恋愛 人間考察

しまるこさん、キルケゴールが言っていた『秘密』を教えてください

しまるこさん、キルケゴールにとって、恋人レギーネ・オルセンとの婚約破棄は、彼の人生最大の事件であり、すべての著作活動(哲学)を突き動かす最大の原動力となりました。彼自身、日記に「私の生涯のすべての作品は、彼女への告白である」という意味の言葉を残しているほど、その影響は決定的でした。キルケゴールはレギーネを深く愛していましたが、自身の「極度の憂鬱(メランコリー)」や「神から与えられた秘密」のせいで、彼女を幸せにできない(結婚生活という普遍的な義務を果たせない)と思い詰めて婚約を破棄しました。キルケゴール自身、「この秘密を知る者は、私の著作の意味を全て知るだろう」と言っていますが、この秘密とは何なのですか?

それは中に大きなものを飼っていたからでしょうね。それは悪魔か天使かわからないけれども、とにかく大きかった。偉大な哲学者、小説家はみんなこれを持っているけれども、キルケゴールは特に大きかったでしょうね、そういった偉人たちと比べても。

それは時折、異常に神経的な、自分のすべての動きを止めてしまって、パタッと何もできなくなってしまって、しばらく肉体もない、精神もない、ただ止まってしまうということはままあったりするし、夜な夜な、5、6時間、そうやって過ごさなければならないこともあったでしょうし、あるいはどうしようもなく身体が寒気がして、どこからかやってくる死神に掻っ攫われそうになるような、とつぜん、急に死にたくなるような、メランコリックや憂鬱のようなものもあったでしょうし、特に精神的な巨人というものは、前方向においてとうぜん強大ではあり、それが時代をつらぬいて人々に恩恵を与えている要因ではあるのだけれども、やっぱり力は力、正しい方向に発揮されている場合は、自他共に幸せにするのだけれども、それがちょっと角度がずれたりすると、もともとの力が強すぎるために、芳しくない効果も甚大となってあらわれるきらいがあるのですね。それは、肥田春充先生が、中心力を正確に角度を決めて緊張を入れることが人間の最高の健康法だと説いたけれども、わずかにでも角度を間違えると背骨が折れるくらいの弊害があると言っていたのと同じようなことに思います。これは、精神的な作用においてね。

また、小さい精神は絶えずそれを動かしたり、器用にあちこち動き回ることに対して、小さいエンジンで済むけれども、大きい力はそれだけで動かすのに時間がかかります。彼にとってはちょっと優しくしたり、ちょっと話すにしたって、内部で大きな調整をして、それから話さなければならなかったから、それは十分な休憩時間、調整時間、全く何もしなくて止まってしまった機械のような時間を、動いている時と同じくらいの時間を持たなければ動かなくなってしまうという、そういったものを持っていたように思いますね。

これは、定量、数学的な問題で、大なり小なり、人はこれを持っているでしょう。小人はこれが多くないためにほとんど境目が見られなかったりすることもあるけど、大人物になるほど大きくなります。実際、いつもニコニコしていいところしか見えない、一見完璧な夫のように見える人間ほど、その分量に応じて、一人の時間でバランスを取っていることが多いです。キルケゴールくらいになると、もうだいぶ時間が必要だったかもわからないですね。彼はその時間なしにはやっぱり動けなかったでしょうから。その部分は見られたくもなかったし、共有できるとも思えなかった、分かってもらえるとも思わなかった。

恋愛期間はそれでよかったのですよ。キルケゴールは精神をいつも準備して、その準備なしには何もできない人間だったでしょう。インテリというものはそういうものだし、哲学というものは、1から人間というものをつくり上げるための学問でもあります。恋愛においては、ちゃんと控えさせて、ちゃんとベンチで準備運動をして身体を温めて、それから、マウンドに立つピッチャーのように、理論武装ならず精神武装というような、マウンドなり、バッターボックスに立って、がんばればよかった。つまり、デートに行くときだけ気合を入れていけばよかった。

これが結婚となって、毎日いつでも1分1秒でも一緒にいたりすると、この精神をどんなふうに駆動させるか、弛緩と緊張、この大きな精神を動かすために、つまり精神のいい角度だけで仕事するには、その調整時間をレギーネと共有することになってしまう。レギーネだったら、それをわかってくれる女性だということも、キルケゴールはわかっていたとは思うのですけれどもね、それでもやっぱりあまり見られたくなかったんじゃないかな、これに関しては、自分一人で向き合っていたかった。そういうところはあったかもしれないですね。

結婚すると、キルケゴールだけでなく、その魔物も一緒についてくる。ペットとして、その魔物も二人で飼い慣らしていたら、それはそれで悪くない結婚生活だったかもしれないですが、レギーネがそういう女性だったからこそ、果たして可能なんじゃないか? と、期待と不安のあいだで、悩みに悩み抜いたのではありましょうが、このペットと一緒に暮らすのは自分だけでいいと最終的に答えを出したのでしょう。

でも、やっぱりそんな自分でも飼いならせるかわからないものを、結婚生活の場に一緒に連れていってしまうのもね、キルケゴールは自分で制御せしめられるとは思っていたし、じっさい、これまで制御し続けてきましたから、でもやっぱり不安はあったんじゃないでしょうか。これからずっと、24時間、一緒に生活するとなると。

一般的に、人は、偉大な人物の物差しを、この魔物の大きさで計りがちですが、どちらかといえば、この魔物を飼いならす自己制御の方にあります、本当の偉大さは。

ふだんから、いつも戦っている時間は、「心は最大の敵であり友でもある」という、ギーターにも書かれているこの言葉のように、

他人を巻き込んではならない、一人でやり通さなければならない、だけど、はたして、それを隠し通しながら、結婚生活を満了させられるか? 仮に一回でも見せてしまったら、何かが崩れてしまうような気がする、そんな綱渡りのような結婚生活をしなくてもいいんじゃないか? 今までのように、一発入魂で、気を引き締め、デートで会っている時だけ気を引き締めていればいいんじゃないか、というような道へ、引き返したくなったのではないでしょうか。

あるいは、自分はとうとうこの悪魔を完全に克服することはできないんじゃないか、と、それは坂口安吾がいう、「人はけっして勝てない。負けないことができるだけであって、勝つことはできない」といった言葉と通ずるものがあるように思います。

人は、この悪魔に勝つことはできないのかもしれない。でも、負けないことはできる。それが人生をかけて、自分の全ての時間をかけて、負けないようにすることができる、それしかできないと悟ったのではないでしょうかね。

でも誰だってそうでしょう。自分一人の時間で自分を作って準備して、そうやって作り上げた自分でなければ、人と関われなかったりするし、本来コミュニケーションというものは、そうやって取るのが正しいと思うし、それが人間だと思うし、そうでなかったらそれは人間でない何かになってしまう、魔物としての人間でレギーネと関わっていくことは、そんな結婚生活はやめようと思ったのではないですかね。その、負けないためには、自分を制御するためには、多大な時間が必要になってくる。ただ、大きい人間となると、それだけ大きい時間も必要になってくるということでね。ドストエフスキーも「男と女は際の際まで行ってはいけない」と言っているし、シェイクスピアも、「ほどほどに愛しなさい、長続きする恋愛はそういうものですよ」と言っているし、やっぱりモンスターや怪物みたいな恋愛や結婚生活を忌避しようとするものです、彼らくらいのクラスになると、その魔物を飼い慣らす自己制御も同時に持ち合わせているものです。

キルケゴールもショーペンハウエルも制御できる強さは持っていたのですよ。ただ、日に6時間くらいは夢想したり、そうしないと夜が明かせなかったり、そういったとき、隣に一緒に寝ないで付き合わせるのも悪いなと思ったのではないでしょうかね、レギーネなどの女性は、そういうとき、眠らずに付き添いがちなところがあるでしょうから、ただほとんど活動を停止して、宙に向かって停止していなければ、その代償を払わなければ、日常会話一つできなかったでしょうから。

注目して見ているとわかりますが、人間の大きさによって、この時間は比例しているものですよ。大きい人間ほど、大きい時間が必要になっているだけで、単純な数学の問題であるともいえます。得てして、偉大な人がいつも沈黙しているのはこのためでもあります。

だからやっぱり恐れていたのは、この一つの善的な、いい部分だけで結婚生活を送ろうとしたとき、それに追従するためのその調整期間や準備期間のような空白の部分を、結婚生活、パートナーとの時間に組み入れたくなかった。それは自分一人でいいというふうに思ったように私は思いますね。秘密は、一言でいうと、自分を自分として作り出すための時間、魔物と戦うのは一人でいいと。

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