触することまで想定しなければならない。

もちろん、途中で俺自身の心が折れてしまうこともあるだろうけど、彼(犯人)との手紙のやりとりに、文学足りうる可能性を感じるからそうしている。

今回は極端にわかり易いもので、常にそうだとは言いきれないけど、小説を書いているときの俺は、大抵いつもそういう精神状態の中にいて、それを少しでも理解してほしいという気持ちは正直あった。仕事にしても、貯金にしても、それ以前に考えることはやっぱりできないし、亜希が望む贅沢な生活とか、美味しいものとかは、俺にとってはもっともっと後回しのこと。

でも、亜希からすれば、むしろそんな手紙は書かないでほしいと思うかもしれないし、仮にそうでないにしても、最低限の生活費さえ入れてくれれば、それが犯罪とかでない限り、別に何をしても構わないと言うだろう。

実際、その程度の理解でしょうがないというか、それで良いと思っていた。価値観は人それぞれだし、無理やり帳尻を合わせるのはむしろ良くないと思ったから。

けど、俺の人格やプライドのほとんどは、小説に取り組む執着が根源にあって、それが伝わらない人には、その分(小説に取り組む執着とか情熱)を差し引いてあまった、残りものの自分で接するしかない。それは、わずかなお金と、優しさと、同じ食べ物を美味しいと感じる舌しかもたない俺だ。

俺は、友だちや周りの人たちには自信をもって接することができるけど、亜希にはそれができない。なぜなら、お金がないから。美味しい物も食べさせてあげられないし、旅行にも連れて行けないし、満足に服も買ってやれないし、それ以前に、生活費の半分も未だ入れてない状況だから、俺はいつまでたっても亜希に頭が上がらない。亜希に対して自信をもてない。だから、いざというときすぐに不満を口にできないで、溜め込んでしまう。

亜希のことは大好きだし、本当に大切に想っているけど、その想いを貫いて、現実に実行することは、やっぱり無理かもしれない。結局のところ、どんなに文才がなくても俺は小説家だし、いくら金がなくて惨めな生活をしようと、そのことを誇りに思えない自分は自分ではない。

もしかしたら後悔するかもしれないし、当面は一緒にいることになるだろうけど、今この手紙を書いている時点の俺は、少なくとも自分の道を優先するつもりでいる。

いつも突然、深刻な話を持ちかけてごめん。

でも、俺はお金がないから、ちゃんと働けないから、そのことで亜希に何もしてあげられていないことを思うと、変に我慢しようとする癖が自然についてしまって、そのせいか、小説を書き続けることに、後ろめたい気持になることさえあった。

いろいろ言ってしまったけど、亜希には心から感謝している。美味しいものを食べたり、楽しいことをして喜んでいる亜希の顔を見るのが、俺には何よりも幸せだった。大げさでなく、そんなときの亜希の笑顔を見るたびに、この世もまんざら捨てたもんじゃないなと思ったくらい。

最近はとくにケンカが耐えなかった。亜希も疲れたね。いや、俺が変に我慢して、突然怒り出すから、亜希のほうが何倍も疲れているね。ごめん。本当にごめん。

こんなに亜希のことが好きなのに、あんなに亜希のことを傷つけてしまった。こんなに不満ばかり言っている俺は、亜希にお金のことで散々苦労させてしまったことを棚にあげている最低の人間だ。俺は自分が情けない。亜希を幸せにするつもりが、逆に亜希を悲しませている。やっぱり駄目なのは俺のほうかもしれない。

何度も言うけど、俺は亜希の笑った顔が大好きだったし、亜希と一緒に過ごした時間以上に幸せな時間を人生でもったことはない。亜希がカウンセラーの試験に受かったときは、嬉しくて仕方なかった。

俺にとって亜希は宝物で、それを手放さなければならないと思うと涙がとまらないよ。こんなに幸せな時間をくれて本当にありがとう。そして、ごめんね。本当にごめん』

引用元

https://note.com/d_tensaka/n/n09a6492bd7a1?creator_urlname=d_tensaka

考察

心理描写や分析がしっかりしているので、俺の方から何かを付け足して書こうものなら、かえって作品に傷がつくだけだろうけど、少しなら問題ないだろう。

仕事やお金のことは、心配しなくて良いと言ってくれたけど、

どこを探してもこんなこと言ってくれる女性はいない。素晴らしい巡り合わせだ。世間は働かない夫の方こそ非難するだろう。

小説のことにしても、文才がないと言われてから、

一緒にいる人に自分の1番大事な部分を認めてもらえないつらさといったらないだろう。芸術家に限らず、ほとんどの男は、自分の一番誇りに思っている部分を女に認めてもらえないから、女に愛想を尽かしてしまう。

何かでケンカした時に、理解しようとしたり、事態を収拾しようとするのはいつも俺。亜希は別れようというだけ。それだけとっても、亜希が俺のことを好きでいてくれているとは思えなかった。いや、どうせ上手くまとめてくれるだろうという亜希の下心が見えて嫌な気分がした。そんな俺は亜希にとって都合が良いだけじゃないのか?

夫のために金を稼いでくることはできても、素直な愛情表現だけはできない。芸術家は人とまっすぐに向かい合うことを追求するのが仕事だから、夫は愛、奥さんは金、各々の自分の仕事に向かわずにはいられない悲劇があり、それがバランスをとってもいる。

俺の人格やプライドのほとんどは、小説に取り組む執着が根源にあって、それが伝わらない人には、その分(小説に取り組む執着とか情熱)を差し引いてあまった、残りものの自分で接するしかない。それは、わずかなお金と、優しさと、同じ食べ物を美味しいと感じる舌しかもたない俺だ。

残り物の自分で接するしかない、か。がしかし、芸術家特有の悩みに見えて、ほとんどの夫は家庭でそんな顔をしている。仕事しているときと同じ顔をしていたりする。

何度も言うけど、俺は亜希の笑った顔が大好きだったし、亜希と一緒に過ごした時間以上に幸せな時間を人生でもったことはない。

俺にとって亜希は宝物で、それを手放さなければならないと思うと涙がとまらないよ。こんなに幸せな時間をくれて本当にありがとう。そして、ごめんね。本当にごめん。

これがよくわからない。冷血人間の俺にとって、どうしてこの奥さんのことをこれだけ愛せるのかそれがよくわからなかった。いくら代わりに働いてくれたとしても、自分を認めてくれず、運気を下げるような人間とは、俺だったら一緒にいられない。

しかしこの手紙の書き手でなくとも、世の中にはこういった奥さんとうまくやれてしまう男がいる。

ブスで働かないで家事もせず夫の給料に文句しか言わずに一日中ドラクエウォークをやっている奥さんを見捨てない友人がいる。別に大事にしているようでもない。好きでもなければ愛しているようでもない。惰性で相手をしているように見える。離婚するのも面倒臭くて、辞める辞めると言って会社を辞めない感じと似ている。

家に帰りたくないとか、もう嫁の顔を見たくないとか言うけど、本音のところは大して嫌がってない印象を受ける。人より感受性が劣っていて、喜びも苦しみのどちらも通常の男の半分しか実感できない鈍感だから、ぜんぶ流せてしまうというのが俺の率直な感想だった。

お互いにそんなに愛しているわけでもない。好きそうでもない。でもどこか強烈な一体感がある。不思議な磁力が働いている。夫婦同じ顔をしている。自分と出会って自分と結婚しているように見える。自分の一部のように接している。彼らは似てきたのか。それとも元々似ていたのか。元々似ていたのだとしたら、それが運命というやつか。俺は結婚する相手というのは初めから決まっているように思えてならない。

俺が考えられるのはここまでで、これ以上の答えはどうしたって見つけられなかった。しかし、その辺りは心の専門家である芸術家さんらしく、自分で答えを探り当てていた。

妻は普通人なので、一緒にいる限りは、普通じゃないことを求めないようにしています。

映画監督の小津安二郎が、「映画のこと以外で波風立てたくない。日常はぜんぶ家族や周りに合わせる」みたいなことを言っていますが、それに近い感じでしょうか(苦笑)

そもそも、普通じゃないことに関して、理解や共感を示してくれる人はそういません。同じ芸術の世界にいても、趣味趣向やレベルが違いすぎると、通じ合うことはできません。

ただ、妻のような普通人にも、表面化されていないだけで、普通じゃない芸術の心はあります。それを少しずつ開拓していっている感じもあります(笑)

とはいえ、今のままでも、魅力的とまではいえませんが(苦笑)、自分にはないものに、面白味を感じたりすることもけっこうあります。

まあでも、小説家の保坂和志さんが、「一番最初の人がその人にとっては一番大事で、性格的にその人と合うかどうかなんてのは、実は二の次。一番最初だから一番好き、というのがすべて」

――みたいなことを言っていて、少なくとも僕の場合は、確かにそのままその通りかもしれないなあと思います(笑)

『一番最初だから一番好き』俺はこの答えにとてもしっくりきてしまった。一番最初に出会うべくして出会った人だから、大切にせずにはいられないのだと思う。

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