さて、こんな辺境なブログでも一応読者さんがいる。黎明期から楽しみに見てますなんてコメントも届いていて、そういう読者さんからしてみたら2ヶ月も更新が途絶えてしまったことは不思議に思うかもしれない。
別にこんなブログが毎日更新されようがまずなかろうがどうだっていいことなのだけども、熱心なファンも少なからずいるので、なぜこんなに期間が空いてしまったのか一応弁明しておこう。
結局どれだけ儲けようが、知名度があろうが、はじめしゃちょーだろうが、ヒカキンだろうが、ホリエモンだろうが、坂上忍だろうが、この霊性心というか、霊魂というか、本当の自分の魂の輝きというか……、そういったものに気づいて、これを存分に発揮した人間以外は尊敬に足るものではないと思う。
俺にはブログにしろYouTubeにしろ何にしろ、とにかく面白いものを発信して、みんなを楽しませたいという野心がある。普通はそこで瞑想とか断食を始めようとは思わないかもしれないが、俺はそこにこそ答えがあると思って日夜励んでいる。
というのも考えれば考えるほど、人間の正体は肉体でも心でもなく、霊魂といって目に見えない気体のようなものだと思う。それはキリストでも仏陀でもマホメットでも孔子でも何でもいいが、答えというものを突き詰めた人達が口を揃えて言っているものだし、自分でもまるでそれが懐かしいような、これこそが答えなんだというものに本気で出会えた感じがある。
信じられないかもしれないが、この霊性心を利用して、自然界の物質現象を操作して、水の上を歩いてみたり、他人の心の中を言い当てたり、遠く離れた弓矢の的を自在に当てる人がいたり、不治の病を癒したり、普及の芸術作品を残してみたり、表れる形は様々だけど、根源は同じである。
それが、天風哲学であり、空海の般若心経であり、木喰上人の仏像であり、宮本武蔵の剣術であり、アインシュタインの相対性理論であり、別にここまで昔の偉人でなくても、今を生きる成功者達も、同じ理屈を宿していることだろう。
バルザックはそんな風にして小説を書いたんだろう。俺にはそれがわかる。Wikipediaに載ってる顔を見れば、天から降り注いできた活字をそのまま原稿に移しているんだなということがわかる。
中村天風先生がたった6日で1300枚もの絵や文字を書いてしまったという。元々頭に浮かんではあるものをただ書き写すだけなので全く疲れなかったという。岡本太郎さんも同じことを言っていた。描く前から描くものが見えていたという。スティーブン・キングも、空間に眠っているものを手持ちのノミを使って堀上げてやるだけだと言っている。マザーテレサも、1度ペンを持つとインクがなくなるまで書き続けてしまいますと言っている。多くの人はゴッホを狂人だと思っておるが、日記を読む限りは至極真っ当な人であって、宗教・芸術の一元論を提唱して、目に見える様々なものから根源の存在を見出し、それを描いた。それが見えていれば描きたくなるんだろうと思った。だから、俺も見えるようになりたいと思った。『とあるヨギの自叙伝』の著者であるヨガナンダ氏は、20年間に本を20冊しか読んでないと言っていたが、この本はそこらの作家が一生を費やしても弄すことのできない素晴らしい比喩と知識、分析力で記されている。
これらに共通することは、自分を神の道具だと思っていることだ。聖書にも書かれてあるように「まず神を求めよ」と言っている。神を知る前に、人間が話したり書いたりしたものは取るに足らない。後で全て唾棄すべき運命にある。今俺が書いているものは全て後になって排斥することになることはわかっている。
『まず何よりも神を求めなさい』
さて、これをモットーにして生きるということは、ニートの現実逃避というやつなのか。どうなのか。
もし俺が毎日忙しなく働いて、そんな忙しい最中にも夢の実現のために時間を割いて、睡眠も2、3時間だったら、なかなか説得力を増してくるかもしれないが、さて果たして、それは俺の1日の生活状態を見ればわかることだ。行動が何よりも人となりを表すのだから。
俺はこの霊性心を駆使して、ありとあらゆる面白いものを作れるようになりたいと夢想していた。木喰上人が断食や五穀断ちの果てに60歳になって仏像彫りに目覚めたように、そこに鍵があると思っていた。クソニートがいかにも考えそうなことである。みんなが仕事やら結婚やら忙しくせかせかしている中、ずっとこんなことを考えていた。考え続けていたかった。
断食や粗食や、あるいは排泄を促す食品を摂食し続けることによって、宿便が出るらしい。宿便が出れば、非常に頭が聡明になって、一度読んだ本もズバズバ暗記できてしまって二度と忘れなくなる程頭が良くなるらしい。精神状態も良好になり、肉体も強健になって、物質の中にオーラも見いだせるようになるらしい。以前からそれについては知っていたけれども、なかなか宿便というものが出なかったので、またいつかやろうなんて放っていた。だけど、そろそろ頑張らなくちゃと思って宿便に向けて頑張った。特に生の玄米を食べ続けると宿便が出るというから、生の玄米を食べたり、断食したり、瞑想したり、そんなことばかりやっていた。
では1日のスケジュールというものを見てみよう
11時
起床。
11時〜13時
起きて歯磨きだけして、2分も経たぬ間にドトールに行く。ドトールではコーヒーを飲みながら字を書く。
14時〜16時
ジムにお風呂に入りに行く。筋トレはしない。水風呂とサウナを交互に浸かる。いつも1時間くらいやる。
16時〜22時
漫画を読む。YouTube見る。YouTubeでTボーンステーキ大食い動画を見る。家の近くにあるラーメン屋のホームページの写真を見る。
22時〜1時
気合いを出して漫画を読むためにスーパーで880円の十巻寿司と、カラムーチョ170グラムと、森永のミルクチョコレート、柿ピーを買ってくる。いつもこれ等を買う。辛いものと甘いものと、延々と食べ続けていられる持続性の高いものをそれぞれ買う。全部合わせて1500円くらいする。朝と昼は食わない。この夜だけにいつも1500円使う。それが2ヶ月続いた。いつも食費は3000円くらいだったが、この2ヶ月は3万円使った。ある日、はじめの一歩を70巻ぐらい読んだところで、急に食欲が爆発し、いきなりステーキで300グラムのヒレ肉を食った後に、くら寿司に行って20貫ほど寿司を食った。ケーキとアイスも食べた。そしてその後にスーパーに行って、いつもの1500円のセットを買った。その日だけで8000円分ぐらい使った。
(これが1日分の食事といえば少食なのかもしれない。しかしこうした食事をしていると、血液が酸毒化し、サウナに入ってるとネバネバした汗となって出てくるのがわかる)
1時〜2時
家の周りをフラフラ徘徊する。夏の夜風が気持ちいい。平気で5kmくらい歩く。
2時〜6時
漫画を読む。
6時〜11時
就寝。
そう、結局これだけ偉そうなこと言って、ほとんど漫画を読んでいた。いま計算したら、1日に13時間読んでいた。この2ヶ月間で完走したマンガ達はどれほどになろうか。
GANTZ
いぬやしき
ウシジマくん
カイジ
みゆき
タッチ
H2
クロスゲーム
はじめの一歩
MAJOR
バガボンド
スラムダンク
私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い
Fate staynight Unlimitedなんとか
ドラゴンボール
進撃の巨人
稲中卓球部
個人的にはスラムダンクとバガボンドとタッチと稲中卓球部が最高に面白かった。
また、ゲームの実況動画もよく見た。「逆転裁判全シリーズ」とか、「ウィッチャー3」とか「ドラクエ11s」とか「ライザのアトリエ」とか、一つ30分ぐらいの動画が100編ぐらいあって、全て舐め尽くした。
我ながら凄まじい体力である。ずっとマットレスの上にうつ伏せになって、同じ姿勢で読み続けていた。そうしてるとさすがに身体を動かしたくなるので、やむを得ず深夜の1時に徘徊する形になる。夏だし、昼間は暑いからね。
基本的に俺は週に1回しか働かない。その働く日ですら4時間しか働かないので、この2ヶ月のほとんどを漫画やゲームに費やした。漫画を読みながらゲーム実況を見るという離れ業もこなした。
はじめの1歩やMAJORなんてもんは100巻近くあったので、本当に骨が折れる作業だった。ちなみにはじめの1歩は2回くらい全巻読んだことがある。なのに1巻からぶっ通しで1週間かけてきっちり読んだ。作者さんは、20年も30年もかけて100巻書いてくれたのに、俺は1週間足らずで読み終えてしまった。お菓子をたくさん食べながら読んだ。空腹で読み続けるのは厳しくて、仕事においては空腹は良質な効果をもたらすけども、エンタメを楽しむ上で空腹は厄介極まりないもので、全然楽しめなくなってしまうのだ。
長編漫画を読んでいると、「つまんねえな」「このシーンいるかよ」とマットレスの上で寝転びながらブツブツ言っていた。だけど、つまらない回でも、一つ一つの絵を丁寧に仕上げてあって、なんだか涙が出そうになってしまった。そしてこれらの漫画のほとんどが、主人公が勝てる見込みもない相手に果敢に挑戦するストーリーばかりで、読んでて惨めな気分になった。別に大して面白くもないのに読み続けた。だんだん苦しくなってきて、苦しくて苦しくて仕方がないのに、自分に鞭を打って読み続けた。「みゆき」に至ってはつまらなすぎて死にそうになった。とてもタッチを書いた作者とは思えなかった。なんで読んでるのかわからなかったけど、無理してがんばって読んだ。「GANTZ」に至っては、レイカが出てくる度にシコってしまうのでなかなか読み進められなかった。
しかし楽しいと言えば楽しかった。そして、あー、またやり直しだ。ある程度の断食や粗食期間を設けなければ宿便はでない。まぁ、仕方ない、明日から頑張ろう。胃腸が空っぽの時ほど良い仕事が出来る。こんなに人工甘味料や化学物質を含んだ汚いお菓子塗れの身体じゃいい文章は書けない。胃腸が綺麗になったら書こうと思って、それが毎日のように続いてしまって、2ヶ月が経ってしまった。食べ物について勉強したことが仇になっている。理想の食生活について偏執した結果、それにそぐわないものを食べてしまったとき、もうダメだと思って何もしなくなる。
「お前はいつも誰も考えないようなことを1人で一生懸命考えている」
友達にこんなことを言われて、俺はハッとした。あっ、そうか、確かにこんなこと、誰も考えないのかもしれない。誰に頼まれたわけでもないのになんでこんなことしてるんだろう? 俺としてはいつもこんなことばかり考えていて、それがあまりに自然だから、みんなもこんなことを日々考えて生きているに違いないと思っていた。
その友達も、漫画を読むとき、どのようなタッチで書いてるとか、構図がどうとか、書き込みがどう、ペンや線はどうとか、ちばなんとかが一番漫画の絵としては理想だとか、この表現は新しいとか、ほとんど絵ばかりを見ていてなかなかぺージが進まない。漫画家でもないのにそんなことをしている。友達はそうやって読むのが当然だと思っていて、みんなもそうしているものだと思い込んでいた。
気づかずにどうしてもそれをやってしまうことが、天分なんだと思う。
たとえ今こうして俺が挑戦していることが、いいことか悪いことか、ただの時間の浪費か、何が何だか分からないけど、こんなことをしているのは日本でも俺くらいしかいないかもしれないから、とりあえず記しておこうと思って、ここに書いた次第だ。
あああ。欲望のままにお菓子を食べて、酸性化した肌は次の日の朝になると、浮腫をきたしてドブネズミみたいになって恐ろしくて鏡を見れない。こんな顔した人間が面白いものを書けるはずがない。
この2ヶ月でよくわかったことは、瞑想をやろうと思っても満腹まで食べてしまうとできないということだ。あるいはお菓子のような人工甘味料やら化学薬品が詰まったものを食べてしまうと、とてもじゃないけど出来ない。修行僧たちは粗食と瞑想をセットにするけど、そうでもしなければ、とても瞑想なんてできないのだ。
食べ物が心に与える影響というのは、とてつもなく大きい。それはラマナマハルシをはじめとする聖師がみんな言っている。
あなたが真我を獲得する上でサートヴィックな食事をすることが何よりの助けになるだろう。
肉を食べると血液が酸毒化して凶暴になり、心が慌ただしくなり、とてもじゃないけれど、心の静けさを保てたものではない。
漫画を読んでいると、肉やお菓子を食べたくなるので、漫画を読むことをやめなければならない。
そうやって欲を取り除いていって、最後に残った霊性心だけを取り扱って、やっと瞑想ができるのだ。欲がよくないと言われる原因は修行の妨げになるからだ。
最近は生の玄米菜食をすることで、だいぶ体を取り戻してきた。体がベタベタヌルヌルしなくなったし、心もかなり安定してきた。
瞑想は寝る前に2時間程度やるだけだが、これは反省している。何よりもまず神を求め、神と一体となることが至福の喜びだと聖典には書かれているから、突き詰めればそんなに楽しくて気持ちのいいことはないはずなのだから、生活上で何よりも優先して瞑想してしまうくらいでないと嘘なのだ。1日2時間の瞑想じゃ、何もわかってないのと同じだ。これだけ時間のあるオレが、1日に2時間しか瞑想をやらないというのもおかしい。
まぁ、こんな感じの2ヶ月でした。