とある温泉施設で血圧を測ってみたら上が140もあった。脈は48とかだったけど、ふだんは110以下だったから、こんなに高くなっていてびっくりした。
これには思い当たる節がある。さいきん、ちょっと塩を使いすぎていたことだ。玄米を茹でるときにも塩を大さじ1杯ぐらい入れていたし、梅干しを一日に一つか二つ食べていた。そして恐ろしいことに、やはりというか、納豆のタレである。
俺はずっと前から思っていたことだが、このタレを抜きにして食べると、納豆は、言うほどには、そんなにおいしくはない。結局のところ、俺はタレが好きなんだと思う。タレ抜きにしたところで、そんなに食べたいと思わないからだ。そういう意味でいえば、生粋の納豆好きとは言えないと思う。
この納豆の効果はいかほどかというと、やはり世間で言われているとおり、馬鹿にできないところはある。食べるのと食べないとでは、便のあり様がまるで変わってくる。個人的にはいろんな食べ物を食べて便の出方を比べてみたところ、納豆がいちばん、便のカサといい、かたち、柔らかさ、色、食物繊維がたっぷり含まれていそうな、ボソボソとした、かといって水様便(下痢水)でもない、バランスがとれて、ややヌメリケや水気があって、ボボボボッ……!というように便が出てくるので、便秘に対してはいちばん効果があるのではないかと思われる。(まぁ、一日に3〜6パックくらい食べていたこともあったからかもしれないけど……)
また、納豆を食べたあとの食器を水につけておくと、凄まじいほどピカピカになることもあり、(おそらく油汚れなどもびっくりするほど落ちると思われる、油物と納豆をいっしょの皿に使うとことはめったにないかもしれないけど)、これが体内の浄化としても働くことを思うと、ナットウキナーゼの効果はやはり馬鹿にできないと思う。
だから、一日に一パックぐらいだったらいいかもしれないけれど、俺は一日に6パック食べてしまうこともあった。どうも、食べようとすると、一パックに収まらない。また、ひとつ3パックで売られているから、つい3パック食べてしまう。とくに夏などは、冷蔵庫もないこともあって、冷えているおいしいあいだに食べてしまおうとして、買った分だけ食べてしまっていた。次の日まで待てないという理由も大きいのだが。
↑まぁ、こんなものを食べれば、ボボボボッ……!と、ダイナマイトの導火線に火がついたような凄まじい勢いの便が出るわなぁ、というものである。
それでも昔の話ではある。今はもうタレ付きの納豆は食べられない。この、タレの不味いのなんの。気持ち悪くてとても食べられたもんじゃない。
こんなふうに、味の嗜好や好みなんてものは、意外に簡単に変えられるものだから、まずは試してみるのが重要だ。
そして、俺は、この貪欲の正体を知っていた。
俺は、もともとは、相当に、みなさんと比べ物にならないほど、意地汚くて、欲深い人間だ。
というのも、俺は過去に、
この前も、誕生日だからといって、母がケーキとパンを焼いてくれたのだけど、食べられる分だけ食べていいよ、と言われ、べつに限界に迫るつもりもなかったのだが、ただ、なんとなく、手が伸びて、ふつうに食べていたら、上の二つの写真分、一人でぜんぶ平らげてしまった。しかも、そのあと夕食まで普通に食べた。母もびっくりしていた。いったい、どうして、あんたはそんなに食べられるのかしら……と言われ、俺にもわからなかった。しかも、このあと、まだまだ食べられそうだった。
これも、やはり、調味料だとは思う。
※
このブログでは何度も言ったことだけれども、われわれが「おいしい」と言っているのは、調味料のことを言っているに過ぎない。調味料がなかったらそんなにおいしいおいしいと言って食べないだろう。さらに言えば、調味料というよりも塩だろう。塩分だろう。
そんなことを考えていたある日、とある記事を見つけた。これは決定的な出会いであった。
なんでもこの夫婦は、もう20年にわたって、塩分を一切取らない生活を送っているらしい。きっかけは、旦那さんが、まぁお医者さんらしいのだが、単身赴任の際に、調味料がまったくなかったために、フライパンで野菜を調味料なしで炒めて食べて見たところ、食材そのもののような味に感じられ、おいしく感じられたという。食べたとときに身体がスーッとしたという。
それからというもの、この夫婦は塩分抜きの生活に移行していくわけになるのだが(旦那さんがやり始めたからといって、奥さんまで一緒になってやるというのは、ここら辺に夫婦の妙というものがある。同性の友達とかだったらこうはならないだろう。やはり夫婦は運命共同体というか、そんな性格をあわせもつものである)
俺はとくにこの身体がスーッとしたという文言に惹かれた。いつか塩分抜き生活はやってみたいと思っていて先延ばしにしていたが、このとき正真正銘でやってみようと思った。もっとも、尊敬する二木博士や肥田先生がまったく塩を摂らない生活をしていたことや、あのサイババにおいても、塩はぜったいに摂ってはならないと口をすっぱくして言っていたことも手伝っている。
非常に熱いもの、スパイスの効いたもの、あるいは酸っぱい食べ物は、
酒類や肉類に相当します。
ピクルス(インドの塩辛い漬物)は
まさに塩の中で泳いでいるような食べ物です。
塩の影響は酒よりも悪く、どちらも高血圧を引き起こします。
塩は血液を汚染するので使わないよう助言します。
サイババ
これは、あんがいやってみると、なんてことはない。この一ヶ月試してみたが、苦痛ということはまったくなかった。今まで試したどんな食制限よりも簡単だと感じている。もっともこの夫婦もたまに外食をして塩気のあるものを食べるそうだけれども、その後、塩なし生活にすぐに移れることから、そんなに難しくもないと考えられる。それは本人たちも言っている。まぁ一種の覚悟が必要になるけれども。覚悟を持って挑んで、そういうものだからと心の準備をしておけば、あんがい食べ物なんてものはおいしく感じられるものである。それが知れるだけでもいいことだろう。
食べてみたところ、たしかに、食材そのものの味が感じられ、体がスーッとする。心もスーッとする。この塩抜き生活をしてからというもの、すぐに血圧も110以下に落ちついた。
一般的に血圧というのは、90〜110くらいが正常らしい。というのも、いろいろ文献を漁っていると、いろんな部族たちの血液、いわゆる自然に即した生活をしている部族たちの血液が、だいたい90〜110くらいである。とくにマサイ族なんかは、牛の絞りたてのミルクだけを飲んでいて、他に何も食べない生活を送っているようだが、そんな彼らの血圧は95くらいに落ちつくらしい。だから、いわゆる人間の正常な血圧は90〜110くらいに落ちつくようになっているのではないかと考えられる。子供の血圧もそれくらいだし、中学生あたりだから、だんだん110を越えはじめていってしまうらしい。
多くの人が、生きていくには塩を摂ることが必要不可欠だと思っていることだろう。じじつ、俺もそう思っていた。
じっさいのところ、たしかに塩分、つまり塩化ナトリウムを摂ることは人体にとって必須に違いないだろうが、しかし、それは食べ物それ自体に含まれている自然の塩分を摂取するだけで足りるとのことだ。むしろ、それ以上を塩分を外的に摂ろうとするから、病気になってしまうらしい。
今はどうだかしらないが、少なくとも、昔のマサイ族も塩を摂っていないが、マサイ族は、牛の搾りたてのミルクだけを飲んで生活していて、そのミルクには、ちょうどいい配分での塩分が含まれていて、このように、自然物にはそれ自体に必要最低限の適合値の塩分が含まれているらしい。もっともその塩分は人工的に抽出されたものと違って、天然な性質として最も精妙な値で割り振られているから、人体に最も適合し、無理がないものと思われる。とくに玄米はちょうどいい具合に塩分が含まれているから、わざわざ外的に塩を摂る必要がないと、二木博士は言っている。だから、いくら身体にいいと言われる天然塩だろうが害になる。じっさい俺はこの一ヶ月、まったく塩を摂らなかったけれども、何も不足を感じることはなかった。そして、血圧も落ちついた。
それどころか、変に、調味料みたいなものを口に入れると、いつまでも、いやーな感覚が舌に残るので、なるだけ口に入れたくなくなった。今ではもう、納豆のタレを少しでも口に入れたくなくなってしまった。
ちなみに、人間の味蕾細胞は、三週間たびに生まれ変わるらしい。
私たちは、味覚を追求するあまり、各種スパイスや調味料を使いすぎます。本来、私たちは味覚をコントロールすべきなのです。
医学的には、味を感知する味細胞の寿命は短く約一〇日間です。三週間で舌全体の味蕾(味細胞が集まった味覚器官)が新しいものに変わるそうです。
ですから、三週間、浄性の味に慣れれば、その後は浄性の食べ物の良さが実感できるようになるため、嗜好の変換が容易になると考えられます。それまでは、舌に支配され ないよう頑張りましょう。
「食物と健康と霊性」 ―サイババの叡智と最先端医学の真実― 人は誤った食事で苦しんでいる
医学博士 小窪正樹
塩抜き一ヶ月の実験経過
①貪欲が抑えられる。
先ほども言った通り、納豆にタレをつけないとなると、そんなにたくさん食べたいと思わないし、塩をかけると、そのはずみというか、食欲がいたずらに亢進してしまって、ふだんの倍は食べたくなってしまう。このように、塩分には満腹中枢をおかしくさせる働きがあるのだろう。それは化学品の塩だけに限らず、天然塩にも同じことがいえる。天然塩だからといって、玄米をゆでる際に、大さじ一杯の塩を入れる必要もない。天然の食べ物その中に含まれている塩分だけが望ましい。そうすると、余分に食べようとは思わなくなってくる。このため、塩を抜くだけで、ふだんの食事量が半分以下に抑えられてしまう。
②よく噛むようになる。
これも二木博士が言っていたことだけれども、しょっぱいものだったり、調味料を使うと、反射的にそれを飲み込んでしまう習性が働いてしまう。しょっぱいというだけで、自然と嚥下機能を促進させてしまうのだ。それは俺もよくよく実験して確かめた。これも塩を使わなければ、特に注意をしなくても、自然と噛む回数が増える。
③身体がスーッとする。
身体も、心もスーッとするようになった。その効果がわりと長く続く。一日中気分が落ちついて、静かになり、エンターテインメントも上質なものを好むようになり、これまでくだらない美少女アニメを見ていたけど、赤毛のアンのような高尚な味わい深いものを楽しむようになった。食べ物の好みと娯楽の好みは一致する関係にあるらしい。四六時中、心が落ちつくようになって、さまざまな武芸や趣味、生活の一般ごとから、中心なるものを見つけだしやすくなり、瞑想もまた普段より深みに入りやすくなったことから、塩を摂るか摂らないかで、心にこうした変化が起こる。
④性欲も落ちつくようになった。
塩の摂りすぎから人々は自慰行為をしているかもしれないと思った。つまり自慰は、摂り過ぎた余分の塩を精液として外に吐き出している一面はあると思う。
④食費が浮く
調味料を買わなくてよくなることと、食べる量が半分以下で済むようになるので、食費が半分以下になる。
⑤夜間頻尿がなくなる。
塩分を取ると喉が渇いて水をよく飲むようになる。また、体内のナトリウム濃度の調節のために、おしっこをすることを余儀させられなくなるので、一日においておしっこの回数が少なくなり、また、夜におしっこのために起きることがなくなる。一晩中ぐっすり眠れるようになった。
⑥朝の目覚めが格段にいい。
それまで、いくらか顔にむくみがあったが、それがまったくなくなった。一日一食で、せいぜい塩といえば、大さじ一杯入れていた程度だけだったけど、それでも、朝起きるといくらか少なからむくみがあったけれども、それが完全になくなった。不思議と、心のむくみもとれたような感じになり、これまでよりも清々しい朝を迎えられ、目覚めも格段によくなり、もう4時ぐらいになるとパッと目が覚めてしまう。夜もよく眠れるようになった。不思議と寒さにも強くなった気がする。むくみに対しては、カリウムが豊富な食べ物、果物や野菜、海藻類、玄米自体に排出作用があるされ、そういった食べ物を摂っていたのに、多少のむくみがあったけれども、塩分を抜くとほとんど完全になくなってしまったことは、カリウムをたくさん摂ることより、塩を摂らない方がずっと効果があると言えそうである。
おそらく、一日一食や少食にしている人でも、朝起きると、多少なりとも、むくみはあるだろう。個人的に、このむくみは、心のむくみも同時に起こっていると思う。朝のちょっとしたどんよりした気分がさらになくなり、スッキリした気持ちで起きられるようになった。そしてその状態がわりと一日続くようになった。このように、やはり幸せというものは状態によって左右されると思う。幸せ=状態だと思う。それは心の状態であり、体の状態、心身を健全な自然の状態に整えておけば、人間は幸せになれると俺は考えている。だからべつにストイック主義でもなければ、断食主義でもなく、ただ自然主義なのである。そしてこの自然主義というものは、塩を全く抜いてしまい、食べ物そのものに含まれている自然な塩分だけを取り入れることを言いたいわけであるが、まぁ、まだ始めて一ヶ月くらいだから、もう少し、半年とか1年ぐらい、調べたいものであるが。この医者のように、20年くらいはね、本当は。
ちなみに玄米を炊くときは、煮汁を味噌汁代わりに飲むようにしている。味噌もろくなものが売られていないし、玄米も煮汁の方に栄養がとられてしまうことを考えると、これを捨てるのは本末転倒だ。それにこの煮汁のおいしいこと、おいしいこと。なんの味付けもしていないけれども、とてもおいしくて、身体がスーッとする。
継続性
今のところ一ヶ月ほど試してみて、これはとても良いものだと思った。さすがに生玄米はやったりやめたりを繰り返していて、今も再び断念している有様だけど、塩抜きに関しては、まったくつらくなるところがない。むしろ、ずっと心地いい状態が続くようになる。まぁ、それは、上で引用した夫婦の話している通りだ。
先に言った通り、未来細胞は三週間たびに生まれ変わるし、俺自身がこの一ヶ月やって、もう、あの、気持ち悪い納豆のタレをほんの少しも口に入れたいと思わないし、玄米でさえ、塩で茹でたと思うと、そのケバケバした味にげんなりする。そのままの方がよっぽどおいしい。
俺はもう塩分ありの生活に戻りたくない。しょっぱいし、不味くてかなわないくらいだ。喉も渇くし、夜間頻尿も多くなる。朝の目覚めも悪くなる。
まぁ、そうはいっても俺のことだから、またしばらくしたら、「塩抜き生活やめちゃいました😂」とか言い出しかねないから、まぁこういう情報もあるよという感じで、軽く流して聞いてくれたらいい。また、しばらく経って、継続しているようだったら改めて記事に起こそうと思う。
とてもおいしいし、それでいて、あまり、がむしゃらに欲を引き起こすようなこともなく、ゆっくり噛んでゆっくり味わって、貪欲を起こさないままに自然に食べ物を味わえることを楽しんでいる。
現在は、玄米1合、玄麦大さじ2杯、それに昆布を加えている。前まではワカメだったが、冷蔵庫がないこともあって、ワカメが塩漬けされていることや、経済的なことも考えるに、昆布の方がいいかなと思って変更した。画像では、昆布を混ぜて炊いているけど、今は、出汁用の昆布をハサミで細かく切ったものを、生のままで、2、3切れを口の中に入れている程度だ(本当は1cm程度を一口食べるだけで十分らしい)だから、おそらく200gぐらいの乾燥昆布を買えば一年はもつんじゃないかと思う。それでアルカリ性の問題は解決だ。血液をアルカリ性にしておかなければならないことに関しては、ほかの記事でたくさん書いているから、そちらを参考にしてほしい。
基本的には、いくら玄米が優れているといっても、最終的に終末酸化物質として体内に残り、身体を酸化させてしまうので、その中和のためにアルカリ性に富んだ食品が必要だと、二木博士や中村天風先生が言っているため、これを採用している。アルカリ度数でいえば、ワカメの方に分があるようだが。毎日、1cm程度を一口食べる程度なら、昆布の方が経済的かなと思ったのだ。冷蔵庫がない場合、保管が効くし。
納豆を6パックも食べようとすると、とうぜん、玄米の方も2合ぐらい炊きたくなってしまうものである。もっと、より食事を味わいたい、もっと、たくさん食べて、たくさんおいしい時間を長続きさせたいと、もっともっと……といってしまう。塩抜き生活は、人間にとって必要な最低限の自然な食べ物の食べ方について、考えて導き出したものである。生食ができたらいちばんいいが、なかなかそれは辛いものがある、と二木博士も言っていたけど、俺もこれには同意せざるを得ない。本当は生食ができたらいちばんいいのかもしれないけどね。これから同時に、炊く時間を短くする工夫もしていこうと思っている。
それでも、自然の食べ物を自然な状態で食べるのであれば、“貪欲”が抑えられる。必要最低限のところで、切り上げようという気持ちになる。もっと、もっと……というふうにならない。このメリットがどれだけ大きいか計り知れない。というのも、食の乱れはそのまま心の乱れとなるからだ。食べ過ぎた分は、かならず心身に悪影響をもたらす。食欲に限らず、ほかの全てに欲望において貪欲を引き起こし、心が移り気になり、アマゾンで変な買い物をしたくなってしまいがちで、買う用もないのに、目的もなく商品ページを見てしまいがちで、欲望や心の制御が難しくなってくる。瞑想における集中力も奪ってしまうことになるのだ。だから、そのためにはまず、自然な食べ物を自然に食べることが重要だ。