近所に、夫婦二人で経営しているラーメン屋がある。なんでも全国のラーメンコンテストなるもので日本一になったらしいラーメン屋で20年修行したらしい人が数年前にこの地域に開業したらしく、それ以来というもの人気を博し続けている。野良猫や空き地、背の低い灌木に囲まれた遊具一つない公園、市営住宅、ゴキブリが出るという噂のビレッジハウス、廃墟のような公民館、みかん畑、単なる住宅街でしかないこの土地に、なぜGoogleマップ市内一星の数が多いラーメン屋があるのかわからない。なぜ、この場所に建てたのか? おそらく、どこに建てるかと話し合っているときに、窓の外にそれなりの通行人の数が歩いているのを見かけ、ここに建てちゃおうか、と言い出したのではないか。
本当に、家々が並んでいるところに、ポツンと、『田中ラーメン』なる看板が置かれてある。ふつうの一軒家の、ふつうの庭に、敷地いっぱいに砂利が引かれてあって、その中にコンテナハウスくらいの大きさの、大型トラック一台分くらいの大きさの店舗がある。その裏に、自身らが住んでいる家らしきものがある。駐車場もあるが、二台しか停められない。一応、十字路に面していて、隣には学習塾があり、道路向こう側にはスーパーがあるから、住宅街ではいいほうかもしれない。
日曜大工の延長で建てたような、あばら小屋というか、無理やりハンマーで叩けば壊れそうな見た目をしている。あのラーメンショップの赤い店舗を思い出してもらえればいいか、あれよりは木造チックで、色は白で塗装されている。トタン屋根で、棒状の木材が、一定間隔で配置され、屋根の頂点から軒先に向かって縦方向に葺いているので、普通の住宅の屋根のようである。いつ行っても、Googleマップ星4.7とは思えない見た目ではあるが、これが案外おいしくさせているのかもしれない。我々の中のくすぶっている本物思考というやらに火をつけさせるのかもしれない。
さて、味はどうかというと、よくわからない。昔ながらの煮干しと醤油ベースで、うっすら油が浮いている、一口目はまあまあ中くらいの醤油味がやってきて、しつこくはなく、麺は手打ちでやや太くてコシのない縮れ麺で、スープはほんのりした茶色で、チャーシューはたくあんのような形と大きさのものが2枚並べられてある。いいラーメンの皮を被ったラーメンであり、こういった外見をして、20年、○○で修行したと言われれば、あとは向こうに任せようという気分になる。昨今では、二郎系とか、家系とかいわれるものが全盛を極めており、ヒョイっと麺を天地返しするように、その逆張りをいくファッションをされると、合気道の力抜きの技みたいにひっくり返されるというか、やっぱり昔ながらのラーメンはいいよね、というか、いわゆる、通とか言われるような人たちも、およそこの外見をして、やっぱりこういう昔ながらのラーメンがいちばんだよねという評価に落ち着くらしく、ほとんどハナから評価というものが諦められてしまわれていることが多い。
この町に越してきて3年になるが、このラーメン屋には、17回か18回、訪れている。3年のあいだに、17回か18回、訪れるということは、どういう意味をなすのか? それは麺のように茹で上がってしまった小生の頭ではわからなくなっている。好きなのか、普通なのか、大好きなのか、いずれに当てはまるかは、読者の評価に委ねたいと思う。
さて、今日も今日とて、足がなぜか西の方角へ赴いた。時刻は夕方16時を少し回った頃。この店は不思議な営業時間を呈していて、夕方16時から19時までしか営業しない。昼はやったりやらなかったりしているが、基本的にはやらない。やったとしても、11時から13時くらいまで。たまに12時過ぎにスーパーに行った帰りに横切ると、『スープが完売しました』という紙が張り出されており、閉まっていることが多い。月と火は休み。
16時過ぎ。まだ人もいないだろうと思って、フラッと立ち寄ってみると、席が一つしか空いてなかった。16時だぞ? およそカウンターテーブル12席の11席が埋まっている。11人が16時にラーメンを食べにきている。この町はいったいどうなってるんだろう?

「ラッシャーーーイ!」
ランジャタイの字面のような、威勢のいい声が出迎える。「一名で」と俺は言うと、「アイヨーー!」と店主は答えた。奥さんの方はこちらを見向きもしなかった。
今日は、足を踏み入れた瞬間に何か嫌な感じがした。今日もと言ったほうが正しいか。しかし、今日はとくに強い気がした。もしかしたら、と俺は思った。そろそろ限界かなと思ったのだ。俺は奥さんの顔を見た。思いのほか平気そうだった。が、顔がなくなってしまっていた。
例えば、あの、AV女優などに見られる、あの、顔がなくなってしまった顔。あの、芸能界慣れしすぎたアイドルや、インスタなどにこぞっと上げられている、あの、同一メイクの同一加工顔。あの作り物のような、あの雁首並んで飾られている顔のない顔たち。それぞれ辿った道は違えど、感情が心を追い越したという点では同一だろう。天理に反したことをしていると、人は顔を取り上げられてしまうものだ。あるいは、間違った心の使い方をしている場合においては。
カウンター席の12席。テーブル席はない。本当に、わざとやっているんじゃないかと思うほどの、コテコテの、ラーメン屋の装飾で、中央にテレビが置かれていて、トイレの前には水色の寺チックの暖簾があり、入り口本棚にはコミックが置かれ、ずいぶん汚い、換気扇の油汚れ、使い古されているテーブルや椅子、清潔感がない。使い古されていても清潔感があるのがラーメン屋の内装というものだけれども、それがかえって美味しく感じられたりするものだが、そういった様子がまるでないところは、この店の唯一オリジナリティある部分だろう。
ビタビタに床が汚れている。ほとんど掃除した跡が見られない。粘度が高そうな油汚れ、ずいぶん長いことモップで磨いてないだろうと思われる。業務用の大きな冷蔵庫が3つあるけれども、それもカレンダーだったり、家庭用と思われるメモや走り書きがマグネット越しに貼られている。冷蔵庫の上もホコリ被っていて、それは厨房内だけで、客側のカウンター席のほうは綺麗にされている。綺麗にされているというよりは整理されている、片付けられているといった方が正しいか。
従業員は夫婦のみ。亭主は非常に痩せていて、だいたい年齢は50半ばを過ぎたころ、働きざかりを少し過ぎたくらいで、仕事はずいぶん手慣れたもので、人生の前半期で蓄えた知識で手癖で流すようにやっている。年齢にしては背中がやや曲がり始めていることが気になるが、大方、そばといい、手打ち系を営んでいる職人に少なくなく見られる現象だ。身体は華奢で、とくに前腕部が異様に細い。細いが全身に加齢による肉のダブつきが見られ、それが前腕部に顕著であり、湯切りなどで麺を揺らしているとき、前腕の皮膚も一緒にプルプル落ちそうになっている。蝋人形の溶けている腕のように。一見すると、大工のような、いぶし銀な空気を醸し出しているが(ハチマキを巻いているからか)、少し暗そうで、冷たそうな、根っからの部分としてあまり生き物に優しそうではない目をしている。「アイヨー!」とか、「ラッシャーイ!」とか、中国歌劇団のように、威勢のいいテンションの声を上げるが、そのとき、大きく深く沈み込んでいった先の目の色が少しも変わらないのと、声にほとんど気持ちが入っていないことが、信じていい気持ちを妨げている気がする。髪はよく詰まっており、この年齢にしては禿げてないほうで、根本から黒々とした短髪がきまっており、ロロノア・ゾロのような髪型をしている。
奥さんのほうは、とにかく小柄で、厨房内を歩くだけでも、少し飛び跳ねている印象を受ける。明るい茶髪で、髪は長めで、一本に結んでいるが、生え際から半分まではほとんど真っ白であり、長いこと白髪染めはしていないようである。毛量が少ないためか、地肌もまあまあ見えている。年齢は奥さんの方が少し若いかもしれない。この人もたいへん華奢で、絞った雑巾みたいな首をしている。子供が片手で握りしめられそうだ。亭主と同じく、目が非常に大きく、それでいて見開かれていて、大きく、深く、暗く、沈みこんでいった先の闇に繋がっていそうで、途方もないものと目が合っている印象を受ける。いつも遠い表情をしているが、亭主と少し違うのは、森の中で周囲を警戒する小動物のような、利き耳立ちそうな目をしており、いわゆる、川端康成とソックリな目をしている。目はとても大きいけれど、半分以上はまぶたであり、そのため少し眠たそうに見えないこともない。
カウンター奥にひとつ空いている席があった。俺はそこを席に選ぶと、荷物を置き、座ってラーメンを食べている客の群れを通り過ぎて行き、トイレに向かった。トイレに入るのは初めてだった。水色の修善寺柄の古めかしい暖簾をくぐると、洗面台があり、右戸を開けるとトイレがあった。が、和式便所だった。段差があり、床からの高さが60cmくらいで、小さな子供くらいの高さだったが、俺は「よいしょ」と言って、グッと足に力を入れて登ると、用を足して、レバーを回して水洗を流した。すると、キィィィィンと、悟空が空を飛ぶようなすごい音が鳴った。
音にびっくりしたが、もっと驚いたのは、いつまで経っても鳴り止む気配がなかったことだ。トイレから出て、洗面台の蛇口を捻ると、こちらの音も出てくる音が強烈だった。トイレを流した方の音もまだ強烈に響いてくるので、まるで二人のサイヤ人が舞空術で空を飛んで競い合っているようだった。
席に戻り、コップに水を入れて飲んでいると、まだ、『キィィィィン』という強烈な音が聞こえてくるので、俺は、もしかしたら、と思って、蛇口を閉め忘れたか? と思って、再びトイレまで確認しに行ったが、やはり蛇口は閉められたままだった。(こいつ、今、トイレに行ったばかりなのに、また行くのか?)と、不思議そうに亭主や他の客たちが俺を見ていた。
もう一度、トイレから戻ってきて、席に着くと、俺は改めて店内を見渡した。近所の人たち、常連だと思われる人が多い。およそ食べログの高評価によってやったきた人たち、買い物ついでにサザエさんのような髪型をした買い物袋そのままぶら下げてやってきている主婦もいれば、ひどい白髪の、ビール片手につまみにやってきたラーメンを食う皮を被って飲みにきた飲んだくれ。ラーメンの服を着た悪魔。入り口近くの本棚には、ザ・ファブルとか、殺し屋イチとか、ウシジマとか、白龍、怨み屋本舗DIABLOとか、いわゆる犯罪系青年コミックしか並ばれていない。ジャンプではなく、ヤンマガ。少年誌はお断りということだろう。それも毎回かならず最新号が置かれてあり、今回は、ヤンマガのミッドナイトフェスティバル水着ギャル選手権なるものが表紙を着飾っていた。
「手打ちチャーシュー大盛りで」
一人の客が注文を口にした。俺の前に入った客だろう。すると、店主の額のあたりが一瞬ピクッとぴくつき、空間上に黒い一線のようなものが走った。それからすぐに甘ったるい、猫なで声で、「すいません、お客さん。前の人の注文かかっているところなんで、もう少しお待ちいただいていいですか?」と言った。混んでいるし、忙しそうだし、もうすでに怒り気味なのかなと、このとき俺は感じた。まだ16時なのだけど。
亭主がカウンターへ身を乗り出し、客の一人ひとりに向かって「ハイ」と言うと、それを合図にして、いっせいに小鳥たちが鳴き始めた。
「チャーシュー大盛りで」
「ネギチャーシュー、トッピング、卵」
「ネギラーメン」
「チャーシュー手打ち、メンマ、餃子」
「チャーシュー大盛りで、ネギラーメン餃子1、手打ちの餃子。はい、チャーシュー手打ちメンマ餃子2つね」
亭主が注文内容を繰り返すと、奥さんは無表情のまま冷蔵庫から餃子を取り出し、フライパンの上に並べて焼き始めた。餃子を焼くのは奥さんの仕事だ。
「手打ちチャーシュー大盛りで」
と俺は口にした。
注文すると怒るかな? と、また、あの黒い稲妻のようなものが一瞬走ったら怖いなと思ってドキドキしたが、
「アイヨーーーーーーーー!」
と亭主は、中国歌劇団のような、威勢のいい、幸先良さそうな口調で応えてくれた。
やはり、タイミングかな、と思った。ただ、点と点の問題。その一点を間違えると、聖者にも犯罪者にもなりえる。その、恐ろしいほど点に左右されやすいこのタイプというのは、俗にいう、いつどこでそれがプチンとはち切れるのかわからない。そこに間隙がなく、俗にいう、ノータイムで殺りにいく。おそらく、これまで一度たりとも、怒りというものに向きあったことはなかった。怒りがどのように発生するか、己のどこから湧き上がってくるか、それを調べたこともなければ、それを波動として受け止め、受け止めなかったりして、感知して進んでいく、その内観の時間をほとんど持たなかっため、何かひとつバランスが狂えば、ノータイムで殺りにいく。その危険性がありそうな男だと思った。
「会計で」
入口レジ前、ビールいっぱい並んであるテーブルから立ち上がって、白髪の年配男が言った。
※

「マイドーーー!」と、亭主が大きな声で言った。奥さんは黙ってレジの方へ向かっていった。餃子を焼くのと、会計をするのは、奥さんの仕事だ。
奥さんが声を出すのは見たことがない。
こうして見ていると、外面は亭主のほうが良いように見える。むしろここまでぶっきらぼうだと、あの奥さんはなんなんだ? 花崗岩かなんかかえ? と評価を下されかねない。
もし、その人物の器を正確に測りたいと思うのならば、その後ろに控えている奥さんの顔を見ればいい。世間に愛想いいぶっている自身の旦那を見ては、「はぁ白々しい」という顔をしているものだ。「あんな声で私に話してくれたのは何十年前かしらねぇ」
紛れもなく、この奥さんもそういう顔をしていた。亭主が客にハーモニカの音色のような声を出すたびに。
奥さんは、客の待つレジに向かおうとしたが、餃子を焼いていたコンロ近くにあった一枚のメモ用紙を取り上げると、それをじーっと見つめ出した。
紙としては、ワイド罫リーガルパッド、黄色い罫線の入った簡易なものだったが、3つ4つ箇条書きなるものが書かれてあり、俺はそれを注文票だと思ったが、長い日本語の一文のようなものまで書かれてあり、少し性格が違うようだ。奥さんはそのメモを持って、10秒か、20秒くらい、動かなくなってしまった。
レジには会計待ちのお客さんがいる。店内は混雑していて、席は満席で、新しい客も入ってきて、座って食べている客の後ろに立って待っている。
奥さんはメモを見ながら、考えているような、考えていないような、メモとはべつのことを考えているような、考えることはすでに終わっていてその先を考えているような、外から見ていては内訳はわからないが、立っていた。
まだ、10秒も20秒もそうやっていた。亭主はとっくに気づいていたが、見もしなければ話しかけもしなかった。チャーシューを切ったかと思えば、鍋の方まで歩いて行って湯を切ったり、冷蔵庫から具材を取り出したり、多動であり、奥さんとは対照的な動きを見せていた。
奥さんは、ふと何かに動かされるように、亭主のそばまで歩いていくと、亭主の隣に立ち、何を言うわけでもなく、その場に立っていた。そのあいだも、じーっと手に持っているメモに視線を落としていた。
客に注文されてキレるくらいだから、これはもうめちゃくちゃキレるんじゃないかと思って俺は冷や冷やしながら見ていたが、亭主は無視を貫徹していた。
(なんの時間だ? これ?)
およそ、世界で一人だけ迷子になっている。この狭い厨房内で、カゴの中の鳥。なぜ、あんなに家なき子みたいな顔をしているのだろう?
胸が痛くなって苦しくなってきた。
一人の人間の、生きた心地がしていない体温がそのままこちらに伝わってくる。どうして、こいつらは平気でラーメンを啜っていられるんだろう? 隣のラーメン食う客はよくラーメン食う客だ。ラーメンを食うことしか考えていない。
こういう現場は、どこでも見ることがある。たとえば、仕事の現場とかで、あんまり仕事ができないような人間が、ミスをしでかしたとき、あとは周囲に発覚されるのを待つだけ、誰かに話しかけられるそのときまで資料を読んでいるフリをしてやり過ごすといったことがあるが、それと同じケースだと考えていいのか? 夫婦だぞ?
そのとき、ガラッと入り口扉が開かれ、また新しい客が入ってきた。
「ラッシャーーーーーーーーーイ!」
こういう時でも声は出す。
それでも、相変わらずまだ、奥さんは紙を持ったまま突っ立ったままだった。
旦那は、いつものことだといわんばかりに毅然とした態度でいた。もっとも、奥さんの方もそれほど慌てている様子はなかった。そうなると、困ってくるのは客だ。解せないのは、レジで会計待ちをしている客を放っておいてまで、奥さんを冷たくするほうを優先していることだ。
奥さんは、「水は?」とだけ口にした。亭主はトントントントン!と、ものすごい強い手力で、トントントントンというよりドンドンドンドン!といった方が正しいくらいの、すごい強い手つきで、奥さんが手に持っている紙を力いっぱい連打した。ファミスタで一塁ベースに駆け込むときのゲーマーの見せるボタンを連打するくらいの力強さを見せていた。
以前は、こういうとき、奥さんは一瞬、悲しそうな、心にダメージを負ったような顔を見せたものだったが、今日はそれがなくなっていた。平気そうと言ったらそうは言いたくないが、前より心に入ってくる深度は少なそうに見えた。
以前は、話しかけるとき、少し怖がっているような、これから閻魔大王に謁見するかのような前ぶりを見せていたが、それもなくなっている、亭主と会話する前後において、その心が消えてしまっている感じなのだ。
俺は心理学の専門家ではないからわからないが、これは末期症状だということはわかる。いわゆるパーキンソン病患者などに見られる、固縮現象に似た、人のロボット化というようなものだろうか。感覚が麻痺し、滅してしまった人間特有の表情をしている。以前は顔にこわばりのようなものがあり、それは回を増すごとに増していたが、ここにきて、それもすっかりなくなってしまった。
これは私たちの生活においてもよく見られることで、実はそれほど珍しいものではない。とくに認知症患者のそれに顕著であり、聖哲中村天風師はこう言っている。
「近頃、認知症というものが流行っているが、あれはね、まわりがやかましくするからボケてしまうんだ。本人だって自分が悪いことは自分でいちばんよくわかっているが、家族と言い合いをしたくないし、言い合いしたところで自分が負けにされることもわかっているからね。だから、初めからツンボのふりをしてやり過ごす。それがいちばん早く切り抜けられる方法だとわかっているから。そうやってツンボのフリをしているうちに、本当のツンボになってしまうんだよ」
皆さんの生活におかれても、会社で理不尽な目にあったり、いわれのない屈辱を受けたりしたとき、それをそのまま怒りをあらわすこともなければ、ダメージを負ったという心境を隠すものだろう。ポーカーフェイスを気取って、すました態度、まるで効いていません、と、毅然とした態度を持ち出しては、何も起こっていないというように、嘘をつくだろう。
ブラック企業で働いている人間も同じ、ほとんど戦力外通告を受けたと同義のような人間でも、努めて明るく振る舞おうとするものだし、自分が戦力外通告を受けているという事態がどこにも起こってないというような態度を装うものである。
学校のいじめも同様である。彼らはどこ吹く風というように、暗い顔もしなければ、ダメージを受けているという顔もしない。いじめられているという事実はどこにもないという顔をする。自分がOKサインを出すことで、はじめて烙印が押されるものだと思っている。人はそれだけ人に弱く見られることを恐れるものであり、それはプライドの問題だろう。どんなに満場一致で可決されたとしても、本人だけは認めたがらない。あくまで関係のない態度を装おうとする。自分が一番関係者ではあるが。
この擬態を続けているうちに、擬態が優勢になってしまうことがある。若いうちは強さが何とかしてくれるが、高齢者は完全に支配されてしまうことがある。それが認知症に多く見られるケースだ。
どうしてここまで酷いことができるのだろう? 仮にも自分の奥さんだろ? 自分の? 自分のですらない。自分の持ち物ですらない。一個の偉大な魂だ。こんな夕暮れ時の、田舎の片隅の一軒にも満たない、およそ数十分の滞在でしかない、このヒトコンマにおいて、人が無惨に虐げられている。ただ一人の人間がいわれのない屈辱を受けている。この短い滞在の間にこれだけのことがあるということは、人目のなくなった場所では何が行われているのだろう? ふだん、一日、一緒にいるとき、一体どうやって過ごしているのだろう? まったく顔を合わせないか、まったく顔を合わせないならまだいい。まだいい? この店舗で働いている時だけ顔を合わせるならまだいいのか? 俺はラーメンを食ったら店の外に出るからいいが、奥さんはその後も続く。今夜も、一日中、一生。
ただ、地獄なだけだ。彼女は死にたがっているように見えた。男も死にたがっているように見えた。男はまだいくらか少しだけ生きたがっているように見えた。逃げようにも逃げられる場所もない。悩みすら打ち明けられそうな友人も家族もいない。すべての出口は塞がれていて、この地獄を歩くのに疲れ、もうそろそろ一歩も歩けないくらいになっている。そんな人間が隣にいるのに、どうしてラーメンなんか作っていられるんだ? 俺は自分の奥さんをこんなふうにしている男の作ったラーメンを食べるのか? 自分から金を払っておいて? ちゃんちゃらおかしい。ちゃんちゃらおかしいが、どうしても、この、席を立つということができない。身動きがとれないのは俺も同じだ。もういっそ爆発しないもんかね? 俺も付き合ってやるから、さ。店ごと爆発してさ。いいじゃん、それで。それがいちばんいいって。客も丸ごと一緒にさ。
しかし、俺は考えた。たとえば、それでも、彼らは現在の記憶を有しながら、二人が出会った若い頃に再び戻ったしても、また結婚するんだろうか? ということだ。なんだかしてしまいそうな気がするのである。この奥さんが今逃げないことも、そういうことなんじゃないかって。彼らの生まれる前から決まっている宿命として、その修行として、この結婚生活があるとしたら、逃げようとも、自分から向かっていってしまう性質のものなのだろうか?
だとしたら。
だとしたら?
俺はどうすればいい?
ラーメンを食べればいいのか?
奥さんは、俺と旦那と、どちらを選ぶだろう? あまり一緒にディズニーランドとか回っても、楽しくはなさそうではある。若い頃の旦那と過ごしたあの仲良かった時代には敵わないだろう。一つ言えるのは、俺は、多分だけれども、この亭主よりは優しくできる自信はある。なぜなら俺はそのために人生の大部分を費やしてきたからだ。だからそれは多分できる自信はあるのだけど、それでも、奥さんはどちらを選ぶのだろう?
※

「ヘイ、お待ちぃ!」
亭主がカウンター越しに手打ちチャーシュー麺の大盛りを渡してきた。俺はそれを目の前のテーブルに引き下げると、割り箸箱から割り箸を取り出し、ネギとタマゴとチャーシューと麺をしりぞけ、メンマを口にした。最初はメンマを口にすることが多い。麺はほとんど煮てないくらいの固さが好みなのだが、そうはいっても、その固さの麺が出てくるはずもなく、芯も生気もなくなってしまっているダブルスタンダードの麺を啜る。メンマも冷たいのが好きで、できれば冷蔵庫から取り出したものをポンと置いたくらいがいいのだが、のんびり風呂に浸かったジジイのようなものを口に運ぶ。具材の一つ一つが小さく、タマゴは輪切りの小さいのが2枚ほど。チャーシューも細切れ肉ということはないが、ナルトと同じサイズ感のものが二枚並べられている、もっとも、チャーシュー麺だから7枚並ばれてあるが。
さて、と俺は麺をすすってみると、やや薄味だった。醤油ベースの、お湯に醤油を溶かしたような、あまり味にも記憶にも残らない味だ。ここにきて、俺はスープを一口含んだ。うまいっちゃあうまい。見た目通りの味だ。これはちょっと餃子が欲しくなる味かもしれない。餃子も頼もうかと思ったが、餃子は、実家に帰ると、いつもお母さんが作ってくれて、それが3、4時間も丁寧に時間をかけて作ってくれるので、どこで食べる餃子よりも家で食べる餃子がおいしい。餃子だけは母以外の者に作る権利を渡したくない、そう思ってよすことにした。
それに、この混雑時、今さらもう一品注文したりでもしたら、今度こそ亭主の眉間にはっきりとピキッと本棚に置かれている怨みや本舗みたいな💢マークが現れるかもしれないしね(笑)
店内には、千と千尋のオープニングみたいに、ガツガツ食っている客みたいな豚の後ろに、背後霊に似た4、5人の客の立っていて、目の前の無様な後頭部を眺めて優越感に浸っている姿がある。すこし時間が経てば自分も同じ穴のムジナになるのを承知の上で。
(しっかし、餃子食いてーな)
頼みゃあ、口ではアイヨー!と言うのだけど、その一瞬手前に、黒い一線のようなものが走るから、それがどうしても嫌で注文したくないのだ。ちなみに、俺の後ろでは、ヒモの長い黒いハンドバッグを下げたギャルがいて、スマホをいじっては、たまに、フッと顔を上げてはTVを見ていた。俺はラーメンを食いながら、彼女の視線が上下に行ったり来たりしているのを背中で感じた。
テレビはバラエティ番組よろしく、クッキー特集なるものをやっていて、司会のオードリーとゲストのファーストサマーウイカがクッキーを食べながら、ああでもないこうでもないと話し合っている。店内のほとんどすべての客がそれを見ながらラーメンをすすっていた。
ラーメンをすするたびに、画面越しのクッキーの味が伝わってくる。なぜ金を払ってこんなバカな真似をしているのか、トッピングというか、食べ合わせをしているのかわからない。
この令和の時代においても、テレビは依然として主役級の働きをするので、まぎれもなく全員見ていた。
奥さんも、餃子を焼いたり、作業の合間にフッと視線を上にあげては、よくテレビの方を振り返って見ていた。
クッキーだかラーメンだかわからないものを食っているうちに、気づけば俺はスープを完飲していた。さて、と思って、額に汗ばんだ汗を拭うため、テーブルに置かれてあったティッシュを、4、5枚抜き取って、女がやる化粧水パックのようにペタペタ貼り付けていたら、ゴミ箱は? と思って、後ろを振り返って確認してみたら、床にゴミ箱があった。
普通サイズのゴミ箱だったが、ティッシュが山盛りになっていて、数枚こぼれ落ちていた。前の客がめっちゃ汗をかいたのか? シャワーを浴びたのか? ラーメン屋で?
ギャルは私は関係ありませんという顔で立っていた。
「お会計お願いします」
と俺は言うと、
「アイヨーーーーーーーーーーー!」
と、大きな声で亭主は返事をした。
レジにやってきたのは、やはり奥さんだった。奥さんはくるっと亭主の方へ向き直ると、亭主は、「手打ちチャーシュー大盛り」と、やや気が緩んだのか、あまり怒気を隠そうとせず、そのままの自然の怒りの声で言った。
「800円になります」と奥さんは言った。
千円札を渡すと、奥さんは、右手と左手に、それぞれ100円玉を持って、「アーイ」と言って両手を高々と上げて渡してきた。ちょうどバンザイのような形になっていた。たまたま気が緩んだのか、なにかの弾みか、少し時間差があって、彼女は急にハッと顔を赤面させると、自分でもなぜこんなことをしてしまったんだろうというようなひどく後悔したような顔を見せた。俺はその顔を弔いたかったが、方法がどうしても見つからず、「どうも」と言って、ニコリと笑って釣りを受け取った。すると奥さんは、(ああ、よかった)というふうに、今、自分がしでかしたことは間違いじゃなかったんだと、少し安堵したような顔を見せていた。