振られてしまった。
他の男に取られてしまった。二股かけられていた。いや、三股か四股か。全く男みたいなことする女だ。よく食べる人間は欲の高さを意味しているが、本当にここまで欲深だったとは。あのな、そんなふうに一回一回の出会いを大事にできねーから友達ができねーんだよ!
出会い系アプリだと、彼女には確か120人くらいいねが来ていた。その中から俺を一旦は選んでくれた。それはすごいことだ。120人のうちの2人か3人かあるいは5人か、その中の1人として選ばれた。
1ヶ月でも19歳と付き合えたことは幸運だと思うべきか。
負けた負けまくった。1人アパートの1室で考え事をしながらうんうん唸って生きている俺に新鮮な恵を与えてくれた。それには感謝している。
俺より魅力的な人間がいたというのか? どんな男だろう? 俺よりはるかに思慮に優れて難しいブログを書けるというのか?
まさかね。だいたいわかるよ。俺より息がピッタリだったんだろう? 俺と違ってちゃんと告白してくれたんだろう?
しかし俺に中出しされといておきながら当然そいつとも生でやってたんだろう。とんだビッチだ。ペアーズなどという割とクリーンな出会い系アプリでもこんなことが起こるんだ。
出会い系は確かにバカみたいに出会えるけど、出会い過ぎてしまう。特に女は。例え付き合っていても「もっといい人を……もっといい人を……!」と妥協することを知らない人間は、どこまでも追い求めてしまう。楽天のお買い物マラソンと似ている。
おそらく彼女は新しい彼氏と付き合っていても、どこか納得いかないところがあれば、また新しい男へ乗り換えてしまうかもしれない。それだけの自由度が出会い系にはある。いや、どうだろう? それは僻みすぎか? 彼女だってちゃんと落ち着いて恋愛したいし新しい出会いを繰り返すのはめんどくさいか? たんに俺が男として魅力がなかっただけか?
他の男とLINEしているのは知っていたし、ここ3日ぐらいはほとんどLINEをしていなかったから、こうなることは予想ついていた。
しかし、本当に彼氏ができたと言われてしまうと辛い。タイトルでは彼女と勝手に付けているけど、本当はちゃんと付き合っていなかった(笑)。2日に1回ぐらいのペースで会っていて、自分の家のように俺の家を使われていたし、ここで記述する上でわかりやすいように便宜的に呼んでいただけだ。気持ち悪いことをしてごめんなさい。まぁ、たとえ正式に付き合っていたとしても、結果は同じだったけど。
出会い系は俺1人と出会って終わりじゃない。女は住んでいる地域にもよるけど、大体100から300くらいいいねが来て、その中から5、6人と会う。
その5、6人の中の1人に選ばれただけでも凄い事なんだけど、その精鋭たちの中から、さらに勝ち抜かなければならない。いや、勝ち抜き続けなければならない。
勝ち抜いたと思って安心して腰を下ろしていると、気づかぬ間に1度倒したと思っていたはずの男や、全然素知らぬ誰かに乗っ取られてしまう。全く落ち着かない世界だ。エゴと性欲と電波が渦巻いている。
俺の部屋に今度でかいぬいぐるみ持ってくるって言ってたのにな。
3万のソファー買ったのにな。
セミダブルのベッドも買ってもいいと思ってたんだけどな。
まるで初めて彼女ができて浮かれてる中年オヤジだ。
でも、交際ってやつは色んな異性の中から、たった1人を選ぶものなんだから、これで良かったんだ。彼女が一番自分で良いと思う人を選んだんだ。そして新彼氏も、もう間もなく来る夏に向けて彼女が出来て嬉しかっていることだろう。一緒に花火見に行くんだろう? ここに2つの幸せが生まれた。あとは俺が1人で勝手に幸せになれば世界はめでたく廻る。
彼女にとっては、梅雨のジメジメした時期に、変な通り雨に出会っただけだったんだ。もともとなかったものなんだ。なのに、1度手にすると失うと痛い。
人間はもともと完璧なんだ。誰かと付き合っていないと完璧になれないなんて、振られることよりもその考えの方が寂しいことだ。女は自分の孤独を埋める為の道具ではない。彼女がいないと心が満たされないというのなら、もう霊的修行はやめた方がいい。
ヨガの賢者達も言ってたじゃないか。
「我々はすでに全てが揃っている。満たされている。たった今至福の状態にいる」
すべての存在は苦痛に満ちている。彼らは苦痛のなかにいるから、快楽のなかに解放を探している。彼らが想像しうる幸福のすべてとは、繰り返される快楽の保証なのだ。苦痛からの一時的な解放を快楽と呼ぶ。幸福と呼ばれる終わりなき快楽を期待して私達は空中に城を築く。
今が修行の成果だ。幸せになるんだ。振られたこの直後に俺は幸せにならなきゃならない。
もし目の前に振られた男がいたら、こう言ってあげたい。「おめでとう」と。
恋愛ってもんは、死に物狂いでがっついてがっついてがっついて戦って戦って戦って勝ち抜かねばならないのか? 毎日仕事で忙殺されていて、恋愛だけが救いで、つかの間の休日の、たった一つの癒しになり得るものだと思っていても、そこでも戦わなきゃダメなのか……? たとえ彼女が出来ても、その戦いは続くのか?
おそらく彼女も薄々感付いていたとは思う。「どうしてこの人と私は一緒にいるんだろう」という単純な謎掛けに。でも俺と違って変に恋愛の方程式を持ち出そうとしなかったから、この不思議な恋愛に1ヶ月の命が宿った。
33歳にもなって1ヶ月で付き合ったり別れたりしているのは、なんだか本当に情けなくなってくる。
最近切ってもらった美容師さんは、スキーに行くのが楽しみで、毎週必ず雪山に行くらしい。夏でも人工的な施設で滑りに行くらしい。仕事が嫌そうで、今すぐほったらかしてスキーに行きたくて仕方なさそうだった。ゲレンデみたいな髪型にされてしまいそうだった。
俺だったら毎日でも行けてしまえるどころか、雪山に住めてしまう。週に1回しか仕事しないからね(笑)。こんな恵まれたことがあるだろうか? 世界一の幸せ者だ。仕事から解放されてさえいればどんな悩みも用をなさないはずだ。
彼女は120人ぐらいいいねが来ていたから、115人ぐらいの男達は何もなかったんだ。いつも通りカップラーメンを食べて満員電車に揺られていただけだったんだ。それに比べれば俺はいい思いができた。115滴の涙の上で腰を振り続けることができた。
俺の予想ではLINEに鍵がある。つまらない女ほど勉強しないで本を読まずネットすら見ず、SMSでずっと呟いている。学校やバイト先で仲間とたくさん話して、家に帰っても、またそいつらとずーっとSMSで戯れている。一日中そんなことをしている。
彼女はそういう所の住人だから、いつも誰かと繋がっていなければ駄目だった。それが魚でいう水で、人間でいう陸だった。LINEをしないことは、そもそもコミュニケーションとして成立しない。と、自分が傷つかないところに帰着させてしまうのは俺の悪い癖だ。
単に自分が連絡不精で自分よりもマメな人間に負けてしまった。俺は忙しかったからしょうがない。恋愛にかまけていられる暇人には敵わない。そう思いたいんだろう。でもそうじゃないんだろう? もっと根本的に、優れたオスがいたんだろう? ハートがときめいたんだろう?
しかし、男っていうもんは本当にクズだ。こういう時、一番心で思ってしまうことは、「もう一度抱きたい」というやつだ。
俺のモテる友達も、何度も別れを繰り返しているが、その度に、「お願いだから最後にもう一回やらせて」と平気で言う。土下座までする。号泣しながら部屋に転がりこんで、「いやだあああああああ!!」と暴れ回ったりする。その熱意や厚かましさがモテるカラクリなのかもしれないけど、俺にはできない。
これはカースト制になっていて、俺より上位のクラスの男に負けたのか。それとも運命の問題で、俺よりそいつとの方が相性が良かったのか。この辺りは難しいところだ。その男と一緒にいる時の様子を見ることができれば十分に考察できるのだが。
言葉は悪いが彼女だって決して優れた物件じゃない。昔の俺だったら見向きもしなかっただろう。なんで大したことない女を大したことない男に取られなくちゃならないんだろう?
しかし今ではこの口汚ないメンヘラとしか付き合えなくなってしまっている、こんな境遇に立たされる事の方がよほど恐ろしいことだ。
全然いいねも貰えなくなってきた。マッチングしなくなってきた。当然、日常でも出会いはなければ、声をかけられることもない。そんな中でひたすら探したり、妥協したりしてやっと見つけたのがりんちゃんだった。
この状況が一番恐ろしいんだ。
モテないという状況が。
彼女に聞きたいことがある。一体いつからその男と出会っていたのか? やっぱり出会い系か? LINEはどれぐらいやってたのか? 俺よりかっこいいのか? もうセックスはしたのか? 何回セックスしたのか? 俺とどっちが気持ちよかったのか? 生でやったのか? 中出ししたのか? 色々聞きたいことがあるけど、全て飲み込んで「お幸せにね」と言ったところが俺らしい。典型的な草食メガネ野郎が言いそうな言葉だ。
まあ終わったことだ。切り替えよう。
さて、なんと俺は、今も新しい19歳の女とやり取りをしている。もちろんアプリで知り合った女だ。出会い系で苦しめられて、また出会い系で救われようとしている。しかしどうしていつもいつも19歳と出会ってしまうんだろう?(笑)
この19歳の子は日本人とフィリピン人のハーフで、フィリピンの南の陽気な血が33歳の男とやり取りを可能にさせたのだと思う。
「33歳の俺が最近できた19歳の彼女を題材にして愛について本気出して考えてみた」シリーズは俺も楽しかったし、このブログでも人気だったから、今後はこのフィリピン人で継続できていけたらいいと思う。
人は多くの人を愛して幸せになれるように祈り、貢献していかなければいけない。それが恋愛相手だったらなおさらだ。より相手の幸せを祈らなければならない。
だから、これは良かったんだ、とてもいいことなんだ。こういう欲のない考えは、精液の薄い弱いオスとしてみなされて、女を満足させるものではないかもしれないけれど、俺はこれでいいと思っている。
ありがとう。
りんちゃん。さようならお幸せに。
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「33歳の俺が最近できた19歳の彼女を題材にして愛について本気出して考えてみた」シリーズ
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