コミュニケーション

「AもあればBもある」「人の数だけ解釈はある」という人について

投稿日:2019-11-26 更新日:

「AもあればBもある」「CもあればDもある」「人の数だけ解釈はある」「世知辛い世の中だ」「難しい」

みんな、本当にこういったセリフが大好きである。会話をしていると、みんないつもこの言葉を吐く。抵抗の意志すら感じられない。もちろん、俺はこの言葉が大嫌いである。

AもあればBもあるような言い方をしていれば 賢く見えるだろう。自分は多角的な視点を持っていると悦にひたれるだろう。いつもそんな見解の果てにあるのは、ただの広漠した荒野なのに、彼らはペンペン草ひとつ生えないその土地を、後生大事に抱えている。

昨今では、良い意見よりも、悪い意見よりも、はっきりした断定口調で言う人が一番嫌われる。 これ以上嫌われる方法を探すのが難しいくらいだ。特に女性は決めつけられた物言いをされると、子宮を鷲掴みされたように苦しそうに嗚咽して、自分の性別的優位を逆手に取り、気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い! と連呼するようになる。女は男を気持ち悪いとさえ言えば無双できると思っている。

女に断定口調で話すことは、女性専用車両に足を踏み入れることや、泥遊びした後の手で女性器に触れるのと同じである。昨今は、女に嫌われることを恐れ、女と同じメガネをかけようとしている男ばかりなので、俺は男にも嫌われるはめになる。

「人それぞれ」が、民衆のもっとも大事な宝物である。座右の銘である。命綱である。彼らの少ない引き出しの中で一番輝いているものである。とりあえずここに篭っていれば安全だ。ここを越えて攻撃してきた者は誰もいない。これを否定されたり、奪われてしまったら、成すすべもなくなる。海賊でいえば、海賊旗を取られることだ。

これまで出会ってきた人の中で、はっきり断定口調で話せる人はいなかった。最も頭のいい人間のひとりである親友ですら、「難しいね」とか、「そうしなきゃやってけないからなぁ」と呟く。どんなに頭が言い人でも、「これは個人的な見解です」とか、「あくまで私がそう思うだけです」と、語尾に鉄アレイをぶら下げる。

『人を決めつけてはならない……!』

人を決めつけることは、教会の壁にうんこを投げつけるような、妊婦の腹を蹴るような、 恐ろしいほど非人道的な行為だとされる。どんなに脆弱で弱々しく、いつも子リスみたいにふるふる震えてる女の子ですら、ここだけは強くでる。「あなたは〇〇かもしれないけど、そうでない人間がいることもわかってください!」と、こういう台詞をはくときだけは、信じられないくらい元気になる。

社会派ブロガーのちきりんさんは、こういう人達のことを「自分で考える力がない人達」と言っているけど、俺は勇気がないのだと思っている。

どうして彼らが、「大学の授業に価値がないというのは一部では正しくあり、また一部では間違ってもいる」などといったような糞みたいな論的態度を守ろうとするかというと、そう社会や学校で教わってきたためである。情操教育である。洗脳である。現在も進行形で様々な形態でもって、もっとも親しいと思われる人達の口からも信じ込まされている。また、自分自身の考えに自信もなければ、人に嫌われるのを恐れるからである。勇気とは、嫌われる勇気をさす。嫌われていい相手ならどこまでも正直になる。ネットでは罵詈雑言の嵐だけど、実際に顔を合わせると、肯定しかないのがいい証拠だ。

実際に人に会うと、腫れ物に触れるような、びくびくしながら、繊細に言葉を選び、今まで自分は悪いことを一つもしたことがないといったような、もともと自分は人の良いところしか映らない目しか持ってませんと言わんばかりの態度をとる。相手の意見を守り、その上で自分の意見を言うことができたら、この世で一番素晴らしい仕事をしたような顔をする。こういうのを、忍耐と卑屈を混同させた弱者の道徳という。

例えば俺が、うつ病なんてもんはありはしない。アスペもない、ADHDもないと自称障害者の人に言うと、発作に近い衝動で、見えない手で俺の首を絞めてくる。ここまでやると、最初は俺の味方だった人ですら、「しまるこさん。それは良くない。医者が病気だと定義しているし、しまるこさんはその問題にメスを入れられる資格はないはずだ。もちろん、しまるこさんの言う通り、精神病は人間が作り出した定義で、自然界のものではないから(しまるこさんが大好きな柿のような……!)、100%正しいと言えないかもしれない。だけど、しまるこさんの意見だって100%正しいとは言えない。だから、ここはお互いに持ちつ持たれつというところで、折り合いをつけましょうよ」というようになる。お互いがお互いに、独立性を保ったままお別れするのが最善というやつだ。

これ以上美しい解決方法はなくて、100人いたら100人認める意見で、これ以上、侵入して踏み荒らすことは、警察が出動しかねない事態となる。

人はいつだって見たいものを見ている。見なくてはいけないものを見ようとはしない。

俺の書く記事は賛否両論だけど、人によっては、気持ち悪い、気持ち悪くてしょうがない! 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い……! と言われることがある。そういう反応をもらうたびに、俺は成功したと思っている。 何に成功したかと言うと、その人が今まで見てこなかったけど、見なくてはいけないものを見せることができたことにである。

俺の価値観からすると、物事を断定口調で決めつけるより、人に対して気持ち悪いと言う人の方が、人間として低次のように感じるけど、まぁこれはいい。俺は、好きと言われるのも嫌いと言われるも、似たような響きに聞こえてしまうのだから。

「人それぞれ……」

つまらない処世術として、それを採用するの仕方ないが、しかし流されている自覚は持つことだ。

食べ物だって、もぎたての果実が一番栄養価が高いんだから、言葉もそうするのがいい。

愛なら、相手にもわかる。もし正直に話した結果、人を不快にさせてしまったのなら、それは不快にさせておくしかない。それが相手を傷つけるための気持ちから始まったものではなく、相手を思いやってのことで、全く邪念がなかったら、そのままふんぞり返っていればいい。語尾に、「人それぞれ」と言ってしまうのは、女をホテルに誘うときに、「お願い……!」という一言を漏らしてしまうのと同じ失敗である。

正直に話して、相手を怒らせてしまい、憎まれ、その憎しみが自分に乗り移って、喧嘩が始まる。つまり、あなたまで憎しみに駆られてしまうから問題が生じる。喧嘩は同じレベルの人間同士でしか起こらない。あなたが愛にとどまることができたら、喧嘩は起こらない。

「そんなこと言ったって、そうしなきゃやってけないんだよ! 正直に話してたら人間関係がめちゃくちゃになる! お前は仕事してないからいいかもしれないけど、サラリーマンはそうはいかないんだよ! 自分は変えられるけど、他人は変えられないって言うだろ!? どの本にもそう書いてある! 俺はそうやって生きるからいい! 他人のことは放っておく! 他人だって、それを望んでいる!」

そのとおり、全くもってそのとおりで、俺もその生き方を採用している。

じゃあ、なんでこんなことを言うかというと、見なくてはいけないものを見せたいだけだ。

あなたの仕事は邪念を持たないことである。正直に話した結果、人にどれだけ憎まれようと、女性に気持ち悪いと言われても、それでもその気持ちを一切相手にすることなく、邪念を持たないことが、あなたの唯一の仕事なのである。あなたに邪念がないことがわかれば、相手はどうしようもなくなる。振り上げた拳をどこに下ろしていいかわからなくなる。みんな、グレーゾーンを温めたり、その上で踊ったり、釘を打って固定することが仕事だと思っているが、悪魔を退治することが仕事なのである。心に邪念を持たず、相手に対する敬意を失わず、怒気に呑まれることなく、冷静を失わずに向き合えたら、決してあなたが想定する事態は起こらない。

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