そもそも、この世に病気というものがあるかどうかすら怪しいんです。病気というのは、症状を分かりやすく整理する為に、便宜上、後付けで名付けをされただけに過ぎない。だけどそれが今じゃあアベコベになってる。〇〇だから〇〇症なのか、それとも〇〇症だから〇〇なのか。肝臓が悪いから肝硬変なのか。肝硬変だから肝臓が悪いのか。これが逆さまになっているんです。そして、ありがたく命名してもらった病人は、もったいぶった仰々しい物言いで、〇〇症……〇〇症……と一日中、念仏のように唱え続けるようになります。現代は西洋文明に浸かりっぱなしで、科学的に証明されたものは、肉体的なものであれ精神的なものであれ、我々はすべて鵜呑みにしてしまいます。みんなが病気を病気だと信じて病まない理由は、医者が病気だと太鼓判を押しているからです。
来人(あえて患者と呼びません)が深いため息をついて、あまりにも切なそう顔でやってくるから、医者も、空気を読んで判を押すしかないんです。『あなたは鬱病ではない』と、合格発表を楽しみにやってきた受験生みたいな人を追い返す勇気がないんです。病気が増え、病人が増えることは、医者の経済にとっても好ましいことです。だから医者は、口に葉っぱを咥えた白いタンクトップを着たガキ以外は、すべて鬱病にしちゃってるんです。
病気と診断された彼らの顔ほど嬉しそうな顔はありません。『やっぱり病気だったんだ!』『これで胸を張って立派な欠陥品だと言える!』と間違った方向に自信をつけていってしまいます。医者にとっても患者にとっても得するようにできている。まるで金持ちと家出少女のような関係です。これがこの病気らしきものの悪質なところです。これほど世界の破滅をもたらすものはありません。
鬱病と診断された患者は、大海を得た魚のように息を吹き返して、さらなる深海へと潜っていきます。肉体の病気と違って、病気だから治していこうではなく、病気だから仕方がないという方向へ進んでいってしまいます。自分の心は他人と違う構造でできているから仕方ない。曲がったり、凹んだり、変形してしまっているから、会社を休むしかないって思うわけです。
人間は不安を作り出す天才で、今現在の問題に苦しんでいる人は実はいなくて、将来の不安に悩んでいるんです。例えばブラック企業で働いて苦しんでいる人も、決して目の前の過酷な労働環境に苦しんでいるわけではない。会社を辞めて、再就職しても、どうせ同じような会社で同じような轍を踏むに違いないと踏んでいるんです。そもそも働くということは、誰かの面倒事を引き受けることです。自分の時間を奪われることです。自分の時間を奪われることは死んでいるのと同じです。死人にとっちゃどこの墓に埋められようが同じです。眠ってしまえば、公園のベンチもシモンズのベッドも変わりません。今より多少の楽を求めて転職しても、五十歩百歩なんです。例えば、すき家と漫画喫茶を同じだと思ってしまうように。だから面倒になって、そのままその会社に居続ける。鬱病といわれる病気の原因は大体このパターンです。現状の不安じゃない。将来の不安なんです。出口が見つからないんです。鬱病は出口が見つからないときにだけ発症します。
将来への不安が長期間にわたって固定されている状態、それを格式高そうに、鬱病と名称付けているんです。つまり、将来が不安な状態が長く続いたら、誰でも鬱病になれるわけです。
まあ、昨今では、あまり調子にのって生きていると矢面に立たされてしまうし、何かと辛い顔をして生きているほうが都合がいい。あまり楽しい気分に照準を合わせていると後も怖い。だから現代では多少鬱気がある方が正常と言えるかもしれません。私は今、幸せでいっぱいです! という顔は周りが許さないし、それ以上に自分の目が気になってしまいます。幸せが逃げていくのではなく、自分が幸せから逃げてしまうんです。それに憂鬱というものは案外気持ちがいいんですよ。右下の辺りにいつも漂っていて、それに意識を合わせるとすぐに一体化できます。スマホよりずっと手軽です。深く意識が沈んで集中状態になり、ゲームやスポーツに熱中しているような充実感があります。特に日本人は真面目だから、この解きがいのあるパズルに挑戦してしまいたくなるんです。
こうして鬱が板についてくると、非常に厄介なことが起こってきます。人生で考えられる最も厄介なことです。基本的に人間の考えていることはすべて現実世界に具現化されます。残念なことばかり考えていると、その通りのことが起こるようになります。いつも鬱状態をニュートラルにしていると、ハゲるし、臭くなるし、背も小さくなるし、悪いことしか起こらなくなってしまいます。
だけど、ここからが重要なんですが、この世界に不安なんてものはないんです。この世界に不安はありません。そもそも心というものすらこの世界には存在しないんです。いつも激しく動き回っているこれはなんでしょう? これは本当にあなたでしょうか? これをよく見てみてください。内側にあるのか、外側にあるのか、くっついているのか、切り離せるのか。
最近では、『自分探し』と言うと、笑われるどころか、アレルギーを感じる人も多く、最も人を不快にさせる言葉のひとつです。しかし、あなた方は自分が誰なのかわかってないから苦しむんです。不安でないと落ち着かなくて寂しいから、自分から不安を誘いにいくんです。不安や心を外的物質だと知らない哲学的無知が不幸をもたらします。自分の正体を不安の塊だと思っているから苦しむんです。あなた方が心と呼んでいるものは、外側の何かに結びついて発生したエネルギーです。あなた方は鋳型なんです。あなた方はコーヒーカップであって、コーヒーではない。
不安が自分自身だと思っているから、鬱病と称される何かになってしまうんです。それは病気でもなければ、わざわざ親切に名前を作ってやるものでもない。汚れは汚れ以上の何者でもないんです。この世には何もないんだから、心に去来するすべてのものに取り合わなければいいんです。不安は、お菓子やタバコと一緒で、癖になってやめられない生活習慣です。長年の習慣に渡ってこびりついた、風呂場の根付いた汚れ、ホコリやカスのようなものです。あなた方自身は病気ではないのです。それは、着てる服が汚れているのと変わりません。決してあなた自身は、汚れることも、傷つくことも、病気になることもありません
question1 じゃあニュースでやってた、車のフロントガラスを割ってきた人は?
あれが病人の顔つきに見えましたか? 人間の誰にしたって、自分の中の狂気と結びつけば、あんな顔になりますよ。ドライバーが高齢女性だということをしっかり見極めてから犯行に及んでますから、なかなか用意周到ですよ彼は。彼は、ただ忍耐がなかったんです。人間は、人間らしく生きなければならない義務があるんですが、彼はその仕事を放棄したんです。人間の皮を被って生きるのが面倒になったのです。自分の好きなゲーム一つでさえ、満足にクリアできない人間がいますが、彼もそんな人間の一人でしょう。我々から忍耐を取り除いたら、十中八九あれに成り果てます。あれを障害っていってしまったら、彼の思うツボです。ネットで罵詈雑言吐いてる人だって同じですよ。忍耐がないんです。より物質的になったのがあの男です。種類の違いはありません
question2 脳が小さくなったり、てんかんとかの場合は、まともに頭が働かなくなって当然ではないですか?
解剖学的器質変化に伴う認知力低下や知覚鈍麻はありますが、これも単純な問題です。アイドルが自己イメージで綺麗になっていくように、想念で人間は創り変えられていくんです。良いことを考えてる人は良い顔になるし、悪いことばかり考えている人は悪い顔になります。思い込みや感情が激しい人は、顔面の中心に目鼻口のパーツが集まって、目も小さくなって、便が詰まったような顔になります。内側と外側はひとつで繋がってるんです。内側の原因を取り除いてあげれば、外も解決します。つまり、病気は想念の力で治ります。小さくなった脳も大きな脳に戻ります。脳についた黒い斑点も除去されます。肝臓や大腸や精神も、同じことが言えます