理学療法「独立開業・副業・仕事体験記」 仕事 人間考察

上の2と下の2

(最近、巷で神ツールだと噂されているAqua Voiceという音声入力ソフトを使い始めたら、これがあまりにも有能で、ほとんど喋ったことがそのまま完璧に反映されるという不思議なソフトで、このために、深夜に一人でペラペラとだらだら思っていることを話していたら、なんと4万字にもなってしまいました。非常にくだらない長文になってしまいましたので、よっぽど暇人だけが読んでくれればいいと思います。ろくに推敲もしてないので)

私が勤めていたデイサービスには、あまりにも無能な職員が集まっていた。どうしてあれほど無能ばかりが集まったのかわからない。

たしかに、社会のヒエラルキーには、2対6対2の法則があり、上の"2"、中の"6"、下の"2"という、成果の高い人材、成果の標準的な人材、成果の低い人材=2:6:2の割合になるという働き蟻の法則によって均衡が保たれている。

それはやはりどこの会社に勤めても同じだったし、どこのアルバイト先に勤めても同じだった。学校しかり、部活動しかり、あらゆるコミュニティ、お花教室、それはどこのコミュニティにおいてもそうなっているらしい。

それは偶然か必然かはわからないけれども、始めからそうなっているのか? それともそのように変化していくのか? その組織の内部における有機的生命が外にあらわれた結果として。その浸透圧の問題として。

もしこれが全員"10"だったらどうだろう? ということは皆さんも考えたことはないだろうか?

わりと、仕事ができる人間がよく口にする、ハァ、とため息をつきながら、「あ〜! 仕事ができるヤツだけでチーム編成してぇ〜、マジでポンコツ全部はじいて、仕事ができる人間だけのドリームチーム作りてぇ〜」

「メッシとガリンシャとヴァヴァとロマリオとマルディーニとイニエスタっすね」

「お前、それポジション考えてんのかよ(笑)」

「あ(笑)」

小生が、昔、とある職場で見た光景として、後輩のミスのために残業が発生してしまい、予定していたデートに行けなくなってしまった男が、「テメェのせいでデートに行けなくなったんだから、テメェが俺の彼女に電話して謝れ!」と後輩に自身の携帯電話を投げつけて電話させていたというのがある。後輩は、「もしもし、すいません。〇〇さんの彼女さんですか? 僕のせいで、今日、〇〇さん、デート行けなくなっちゃいました。本当にすいません……」と青色吐息で謝っていた。

小生も、同じように、仕事ができる人間だけが集まったらどうなるのか? "10"だけで構成されたらどうなるのか? と考えないこともない。

だが、それだと、どうしてもうまく回らないのではないか、ということだ。それも先に彼が言った通り、ポジションの問題でもある。彼でいう彼のような立ち位置のポジション、それは精神的なポジションでもあると言える。いわゆるこの手の上の"2"の人たちは、だいたい同じような精神構造をしており、だいたい同じようにプライドが高く、だいたい同じように後輩に彼女へ電話をさせ、磁石でいえば同じ極に位置しており、プラスとプラスが重なり合うとやはり反発してしまう。

確かに始めはうまくいくだろう。何でもかんでも、ウンといえばスンと言い、ああといえばおうと言う。阿吽の呼吸は完璧で、爆走兄弟レッツ&ゴー!!の烈と豪がミニ四駆と並走するようでいて、岩間を流れる清冽な水が如くぶつからないようでいて、いわゆるGAFAなどの企業もこういう水の流れ方をしていることだろう。

しかし、どうも問屋が卸さないのは、どこか亀裂のようなものが生じてきてしまうのは、やはりプライドが高いからであろう。こういう知識人と知識人、ベテランとベテラン、プライドとプライド、才能と才能がぶつかるところに、置かれるクッションがない。

クッションのような存在は、クッションのような存在として、初めから屹立されている。ベッドを買うとついてくる枕みたいなもので、初めから、適材適所として、自分が緩衝材となるために置かれた存在、自分の存在意義をよく自覚して行動する。彼ら仕事ができない人間がいつもヘコヘコしているのは、あのヘコヘコがなければ、組織として水が流れないからだろう。

チィッ!とイライラしたり、あー!むかつく!と言ってパソコンを蹴ったり、上の"2"の人たちがそうやって悪態をついているときに、同じようにチッ!と舌打ちをしたり、ガン!とパソコンを蹴ったりしているヤツがとなりにいたら、そこに緩衝がない。じゃあその場所にサンドバッグを置けよといっても、やはりそこは人間、無機物よりも有機物の方がいいのだ。

おそらく波動の問題にあって、利発な人間というものが持ち出す空気は刺すような鋭利なもので、繊細で、脆く、一射絶命のミツバチのようであり、攻撃力に全振りされていて、防御力は薄紙同然、うまくいっているときは確かにうまくいくのだけれども、一度何らかの綻びが生じると、そこから徐々に全壊を許していってしまう。

彼らは、修復のすべというのはあまりよく知らないようである。そこにくると、中の人や下の人というものはほとんどいつも謝り通しだから、謙遜謙譲は板についている。彼らの持ち出す、ダメな空気、もう負けてますという空気があるからやっていけるのであり、それはミツバチの受粉のように隠れた善行であり、私たちは、何にせよ、あの新入社員たちがよくやっているヘコヘコにどれだけ助けられているかわからない。あれも、おそらくは上の"2"の人たちが撒いている偉そうな態度と、ちょうど同じ分だけ空間に撒かれていて、それは人工的というよりも、自然由来のものだろう。水素と酸素のように、正しい割合で空気中に配分されていなければ、組織人は生存することかなわないんだろう。

この絶妙な方程式は、組織が運行するにあたってなくてはならないものとされ、やはり浸透圧の関係で、はじめから2:6:2の法則になるのではなく、だんだんとそうなるように変化していくものと思われる。よって、全ての人は存在しているだけで価値があるというという理論は、ここにおいて正しい。いわゆる企業、会社というのは、この上の"2"の人たちが作り出している、彼らが空間上に撒いている、彼らの精神そのものが、いわば会社の顔になっており、いわば彼らが正解である。が、一般的にその会社における必要とされる能力、事務処理能力に長けていることが、その人物の仕事能力と考えられているが、筆者はそれは違うと考える。筆者が考えるのに、あくまでその人のキーパーソン性、彼の持ち出す空気、空間、それがそのまま法となり顔となり、正義となり、基準となりえていることに、一度でも職場で働いたことがある人間なら疑いをもたないだろう。

ナポレオンもまた、軍事、政治に優れ、戦争に勝ち続けたこと、単に力があって、仕事の方面でずば抜けて能力が高かったからというよりも、ナポレオン自身が顔であり、規律であり、法であり、フランスであった。この人の前では何も言えないというような波動があったとされる。それがそのまま21世紀の従業員数15人規模のデイサービスにも当てはまるのだ。彼……、いや、彼女は女だったから、彼女と呼ぶのが正しいか……。彼女はほとんどナポレオンのようだった。

彼女は、このデイサービスのいち介護士に過ぎなかったが、この資格者が集まる巣窟で、何一つ資格を持たず、何一つ学歴を持たず、村娘の中でも出世街道から外れた牌であったが、彼女が施設のありとあらゆる陣頭指揮をとっていた。

長らく勤めていたこともあったが(10年くらい?)、ほとんどこのデイサービスの顔、主役になっており、社長よりも権限を持っていた。この人を怒らせたら一巻の終わり、従業員はこの人を怒らせることを何よりも恐れていたし、彼女一人がいなくなれば、どれだけ従業員たちが伸び伸びと仕事できるかわからなかった。利用者にしても(利用者は70〜95歳の高齢者しかいなかったが)、ああ、この人がボスね、と、施設に足を踏み入れた瞬間にすぐに察するようで、90歳のおばあちゃんでも、「ねぇ、あの人がボスでしょ?」と、送迎中に二人きりになったときなどは、こっそりささやいてくることがあった(なぜか、これくらいの年齢の人は『ボス』と言うものだ)

例えば、そのボスは、よく富士通のFMVなるパソコンを使って事務作業をしていた。ある日これが壊れてしまったことがある。

「ねぇ、しまるこ君」

小生は"2"でありながら(どちらの"2"かは言わない)、機械だけは詳しかったので(下位の"2"にありがちなことだ)「ねえ、しまるこ君、新しいパーソナルコンピューター買おうと思うんだけどどうしたらいい?」

小生は心の中でチッと舌打ちをして、(コンピューターじゃなくてコンピュータだろうが)と思ったが。

「ノジマに行ってまた適当なやつを買おうと思ってるんだけど」

「いいえ、閣下。我々のようなこんな弱小デイサービスには、そんな高価なPCは必要ありません。いってもWordやExcel、それから介護点数計算早見表を見るためにブラウザを開くくらいでしょう、それだってスマホで事足ります。もちろん、閣下は仕事中に韓流アイドルのサイトを開いたりして、ネットサーフィンするなどといったことはないでしょうから、ブラウザ機能なんかも最小限でいいはずです。富士通のFMVとかいうPCは家電量販店では異常に高い値でたたき売りされていますが(ところで、なぜ閣下はそんなにFMVが好きなんですか? 今、FMVなんて使っているユーザーどこにもいませんよ? 富士通の回し者か何かですか?)、これはアマゾンの再整備品で買えば、ノジマの半額以下で買うことができるし、今時こんな屁みたいなパソコン買う人間はどこにもいません。老人とシングルマザーだけです。いいですか、閣下。このチンコのカスみたいなデイサービスでは、中国産の2、3万で売られてるパソコンがお似合いです。いわゆる再整備品といっても、CPUが○○世代以上であり、SSDが搭載されているものを選べば、今閣下が使っているHDDの起動に4分かかる、ディスクがずっとぐるぐるシュルシュル回ってる変な音も聞こえてこないし、何より、5分の1くらいの値段で買えます。ノジマで買っても、子供がビックリマンチョコについてくるシールを下敷きにペタペタ貼っているように、変なスパイウェアの警告みたいなシールだらけで、変な回し物みたいなソフトウェアがたくさん入っていて、ウイルスバスターがたくさん入っていて、備えるだけ備えておいて、空城の計にかかった武田軍のように、取り越し苦労ということになるかもしれません」

小生は自分の給料には一文も反映されないことをわかっていながら、どうしてもパソコンのことになると黙っていられなくなり、でしゃばってしまうのであった。

彼女はうーんというふうに長考をしたが(このとき、右手を顎の下にあてて長く沈思黙考するのが彼女の癖であった)、この上の"2"の人種なるものは、こういうふうに黙って長考することが多い。この"長考"というのは思っているほど職場でやるのは難しいものであり、下の"2"のような弱小小物であると、すぐに水面から顔を出してしまう陸の生物のように、深く潜っていけず、ふだん仕事もアプアプしながらやっているため、この"長考"というものがなかなかできない。が、上の"2"となると、そこはもうまるで自分のハウスのように、そこで食事をし、そこで話し、そこで呼吸するのが板についてしまっていて、職場で"長考"というものができてしまえるのである。この沈黙は予想外に周囲に圧迫感を与えるものであり、この沈黙に耐えられなくなった者から、「あ、いいです! ノジマの20万円のFMVを買いましょう! ぜひ買うべきです! 2台でも3台でも!」と、すぐに自分の発言を撤回したくなる性格のものだった。

また、こういうふうに長考をすることはするのだけれども、かならずしも、いつも正しい結論に達するとは限らない。むしろ間違った道程を辿るのことの方が多いとされる。この場合においても、彼女はFMVとかいうPCをノジマに買いに行ってしまった。国産という言葉に安心したのだろうか。国産といったって部品はぜんぶ中国産だ。日本の皮を被った中国である。

なぜか話していても、話す前から話が通じないのがわかる。この場合、ありとあらゆる面から考えても、小生の提言の方が正しい。あの長い沈黙に何があったかは改めて問わない。が、やはり、こういったことが続くと、やる気をなくす。明らかにいいと思った提言、どこからどうみてもこちらの方がいいという筋が通らないと、もう何もやる気が起こらなくなってしまい、もうその場にゴロンと床に転がって一生倒れていたくなる。しかし、それを言ってしまえば、PC云々よりも、この施設が生まれる前からそうなのだ。こんな、デイサービスとか、わけのわからない、老人のポケモンセンターみたいなの作ってないで、家で運動してろ。と思ってしまう。最初から、何から何まで間違っているから、そのすべてを遡って正そうとするならば、人類の小麦の精製を阻止するところから始めなければならなくなる。

はたして、彼、彼女らはどうしてそんなに愚鈍なのに、それほど職場において力を持つのか? カリスマ性、リーダーシップ、その会社の顔と成り代わることができるのか? その秘密をずっと解きたいと思っていた。おそらくこの解決策を出せれば、いわゆる"6"の人や下の"2"の人、いや、もっと広い世界や意義において、救われる人が出てくるのではないかと思うからだ。いや、あるいは、自分を救いたかったためかもしれない。

いわゆる、上の"2"という人種は、職場という土地に咲いている花だ。それがそれ自体の生をまっとうするために生まれてきた、ひまわりならひまわり、朝顔なら朝顔というように、生まれる前からそこにいて自然に育ったかのような特異性に満ちている。それ自体のために作られている地球の作物なのだから、他が敵うはずもない。

その個体としての機能性、融通性、としての機能美、世代、旧生態問わず、たとえ古い波であっても、波をうまく乗りこなしていること、その乗りこなし様を間近で見せられると、その波のうまく乗りこなし方、乗る姿勢、乗る顔、ヨット、サーフボード、流れる汗、飛沫……に引っ張られるというか、ひとつの個体がひとつの物事に、ちょうど器と内容が完全一致している様を見せられると、物事成果よりもただその圧だけが存在感を持つことがある。

何であれ、人は自身が信じていることにしか精は出せない、全力は出せないのだ。つまり、バカだからバカなことに全力を出せる。これが小生の結論である。バカだからバカなことに全力を出せる。

だが、あまりダメなところばかり言うのも良くないか。正直に話そう。そうはいっても、やはり実際の仕事面で言えば、彼女は仕事がよくできた。王としてふさわしい、それは社長よりもできていた。一体こういう頭脳はどこからくるのか? 職業にして平凡、資格も学歴も平凡ながらにして能力において如才なし。確かに一見、女を捨てたような、背は150センチにも満たない、体重は50キロの中デブ。まあ、中デブといってもいいくらいだが。だが確かに頭はよかった。体脂肪に至るまで脳が広がっているのかとすら思うほどに。もう40歳くらいだし、なぜか分からないが、こういう人というものは老化が激しく、もう50歳ぐらいには見えて、肌もラーメンの背脂を被ったような灰色上の変な色をしており、皮膚が垂れ下がっているような、ハリがないような、それもあちこち病気を抱えていて、健康状態も悪かったけれども、なぜかその健康状態の悪さが、全身のあちこちが悲鳴を上げるようにして、アイデアなり発案が浮かぶのにつながり、陣頭指揮をとっていたように見える。肉体が疲弊すると精神が活発になるというが、その満身創痍が一役買っていた部分もあると思う。

髪型はしょっちゅう変わっていて、ボブにしたり、普通のロン毛にしたり、肩まであるセミロングにしたり、武田久美子みたいになっていたり、茶髪にしたと思ったらまた黒に戻したり、案外この手の連中は仕事のことしか考えていないようでいて、意外にヘアスタイルを気にするものであり、しょっちゅう髪型を変える。「ねぇ、私の髪型どう?」と、こちらに感想は聞いてこないけれども、何か意識しているような、というより、間違ってないだろうか?という、髪型を変えるたびに、自分のセンスが間違っていないかひどく心配しているようでもあった。これは右脳と左脳の問題のためか。左脳が発達し過ぎたために、あまり右脳的な方面は得意ではないらしく、確かにいつも、何かしら変えてくる髪型はあまりセンスが良くなかった気がする、何か惜しいような、やはりこういう方面では力が発揮できないのか、いかにもまわりを気にしたように手加減を加えたような髪型であり、頭で考えたような、どこかから借りてきた猫のような、オリジナリティのない、まぁオリジナリティのある髪型も困るが……。

残念感がどこか漂うものであり、それを自分でも半分くらいは気づいているんだろう。何かこういうときだけは、彼女のほうが下の"2"になったような、おそるおそる中の"6"や上の"2"の顔色をうかがうような、それに対し、ふだん仕事ができない人の方が髪型の方は上手い場合が多いから、そのときだけは、立場が逆転して、彼女が新しい髪型をしてくると、下の"2"の人がその横を通りすぎるときにちょっと勝ち誇ったような顔をして、また彼女の方でもちょっと負けたような顔をしていた。この日はいつもより怒られることが少なくなる。

芸術面はどうだろうか? 小生はこのように、誰々が一人ひとり何の能力を持っていて何を持っていないのか、仔細に調べる癖があり、それは上の"2"の人の仕事内容ではあるのだが、身分不相応にもやっていた。

彼女が一枚の紙に絵を描くときでも、注意深く目を光らせていた。変な、家族へのお便りとかいって、利用者のデイサービスにおける一日の態度を書いて家族に届けるとか、いまどき幼稚園でもやるかわからない、人間の尊厳を無視した、非常に高齢者を馬鹿にしたような最低なサービスだったが、そのしおりなるものに、うさちゃんの絵が描かれていた。それは意外にも悪くはなかった。というよりけっこう良かった。

普通に可愛いし、普通にうまかった。ちゃんと字もうまければ、絵もうまい。見たものをそのまま書くということができるのだ。見たものを見たままに書くことは、あんがい、この常識脳からくるものではないかと思う。いわゆる、たいてい、絵が上手い人というのは、ちゃんと頭の中に映像があって、それを表出できる、それがいわゆる仕事脳につながっている気がする。人はだいたいの場合において、芸術要素というものは、世俗離れしたものだったり、ある特定の一部の奇人変人、天才性を持つ優れた人が持つもので、常識離れしている人の方が絵が上手いんじゃないかと思いがちだけれども、小生の人間観察でいうと、常識人であるほど絵が上手い。おそらく仕事の能力と絵を描く能力がリンクしている。

いわゆる、美大生とかいう連中は芸術家気取りのダメ人間で社会ではろくに使い物にならないというのが世間の理ではあるが、小生の見解でいえば、この人たちは、むしろ普通人よりも仕事がよくできてしまうほうだと思う。普通にしていればできる仕事を、プライドや見栄、思想や変な価値感情、美しいとか美しくないとか、余計な夾雑物が精神を覆い被さるからであり、もともとの能力でいえば、できてしまう方だと思っている。

何度も繰り返すようで悪いが、やはり見たものをあるがままのものとして、世界を世界としてありのままにちゃんと受け取れるかどうかが鍵であり、常識として脳が正しく処理されてあるか。そのため、やはり仕事ができない人というのはみんな絵が下手であった。それは自分の頭の中でイメージを構築することが苦手で、一言でいえば、映像記憶能力がないためだ。

さて、また、話があちこち飛び飛びして申し訳ないが、小生は昔、まねきねこのカラオケ屋でアルバイトしていたことがあった。その上司とアルバイトの女の子がやり取りしているのを近くで見ていたことがあるが。その入ったばかりの女の子は、クリームソーダなるものを作ろうとしていたが、まだその作り方がわからないために、その隣にいた上司が一生懸命に教えていた。

「いい? メロンソーダのバーはここにあって、コップはここにあって、先に氷を入れるんだよ」

「はい」

「アイスクリームは冷蔵庫のここにあって、それをディッシャーを使って、ここにディッシャーがあるからね」

「はい」

「で、ディッシャーでつかんで。クリームソーダの場合は袋入りのストローを使うんだ。先っぽがめしべみたいに膨らんでいる方のやつ。そう、それを使うんだ。アイスクリームをすくうために。袋に入ってる方のストローね」

「はい!」

すると、なんと、ちょうどいいタイミングにクリームソーダの注文が入った。小生はおっと思って見ていたが、

「さぁ、矢田さん、クリームソーダ、作ろうか」

「……」

「どうしたの? 矢田さん。」

「……」

「矢田さん?」

「……」

「クリームソーダ」

彼女の方がクリームソーダみたいに溶けてしまいそうになっていた。

ほとんど文明人のような顔をしていながら、タヒチの原住民のような顔をしていて、日本語もわからなければ、自分がなぜここに存在しているのかもわからなそうな、そんな宇宙に似た何か。こういう子を妻に迎えたらどうなってしまうんだろう?というのが、我々男子の汚い、穿った見方というものではあるが。業務日誌に、この子が描いた絵をたまたま見る機会があったが、それが絶望的に下手糞だった。見たものを見たままに覚え、それをそのまま再現する。おそらくそのクリームソーダがどうやって作られるかというものを、映像として記憶するのが苦手だったと思われる。白紙から出るのは白紙だ。

だが、彼女がクリームソーダを作れないわけがないのだ。なぜなら、彼女はここに面接をして、自分で電話をしてきて、履歴書を書いて、服を着替えて、靴を履いて、カバンに履歴書を入れてやってきて、面接を突破して、自分の名前を言えて、ここにやってきて、何にせよ、彼女は25歳か6歳くらいだったけれども、25年も6年も、生きてきた歴史があるのだ。この情報社会の多義にわたる、あらゆる有象無象におかれ、養護学校に行くこともなく、普通教育を受けてここにやってきているのだから、クリームソーダが作れないわけがないのだ。

常識もまた宗教である。宗教家が神を崇拝するように、常識人もまた常識を崇拝している。この社会は常識によって作られており、常識によって運行しているから、常識に飲み込まれてしまっている人間、ほとんど常識と同化してしまった人間がいちばん効果強く作用する。いわゆる、2:6:2の法則は、そのまま常識の割合を指す。

上はいうまでもないとして、中はどっちつかず、6割くらい常識を持っていて4割くらいはカオスを持っている。下はほとんどカオスだけで構成されていて、クリームソーダ一つ作れない。2割の常識と、8割の作れないクリームソーダでできている。それでなんとか世界に食らいついていってるという体だ。

だが、これは自然と人間とでは、異なる見解を出すようだ。

人間の場合、下の"2"より、上の"2"の方が正しいという結論を出したが、自然はむしろ上の"2"を粛清し、下の"2"に愛の手を差し伸べるといったことがある。

というのも、長い目で見れば、だいたい彼、彼女たち、いわゆる常識によって職場を支配していた者たちは敗れ去る運命にあっているからだ。カラオケの招き猫しかり、そのクリームソーダの作り方を教えていた店長しかり、いわゆるその家電量販店で後輩に自分の彼女に電話させていた男しかり、他のバイトしかり、デイサービス、印刷工場、さまざまにいろんな環境でいろんな場所に身を置いてきたが、いずれも常識側の方が敗れ去っている、最終的には、だが。

いずれも、この常識人たちは、ロベスピエールのように常識というギロチンを振り回して恐怖政治を行うならば、ロベスピエールが失墜したように、あるいは暗殺によって革命を起こしても長続きしないと言われるように、黒いもの、血塗れのもの、あるいはブラック企業だったり、あるいは怒鳴り散らしたり、罵声を浴びせかけて攻撃する者、また乃木坂のアイドルグループの変なダンスのレッスンコーチなんていうのも、「いいかお前ら、お前らの人生めちゃくちゃにしてやるからな! このブスどもが! お前らは全員ブスだ! 死ね! お前らは全員ダンスの一つもろくにできない落ちこぼれだ!」と、なぜか芸能界、とくにアイドル業界には、こういった破壊神系の教師がいまだに根強く蔓延っているが、あえてこうやってブスだの死ねだの罵詈雑言を浴びせることで、彼女たちの精神をズタボロにし、それは単に彼の趣味や哲学以上に、彼女たちの内奥から何かを引き出すものであったには違いないが、女性はあんがい泣きながら、苦しみながらも、こういった罵詈雑言を浴びせかけられると、何か本能の一部のようなものが賦活させるか、不思議な光を発するのも事実であり、嫌なことは嫌に違いないが、女性はこれまで可愛いだの綺麗だの誉め殺しにあってきたせいか(アイドルならなおさらである)、直接面と向って、ブスだのヤリマンだの死ねだの殺すだの言われると、そのあまりの言葉の強烈さにしばらくその衝撃の意味を内部に落とし込ませたがってしまうところもあり、なんだか首を絞められて死にいたる一瞬前の心地というか、アイドルだから比較的楽に耐えられるのではあるが(そのためにこれまで表に出てこなかった)、およそ女性の中の秘めた部分、その秘孔を突いたり、あるいは彼女たちの一つの潜在願望の写し鏡となって外に現れたか、理由は様々だが、これまで何十年も地下で暗躍し続けていたのが、とうとう内部告発されてしまった。まっちゃんにしろタレントにしろ、もう10年も20年も前にやった悪事なり秘め事が暴露され、その権威を逸し、こういうことは一体なぜ起こるのか? 自業自得だったりするし、自己責任ということになってしまうけれども、やはりこれには何らかの天の計算が働いているらしく、事実はそこを離れる運命にあったから、スキャンダルが使われたに過ぎず、ここに人智の及ばない自然の修正力が働いているらしいことがわかる。

で、このデイサービスの彼女、閣下だったか。およそこのロベスピエールの申し子みたいなものたちは、10年後、20年後にもし立ち会う機会に恵まれるなら、人は信じられない発見をするだろう。小生も運よく(?)彼らのその後の消息を知ることができたことが少ないながらあるが、ほとんど、かならずとっていいほど、いずれも顔から生気を失い、あれだけ利発で機知に満ちていた頭脳が取り上げられ、ほとんど痴呆同然となり、あのライオンやトラのようなどこまでも牙をむいていた猛獣性もなくなり、はたしてこの人は誰だろう? というような、アイデンティティであった常識すらも取り上げられてしまい、今ならカオス的空論も一緒に花咲かせられそうな、2時間でも3時間でも居酒屋で与太話ができなそうなくらい、毒気も抜けて、本当に平和な生き物になり下がっているのである。

すでにもう新しい生命として、来世においてスタートを切るために、今からもう赤ちゃんみたいになって準備期間に入っているように思わなくもない。心なしか背も小さくなったように見え、だんだんこうやって小さくなって本当に赤ちゃんみたいになるんだろう。悪役もまたその必要があって存在しているのだ。自分はもうお役御免。あとはあなたたちの時代といって去っていかんばかりの退場の仕方である。

下の"2"の人にいっくよ〜!

上の"2"については話した。

片方をやったのだからもう片方もやらなければならないという、そんな窮屈な文句を自分に設ける必要もないのだが。

せっかくだから、下の"2"についても話そうか? でも、長くなってしまったから、それは別の機会にしようと思ったけど、ここでやめたら、その"次"がなくなりそうだから、

よし! このまま話してしまおう!

さて……。で、その下の"2"といわれる人たちだが。

これもまあ、一人の人間を例に出した方がわかりいいか……。

同じデイサービスで、作業療法士兼介護士で働いている男がいた。

彼は作業療法士の専門学校に通っている学生だったが、職場のセラピスト枠で働いていた。

本当は、モノホンの作業療法士を雇えればいちばんよかったんだろうが、一応、学校である程度カリキュラムを積んで実技もやっていることだし、現役の学生というものは何かキラキラしてみずみずしくて、老人の乾いた肌によく染み込みそうだし、または単なるコストカットの問題だったかもしれない。学生だから高い給料を払わずに済むという企業側の都合という、

彼は25歳だったが、いわゆる、留年を3回していて。ふつう、理学療法士だったり作業療法士の専門学校というものは、だいたい資格を取って働く頃には21歳、22歳になるわけだけれども、彼はもう25歳になっていて…………

それは留年を3回も4回も繰り返してばかりいたからである。一般的に、理学療法士、作業療法士の資格合格率は90%とされ、落ちる方が難しいとされるくらいだが、それは数字上の話である。

いわゆる国家試験を受ける前に、学校内の卒業試験をパスしなければ、国家試験を受けられないのである。専門学校は、世間に公表する合格率だけは嘘をつくことはできないから、国家試験に受からなそうな種は国家試験を受けられないようにすればいい。そこで国家試験と同じくらいの難易度の卒業試験を用意して、それにパスしなければ国家試験を受けられないようにしているのである。

彼は学校の卒業試験に受からないために留年しているのであった。これは予想外に深刻な問題を孕んでいて、まだ国家試験に受からない方がずっとマシなのである。卒業試験に受からないということは、もう1年、学科をやり直さなければならないのであり……、皆さんの知る通り、医療系専門学校の学費は高く、1年でだいたい100万円ぐらいする。つまり、彼はその学費代を稼ぐために、このデイサービスで働いているのであり、働いているがために勉強する時間がなく、それで毎年留年し続けるという負のスパイラルに陥ってしまっていた。

さて、皆さんだったら、卒業試験に毎年、3回も4回も落ちている人間の施術を受けたいだろうか?

それは、老人たちも同じであるらしく……。

あんがい、老人というものは矮小な生き物である。ああいうふうに人畜無害を装い、骨と皮ポンコツ同然になりながら、歩くのもやっとでヒーヒー言いながらも、心優しい人に少しでも手を添えられるようものなら、(ハァ……)と恍惚し溜め息を吐き今すぐ天国に向っていってしまいそうな表情を浮かべるが、「今日は原君の施術ですよ」と介護士に言われると、ギョっとした顔を平気で表す。この喜怒哀楽ぶりは子供より顕著かもしれない。

「ねえ、また落ちたんだって」

「まあ、何回目かしら」

「いやあねぇ」

「怖い」

女子高生もよく「コワ」と言うが、老人もよく「怖い」と言うものだった。

彼がいないところでは、こんなふうに老人たちはよく噂をしていた。

ある日、彼の名字が急に変わった日があった。原から鈴木になっていた。ロッカールームだったり、あらゆる事務書類だったり、これまで原とサインしてあったのが鈴木になっており、彼のネームプレート、胸につけているワッペンまで、俺はそれを見て、

あれ、なんだろう? 結婚したのかな? 25歳で? ちょっと早いか、早いのはいいんだけど、学生の身で結婚ってどういうこった? いい玉の輿でも見つけたのか? 学生で? ってことは女の医者か? いいなぁ〜! てっきり、下の2だと思っていたのに、結婚に関しては上の2だったんだな。だが、ひょっとして、待てよ? なんで男の方が苗字が変わってるんだ? ふつう、苗字が変わるのは女の方じゃなかったっけか? 婿に入ったのか? 婿に入ったってことは、やっぱり金持ちと結婚した? 女の医者?

いや、じゃあ、どうして女の医者と結婚したんだったら、ここで働く必要がある? 資格だってもういいじゃん、勉強も仕事もする必要がない、なぜ、まだここにいる?

俺はいよいよわからなくなっているところに、ある人が説明してくれて、

どうやら、彼のお母さんの年齢は50歳くらいだったが、お母さんが最近、再婚したらしく、お母さんと一緒にその新しいお父さんの保護下に入ることが決定したとのことだった。

すると、老人たちは、びっくりするほどはしゃいでいた。

「ねえ、こういうときはさ、僕はいいですっていうもんじゃないの?」

「だってもう25でしょ?」

「一人でアパートかなんか借りてやっていけるでしょうに」

「ねぇ、あなた、25にもなって、新しいお父さんの扶養に入る?」

「いやぁ……」

「ねぇ、センセ、センセ」

と、一人の老女が俺に話しかけてきた。

「センセはどう思う? センセも、年おんなじくらいでしょ? 25になって、お母さんと一緒に、新しいお父さんの保護に入る?」

「僕は入らないですよ」

と俺は言うと、

「でっしょ〜!?」

と、キャッキャキャッキャしていたのを覚えている。

やはり老人たちというものは噂好きが絶えないものである。いくつになっても人は人の欠点で馬鹿騒ぎをしたいものか。彼が新しいお父さんの保護下に入ったばかりの頃は、いつも彼がいないところではこの話ばかりがされていた。この調子じゃまだまだ長生きできるななんて思って聞いていたが、そこでいえば、案外、若者の方がこういうときは口を閉ざしているものかもしれない。最近の若者はとかく他人の話をしないものだ。ことに悪口においては。時代はこうして移り変わっていっているのかもしれない。

鈴木くんは、確かに、背は175センチくらいで、体重は100キロくらいで、角刈りで、仕事といえば、先ほど言ったように、ヘルパー兼作業療法士であり、その巨体に関わらず、物腰はたいへん柔らかくて、腰が低くて、声は高く、低頭平身で、自信なさげであり、とくに声が優しかった。声にまったく毒がないという人はいるけれども、この人の声はどう聞いても、"トゲ"というものがなかった。

このデイサービスには、盲目の利用者さんが2、3人いたけれども、そういう人たちは、声だけでその人の人間性を判断するところがある。

「原くんはとくに声が優しいね。あ、鈴木くんだったか」

「どちらでもいいですよ」

「いやぁ本当に声が優しいよ」

だいたい上の"2"の人ほど声がきつくなるが、下の"2"の人ほど声が優しい。また、女と男であれば、男の方が優しい場合が多い。

「お年寄り相手の仕事に向いてるよね」

「うん」

それが職場の老人たち、利用者だったり、職員全体の総意でもあった。

どうも何かのんびりしている。ずんぐりむっくりしていて、何をやるにも挙動が遅くドカベンの弁当食っているキャラみたいな足取りをしていて、テンポが悪く、リズムが悪く、何をやってものんびりしていたが、どうもこの資本主義のように効率を下手に追わなければ、あんがい彼のようなスピードの方が周りに安心感を与えるのか、共産主義やベーシックインカムの時代であれば、彼のようなスピードの方がまさに理想とされるのではないだろうか。

だが、次の方は褒められたものではなかったかもしれない、例えば、私たち職員が何か部活動だか、なにかスポーツをやっていたとか、お弁当を広げて、みんなでワイワイその話題で盛り上がっていたとき、彼は急に席を立ち上がって、何か、傘立ての中から一本の傘を取り出して、急に外に出て、剣道の素振りみたいなものをやり出した。50本も100本も、ビシュビシュ素振りをしていて、みんな唖然とした。こんなものを見ながら飯を食わなきゃならんのかと思った。じっさい飯が不味かった。どうにもこうにも仕事できないタイプというものは、こういうところがある。やはり、欲が深いのだ。

欲だが。やはり彼の中にも認められたい、自分を見てもらいたい、見返してやりたい、自分はこれだけできるんだ!というものがあるのだ。人間、どこかを引っ込めると、かならずもういっこの方がニキビのようにポコっと浮かび上がってくる。この根本原因となるものには、やっぱり認めてもらいたいというのがある。いわゆる仕事ができない人間の人たちの共通する心理として、欲望が強いというのがある。一見は、いつもうだつの上がらない、自信がなさそうな、目が回っているような、ひえー僕はダメです、と、あくせくオタオタしていて、カッコ悪く、童貞そうな、ひえー僕はダメですみたいな感じになっているが、

あんがい、サボりたいとか、もっとゲームをやっていたい、もっと怠けたいとか、そういうところからくる業務上のズレ。そこを無視して下の"2"について語ることはできないだろう。やはり、彼らの生態を観察していると、要所要所で、自身のそういった欲望を優先していて、もっと食べたい、もっと休憩したい、もっと早く帰りたい、そういう気持ちが先行してズルをしていることが少なくないのだ。

いわゆる、ふだん、彼らが自身の部屋でネットゲームなどをやるときは、いつも100%の自分が出せていて、なぜそこまでやるのというくらいに楽をしようとしない。細々とした、いわゆる術のスキルを全部修得するとか、マルチエンディングに至るまで全ての分岐ルートを終えるとか、XboxやPS5系の全てのスタンプを100%取るなんていうものは、仕事に比べて非常に根気のいるものだし、それを寝る間を惜しんでやっている。で、徹夜して目を腫らして出勤ギリギリ時間にやってくる。

不思議なのは、昨今のゲームといえば、あんなに難しくて、ゼノブレイドとかいうロールプレイングゲームにおいては、もう画面がしっちゃかめっちゃかで、スキルだかツールだか表だか、ぜんぶが画面に一緒くたにされていて、あれが理解できるんだったら、デイサービスの仕事の難易度なんて20分の1にもくだらない。思うが、能力であれば、こういう人たちは、上の"2"の人にも優っているのではないかというのは、職場の上の"2"の人たちは、ゼノブレイドの一章もクリアできないと思うからだ。

しかし、なぜかこの手の人たちは、ふだん自分が一人で部屋でできていることが職場ではほとんどできなくなってしまうところがある。よって、これは能力の問題ではないのは明らかだと思われる。喉が渇いたら水を飲む、腹が減ったらポテチを食べる、部屋が暗くなったら電気をつける、いつもやってることだ。が、これが二人以上集まると、あるは常識を持った人間が一人混ざると、空気が汚染されるのか、分裂されるのか。時間の色彩、流れ方というものが変わってきてしまい、時間と空間が変われば、まったく別の人になっていると言っていい。

例えば、朝ちょうど、彼と一緒に早番になったことがあったのだが、まだ朝6時で事務所が暗かったりして、彼は、電気をつけたらいいのかどうなのか、スイッチの前で佇んでいたときがある。

早い話。この上の"2"と下の"2"の違いは、結局のところ、自分が自分でいられることでしかないと思う。もし彼のテリトリー内に上の"2"が入ってきたら、今度は逆の結果になるからだ。呪術廻戦の領域展開のように、固有空間内に上の"2"を入り込ませることができたなら、お茶の子さいさいという結果になり、

潜在能力では下の"2"の方が、上の"2"よりも上だと言った理由もここにある。というのも、それは何か奥の方で画一的ではないもの、全方面からの何らかの精神への働きかけがあったり、一種の独特の奥行き感、あるいは天変地異にも強い、もしこの施設において急に大地震なり災害があったとして、その崩壊の真っ只中にあっても、いちばん慌てないのはこの下の"2"の人たちだ。なぜなら、いつも天変地異の中にいるようなものだから。職場の一日一日が天変地異であり、それ以上に精神構造が元々カオス寄りだからだ。

いうなれば、この奥行き感。精神界を、人よりは二重にも三重にも闊歩することができる、広く大きく立ち回れたり動き回れたりするところから、遊びのようなものが生まれてきてしまう。ゆとりというか、遊び、空白、これは先に言った通り、物事は100のものに対して100で運行する方が"締まり"が生まれ、個と物の結びつきが強く、堅固であり、その強く打ち込まれた楔のようなものに対して、100の物事に対して1000で戦おうとすると、その900の部分が無駄になってしまい、例えるなら、プレステはプレステしかできない方が良く、プレステもスイッチも64もスーファミも将棋も風呂沸かし機能も電卓もできるスーパーコンピュータとなると……、いや、そんなに大したものではない、か。

下の"2"の、2:2作戦いっくよ〜!

さて、ここまでやっと2万文字くらいか。自分でも、こんなに長くなるとは思わなかった。

上の"2"について語り、下の"2"についても語った。もうこれだけ語れば十分かと思い、寝ようかと思ったが、じつは、本当に語りたいところは、ここからであったのだ。

というのも、実際方面として、上の"2"と下の"2"がぶつかると、どういう化学反応が起こるのか、ということだ。だいたいそれも皆さんが察するとおりだと思うが、本当は、やはり、この"化学反応"こそ書きたいと思っていた。

どうも音声入力のせいか、どうでもいいことを話しすぎてしまって、こんなに分量を使うことになってしまった。だからまあ、"化学反応"のパートについては、また"次回"にしようと思ったが、やはり、ここで書いておかなければ、金輪際書くこともなさそうなので、ここで書いてしまおうと思う。

ということで、何の因果かわからないが、このデイサービスにおいて、小生とこの鈴木くんとで、カラオケ大会の企画なるものの係にさせられてしまった。

あんがい、デイサービスのカラオケなんてものは、ふだんどこでも行われているものであり、皆さんが思い浮かべるデイサービスのそれだとされるが、当デイサービスは機能訓練型デイサービスといって、ほとんど利用者の身体能力の向上に傾注し、ほとんどリハビリマシンだったり、運動指導、筋力訓練、マッサージだったりと、身体機能面に重きをおいていた。

(カラオケ?)

と思ったが、まあ、数年に一回くらいは行われている。流しそうめんなどの企画などもたまにやったりしている。景品はいつもトイレットペッパーだ。長く長く生きてくださいという嫌味が込められている。

さて、このカラオケだが、どうやら少し本格仕様のようで、毎回、いつも、やるときは、業者に電話をして、カラオケ機材を借りてきているようだった。

まったくあべこべである。よそでやっているのを、自分たちも……と思って、ふだんそういうことをしないから、いざ、やると、変に本格仕様だったり、はちゃめちゃをやってしまう。

(何からすればいいんだ?)

目の前が真っ白になった。

本当に果てしない。宇宙のように無窮が続いていく、遠い遠い気分になった。

何を隠そう。このADHDとかアスペルガーとかいわれる人種にとって、この「搬入」とか「機材」とか「業者に電話」とか、こういうことをやらされるのが何よりも不得意なのである。

しかし、待てど待てども助けはやってこない。俺と鈴木くんはしばらく二人で放心していたけれども、まわりは自分らの仕事のことばかりで、俺たちに構ってくれる様子もない。しかし、今回ばかりは自分たちだけでなんとかやってみようと思った。汚名返上ができるチャンスかもしれない。あれ? "2"だと思ってたけど、"6"だったんだ? みたいな。上の人たちも、俺と鈴木くんだけでどこまでやれるかテストしてみようという算段だったのかもしれない。でなければこんな嫌がらせみたいな采配をしないはずだ。もっとも、ただ、カラオケ機材を搬入するだけではあるが。

俺と鈴木くんは、ある程度案を出すと、その企画書なるものを閣下のところに持っていった。すると、閣下は、それにパッと目を通すと、「防音対策は?」と言った。

「は?」

と思った

「防音?」

と思わず声に出してしまった。

「防音」

と、もう一度、閣下は言った。

本当に、上の"2"の人たちというのは、何を言い出すかわからないものである。

「いいですか、閣下。いわゆるデイサービスにおいて、防音対策というものがはたして必要でしょうか? 確かに、我が社は、低俗で、恥ずかしい、世にも卑しい、デイサービスとかいう、こんな恥ずかしい場所で、恥ずかしい行為をガラスミラー越しに人々の前に醜態を晒していますが、確かに、我が施設の駐車場の前に置かれてあるのは、ブティックであり、隣にあるのは、「天食(テンクウ)」とかいう飲み屋であり、それは18時にならないと営業しません。住宅街はなんのその、せいぜい、音といえば、この施設の前を通り過ぎる通行人が、(ああ、なんかやってるな)と思って通り過ぎるだけでしょう、音で言えば、気にすることと言ったら、それくらいであり、いわゆるデイサービスにおいて、歌ったり踊ったり騒いでいたとして、それが何の問題になるでしょう? むしろ、おおやっとるやっとる、老人たちが元気に歌ってるじゃん、せいぜいはめを外しすぎて腹上死みたいな死に方をするなよ〜と、どちらかといえば愉快な気持ちになって見守るでしょう。それが、これがどうして、シャッター街のように閉じこもっていたり、中で何をやっているのかわからないような、暗い部屋でみんなでお通夜みたいにロウソクを並べて念仏のようなものを唱えようものなら、はやくも葬式の予行演習をやっているような、それこそ薔薇十字団か何かと間違えられて通報されてしまうでしょう」

これも、ほとんど一瞬でこの文章が頭に浮かんだのだが、それも言えないでいて、黙って企画書を引き戻すしかなかった。そして、もう一度、鈴木くんと打ち合わせした。

こういう話し合いという場を設けていても、卑怯なことに、このデブは一言も言葉を発しようとしなかった。俺が何か言うと、小首をかしげたり、かしげなかったりして、肯定的な場合であればじっとしているだけ、異論らしいことがあるときにだけ、わずかに10度くらい、小首をかしげた。

(そういうところが"2"なんだよ)

このように、どの職場でもあんがい下の"2"と下の"2"はそれぞれ二人仲良くというわけにはいかない。ゴミはゴミ同士、同じゴミの日にいっしょに仲良くゴミ捨て場に捨てられていればいいと思うのが世間感情というものであり、その方が経済的だと思わなくもないが、小生が見たところ、どこの職場においても、この下の"2"と下の"2"が仲良くつるんでいるところを見たことがないのだ。意外に、彼らの持つこの幽玄微妙な、夢遊病的な、混沌としたカオスの部分、精神的な奥行き感は、一言では表せないところがあり、また各種多様で、同じ色に染まらないところがある。ゴミはゴミとして一緒の日にまとめて捨てられれば分別の手間が省けていいのだが、それすらも手を煩わせるから、どこまでも手間がかかる。捨てるにも手間がかかるという、本当に、生まれてこなかった方がマシの手合いである。

この、無有病的精神的混沌的な部分は重なり合わないとされる。上の"2"同士だけでも途中進行が削がれることは先に話したが、下の"2"同士でも、まったく同じ現象が起こってしまうのだ。それはやはり、先で言う、磁石の法則のせいでもある、中の"6"の人がいてくれるだけで、よほど空間が中和される。中の"6"の人と一緒にいる方が、鈴木くんもよく話し、よく笑うところがあり、俺と一緒にいるときは人間性の大部分を失い、二人の間にあるこの無有病的精神的無窮が広がっていくばかりで、それが自分たちでもコントロールできなくなってしまって、制御不能になり、ただ、もう、物理的に距離を取るしかないというということもなきにしろあらずだった。あまりにも秩序がない場所は人は不安になるのか。なんだか二人でいると、落ち着かないような、良識ある人にはやく止めてもらいたいような、ゴワゴワゾクゾクしてきて、今にも刃物を持って施設から飛び出しかねない、魑魅魍魎の類の何かに成り果てそうな、おそろしい部分に自我を侵食されそうになるのであった。

「鈴木くん、これさぁ、わざわざカラオケの機材レンタルする必要なくね? Wiiに確かカラオケ機能あったよね。それ使えばよくね?」

自分でも悪くない案だと思ったが、真の狙いは、どうしても業者に電話したくないことからだった。

鈴木はうんともすんとも言わず、こちらを見ることもせず、ただ下を向いているばかりだった。小首を傾けないということは、とりあえず反対ではなさそうではある。「続きをどうぞ」というふうであった。

(デブが)

("俺"だからといって、舐めてんじゃねーぞ)

(留年野郎が)

こういう態度は、"6"の人にはぜったいにやらない態度だ。もし、"6"の人が「Wiiにしましょう」と言ったら、「それは名案ですね!」と言って立ち上がって、大喝采をおくるに違いなかった。

(テメェも電話するのが嫌なクチだろうが)

「Wiiならさ、俺だったら家にあるし(多分てめえも持ってるんだろうけどな、デブが、毎晩やってるから留年してんだろ?)、それをHDMIケーブルでプロジェクターに繋げばいいんじゃないかな?」

そう言って俺は立ち上がり、ラックに積まれてあるプロジェクターのところまで行き、裏を確認したら、HDMI端子がついていた。

「やった、HDMIついてるよ、これならプロジェクターに繋げばいいだけだと思うんだけど」

俺は続けた。

「スピーカーはふだん施設内で流しているものを使えばいいし、これ最大30Wくらい出るし、マイクもあるじゃんね」

マイクがあるのは、社長が週に一回、健康講座というものをやっていて、いわゆる集団機能訓練の一環に座学のようなものを取り入れていて、自身で制作したパワーポイントの資料をプロジェクターで映して、マイクで喋る、ということをやっていたからである。

「映像とスピーカーをWiiに繋げば、あとは別途必要なものを用意すればいいだけだし」

「でも、若者だけの選曲じゃないですか? Wiiにある選曲って、若者向けの曲やヒット曲しか並べられてないんじゃないですか? お年寄りたち用の曲があるかどうか」

と、鈴木はこのとき初めて口にした。

(デブが)

こっちはもういい気分でいるのに、サガること言いやがって。まずは褒めろよ。俺のアイデアを。まずはそこからだろーが。

しかし、なかなかいいところを突きやがる。このように、ちゃんと落ち着いた空間で落ち着いてものを考えられる時には、下の"2"もまともなことを言うのだ。

「そうだね」

と言って、俺はインターネットでWiiの選曲項目について調べてみた。

美空ひばりだったり、北島三郎だったり、五木ひろしだったり、坂本冬美だったり、森進一だったり、石川さゆりだったり、まあだいたい揃ってある。

(天城越えだけ入ってればいいじゃねーかよ)

「これだけあれば……」

「でもわかりませんよ? このリストに漏れてる場合の人はどうします?」

(るっせえな……。全員にリストを配って、この中から歌いたい曲を選んでくださいって言えばいいだろうが、バカが。何年この仕事やってんだ、ジジイババアに歌いたい曲もクソもあるか、リストから選ばせりゃいいんだよ!)

「そこが問題だね」

と俺は言ったが、

「あ、YouTube」

と、俺はこのとき、人生最大の名案が降りかかった。もし恩寵に限りがあるとしたら、こんなところでそれを使いたくはなかったが、降りかかってきたのは事実である。

「YouTubeでさ、カラオケ音源ってあるじゃんね? 例えば、美空ひばりの〇〇という曲をYouTubeで検索すれば、「美空ひばり ○○ カラオケ」って検索すれば、ボーカルが入ってないただのカラオケ音源があるんだよ」

それは俺が日常、よく使っている手でもあり、俺自身もこのYouTubeのカラオケ音源で歌をうたったりしていることもある。

「YouTubeはWiiより断然範囲が広いよ。ない方を探すのが難しいくらい」

パソコンとプロジェクターを繋げて、YouTubeを開けば、ジ・エンドだ。

「ほとんど何も用意しなくていいくらいだよ、これなら」

この妙案に対しても、デブは首を縦に振らなかった。ただ、じっと微動だにしないでいて、花崗岩か何かのように、このデイサービスの西郷隆盛像になったかのように、何の反応もなく座っていた。

(これが、中の"6"か上の"2"の人の発案だったら、すぐに飛び上がって拍手大喝采するくせに、俺だからそうやってじっとしてるんだろ? 小首を傾けねえのがいい証拠だよ。いい案だと思ってんだろ、ほんとうは、てめえも。そういうところだよ。そういうところが、中の"6"や上がれない理由なんだよ。万年下野郎が)

それでも、デブは、うーん、と何か長考するような、決定的な何かが足りていないというような、歯にクソが挟まったような、まだ、もう少し……ある……というような態度を崩さなかった。

なんでそんなに楽をしたがらないんだろう? こいつだって本当は楽をしたいはずなのに。怒られるのが怖い……のか? 怒られる? なんで?

何かこのままだと怒られることになりそうでそれを恐れているようだ。定石通り、カラオケ屋さんにレンタルしておけば、100点は狙えないかもしれないけど、60点は取れるかもしれない。とりあえずは怒られないで済むかもしれない。それを気にしているようだ。怒られる? なんで?

まるで鳥籠の鳥だな。

(何を怯えてやがる……バカが……)

目の前にはブルーオーシャンが広がってんだ。手柄を立ててやればいいのに。

むしろ、企画はすべてしまるこさんが考えました。僕は何をしませんでしたって白状してもらいたいくらいなもんだ。

企画書にまとめると(なーにが企画書だ、企画書って言いたいだけだろうが、
たかだがカラオケするのに企画書が必要なもんか。ええかっこしいの一流企業のまねっこみたいなことをしやがって。『YouTube』という単語を書くだけで笑いそうになったわ)、俺と鈴木くんは閣下のところへ持って行った。

提出すると、あー、というような、YouTubeでできるの? ふーん、と言うような、とりあえず、利用者一人ひとりの選曲を聞いて、それがちゃんとYouTube上にあるかどうか、あればやってよしということになった。今度は、「防音は?」とは聞かれなかった。この通り、上の"2"の人はいつも適当なのだ。

その後もいろいろあった。一人ひとり、老人たちに何を歌いたいか調べ上げ、その曲がYouTubeにあるか調べ上げ、順番はどうするか調べ上げ、全員1曲歌うとして、歌い終わった後のフリータイムの時間をどうするかを調べ上げ、私はあんまり歌いたくないですと言った老人の首を縛り上げ、飾り付けについて、おやつはどのタイミングで出すか調べ上げ、介護士に聞くと、いつもおやつは11時くらいに出してますよ〜と言われ、おやつとかバカなこと言ってんじゃねーぞといって介護士を縛り上げ、まだ訓練をやっている人がいるあいだにカラオケを同時進行するか、それとも訓練を早めに切り上げて、全員揃ったところで行うか調べ上げ、こんなことは一人で思案するなら2分もかかるものではなかったが、鈴木がいちいち首をかしげたりかしげなかったりするので、10度にかたむいている変則な首を縛り上げるのに時間を要した。

本番当日を迎えた。

じっさい、ことが動いてしまえば、想定した通りに進んだ。今でいう、異世界転生ファンタジーのように、自分の思った通りに工程が進んでいく様相を楽しめた。今なら、空中に手を出して、「ファイヤー!」って叫べば、本当に炎が出そうな気がして、老人たちを燃やし尽くせそうだった。

機材のトラブルもなし。おやつの提供も大丈夫。室内は暗いまるで映画館さながら、おやつ片手に他人に作られた幸福をむしゃぶる老人たちの姿があり、こうして幸福とは他人の手に支えられていて、適宜、時間と金とを交換しあい、私たちは老後という時間潰しをしていくのだろう。誰がいつ何を歌って、何分何秒に終わるかの計算結果を叩き出していたが、それが寸分の狂いもないことにゾクゾクした。無論、曲の最後の余波の部分、いわゆる声に出して歌える部分が終わり演奏だけになったら、みんなマイクを離して停止しようとするので、時間は前倒しになっていったが、俺はそれも計算に入れていた。

そんなこんなで、利用者はだいたい16人いたが、全員歌い終わった。そして、フリータイムの時間になった。フリータイム、まるで婚活パーティーみたいだ。

「さあ、皆さん、好きな曲があったら、好きに歌ってくださーい!」

だいたいどの曲もYouTube上に音源があるので、何がきてもドンと来いという気分でいた。

が、やはり、ここは老人。いくらフリータイムになったところで、あまり自分から歌いに行こうとしない。これも婚活パーティと一緒だ。結局またもう一巡、一人ひとりに、おら、歌え、というふうに無理やりマイクを持たせて歌わせることになったが。

「職員さんの歌ってるところも聞きたいねぇ」

「そうだねぇ」

「職員さんたちは歌わないの?」

「私たちはいいですよ」と介護士の一人が答えた。

「えー、なして?」

「せっかくだから、ホラホラ」

「先生みたいに、若い人の歌を聞きたいねぇ」

「若い人の歌を聞きたい!」

と、一人の老女が口にした。

「誰か歌います?」と俺は職員たちに聞くと、

「んーいい」

「私歌キラーい」

「私も歌はあんまり」

「しまるこ君、歌ったら?」

と職員の50代のおばさんが言ってきた。

「ミナちゃんは?」

と俺はあえて自分に向けられた線路を外し、若い10代の介護士に声をかけた。

「私、歌わない人なんです」

ほんとかよ。いつもイヤホンつけながら出勤してくるくせに。

「しまるこ先生の歌、聞きたいねぇ」

「聞きたい」

「そ、そうっすか?」

50代のおばさん介護士が、「はい」と言って、俺にマイクを渡してきた。

俺は閣下の方をちらっと見た。我関せずという顔でFMVをポチポチ叩いている。フロア左奥に、職員が事務作業するスペースが用意されていて、通常はカーテンによって仕切られているのだが、今はちょうどむき出しになっていて、見ることができた。

「鈴木くんは?」

と俺が聞くと、

「自分も歌はあんまり」

(自分のこと自分って言ってんじゃねーぞデブが)

当時、小生は、マッチングアプリにひどくハマっていて、仕事中はいつもマッチングアプリのことばかり考えていた。というより、それしか考えていなかった。もちろん、女を歌で落とせることなんてないとわかっていたし、そのために歌を練習していたわけではないが、女性とカラオケに行く機会といえば、そう少なくはなく、また小生自身も歌うことは嫌いではないし、むしろ大好きだったと言っていい。

ちょうど、この頃、Mr.Childrenの『ひまわり』という楽曲が公開されたばかりで、俺といえば、大のミスチル好きで、ミスチルの新曲といえば、公開されたその日に覚えて歌わずにはいられない、ミスチルの曲を原曲キーで歌い上げることは難しいとされるが、小生は易々とそれができ、またそれを誇りに思っていて、仲間たちをカラオケボックスに集めては歌い聞かせるのだった。女性とデートするときでも、カラオケ嫌いな女の子だったとしても、すぐにカラオケに連れて行き、すぐにミスチルを歌うのであった。

ちょうどその先週は、夜な夜な自室のベッドで、YouTubeで『ひまわり』のカラオケ音源を流しては、歌い続ける一週間だった。

そんなふうに一人で練習していると、やはりどこか公の場で試したくなるというのが人間心理かもしれない。ベッドの上でアカペラで歌うのではなく、マイクを持って、オーディエンスがいる場で歌ってみたい。また度重なる練習の結果、ある一定の、行き着くところまで行けた気がして、いちばん難しいとされるCメロのBフレーズをこんな切り抜け方(歌い方)があるのかという、自身としても革新的な発見があって、そこをとくに誰かに聞いてもらいたいと思っていた。たとえ、老人相手だとしても──。

「いいねぇ」

「うまいねぇ」

「やっぱり、若い人の歌はいいねぇ」

老人たちも職員も、合いの手を打ってくれた。

だが、間奏へ入ったときに、(あれ?)と、一瞬、嫌な予感がした。

(あれ? これって、もしかしたら、やばいことしてるんじゃ? これ、俺、まずいことをしているんじゃ……)

と、どんどん背中が冷たくなった。

俺は歌いながら、閣下の方をチラチラと見た。

特に変わりなく、FMVをポチポチ打っている。

(あの顔は何を意味してるんだろう)

アスペって他人の顔をみても何を意味しているかわからないっていうからな。廊下に立たされて怒られているヤツってのは、怒られながら、ポーッと先生の顔を見ているもんだ。

もうマイクを握っていたくない。なんで俺は歌おうとしてしまったんだろう?

「いいよ〜!」

透き通るほど まぁっすぐに〜

明日へ漕ぎだす君をみてぇ〜

眩しく〜て〜綺麗で〜苦しく〜なる、Ohー

暗がりで咲いてるひま〜わり〜

嵐が去ったあとの陽だ〜まり〜!

そんな〜きみ〜に僕は〜恋してた〜

そんな〜君を〜僕はずっとぉ〜!

これはやばい。早く歌うのをやめなきゃ。でも、カラオケは急に止まれない!

(怒ってないのか? どっちなんだ?)

「どうしたの? もっと、ほら、サビをもっと、ほらぁ」

何も知る由もない老人たちは、無邪気に俺を応援し続ける。

「……」

確かにここで気を落としながら歌っても、それはそれで二重三重にもあたらしい災いを招くだけか? テンション高く歌おうが、低く歌おうが、俺に待っている未来でいえば何も変わらないだろう。

(でも、歌いたくねぇんだよなぁ……)

世界でいちばんつらいカラオケだったが、俺はなんとか歌い切った。

「しまるこ君」

「ハイ」

「なんで歌ったの?」

「はあ」

「あれは利用者さんの会であって、しまるこ君が歌う会ではないよね?」

「はい」

「バカなんじゃないの?」

3年勤めてきて、はっきりと「バカ」と言われたのは初めてだった。

「反省文書いておいて」

バカみたいな話だが、何でもかんでも本当に反省文なのだ。いつも何か失敗をすると、毎回こうやって反省文を書かされていた。本当だ。

もっとたくさん怒られるかと思ったら、あんがい、これだけだった。あんまりバカだと思ったから、もうこれ以上何も言うことがなかったのかもしれない。

歌というのはかっこ悪い。これ以上、恥ずかしい行為はない。

人がいつも殻に閉じこもって守ろうとしているあの部分を全力で開き、およそ恥部とされる、その部分をぜんぶ見られた。

嘘だろ? 歌った?

俺が? 閣下の前で?

歌を?

嘘だ。

自分のことながら信じられなかった。

さっきまで、ああやって歌っていた、あの恥ずかしい部分、恥ずかしさでしかない、あれを、本当に見られていたというのか?

嘘だ。

本当に?

今、こうして、はい、はい、と言っている殊勝な部分、こいつの前ではこの態度が一番しっくりくるというのに、それがいちばん全然しっくりこない態度を俺はしてしまったというのか?

今もまだそれはこの人の記憶の中に残っている? さっきまでの、あの、ノリノリになっていた、あの一挙手一投足の、あの声が、歌が、こいつの耳にインプットされている? 嘘だ。殺すしかない。死ぬしかない。

死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい

うわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!!!

と叫んで、目が覚めた。

そう、これは夢だったのである。

途中までは、すべて本当だ。カラオケで歌ったところからは嘘である。

本当は歌っていない。歌わなかった。あと一歩の寸前のところで止まった。

じつは、この夢は、もう10回以上見ている。あのとき、確かに俺は歌わなかったけれども、もし、あのとき歌っていたらどうなっていただろう?と、魂がいまだにあのときの場所を離れないでいるのか?

確かに、あの後、何日もよく考えたものではあったけど、その名残か? 名残? 何の名残か分からないけれども……。どうも記憶の奥底に深く定着していて、悪夢として、確かに、本当に自分はあのとき歌わなかったと思うのだが、歌ったストーリーとして、自分の夢に、悪夢として流れてくることがある。それも10回も20回も。

昨晩もこの夢を見た。もう10年以上前だというのに、なんでだろう?

おそらく、あのとき、もし俺があのとき歌っていたら死んでいたのかもしれない。それは物理的に。それはちょうど起死回生における生死の境目であり、俺の人生のターニングポイントとして強く屹立していたから、あるいは、もし、宗教家、物理学者たちがいうように、もしこの世界に多次元並行宇宙なるものが成立してあって、別の次元では、あのとき俺が歌った世界線がまだ確かに生きていて、存在していて、となりではまだ進行しているのかもしれない。この夢という夢想の世界に入ると、その多次元宇宙が干渉し、もしかしたら睡眠中にその別の世界線で生きている自分との統合を果たし、その記憶が入り込んでくるんじゃないかと考えられないこともない。

だから、今、はたして、安心していいのだろうか? 確かに、俺は歌わなかった。歌わなかった。歌わなかったんだよな。あれ? 確かに、歌わなかった。でも、もしかしたら歌ってしまったような、よくわからないところがある。あれ、歌ったんだろうか、歌わなかったんだろうか? あれ?っとなる。よくわからなくて。自分の過去のことなのに。自分が歌ったのか、歌わなかったのか、それがわからなくなることがあるのだ。自分でわからないなら、人に聞くしかないと思って。こうして深夜にペラペラ音声入力をしたのは、俺があのとき、歌ったのか、歌ってないのか、皆さんの方が分かるんじゃないかと思って、教えてもらいたいと思って書いたところがある。

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