出会い系「90人と出会って20人ほどやった体験談」

昔の彼女が出会い系に出戻りしていて、立派な出会い系の顔になっていた

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タップルをやっていたら、昔の彼女が出戻りしていた。付き合っていた当時は20歳だったがもう24歳になっていた。すっかり出会い系の顔になっていた。

プロフィール文には、『彼氏に振られてしまったので戻ってきました』と書いてあった。俺はつい笑ってしまった。それは書かなくていいことだし、戻ってきましたって、まるで卒業生が母校に挨拶にきた風体だ。というより再入学か。高卒の彼女にとって出会い系が大学だったのかもしれないが。男女ともに出会い系でしか恋愛できない人間がいる。それが俺と彼女だった。

彼女が振られた理由はよくわかる。俺はその先輩だからだ。彼女は変化がなかった。いつどこで会ってもまったく人間に変化がなかった。いつも誰かの後ろを付いて回るばかりで、グループの端っこで下手な愛想笑いをして( 愛想笑いしかしてこなかったのに彼女は愛想笑いがとても下手だった)、自分から懸命に世界の端役を務めようとするところがあった。一歩外に出れば、周りが全員自分より偉い人間に見えていた。職場でリーダーになることを何よりも恐れた。いつも力を発揮しないことに力を発揮していた。

彼女は何もない子だった。話しても月並みの感想しかいわない。自分の持っている感想がたまたま世間と一致するのではなく、世間の感想が自分の感想になってしまう病気だった(例えばRADIO FISHの歌を面白がってしまうなど……)。男の後ろを黙ってついて歩くのは、古風の大和撫子というか、女の美徳とされる風情もあるけど、自己肯定力の低い人間がそれをやると不憫に見えてしまう。もう中学になる頃には彼女はすべてを諦めていた。何が彼女をそうさせたのか? きっと面倒くさくなったのだろう。希望をもつためには、あまりにもこの世は煩雑すぎる。今はもう物事を単純化できる眼を持っている人間にしか希望を見出せないかもしれない。彼女はよく難しい、難しい……と口にした。俺には面倒くさい、面倒くさい……と聞こえたが。しかし彼女だけを責めるのはよくない。この現象はほぼすべての女性に起こっていて、キリがないという理由で社会も放っぽりだしているのだから。社会が彼女を先に振ったのである。

彼女は、「彼氏ができるといつもラブホデートになる」といっていた通り、都合のいい子だった。例えば、まだ11月の半ばだというのに、クリスマスイブにまた会おうと一言だけ残し、その後は一切連絡せずに当日に会うという暴挙が許された。数ヶ月後に会う予定を決めたら音沙汰なし。そんな手抜きが大いに許された。彼女はいつだって我慢した。俺に一言でも不満をぶつけたら、もう会ってもらえなくなると思っていた。

「どうして私なんかと一緒にいてくれるんだろう」と彼女はよく口にした。俺は彼女のことを本当にどうでもいいと思っていたので、顔面にちんこの裏や金玉の裏をかなぐりつけるセックスをしたが、彼女はなんでも受け入れた。どうでもいい女にどうでもいいことをやると余計に好かれてしまうのに、本当に好きな相手に丁寧にすればするほど嫌われてしまうのはなぜだろう。どうして神はこんな風に恋愛を設定したのか。

女が結婚を求めるのは結婚しかすることがないからである。家で何してるの? と聞くと、うーん……と彼女は難しい顔で唸った。時間をドブに捨てるという、人間の考えられる最大の蛮行を日毎繰り返し、彼女は部屋の景色を見るだけの人間になってしまった。やりたいことがない人間は暇で仕方ない。いくら昼夜働き通しだとしても、すべての人間の顔に暇だと書いてある。やりたいこととは自分自身である。やりたいことを投げ出してしまうことは自分を投げ出してしまうことに等しい。自分を投げ出してしまった人間は、その空いた穴を他人で埋めようとする。それが出会い系だ。

出会い系にはそんな人間が多い。そして介護士に多い。恐ろしいことに、彼女はこの二大巨塔の住人だった。自分を投げ出してしまったから、自分の楽しみもよくわかっていない。ライブに行ったり、ディズニーに行ったり、なんとなく楽しかった感じがする。楽しかった感じがするだけで、本当はよくわかっていない。金を支払ったからそれに等しい対価を受けている感じがするだけだ。無料だったら果たしてどうなることやら。ひな鳥が口の中にエサを運んでもらえるのを待っているように、受動的に世間から送られてくるものをピーチクしながら飲み込むしかできない。自分がないから、いつの間にか他人の欲望が自分の欲望になっているのである。どれもこれも少し親に呼ばれたら放っぽりだしてしまう類のものだ。俺からすると、せめて、楽しいという感情だけは偽物であってほしくないと思っていた。

結局、いつだって、自分がない人間というのは他人に見限られてしまう。今俺がたった一人の親友と深く繋がりあっているのは、それぞれが自分の道を歩いているからである。もし俺が孤独をやめて親友に毎日電話をかけたら、俺は真の孤独になるだろう。

恋愛にしろ、友情にしろ、それは人生の余興に過ぎない。本番ではない。休憩時間だ。それぞれが自分の仕事に埋没して、月に二回でも一回でも、ふと息抜きに新鮮な空気を浴びるために用意された時間だ。宮本武蔵が恋愛をしても手紙を書いてはならないといった理由はここにある。毎日電話やらLINEをしあうことは、泥棒が許された泥棒行為をしているだけだ。

男が女と結婚するとき、最終的に決め手とするのは運があるか、である。一緒になることで人生がどんどんよくなっていくような運気が、この子にあるだろうか、と考えるのである。この運を、前進力と言い換えてもいい。彼女を振った男ですら、前へ前へと前進せずにはいられなかったのである。

やりたいことがないことはそんなに悪いことなのか。暇していることはそんなに悪いことなのか。自信はないけど仕事をして、家に帰ってお母さんとテレビを見て、月に数回のデートを楽しみに生きることは悪いことなのか。俺はいつだって彼女に、人生で頑張らなくちゃいけないことなんて何一つないんだよといってあげたかった。そのままでいいんだよといってあげたかったけど、いえなかった。

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